ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』の最初の読者・中村勘三郎を語る

ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』の最初の読者・中村勘三郎を語る 安住紳一郎の日曜天国

ヤマザキマリさんが2022年6月19日放送のTBSラジオ『日曜天国』の中で中村勘三郎さんが漫画『テルマエ・ロマエ』の読者第一号であることを紹介していました。

(安住紳一郎)そして古代ローマ人は各所に入浴施設、お風呂をたくさん作って。それが評判で。やっぱりそのローマ帝国の拡張政策のひとつの肝になったということは間違いないですね。

(ヤマザキマリ)まあだいたいお風呂を作ってもらえたら、みんな感動するじゃないですか。「いや、こんないいものを作ってもらっちゃって……」って。だってローマ軍って遠征に行くじゃないですか。戦争に行って、まず最初にやることって、お風呂を作るんですよ。どこでも、ひとまずお風呂を作って。それで軍隊が、戦っていろいろ疲弊しますよね? でも、お風呂に入ったらまたリセットされちゃうんですよ。もう最強のなんていうか、メンテナンス機関っていうかね。やっぱりだからお風呂って侮っちゃいけないんですよ。それでもう、一生懸命漫画に書いてみたんだけど。

(中澤有美子)そうですね。先生の漫画・映画で知って驚きました。

(ヤマザキマリ)でも何より私が一番、お風呂に入りたかったんですよ。もうお風呂に入れない生活を10年ぐらい繰り返してると、気がつくとこういう白い紙にお風呂に入ってるおじいさんの絵とか書いているんですよ。

(中澤有美子)アハハハハハハハハッ!

(安住紳一郎)紙に、いたずら書きで。

(ヤマザキマリ)そう。昔ね、アルタミラの洞窟とかにね、動物の絵が書いたじゃないですか。自分たちが狩猟をしたいっていう、狩猟目的の。あれと同じですよ。私は風呂に入りたくて紙にずっとおじいさんがお風呂に入って「ああ、いい湯だわい」って言ってる絵を書いてるうちに漫画になったというだけの話です。非常にシンプルですね。

(安住紳一郎)それでこれ、最近聞いてびっくりしたんですけど。その『テルマエ・ロマエ』を一番最初に書いた時はポルトガルにお住まいで?

(ヤマザキマリ)そうなんです。シリアからその後にポルトガルに引っ越したわけなんですよ。で、その時にポルトガルってちょっと昭和っぽいイメージのところなんで。昭和の銭湯のことをよく思い出すようになったんですよ。その家にもお風呂がなかったんで。「お風呂に入りたい」って工事の人を呼んだら「お宅は床が抜けるからお風呂は作れません」って言われて。で、その悔しさとシリアの思い出が混ざって、ああいう漫画になったわけですよね。結局。

(安住紳一郎)で、ポルトガルに住んでる時に『テルマエ・ロマエ』を少し書き始めて、一番最初に読んだ方が……。

(ヤマザキマリ)そうなんですよ。本当に1話目を書いて……まあ、いろいろあるんですけど。最初に見せた編集部で「こんなニッチな漫画は載せられないよ」って言われちゃって、別のところに掲載してもらったんですけど。大した、そんなにたくさん出てる漫画じゃないんですけど。で、それがちょうど送られてきた時に、うちの子供が通っていた日本人補習学校の先生から「山崎さん、申し訳なくて今日の夜、時間がありますか?」ってすごい焦った電話がかかってきて。「なんですか?」「ちょっと私がアテンドしている、観光で来てる方がいるんですけど。その方が『どうしても山崎さんに会いたい』って言ってるんですよ」って。

「何でですか?」って聞いたら、その方はシリア、イスラエル経由で今、ポルトガルに入ってきていて。「うちにもシリアからこの間、引っ越してきた人がいるんですよ」っていう話をしたら、「じゃあその人にぜひ会わせてください」っていう話になったみたいで。それで、そのシェラトンホテルに行ったんですよ。そしてその人を待っていたら「ああ、どうも。波野です」って腰を低くしてきたおじさんの顔が、どう見ても中村勘三郎さんなんですよ。

(安住紳一郎)フフフ(笑)。本名が「波野」さん(笑)。

どう見ても中村勘三郎さん

(ヤマザキマリ)「あれ?」って思って。「波野でございます」って。それでずっと「波野さんだけど、勘三郎さんみたいな顔の人だな」と思って。で、話をずっと聞いているうちに、「あの、すいませんけど。勘三郎さんですか?」って聞いたら「はい、そうです。でも、ノリさんって呼んでください」って。勘三郎さんであることはそこでわかって。で、その時に私は自分の身分証明をするものがなかったので。その時にちょうど刷り上がったばっかりの雑誌をビリビリビリッて破ってね。

