渡辺範明 初代『ポケットモンスター』とコロコロコミックの深い関係を語る

渡辺範明 初代『ポケットモンスター』とコロコロコミックの深い関係を語る アフター6ジャンクション

(渡辺範明)で、アニメ化するとなると今度は「じゃあ、どんな感じでアニメにするの?」っていうのが大事になってくるんですけども。ポケモンはですね、OLMっていう制作スタジオが中心になって。そこに監督は湯山邦彦さん。シリーズ構成で脚本は首藤剛志さんっていう方が入って。これは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のコンビなんですけども。で、OLMも含めて、非常に良心的な子供向けアニメを作るチームという感じの座組みなんですが。

この人たちに対して、アニメスタッフとゲーム原作者サイドのやり取りとして、意外とゲーム側がそんなにいろんなことを要求をしなかったというのが結構ポイントだと思います。その代わりに「1個だけ、ここは守ってくれ」という風にゲームが言っていたのが「アニメに関わる全員がゲームをちゃんと遊んでください」ということなんです。「これだけは守ってくれ」っていうことで。それで結構有名な言葉として田尻さんが「ポケモンを愛してください」と言ったというのがありまして。だから逆に言うと、ポケモンを愛して、ちゃんと遊んで理解した上でやる改変であれば、別にそれをアニメのいいようにしてくれて構いませんという、そんな覚悟の表れでもあるわけですよね。

(宇多丸)全てのアダプテーションとか、映像化とかに言えることかもしれないけどね。

「ポケモンを愛してください」

(渡辺範明)そうですね。普遍的なことですけれども。この結果、逆にアニメスタッフ側がポケモンらしいアニメって何なのか?っていうことを割と自分たちの頭でちゃんと考えることができる座組ができまして。たとえばですけど「ポケモンをしゃべるのか?」ということがここで議論されます。で、アニメスタッフ側は最初、「ポケモンをしゃべらせたい」って言ったんですよ。その方が、オバQとかドラえもんとかみたいな感じでドラマも作りやすいじゃないですか。で、ゲーム側もそれに対して1回は「YES」と言った。にも関わらず、アニメ側がしばらく脚本作業とかを進めていく中で、「いや、やっぱりしゃべらない方がいい気がしてきました。やっぱり動物的なかわいさっていうのをスポイルすることになっちゃうから……」っていう風になったりして、ちゃんと正しい答えが出るようになっていて。

(宇多丸)今となってはね。

(渡辺範明)あと、たとえば主人公ポケモンのピカチュウになったというのも、この時なんですね。ゲームでは別にピカチュウは全然特別な位置づけでもないし。さっきの漫画だって、ピッピだったわけで。

(宇多丸)下積みで体を張って(笑)。

(宇内梨沙)そもそも御三家じゃないですしね。ピカチュウは。

(渡辺範明)そうそう、そうなんですよ。で、普通に考えたら御三家のヒトカゲとゼニガメとフシギダネの中からどれを主役にしようかっていう話になると思うんですけど。ここを主役にしなかったという判断もですね、この3体のうちのどれを主役にしたとしても、残りの2体を選んだ子供たちが悲しむのではないかっていう、OLM……監督とか脚本側の判断があって。

