町山智浩『ソウルの春』を語る

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町山智浩さんが2024年8月13日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で全斗煥の軍事クーデターを描いた韓国映画『ソウルの春』を紹介していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日、ご紹介する映画の主人公も死刑判決を食らってる人ですよ。今日、紹介する映画は8月23日に日本公開される『ソウルの春』という韓国映画です。

(曲が流れる)

(町山智浩)この音楽は本当にミリタリーのね、軍隊っていう感じの音楽なんですけど。『ソウルの春』っていうタイトルだと、ほのぼのとした『北国の春』みたいな。花が咲いて、蝶々が飛んでみたいに感じますけど……これはそんな内容じゃないです。それとは全く逆ですよ。ソウルで韓国軍が2つに分かれて内戦寸前に突入したある一夜のことを描いた実録軍事アクション映画です。どこが『ソウルの春』なんだ?って思いますけど。

これは実際にあった事件で。1979年の朴正煕大統領という軍事独裁政権の独裁者がいたんですけれども。彼が自分の右腕だったKCIAの局長に暗殺されるという事件が起こりました。それで独裁者が死んだということで、韓国全土には「初めて民主的な社会が来るんだ!」ということで民主化運動が高まっていったんですね。

それを実際は「ソウルの春」と呼んだんですよ。だから『ソウルの春』っていうタイトルだと、詳しい人は「ああ、あの民主化運動についての映画なのかな」と思うんですけど、違います。この映画ね。民主化どころか、民間人はほとんど出てきません。10人も出ないと思います。全員、軍人です。出演者全員、軍人。で、その大統領が亡くなって、普通の民主選挙による民主主義的な議会政治に移行するかと思われていたのに、それを乗っ取って、軍事クーデター起こして再び軍事政権を樹立してしまった軍人がいたんですね。

全斗煥が起こした軍事クーデター

(町山智浩)それは全斗煥という人で。全斗煥大統領となって、政権を掴むんですけれども。その時に、最後まで彼と戦って韓国が再び軍事政権に落ちるのを防ごうとしたもう1人の正義の軍人がいたんですよ。その2人の対決を描きます。これはすごい映画で。韓国映画は本当に政治的な事実を次々と映画化していくんですけども。劇映画で真正面から描かれたものとしては、これが結構最高峰で、大ヒットしてますね。

で、その全斗煥を演じるのはファン・ジョンミンという俳優さんで。今回、頭を剃ってハゲ頭になってますけど。この人ね、とにかく韓国では本当に名優の1人ですけど。松重豊さんに似ています。顔の感じがそっくりなんですが、松重さんは頭の中でいろいろ考えても口に出さないでグルメを食べてるじゃないですか。ファン・ジョンミンはベラベラベラベラしゃべりまくる、口から生まれてきたような男ですね。彼が演じるのは。いつもものすごい口から出まかせで人を支配していく怖い役をよく演じてる人ですけど。

それと対決する正義の軍人を演じるのはチョン・ウソンさんという人ですね。この人はイケメンです。この人はね、イ・テシンという役を演じてますが、これは実在の軍人で最後まで戦った人がいまして。その人がモデルなんですが、あまりにも俳優をチョン・ウソンさんというイケメンにしてしまったためにね、実際には似ていないんで名前と役名を変えてますね。

やっぱりね、知ってる人は「似てねえじゃねえかよ」ってなるから。「イケメンすぎるから、違う名前にした方がいいんじゃねえ?」っていうことで。で、この2人は実は2度目の対決です。ファン・ジョンミンとチョン・ウソンはその前に『アシュラ』という映画で激突してるんですが。『アシュラ』はね、韓国ノワール史に残る大傑作映画なんですよ。韓国ノワール好きだったら、もう絶対みんな『アシュラ』は好きなんですね。

