ヤマザキマリ 札幌のテレビの温泉レポーター時代を語る

ヤマザキマリ 札幌のテレビの温泉レポーター時代を語る 安住紳一郎の日曜天国

ヤマザキマリさんが2024年4月21日放送のTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』の中で漫画家になる前に札幌のテレビで温泉レポーターをやっていた時代について、話していました。

(安住紳一郎)ヤマザキマリさんは本当、落語家だと思ってる人もいると思うんですけども。漫画家でもあるんですが、元々の大本は油絵画家ですもんね。

(ヤマザキマリ)そうなんですよ。油絵をやりに行ったんだけど、油絵で食べていけないから、どうしようかな?ってなっていた時に、当時は既にもう漫画読みのイタリア人っていうのがいてね。ちょっと太り気味の引きこもりみたいなのが。で、「君は細かい絵を書くの、好きじゃない? 物語を書くのも好きじゃない? それを合わせれば、漫画なるし。日本は漫画っていうのはものすごい経済効果を生み出すものだから、当たればすごいよ!」なんてその時に言っていて。で、私もそれに乗せられて。「本当?」なんていって、初めて漫画を書いたのが27だから。結構、本当に遅いデビューなんですけど。

漫画家としてのデビューは遅かった

(安住紳一郎)だって元々ね、文章を書くのは絶対得意なはずだし。あと、だって札幌でテレビリポーターとかもされてましたもんね?

(ヤマザキマリ)そうなんですよ。あれはね、だからイタリアに暮らしてた11年が終わって。一緒に……その詩人の話で1回、盛り上がったじゃないですか。詩人と同棲してたら子供ができちゃったのが11年目で。で、詩人としてはとても養っていけないから、出産した瞬間にくす玉が割れて。そこに「詩人、さよなら」って書いてあったって話をしたじゃないですか。それで、日本に戻ってきた時に私ができた仕事っていうのは「イタリアでずっとお風呂に入れてなかったっていうことを役に立てましょう」ということで温泉リポーターっていう。

(安住紳一郎)ああ、温泉リポーターだったんですか?

(ヤマザキマリ)そうです。それで北海道、東北圏内の温泉をしらみつぶしに行って。だから私、漫画でデビューして、ヒットしてテレビに出るようになったわけじゃなくて。元々、テレビで働いてたので。そうなんですよ。

漫画家になる前にテレビの仕事をしていた

(安住紳一郎)それで結局、ヨーロッパにいた時の「お風呂に入りたい!」っていう気持ち。風呂なしのアパートで生活していたっていう活動が全部、仕事に繋がったという。

(ヤマザキマリ)そうですね。あの時に、あれだけ温泉に入れたっていうことも、やっぱり全部役に立ってますね。それで暮らしていたら、さっきも言ったようにマルコじいさんの息子と出会って。当時、彼は20歳。私は34の子持ちだけど。単に「毎晩、ローマの話がしたいね」っていうその理由だけで結婚したんですよ。

(安住紳一郎)だから、嬉しかったんですよ。きっとね。

(ヤマザキマリ)そうですね。私が離れたことで知恵熱を出して入院しましたからね。「ローマの話ができない!」って。それで結婚をしたんですけども。

(安住紳一郎)そのニワトリに恐怖を与えるお母さんと、農家の体育館のような家で家族が迷ってしまうような発明家の家のお父さんができたということですね。

(ヤマザキマリ)そういうことですね。でもその時、うちの旦那はエジプトに暮らしていて。エジプトのカイロのイタリア大使館で結婚したんですよね。その時は。で、その後はエジプトから今度、シリアのダマスカスっていうところに移って。そこでちょっと、今みたいな感じじゃなかったんで。本当に平和な、もうフラフラフラフラ、鼻ほじりながら歩いていても誰も何も言わないようなところだったんです。昔は。あの時は、よかった。

<書き起こしおわり>

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