(宇多丸)ああ、なるほど、なるほど。

(渡辺範明)これは本当に、すごく子供に対しての善意から出てる判断だというところが……。

(宇多丸)「かわいいから」とかってよりはむしろ、じゃない方だったからこそっていうことなんだ。

(渡辺範明)そう。「こっちの方がウケそう」とかじゃないんですよ。僕はそれが素晴らしいと思うんですよね。で、ゲーム側も逆にそれに後から追いかける形でゲームのポケモンもピカチュウバージョンを発売したりしてっていうようなこともありまして。こういう風にですね、非常にいい感じで原作側とアニメ制作側のコミュニケーションが行われていた結果、アニメ版ポケモンが放送開始されまして。1997年の4月1日の初回視聴率が10.2%でスタートします。これ、テレビ東京なんでかなりいいスタートではあるんですけれども。で、ここから4月は10%台。5月は12%台。6月は14%台っていう風にどんどん上がっていって。夏休みを経た10月、11月になると17%台をマークするようになり、11月に最高視聴率18.6%に達しまして。これは大成功です。これ、11月の段階なんでここからクリスマスがあって、お正月があって。年末年始商戦に突入して、最高の年末商戦を過ごすことができるぞ!っていうところで起きたのが、次の事件ですね。

(宇多丸)はい。最後のパートですね。

(宇内梨沙)ポケモンショック。その時、社会が動いた。

(宇多丸)もうすごい波に乗ってる状態。アニメ化も。その中で、なにが起こった?

(渡辺範明)ここで1997年の12月16日にですね、『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」という回の放送中に、視聴者に光過敏性発作による被害が発生。約750人の子供が病院に搬送されたという。

(宇多丸)これ、750人は結構多いよね。

ポケモンアニメ・ポリゴンショック事件

(渡辺範明)結構な大事故が起きたわけですよね。で、実はこの時、僕の父親も専門医として、この研究班のメンバーに入っています。

(宇多丸・宇内)ええーっ!

(渡辺範明)なので、割といろいろな話を聞いたりもしているんですけれども。この時、うちの父の話で「テレビ東京の対応は非常によかった。えらかった」という風に言っていまして。まず、すぐにもちろんポケモンの放送も休止しますし、おはスタとか、そういう関連番組のコーナーも自粛して。で、ビデオレンタルの中止も要請して。ここまでは普通に誰でもやると思うんですけども。やっぱりえらいのはすぐに外部調査チームを受け入れた。で、その中にうちの父も入っていたわけですね。

で、内部のガイドラインを策定・公開して、とにかく同じことを再発させないようにっていうところをすぐにやったわけです。プラス、えらいのがNHKも実はこの事故が起きる数年前に『YAT安心!宇宙旅行』という別のアニメて同じ被害が実は出ていた。これは数人だったので、そんなに騒ぎにはならなかったんですけれども。でも、このことをNHKもすぐにオープンにして。で、「この時にもっとそこのことを騒いでいれば、今回のポケモンの被害も防げたかもしれなかったのに……」っていうNHK側の責任。それを表明したんですよね。

(宇多丸)すごい!

(渡辺範明)で、これによって「大人気のポケモンがこんな事件を起こしちゃいました」っていうスキャンダラスなところだけじゃなくて、これは放送業界全体の問題だと。

(宇多丸)大人だって起きるかもしれないと。

(渡辺範明)テレビ受像機の仕組み上、起こりうることなわけだから。なので、これはガイドラインを作って再発を防ぐっていうことがとにかく大事ですよっていう風に、ちゃんとなっていったんですよ。

(宇多丸)NHKはそういう番組を作ったりとか、問題提起とかもしていった?

(渡辺範明)していた。もちろん、それを一番やっていたのはテレビ東京ですね。で、こういうののガイドラインを作って、検証番組を作って、放送するっていうのが1998年4月11日に行われまして。こういうことを経て、アニメポケモンは4か月間の休止期間を挟んで1998年4月16日「ピカチュウのもり」という回で放送再開をします。で、もうポケモンが再開したにも関わらず、その後ももちろんこの調査チームとか、いろんな動きは続きまして。この年の年末12月に「アニメ『ポケットモンスター』問題に関する記録」っていうのがA4版全165ページというすごい長大な資料が関係者に配布されて。これで一応、この事件は一旦、幕引きという形になったんですけれども。

(宇多丸)要するに、だからすごく問題が起きた時に後の模範になるような理想的な対応をちゃんとしたっていう。

(渡辺範明)それがすごく大事だと思います。だから特に今、見ると問題が起きた時になにか隠蔽とか、改ざんとか、そういうようなことって起きがちなんですけれども。この時の大人たちの対応は非常によかったと。