これはファン・ジョンミンがやはり政治家……口から先に生まれてきたみたいな政治家の役を演じてまして。それでチョン・ウソンさんが刑事なんですけど、奥さんが病気になってしまってお金に困って、その悪徳政治家のファン・ジョンミンに操られて汚いことばっかりをしている汚れた刑事の役をやってます。で、徹底的にコントロールされて踏みにじられていくんですが、とうとう意を決してですね、この悪徳政治家ファン・ジョンミンにチョン・ウソンが立ち向かうという映画が『アシュラ』なんですね。

で、これが大ヒットしまして「もう1回、あの2人の対決が見たい!」と世界中の映画ファンが言っていてとうとう『ソウルの春』が作られたんですが。どっちも監督は同じ人なんですよ。キム・ソンスさんという人が『アシュラ』に続き『ソウルの春』を監督しています。で、これは裏の事情みたいな……なんでこんなクーデターが実際に起ったのか?っていうことを知りたい人もいると思うんですけども。

これはまず、朴正煕大統領っていう人は元々、クーデターを起こして韓国の大統領になった人なんですよね。その時のクーデター仲間がKCIA長官のキム・ジェギュっていう人だったんですが。元々、士官学校の頃から仲が良くて。まあテグッパというグループを作っていて。で、KCIAっていうのはその名前から情報局のような気がしますけども、実際にやっていたのは政治工作で。暗殺とか、あとは軍事政権に反対する人たちを拉致して拷問するとか、そういうことをしていた秘密警察だったんですよ。で、汚い仕事……はっきり言って暗殺なんて汚い仕事の極みなんですけど。それを散々やらされてきたそのキム・ジェギュがそこまで一生懸命尽くしてきたのに裏切られたって思って、その朴正煕大統領を射殺しちゃったんですね。

で、これは既に映画になっていて。最近、映画になってますが。『KCIA 南山の部長たち』というタイトルで映画化されていて、日本でも見れます。その暗殺の過程がわかります。で、朴正煕大統領が殺されたから、空白になるわけですよ。大統領の席が。それでこのまま議会制民主主義に移行するといいなと思っていたら、「これがチャンス!」と思ったのが全斗煥なんです。全斗煥というのはその時、少将で。少将というのは将軍の中でも一番下です。大将が一番上ですね。

大将、中将、少将っていう、大中小っていうのがあるわけですよ。ウナギの松竹梅みたいなもんで、一番格下なんですよ。少将って。それなのに、いきなり上を全部吹っ飛ばして大将になっちゃったんですよ。で、どうしてそんなことができたか?っていうと、上の方に一番のトップがいるわけですね。陸軍のトップ。軍隊の一番トップは大将がやってるわけですよ。大将軍ですね。その人に「朴正煕暗殺の黒幕だ」っていう濡れ衣を着せて、逮捕したんですよ。

全斗煥の根回し

(町山智浩)でも、そんなことって普通いきなりできないじゃないですか? 根回しをすごくしていて。それこそ、士官学校時代からの友達を全斗煥は少しずつ集めていって。ハナ会っていう秘密結社を軍隊内に作っていたんですよ。で、自分よりも下の少将とか准将とかの幹部を全部、「今度、俺が何かやったら全部ついてこいよ!」っていうね。まあ、なんというか、ヤクザみたいなね。番長グループみたいな。そこで盃を交わしたりして、どんどん仲間を増やしていったんですよ。それで「今度、俺はでかいことやるから。そしたらお前ら、絶対に俺について来い! 俺たちよりも上官が何人もいるが、それは全部俺が蹴散らすから」って言ってずっと根回しをしてたんですよ。

で、この大将も実はそれを知ってたんですよ。「これはやばい。あいつ、なんかやろうとしてる」って。それで首都ソウルを取られたら困るということで、チャン・テワンという少将の人を首都警備司令官……首都警備隊の隊長にするんですね。で、そのチャン・テワンって人はものすごい軍人の中の軍人で、歴戦の勇士でですね。もう絶対にその正義を守るという軍人の塊みたいな人だったんですよ。で、やっぱり彼は大将から任されたんで「私はソウルを守り抜きます!」ていうので着任するんですね。このチャン・テワンさんっていう人が今回のイ少将。チョン・ウソンのあのキャラクターの元になってる実際の人物なんですね。

