ヤマザキマリ マルコじいさんと母リョウコが意気投合した理由を語る

ヤマザキマリ マルコじいさんと母リョウコが意気投合した理由を語る 安住紳一郎の日曜天国

ヤマザキマリさんが2024年4月21日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で自身の人生を決定づけたマルコじいさんについてトーク。ブリュッセル駅でマルコじいさんに声をかけられた話や、母リョウコと文通で意気投合した話、マルコじいさんの捕虜時代のたくましいエピソードなどを紹介していました。

(安住紳一郎)あれですか? その方(義父・アントニオ)はヤマザキマリさんの人生を決定づけたマルコじいさんの息子さんになるんですか?

(ヤマザキマリ)違います。マルコじいさんの娘と結婚した人です。マルコじいさんとは超絶仲悪かったみたいで。マルコじいさんって、ほら。感覚的な、経験値ありきの人なんで。こう、理詰めで細かいことを考えて、突き詰めるような人とは仲がなかなかよくはできなくてね。

(安住紳一郎)マルコじいさん。最近、聞き始めたという方のためにマルコじいさんの話をちょっと、大師匠。短く、3分ぐらいで。

3分以内で簡潔にマルコじいさんを語る

(ヤマザキマリ)ああ、わかりました。マルコじいさんは私が14歳の時、1人でヨーロッパの旅を1ヶ月かけてやった時。ドイツからフランスに行くためにベルギーで列車に乗り換えた時に、私をつけてくる怪しいおじいさんがおりました。そのおじいさんが私が乗った列車のコンパートメントに乗り込んできて。「お前は家出少女か? 10歳か?」って。その時、私は14だったんですけど、傍目には10歳しか見えなかったみたいで。それで心配されて。「いえ、私はうちの母親にこの旅に出されました」って。うちの母も、今は触れませんけど。「母に美術が好きだって言ったら、『じゃあ、美術館を見てこい』って言われて旅立ったんだ」っていう話をしたら「けしからん!」と怒られて。

「イタリアを端折った旅? 1ヶ月もかけてフランスとドイツしか巡ってない? あり得ない!」って怒り始めて。「全ての道はローマに通ずって書いとけ!」って言われて。それで「全ての道はローマに通ず」って書いて。それがイタリア人の陶芸家のじいさんで。そのおじいさんとうちの母が、私が帰国後に仲良くなって、手紙の友達になって。それでああだこうだとしてるうちに、私が高校2年の時にうちの母親からいきなり「あんた、学校を辞めなさいよ」って言われて。

「もう高校を辞めて、イタリアに行くしかないわよ!」って言われて。「なんでよ?」「マルコじいさんがイタリアに来たら、画家の先生を紹介してやるっていうから、行くしかないわよ!」って言われて。有無を言わさず。私は別に高校生活、うまくやっていたんですけども。突然、高校をやめて、それでイタリアに行かされて。それで、そのおじいさんの紹介してくれる画家先生のところに行ったんですよ。それで、それからだいぶ、しばらく経ってから、私はマルコじいさんが亡くなっちゃったし。

それでうちの母はそのイタリアのマルコじいさんの娘夫婦と仲良くなって。で、その夫婦っていうのが今、言ったアントニオです。はい。それで、そこにいた息子と私を会わせて。で、その息子っていうのがもう古代ローマ帝国オタクの究極で。もう、歴代の古代ローマ皇帝の名前を全部、言えますみたいな。昔の天才少年みたいな人で。それと出会って。なんか「結婚しください」って言われて結婚したっていう。3分以内でしゃべれました。

(安住紳一郎)素晴らしい! さすが。

(ヤマザキマリ)もうね、あちこちでしゃべりすぎているせいで、円滑にしゃべれるようになりました。

(安住紳一郎)すごいよね。もう昔話みたいな感じで。

(ヤマザキマリ)でも、変な縁じゃないですか。その中学生の時、私がヨーロッパ旅行に行ってなかったら今の私もなければ、今の旦那とも結婚してなければ、『テルマエ・ロマエ』も書いていないかもしれないっていうね。

(安住紳一郎)ただこれ、3年前に初めて聞いた時に「すごい笑える話だな」と思って、ただ聞いていただけなんですけど。私、ちょっとヤマザキさんのいろいろ本とかを見て。やっぱり、お母さんとマルコじいさんが繋がって、文通で意気投合した感じとかは、やっぱり戦争で負けた日本とイタリアで。それで芸術家で。それで自分の力で何とか……っていう気概を持った、その世代同士の結びつきみたいなのがあったんじゃないかって。

(ヤマザキマリ)そう。全く他の人の慮りがないというかね。もう一方的な、マイペースっていうかね。あれはやっぱり戦中派だからですよ。で、マルコじいさんって戦中は捕虜になって、インドでずっと7年間、過ごしてるんですよ。めげないんですよ。その時に商売を始めて、成功してるんですよ。

(安住紳一郎)インドで捕虜時代に?

インドで捕虜だった時代に商売で大成功する

(ヤマザキマリ)イギリス兵のために、なんかセルロイドを溶かして。で、彼は元々セラミック職人だったので、絵付けが上手いんですよ。それで、花の絵を書いたボタンを作ったら、将校に気に入られて。「これ、製造しろ」っていうので、すごいお金持ちなんですよ。それで。イギリス人将校のためにそのセルロイドを溶かしてボタンを作って。そうこうしてるうちに、ロバをいっぱい飼っていたらしいんですけど、それを調教してサーカスみたいなものを作ったりとか。

(安住紳一郎)インドの捕虜時代ですか?

(ヤマザキマリ)そうです。捕虜時代をムダにしてないんですよ。

(中澤有美子)捕虜とは思えないですね(笑)。

(ヤマザキマリ)もう捕虜なら捕虜で、できることを全部やるぜ、みたいな。で、オーケストラも結成しているんですよ。

(安住紳一郎)えっ、捕虜時代に?

(ヤマザキマリ)そうです。なけなしのこの楽器を集めてきて。それでもう、楽器を弾けないっていう人にも無理やり弾かせて。で、イタリア人のインド捕虜部隊を作って。それで、うちの母がその話を聞いて、もう心を揺さぶられないわけないじゃないですか。戦中派の楽器弾きが。

戦中派の楽器弾きの母が心を揺さぶられる

(安住紳一郎)また、日本でね、戦争で……特に女性だから、いろいろ悔しい思いをして。それでなんとか認められようということで、新しくできた北海道に行って。

(ヤマザキマリ)そう。札幌交響楽団に女の第一号で入って。

(安住紳一郎)それで意気投合しちゃって。

(ヤマザキマリ)そうですね。そしたらもう、後は娘の意見なんか聞きもしませんよ! 「行くしかないわよ! 行ってきなさいよ! ダメだったら戻ってくれくればいいわよ!」みたいな。凄まじかったですよ。あの時。

(安住紳一郎)だからもしかすると、ベルギーのブリュッセル駅で日本人、東洋人の10歳ぐらいの女の子っていう時に、やっぱりその捕虜時代のこととか思い出して。「これは私が何とかしなきゃ!」っていう風に思ったのかもしれないとか思うと、ちょっと見方が変わるよね。

(ヤマザキマリ)あの時、あのおじいさんがつけてきて。「お前、怪しいやつに連れていかれたらどうするんだ?」って……「あんたが一番怪しいだろう? あんた、今まで私が見てきた人の中で一番怪しいよ!」って。「大丈夫か、この人?」みたいな。思い出してきましたね。いろんなことを。はい、はい。そんなことがありました。

<書き起こしおわり>

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