星野源 オードリー東京ドーム公演に急遽出れるようになった経緯を語る

星野源 オードリー東京ドーム公演に急遽出れるようになった経緯を語る 星野源のオールナイトニッポン

星野源さんが2024年2月20日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で『オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム』を振り返り。当初は他の予定が入っており、出れないはずだったのがその予定が飛んでしまい、出れることになった件について話していました。

(星野源)どうも、こんばんは。星野源です。いやいやいやいや……あのね、ちょっとこの1週間が怒涛だったんですけど。乗り越えました。よかったー。乗り越えれて。でもなんか、周りが「インフルエンザになりました」とか「コロナになりました」とか結構あって。「大丈夫かな?」と思ったんですけど、全然元気に怒涛の1週間を乗り越えられたということで。ちょっと一息という感じですね。

そして今、ニッポン放送に来たら石井玄ちゃんがね、もう陣取ってて。もう、しゃべるしゃべる(笑)。もう解放を……ああ、お疲れ様でした。ヒカルちゃん。本当にお疲れ様でした。もう、笑顔(笑)。よかった、よかった。本当にね、体調も大変だったっぽいから。ねえ。これでヒカルちゃん、ちょっとは休めるんでしょう。ちょっとは休める? うん。ゆっくり休んでください。ねえ。本当にお疲れ様でした。ヒカルちゃんはね、もうイベントを大成功させましたから。

さあ、そんな感じで……だからこの1週間、すごかったんですよ。なにがすごかったか?っていうと、久しぶりにちょっと役者仕事がありまして。でも4日間ぐらいだったんですけど、あったんですよ。で、それをやって。だからね、本当に……ちょっと、もうやめてほしいんですよ。本当にやめてほしい。その、スケジュールがかぶりの神ね。そのスケジュールかぶりの神は本当にいなくなってほしいんですけど。なんなんですかね? これ、だから本当に……もう、連続ですよ。5日間。役者仕事で撮影、撮影、撮影、東京ドーム、撮影ですからね。その間、びっちりですからね。「1日空けて」とかじゃないですから。「撮影、撮影、撮影、東京ドーム、撮影」ですから。これはもう、やばいみたいな。なぜ、こうなるね?って。「その前なら全然、余裕ありますよ?」みたいなね。なんだけど、なんでこんなに集中しちゃうのかね?っていう。

前にね、僕のその『光の跡』っていうCDシングルのイベントの時にも言ったんですけど。それはこのことだったんですけど。「本当になんでスケジュールって、こんなにかぶってくんだろうね? 大変な時ってなんで、いろいろな仕事とか、やることがブワッとかぶってくるんだろうね?」って話をしたんですけど。まさにこのことで。そうなんですよ。なので、その役者の仕事も、それの内容を言うのも超先なので。もう、すごい先なんですよ。だから、期待しないでください。なかったこととして、僕のファンの方はね。「期待して待つ」とかじゃなくて、もうないと思ってください。そんなことはなかったっていうね。

「ない」ぐらいに思っておいてもらって。「ああ、こんなの、やってたの?」っていう方がたぶん嬉しいかもしれないので。なのでちょっとね、そんな風に思っていただければと思っております。でも無事に、どれもですね、健康体で仕事をばっちりやることができてよかった。それでですよ。皆さん、あれでしょう? この話をした方がいいのでしょう? 東京ドーム。でも、あれでしょう? しない方が、かっこいいんでしょう?(笑)。しない方が、かっこいいらしいじゃないですか。どうも。「えっ、そんな? 重要なことだと思ってなかったなー」みたいな。その方がラジオ界ではかっこいいんでしょう? おかしくない? そんならラジオ界(笑)。異常(笑)。

いや、でも話せること……。そうですよね。そういうわけで私、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームにサプライズ出演してきました! ありがとうございます。とはいえ今、ファンファーレも鳴らしてもらいましたけど。話せることといったら、なんですかね? もうこれ、1個しかないですよ。楽屋にひとつ、贈り物が届いていて。その東京ドームの自分の楽屋に。「なんだろう?」って思ったら……びっくりしましたね。ビトタケシさんからの「死んでもやめんじゃねえぞ」タオルが「星野源さんへ」って書いて置いてあって。「えっ、もらえるの!?」って思って。すごい嬉しかった。以上です(笑)。それだけです。話せることといえば……もう、これぐらいしかないでしょう? だって、土曜日にオードリーの2人が話すんだから。