『テルマエ・ロマエ』のところをホッチキスで留めて。それで勘三郎さんに「私、実はこういうものでして。名刺も何もないんですけど、漫画を書いております」って。それを勘三郎さんが見て。だから読者の第1号なんですよ。勘三郎さんが。で、それを見て「あんた、頭大丈夫かい? そんなに風呂に入りたいのかい?」って言われちゃったんですよね。

(中澤有美子)ええ(笑)。

(ヤマザキマリ)で、もっと面白いのがその時に彼が言った言葉。「俺ね、ヤマザキさんの男性の趣味がちょっとわかったよ」って言うんですよ。「ええっ?」って聞いたら「なんかこの主人公のローマ人って、阿部ちゃんに似てるよね」って。阿部寛さんに似てるって。で、その時に私、実は阿部寛さんのことをあんまりわかってなくて。「へー。そんな人がいるんだな」って話を聞いてたんですよ。それからだいぶ経って、なぜかあの漫画がヒットして、映画化したじゃないですか。それで、制作会社の人が「今回、キャストは全員日本人になりました。主人公は阿部寛さんになりました」って言った時に「やっぱり本当にこういう人、いるんだな」と思ったんですよ。「へー!」って思って。

(安住紳一郎)ねえ。予言したかのように。

(ヤマザキマリ)その後のオチが、それがちょうど平成中村座っていうのをやってた時なんですよ。2011年ぐらいかな? その時に笹野高史さんっていう俳優さんがちょうど『テルマエ・ロマエ』に出ていらしたんですけども。平成中村座にも出てて。彼の楽屋の前に『テルマエ・ロマエ』のポスターが貼ってあったんですよ。で、それを勘三郎さんが見てギョッとなって。「おいおいおい、これ、パクリだぞ! 俺、これのオリジナル書いてる女がポルトガルに住んでるの、知ってるんだからな!」ってそこで激怒したんですって。

(安住紳一郎)アハハハハハハハハッ!

(ヤマザキマリ)「ダメだぞ、こういうことをやっちゃよ!」って言って。それでフッと見たら「ヤマザキマリ」って書いてあって、ひっくり返ったんですって。で、その夜に奥様の好江さんから電話が来て。「ヤマザキさん、この2年に何があったか、全部説明しなさい」って言われて。それで平成中村座に呼び出されて。たまたまね、日本に戻っていたので。ちょうど『テルマエ・ロマエ』の公開初日からまだ数日しか経ってない時で。

(安住紳一郎)たしかに、あれですね。勘三郎さんにしてみたら「ポルトガルで見せてもらった、紹介してもらったあの人が書いていた漫画がなんで日本で映画になってるんだ?」って。

(ヤマザキマリ)「しかも阿部寛が主人公……これ、なんだ? 俺が言ったことが全部そうなっているじゃないか」って。誰もそんな話、知らないわけですよ。

(安住紳一郎)「誰がパクッたんだ?」なんて。まさかヤマザキさんが、ねえ(笑)。

(ヤマザキマリ)「本当に腰抜かした」って言ってましたね(笑)。「そんなこと、あるんだね」って。いろいろとね、そういう話があるんですよ。

(中澤有美子)事実は小説より奇なり。

(安住紳一郎)これ、作り話ですか?

作り話のような本当の話

(ヤマザキマリ)いや、私が話すと全部作り話風になるんですよね。本当に困ったことに。あのね、作り話よりも本当の話の方がとんでもないんですよ。いろんな意味で。はい。

(中澤有美子)あまりにも、ねえ(笑)。ドラマチックで。

(ヤマザキマリ)自分でしゃべっていて、だんだんこのへんがこわばってきますからね。口の周りの筋肉が。勇気がなくなってくるんですよ。この。

(安住紳一郎)きちんと熱を持ってね、最後まで言わないと。そういうのだと思われちゃうから(笑)。

(ヤマザキマリ)そうなんです。そこでモゴモゴするとヤバいんで。ちゃんと最後まで言い切らないといけないんですよ(笑)。エネルギーがいるんですよ。自分のことを話すのは。すいません、はい。

<書き起こしおわり>

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