で、全斗煥がクーデターを起こして大将、軍のトップをまずこの全斗煥が逮捕しようとするんですが……そうすると今度、大統領がいるわけですよ。実は。大統領は死んだけれども、首相が大統領の代行をやってるんですね。それで今度は彼を監禁するんです。で、それは大統領の周りの補佐官というか、警備隊がいたわけですけど。それも彼が根回しして、自分の中に組み入れてたんですよ。

でも、さっき言ったみたいに首都ソウル内を警備するのは彼の側に寝返ってないチャン・テワン……映画内ではイ・テシンさんという将軍。チョン・ウソンさんが演じています。彼がソウルを仕切ってるんですが、ソウルの中心部の国防省とか大統領は全斗煥が押さえちゃうんですよ。ところが、そのソウル内市内にいる軍隊は全部、首都防衛隊のチョン・ウソンさんが押さえていて。だけれども、ソウルの外側にいる軍隊はファン・ジョンミン扮する全斗煥が押さえてるわけですよ。「どうなるの?」って話ですよ。

本当に、途中で囲碁をするシーンがあるんですね。囲碁って囲んでいくゲームじゃないですか。囲んで囲んで、逆転するじゃないですか。だからこの全斗煥が囲碁をしながら「囲碁って、こうやって負けているように見えるだろう? ところがひとつ、ここに石を置くだけで全部、逆転するんだ」って。まあ、オセロもそうですが。「それを俺は狙ってるんだ」っていうんですね。

要するに彼、全斗煥は少将とか准将は仲間に入れてるんだけど、その下は別に押さえてないわけですよ。で、人数的には全体で韓国軍もそれこそ何十万人いるけれども、彼が押さえているのはそれこそ数十人ですよ。その数十人のその全斗煥側だけで軍隊を全部乗っ取ろうとしてるわけですよ。で、最初はチョン・ウソン扮するイ・テシンの首都防衛隊は「全斗煥の反乱だ! あいつを捕まえるんだ!」って言うんですけども、末端の軍人たちは一体何が起こってるか、わからないわけですよ。

で、全斗煥の方からも「いや、我々は軍隊内にいる反乱軍を取り締まって、この軍を制圧しようとしているんだ。だから私に味方しろ!」って言うわけですよ。そうすると首都防衛隊の方も「あれは嘘だ。あいつら、軍事クーデターを起こして韓国を乗っ取ろうとしている!」って言って。その両方の無線が来ちゃうんですよ。「どっちだよ? どうすりゃいいの、俺たち?」っていうね。

で、また空挺部隊というのが韓国にはありまして。空挺部隊って、一種の特殊部隊ですね。自衛隊にもありますけども。もう超精鋭の陸戦隊で。なんというか、スーパー兵士が集まってるような部隊ですよ。世界中、どこも空挺はそうなんですが。それを動かすんですよ。で、「彼ら空挺部隊をソウルに突入させる。それで首都警備隊を蹴散らすんだ!」って言うんですけど。

そうすると、首都警備隊が「じゃあ、38度線に常備されていて北朝鮮と向かい合ってる軍隊をソウルに呼び戻そう。それを空挺とぶつけるんだ」ってことになるんですよ。こうなると、大内戦状態になりますよ。それでこれ、1979年12月12日のたった一晩に起こった出来事なんですよ。だから韓国の普通の人たちはこんなことが起こってたっていうことを、知らなかったんですよ。韓国は内戦に突入する寸前だったんですよ。すごい感じで。

一般市民は何が起きているのか、全く知らなかった

(町山智浩)で、ところがやっているうちにどんどんどんどん、少しずつ情勢が変わってくるわけですよ。最初は全斗煥側は圧倒的に数は少ないわけですよね。それがだんだん「いや、どうもあいつが政権を取りそうだ。どうも軍隊を掌握しそうだ」ってなって。それで「あいつらがやってることは悪いことだって分かってるけども、ここで逆らい続けたら俺たちが逆賊になってしまう。俺たちの方が悪にされてしまうから、わかってるけど彼らに味方しよう」っていう、そんな人が増えてくるんですよ。