ビトタケシ「死んでもやめんじゃねえぞ」タオル

(星野源)もう、それぐらいしかないよ。すごい嬉しかった。「そんなタオル、出してたんだ!」と思って。その「死んでもやめんじゃねえぞ」タオル。びっくりしたー。で、そんな……出演の経緯を話しましょうかね。そう。実際に出させていただいて。それで曲を1曲、やって。その後、若林さんと2人で……僕がラジオゲストという形でラジオトークして。それでもう1曲、やってっていう感じの構成だったんです。僕のゲストパートは。だったんですけど。元々は、このオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームの主題歌をですね、若林さんから「書いてくれませんか」というオファーをいただいて。「ぜひ、やります」というお返事をさせていただいて。

その後、春日さん……オードリーのオールナイトニッポンのスペシャルウィークのゲストで僕が呼んでいただいた時に、もう本当はやることは決まってるんですけど、ドッキリというか。ダマみたいな感じで。春日さんが改めて僕にオファーをして。で、それは想定外だったんですけど。オファーの仕方があまりにも雑っていうか。照れすぎて、僕を見ないでオファーするっていうことだったんで。そこで1回、僕は断るっていう、そういうちょっとね、コント的な感じになってしまったんですけれども。普通に「もちろんやります」っていう感じでオファーをいただきました。

星野源 オードリー春日の東京ドーム公演テーマ曲依頼を一旦拒否する
星野源さんが2023年9月2日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』内でオードリー東京ドーム公演のテーマ曲作りのオファーを春日さんから受け、あまりのぞんざいな依頼だったため依頼を拒否していました。

(星野源)その元々の「主題歌をお願いします」「やりますよ」って言った後に「ゲスト出演をお願いできないでしょうか? それで今回のやった曲を一緒にやれないでしょうか?」っていうようなオファーをいただいたんですよ。なんですけど、僕はもう本当に全然動かせない仕事が入っちゃってたんですよ。それはもう、すごい前から決まっていて。たとえばこのを仕事やってると「これは結構フレキシブルに動く可能性があるんで。たとえば交渉して。やれるかもしれないので1回、聞いてみますね」みたいなこととか。そういうのをやれる場合の仕事があったり。あとは「もう完全にこれ、がっちり押さえられちゃっていて無理なんですよ」っていうパターンと、二つあって。それがこの2月はね、「がっちり押さえられちゃって無理です」っていうパターンだったの。

で、「ああ、残念です。すいません。出られないんです」っていう話をしたのが、そのスペシャルウィークより全然前だったんですよ。いわゆる、その表だってオファーをもらえる全然前で。「すいません」っていう感じだったんですけど。で、僕は1回、このラジオで「僕、出ないんですよ」って話をしたの。だからそれは本当にその時なので。で、そのスペシャルウィークの発表があって。「主題歌をやります」ってなった後に、僕はラジオで「実は僕は出ないんですよ」っていう風に言ったんですよ。なんで、その時には本当に出ない予定だったの。

なんで僕、それを言ったかっていうと、やっぱり人気公演だし。それこそ、若林さんは「本当に入るのだろうか?」ってすごい心配されてたし。ヒカルちゃんも心配していたんだけど。まあ、僕は「東京ドームってどうなんですか?」ってね、若林さんが僕の『YELLOW MAGAZINE』っていう本にゲストで出てくれた時に聞かれて。「東京ドームってすごく面白かったし、出演するとすごく狭く感じるんですよ」っていう話をして。もちろんね、その対談の最後には「絶対やった方がいいですよ。次は東京ドームを」なんていう話をした割と張本人だったりもするので。

なんか、逐一話は聞いてたんですよね。で、もちろん僕はでも「絶対にオードリーだったら埋まる」と思っていたんですよ。だけどやっぱり本人はちょっと不安で……っていうのもあって。でも、リスナー人たちはみんな、「行きたいけど、入れるのだろうか?」って不安になっていて。その中で、たとえば僕の主題歌が発表された時に「星野源のファンが来たら、俺たちが入れないじゃないか!」っていうようなことを言ってらっしゃる方がいたんですよね。

それで、「ちょっと悲しいな」っていうのがあって。でも、そんなのももちろん、出るか出ないとかも言ってない状況だったし。そもそもね、全ての企画はサプライズっていうことだったと思うんです。その時から。でも、なんていうか自分のファンがそういうわかんないことで責められる可能性みたいなものは潰しておきたいなと思って。それはちょっと悲しい、嫌なので。だから「僕は出ないんですよって話をしておいた方がいいな」と思ったんですよ。それで、したの。そしたら、その1ヶ月後とか2ヶ月後ぐらいかな? あ、ちなみにさっき言ったことは「僕たちが行けないじゃないか!」っていうのを責めてるつもりは全くないし。それは普通にそう思って、当然だと思うから。

