(安住紳一郎)そうそう。800年前から信州の鎌倉、長野の鎌倉って言われている。これはさ、ほら。神奈川県の鎌倉、あれだけ混んでいてさ。行っても「迷惑だ」とかって言われるんだったら、俺は信州の鎌倉に行ってこようと思って先々週、信州の鎌倉に行ってきたのさ。
(中澤有美子)よかったですね。
(安住紳一郎)いや、すごいよかった。
(中澤有美子)いいところですよ!
(安住紳一郎)だから自分のほら、天邪鬼な性質もあるからさ。なんか「他は混んでるのに、自分だけ空いているところを見つけた」みたいな。「自分だけ、早いレジの列を見つけた」みたいな。そういうなんていうか、優越感があるよね。それだけでもう鼻がブンブン広がっちゃってさ。すごく良かった。まあちょっとね、今は何を言っても誤解される時代なんで、うまく伝わってるといいなと思うんですが。まあ、私の自慢話っていうことなんですけれども。
(中澤有美子)うんうん。わかります。
まだ外国のインフルエンサーは気づいていない
(安住紳一郎)塩田庄、塩田平っていうので。塩田町ですか。今は合併して上田市の一部になってますけれども。ここはね、まだ外国のインフルエンサーが気づいていないので、いいんじゃないかと思います。平日だったからかもしれませんけれど、私が行った時は外国人旅行客、1人もいませんでしたですか。まあ、私が見ないようにしてたのかもしれないけれど。まあ別に私が外国の旅行客が嫌いってわけじゃないんですけどね。で、長野新幹線だと上田までですよね。長野のひとつ手前。軽井沢、佐久平、上田。で、長野新幹線で上田で降りて、そこから上田電鉄っていう……車でも行けるんですけど。上田電鉄っていう私鉄があって。2両の電車がね、ちょうど西側、南西側に進んでいくのかな? ゆっくり田園を、盆地の隅の方、隅の方へと進んでいくんですが。知ってますよね。
(中澤有美子)赤いかわいい列車です。
(安住紳一郎)そうそう。電車はね、紺色とシルバーで。赤いのはね、鉄橋ね。
(中澤有美子)あれ? 記憶違い(笑)。ああ、鉄橋か(笑)。
(安住紳一郎)赤い鉄橋ですね。仕方ありませんよ。もう15年ぐらい前ですか? 20年前?
(中澤有美子)そうですね(笑)。
(安住紳一郎)嘘言っちゃいけませんね。
(中澤有美子)25?
(安住紳一郎)25ですよね。25年前の長野時代の話ですよね。行きました?
(中澤有美子)27かな? 上田城の番組を作らせてもらったことがあって。とてもいいドキュメンタリーになりました。
(安住紳一郎)そうですか。上田城はね、ちょうど逆側なんだけれど。上田電鉄も乗りました?
(中澤有美子)乗ったと思いますね。
(安住紳一郎)まあ、27年前だから(笑)。そうそう。赤い鉄橋をね、千曲川。長野に行くと千曲川で。新潟に行くと信濃川ですけど。千曲川を渡る赤い鉄橋を渡って。40分ぐらいかな? 2両編成で終着の別所温泉駅っていうところがあるんですけど。パステルカラーの水色とクリーム色の、本当にミニチュアのような駅舎で。そこに2両編成の電車がゆっくりと着く感じ。いいよね、なんかね。そして三々五々、ゆっくり電車を降りて。そして皆さんが温泉街に散っていくっていう感じですよね。ちょうど盆地の山際に巾着袋のような感じで、そこの集落がありまして。で、そうそう。なんで「信州の鎌倉」って言われるか?っていうことなんですけれど。
「信州の鎌倉」となった理由
(安住紳一郎)ちょっと歴史が詳しい方は「当たり前の話なんだよ」と思うかもしれませんけれど。私も「ええっ? 信州の鎌倉? ずいぶん後から観光協会がキャッチコピーをつけたのかな?」なんて思っていたんですけど。「いやいや、もう800年ぐらい前から信州の鎌倉って言われてる」って聞いて。「どういうことなのか?」と思っていろいろパンフレットとかを見たらですね、まあ鎌倉時代は当然、鎌倉ですよね。そして執権政治っていうんですか? 北条一族だよね。北条政子から始まり。で、『鎌倉殿の13人』。三谷幸喜さんの大河ドラマがありましたけれど。主人公が小栗旬さんで、北条義時ですもんね。
(中澤有美子)そうでしたね。
(安住紳一郎)北条義時が2代目の執権なのかな? 北条義時がいたよね。で、義時の孫にあたる義政っていう人がいて。義時の子孫なので当然、家柄が最高にいいわけですけれども。義政が8代執権の時のNo.2の役職にいたのね。義政さんが。まあ、そんなにたぶん歴史好きじゃない人だと名前でピンとこないと思うんだけども。「足利義政」が有名だから、そっちに引っ張られちゃうかもしれないけど、同じ字なんですけどね。で、義政っていうNo.2の人がいて。しかも、その人が文化教養に秀でた人で。武家社会のいわば2番目のリーダーをやってたんだけど、ある日突然、バリバリ仕事やってるある日。なんか理由があって、突然嫌になっちゃって。その役職を放り投げて、長野に移っちゃうのね。
塩田庄っていうところにいきなり移住しちゃうんですよね。それは鎌倉の一番ね、政治力もあるし、文化にも秀でて。で、和歌作ったり、建築のことも詳しいNo.2の人がいきなり、上田に行っちゃったもんだから。そこでいきなり鎌倉の飛び地みたいな感じで。最終的に義政さんが自分の子供と孫、3代続くまでその塩田庄で生活してたらしいんですけど。なのでちょっと、その鎌倉のエッセンスをあそこに突然、ポンと持っていってるみたいなんですよね。
(中澤有美子)本物なんですね。