それは軍人の中にもいるし、政治家の中にもいるし。みんな、生き延びたいから。それでセリフの中でも出てくるんですけど。「わかってくれ。これが悪だってことはわかっている。君がやってることは正義だってことはわかってるけど……俺には子供がいるんだ!」っていう軍人もいるわけですよ。「家族がいるんだ! わかってくれ。悪くとわかっていても、そっちにつざるを得ない時があるんだ。生活があるんだ!」っていう。それでどんどん、クーデター側に寝返っていくんですよ。

その中でもこのイ・テシンさん。首都防衛隊の隊長は戦い続けるんです。「最後の1人になっても戦うんだ!」っていうことで。これ、すごいドラマですよ。みんな、引き裂かれていくんです。韓国軍の中で。でね、やっぱりこの全斗煥っていう人はとんでもない博打をしたわけですよ。圧倒的に最初は勝てない状態だったのに、ハッタリに次ぐハッタリで……このファン・ジョンミンさんの名演技でね。本当に何度も、途中で彼は逮捕されそうになるんですよ。反乱軍として。

でもその度にね、ハッタリをかまして口八丁手八丁でその場を切り抜けてくんですよ。これは才能だなと思いましたけど。で、全斗煥大統領はその後、大統領になるんですけど。彼が何をしたか?っていうと、1980年に光州大虐殺事件というものを起こすんですね。光州での反全斗煥政権運動を空挺部隊を投入して潰しまして。そこで大虐殺をして、大変な事件になるんですけども。それは映画になってまして。『タクシー運転手』という映画になっています。これ、大傑作ですから是非、ご覧ください。

1人のタクシー運転手が……それは秘密裏に光州で虐殺をしてたんですね。メディアを全部、コントロールしてメディアに報道させないようにやっていたんですけど。それを暴いたジャーナリストとタクシー運転手の物語です。実話です。で、全斗煥自体はこれだけひどいことをやりましたから、最終的には政権は崩壊するんですけども。その政権崩壊のきっかけは1987年の民主化運動なんですね。

それで『1987、ある闘いの真実』という映画があります。これはこの軍事独裁政権に対して韓国中でですね、最初は学生運動だけだったんですが。それに反発してたような普通の人たちもみんな立ち上がって。何百万人の人がデモに参加して。それでついに独裁政権が崩壊するということが実際に韓国でありました。革命ですね、本当に。これは『1987、ある闘いの真実』という作品ですごく詳しく群像劇として描かれてるんで、ぜひご覧ください。

で、全斗煥はこれだけ悪いことしましたから、最終的には死刑判決を受けます。それで今、この『ソウルの春』という作品を作ったチームが『アシュラ』に続いてこの全斗煥有罪裁判を映画化しようとしてるそうです。どれもね、徹底的なエンターテイメントです。ものすごく面白いです、どれも。「こんなに面白くていいの?」っていう気がします。これだけの内容で、人もものすごく死んてるけど、もう本当に笑っちゃうほど面白いんですよ。

「政治について考えない国民は独裁者の財産」

(町山智浩)で、このチョン・ウソンっていう俳優さん。最後まで戦う軍人を演じた彼自身がこう言ってるんですけど。「とにかく国民は政治について考えなければいけない。考えない国民は独裁者の財産になるんだ」と言ってる人なんですね。つまり考えない国民が多ければ多いほど、独裁者は得するんだっていう。

でも、じゃあどうやって考えるか? 「面白く考えようよ」っていうことなんですね。韓国映画は。圧倒的な面白さでね。見てる間、やっぱり実際の歴史だから結末はわかってるんですよ。どれも、はっきり言って。結末がわかっているものをこれだけハラハラさせて面白くするって力はものすごいです。

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