(宇多丸)しかもこれがね、今や普通に大人向けの映画でもそういう場面がある場合は注意喚起が出たりして。世の中を変えましたよね。ある意味これ、アクセシビリティの問題だから。非常に先駆的なというかな? 重要な道をつけたって感じですね。そして、ここからついに本格的に国民的、そして世界的なコンテンツになっていくという。

(渡辺範明)はい。ちょっと駆け足になりますけども。その後のポケモンなんですが。結局、そのアニメ化って成功だったのかということを考えますと……アニメ開始までのポケモンは実はもう1年間で350万本に達していたんですよ。だけどアニメ放送開始してから半年間で378万本、売れたということで。この時点でもうドラクエ、FFはもちろん、スーパーマリオブラザーズも超える国民的タイトルにポケモンはなっているわけですね。で、これが放送休止中の年末年始商戦でも全然、売れ行きが止まらなくって。放送再開した時点ではもう累計1000万本を突破したということで。さっきのアニメのトラブルの中での対応がよかったというのもあると思うんですけれども。実は、ポケモンはこれでも全然人気が止まらなくて。

(宇多丸)だって宇内さんも当時、放送休止中も子供だったから。「早くやんないかな」って(笑)。

(宇内梨沙)そう。『学級王ヤマザキ』っていう別のアニメがずっとやってたんですけども。それを見ながら、ポケモンの再開をずっと待ちわびていましたよ。

(渡辺範明)「早く始まらないかな」って『ヤマザキ』を見ながら待っていたっていう。で、このポケモンの大ヒットが死にかけていたゲームボーイも復活させまして。96年にはゲームボーイポケット、97年のゲームボーイライト、98年にはゲームボーイカラーというですね、もう終わる予定だったゲームボーイが……ポケットまでは予定に入ったんですけども。それで打ち止めのはずだったのが、もうどんどん延命していって。初代ハードが発売してからもう8年経っているっていうのに、97年にゲームボーイ全体の年間販売台数が全世界で1100万台を記録。

(宇多丸)年間だもんね?

(渡辺範明)年間ですよ。で、99年にはポケモンが海外進出しますので、年間2000万台、ゲームボーイが売れるようになるんですよ。で、2000年には全世界で累計販売台数1億台を記録しまして。その1億台のうちの半分以上にあたる5200万台がポケモン以降の販売。しかも5200万台のうち、4500万台がポケモンアニメ以降の販売ということで。いかにアニメ化が大きな寄与をしたかっていうのがわかると思います。

アニメ以降、ソフト&ゲームボーイが売れまくる

(宇多丸)ということで、お時間が来てしまいました。改めまして初代『ポケットモンスター』前・後編でお送りしてきましたが。渡辺さん、最後にまとめとして、どんな感じでしょうか?

(渡辺範明)ポケモンはですね、こんな形でキャラクターとしても完全に独立した人気を維持しまして。今の時点でも、もうポケモンのゲームはやったことがないけどキャラを知ってるとか、アニメは好きだっていう人がいっぱいいるわけです。で、20年以上世界中で愛され続けてるんで、もうこれはメディアミックスの最高事例と言わざるを得ないんですよ。ゲームに限らずね。で、世界で初めてキャラクターが本格的に自立したゲームでもありますし。こういう風になるっていうことを誰も予想してなかった。