だって、もちろんね、ガチリスナーであればあるほど……だから僕がそのリアルイベントをなかなかやれないって思ってるのは、それなんですよね。ラジオリスナーだった時に、「リアルイベントをやる」ってラジオが言った時に「自分が行けない」っていうことのつらさをもう……歯茎から血が出るほど悔しいっていう、その思いを俺をもう、中・高の時に超実感してるんで。だから僕は、いわゆる集客型のイベントってやらないんすよ。そういうのもわかるし。だから、その気持ちもわかるから、「安心してもらいたい」っていうのもあったんですよ。だから、そういう風に言っていて。

そしたら、10月ぐらいかな。たしか9月のスペシャルウィークで僕、「やります」って言って。その後の10月ぐらいに、いや、本当にまさかのまさか。こんなことは絶対ないっていうパターンの、その押さえられてたのがすっごく飛んだんですよ。完全にポーン!ってなくなって。それはそれで悲しいことではあるんだけど。「うわーっ! ああ、落ち込むな……」ってなって。からの、「あれ? 東京ドーム、出れるんじゃない?」ってなって。「ちょっと待って? でも俺でないって言っちゃったな? どうする?」っていう。でも、まだその時、ヒカルちゃんとかに確認をした時に、別に他の人が決まっているわけでもなかった。だから「出れることになったんですけど……」っていうのもあって。でも、やっぱりそこでお断りするのもやっぱり違うなと思ったんで。すごく前からオファーしてくれてたんで。なので「やります」という風に言わしていただいて、出ることができたという感じなんですよ。

絶対に動かせない予定が飛んだ

(星野源)だから僕は実際、そのドームの時のラジオトーク部分で「本当は出れなかったんですけど、出れることになったんですよ」「じゃあ、そのタイミングって結構近かったんですか?」って若林さんに言われた時に「数週間前かな?」って言ったんだけど。それも「ああっ!ってなったんですけども。「数ヶ月前」ですね。そうそう。だからそれで去年の10月後半とか11月とか、そのぐらいにはもう出るのは実は決まっていて。でも、そんな中でいわゆる全ての企画をもう完全に内緒にするみたいなイベントだったので。だから随時、話を聞くわけですよ。「実はこんなことをやります」とか「こんなことがあります」「このタイミングで星野さんの『Family Song』を流したいんですけど、いいですか?」みたいな。うん。企画書を読んで爆笑みたいな。「ぜひぜひ!」みたいなのがあって。

なので先週、だから自分が言える範囲の匂わせっていうか。「本当にみんな、ごめんね」って思いを込めて「あのー、見に行った方がいいですよ?」って(笑)。「ごめん。出れることになっちゃったんだよ」っていう、そういう感じでしたね。なので、でも出させていただいて。なんか、こういう本当にみんなももちろん、感じていたと思うし。それこそライブビューイング、同時配信も含めて16万人が見たラジオイベントっていうのはやっぱり結構、アイコニックっていうか。もう歴史的な瞬間だったと思うし。しかもね、芸人さんのラジオかつ、オールナイトニッポンっていう。なので、そういうところの記念のタイミングで主題歌もやらせてもらえたし。仲間にね、お友達として……実はお友達ではあるけれども、お友達として仲間に入れてもらえたってのはすごい嬉しかったです。

それでね、「こんなの、初めてじゃないですか」って言われたんだけど。岡村さんの歌謡祭。それにもサプライズで出たことあるんですよ。でもそれはね、たしかやったの、『君は薔薇より美しい』1曲だけだったんじゃないかな? やったの。そうだよね。だから、自分の曲を歌ってないから。あれはもう超イレギュラー中のイレギュラーって感じだったんで。それもあったりとか、ありますけどね。でも、やっぱりいわゆる他のイベントに……たとえば対バンで、その対バン相手のところに僕がちょっと出るとか、そういうんじゃなくて。全くもう、僕の場所じゃないところに行って、僕が自分の曲を歌うっていうのは結構、ほぼほぼないんじゃないかな?っていうような経験をさせていただきました。

<書き起こしおわり>

星野源 東京ドームでのオードリー若林との『Orange』『Pop Virus』共演を語る
星野源さんが2024年2月20日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で『オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム』を振り返り。オードリー若林さんと一緒に『Orange』、そして『Pop Virus』をパフォーマンスした件について話していました。
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