(宇多丸)作り手でさえね。

(渡辺範明)任天堂でさえわかってなかったけど、でもそのことを信じていた人がいるんですよ。その売れる前の段階で。

(宇多丸)ああ、そうか。「200万、行く」とかね。

(渡辺範明)「200万、行く」って言っていた作り手たち。そしてこれをもっと国民的タイトルにできると思ったコロコロ編集部の久保さんとか。

(宇多丸)すでに売れていたのに「いや、こんなもんじゃないっすよ!」っていうね。

(渡辺範明)という風に、誰か信じている人間がその本当の力を発揮させていくっていうのがこのプロデュースということの真価だなと。なので、もう作品の力だけで言ったらポケモンは23万本から30万本ぐらいの作品だったんですよ。でもそれを、この1000万本とか3000万本とかに育てるのがプロデュースということで。やっぱり僕もこのポケモンの事例でいかにゲームプロデュースというのが意味のあることかっていうのを学んだということで。本当に先生なんですよね。

(宇多丸)あと子供たち文化の謎の爆発力。大人たちが全く知らない爆発力。さっきのミュウの話とか、俺はビビリましたけどね。

(渡辺範明)しかもそれを察知して。

(宇多丸)察知して、さらにそれをビジネスに乗せるっていうね。

(渡辺範明)またこれも雑誌文化の力なんですよ。ドラクエとかFFの時には少年ジャンプというのがすごい重要だったのと同じように、このポケモンにおいてはコロコロコミックというのがいかに重要だったかっていう。その日本の雑誌文化の力ですね。

(宇多丸)ということで、2回にわたってお送りしました国産RPGクロニクル初代『ポケットモンスター』編。さすがの内容でございました。渡辺範明さん、ありがとうございました。引き続き、アトロク2、よろしくお願いします。

(中略)

(宇多丸)ということで、渡辺さん。ちょっと補足といいましょうか。

(渡辺範明)そうですね。まあ、ポケモンがなんでここまで行けたのか?っていうのを僕なりに考えたんですけど。ドラクエのたとえば象徴的なもあのキャラクターって、スライムなんですけど。でも、ドラクエにおけるスライムって、そんな大事なキャラじゃないんですよね。実際に遊んでみるとね。なんですけど、ポケモンって実際に遊んでる間中、ずっとポケモンのことを考えるゲームなんですよ。それが前回、お話した「ポケモンをコレクションすること自体がゲームの目的である」っていうことを完全に一致していて。

つまり、遊んでいる間中、ポケモンを愛するゲームであるということがこういうキャラクターとしての自立に繋がってるから。やっぱりそのゲーム自体の構造とか、作りとかっていうのがまず絶対に必要で。それを10倍、100倍、1000倍、1万倍っていう風に増幅することができるのが、その外側のプロデュースなんですよね。だからそういうクリエイティブとプロデュースっていうのの両輪として、どうコンテンツを育てていくか?っていうところがすごい勉強になるなと僕自身が思ってきたことですね。

プロデュースの力を学ぶ最良の教材

(宇多丸)そかも、そのベースに……だから全てがうまく噛み合った。コロコロのコロコロイズム。そして任天堂の遊びに対する哲学っていうか。やっぱりゲームボーイは普及してみんなが持ってるものだったっていうこと。そこが大事で。だからやっぱりその「枯れた技術の水平思考」じゃないですか。

(渡辺範明)そこで遊び方を発見していくっていう。

(宇多丸)だから全て、元々持っていたポテンシャルが本当に最良の噛み合い方をして。で、その要所要所のジャッジを間違えない。さっきの「ポケモンはしゃべるのか?」とか。その手前のところで、ゲームをまず遊ぶことが大事だっていう。

(渡辺範明)そうなんですよ。この話ね、もっといっぱいお話したいことがあるんで。これ、放課後ポッドキャストでも。

(宇多丸)今日はゲームでもお世話になりますが。ぜひ、余談も含めて渡辺範明さんにお世話になりたいと思います。

<書き起こしおわり>

渡辺範明『ポケットモンスター赤・緑』のゲームデザインの革新性を語る
渡辺範明さんが2023年11月8日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション2』・国産RPGクロニクルの中で初代『ポケットモンスター』を特集。『ポケットモンスター赤・緑』のゲームデザインの革新性について話していました。
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