渡辺範明 初代『ポケットモンスター』とコロコロコミックの深い関係を語る

渡辺範明 初代『ポケットモンスター』とコロコロコミックの深い関係を語る アフター6ジャンクション

渡辺範明さんが2023年11月22日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション2』・国産RPGクロニクルの中で初代『ポケットモンスター』を特集。『ポケットモンスター赤・緑』のリリース後、世界的な大人気コンテンツになるまでに至る中でコロコロコミックが果たした功績について話していました。

(宇多丸)そんな渡辺さんでございますが初代『ポケットモンスター』特集の後編なんですけども。改めて、ちょっと前回のおさらいをしておきましょうか? 誕生からゲームデザイン、それがいかに革新的だったかということですよね。実はRPGとしてスタートしたものではなかったというお話がありました。

(渡辺範明)まあ、ゲームボーイというものの存在を前提に、その通信ケーブルをいかに生かすかということで「交換を主軸にした遊びにしよう」という。で、どうやって交換させようかな?っていうことをいろいろ工夫していく中でモンスター、ポケモンをコレクションするっていうことを最終目的にするというのが非常に画期的な発明だったという話だったんですけれども。ただ、そこに至るまでに企画開始から6年間の時間をかけてしまったので、この6年間の間にゲームボーイというハード自体が非常に古くなってしまって。最新ハードで開発を開始したはずだったのに、もう発売した時にはスーパーファミコンも出て、プレイステーションも出て、セガサターンも出て、ゲームボーイの後継機のバーチャルボーイも出て。で、翌年にはNintendo64が発売しますというタイミングで。

「今更、ゲームボーイで新作RPGを出すんですか?」みたいな感じで発売したのが初代『ポケットモンスター』だという。なので、いろんなゲーム雑誌とかでも全然注目されていなくてですね。ちょっと知る人ぞ知る的な感じで……「今、編集部ではこれが流行っています」みたいなコラムとかは僕、読んだ覚えがあるんですけども。で、僕は当時、それでポケモンを買ったんですけど。だからちょっと、なんかもう単館系の映画みたいな感じというか。

(宇多丸)ああ、玄人好みみたいな?

(渡辺範明)そうそう。「渋いね」みたいな。「これがゲームデザイン的に新しいの、俺たちはわかるよ」みたいな感じで買った覚えがあるんですね。

(宇多丸)その雰囲気に関して、こんなリスナーメールが来てるんで、これだけご紹介させてください。「宇多丸さん、宇内さん、渡辺さん、こんばんは。先日の国産RPGクロニクルポケモン赤・緑前編、大変興味深く聞きました。特に後編の予告的に最後に提示されたポケモンブームの火付け役がとあるメディアだったという部分には『そういうことだったの?』と非常に引きつけられました。私は当時から大ヒットしたことを不思議に思ってました。それは、発売当時流れていたテレビCMを見て『このゲームはつまらなそうだな』と思ったからです。言葉を選ばなければ、とても安っぽく感じました。CMの内容はこんな感じでした。通信ケーブルをくるくると振ります若い女性が公園のベンチに座るおじいさんたちに向かって『私のポケモンと勝負しない?』と尋ねます。おじいさんたちは答えます。『あんた、誰?』。女性はこれに対して『キャーッ!』と高い声で答えます。

たしか2往復ぐらい、lこのやり取りをします。その後、モンスターのイメージ画が矢継ぎ早に出て、少しゲームの説明をして終わりです。有名なタレントが出てない変なコントみたいなCMなので違和感だけはすごくて、子供心に印象に残っています。思い返すと渡辺さんが前編でおっしゃっていた通信ケーブルを画期的に使う点を強調した内容だったんですね。同時にこの明らかな低予算っぷりは任天堂の社内で期待されていなかったという点もよく表していますね。その話もとても納得できました。ということで、これからそのとあるそのメディアがどうやってポケモンを盛り上げたのかが気になります。後編も楽しみしています」ということです。

(渡辺範明)ありがとうございます。

(宇多丸)雰囲気がよく出てますね。「キャー!」って何?(笑)。

『ポケットモンスター赤・緑』CM

(渡辺範明)なんですかね。でも辻プレイをするイメージみたいなのも入ってるんだと思うんですけど。

(宇多丸)ということで、行ってみましょうかね。そのとあるメディアとは一体、何だったのも含めて。

(宇内梨沙)ポケモンの強い味方、コロコロコミックの功績!

(宇多丸)はい。コロコロでした。前回もちょろっと言っていただきましたけれども。

(渡辺範明)ポケモンを開発したゲームフリークの田尻智さんと、クリーチャーズの石原恒和さんという方がゲーム側のプロデューサーという感じて。この2人としては「非常に自信作ができた。このポケモン、超画期的なゲームだから200万本行くよ」というのが合言葉だったわけですね。だったんですけれども、実際に任天堂で決まった初回出荷本数は23万5000本。このあまりにも大きいギャップに対して「なめとんのか!」ってなっていたんですけれども。でも、これもちょっと当時の状況としては仕方ないっていう。で、その仕方なさっていうのは僕の方でもちょっと記憶としてあるのが、その発売当時は僕、高校生だったんですけど。

後に僕、エニックスに入社した時に先輩プロデューサーといろいろ飲んだりとかした時によく話に出ていたのが「発売前の『ポケットモンスター』を田尻さんから見せてもらったことがあって。その時に『このゲーム、めちゃくちゃ売れそうだな』って思ってラブコールをかけたら、もしかするとエニックスから出せたかもしれない。だけど、その時には全然売れるとは思えなかったんだよね」って言っていて。「えっ、今更ゲームボーイでRPGを作ってるの?」ってやっぱり思ったらしいんですよ。

それで「あれが本当に悔やまれるわ」っていうのを先輩が言ってたんですけど。でもその話になった時、毎回同じオチになるのが、「でもエニックスから出していたら、あんなに売れなかったよね」っていう話にだいたい着地するんですよね。で、なぜエニックスから出ていたら、そんなに売れなかったと思うのか? 逆にこのポケモンが無手で出したら23万5000本だったのが、最終的に全世界で3000万本販売するまでに成長したのはなぜなのか? そこの話を今回、したいと思います。

(宇多丸)ちなみに発売は1996年の2月27日ということですよね? ちょっとこれ、この数字を覚えた方がいいと思うんですよ。ということで、とあるメディアがバックアップしたという。

(渡辺範明)これ、唯一ポケモンを高く評価していたのがコロコロコミックだったんですけれども。なぜコロコロはポケモンに注目したのか? コロコロって読者に対してアンケートとかをよく取るんですけれども、その中で当時の小学生のお年玉の平均額が2万6200円だったと言われていて。この2万6000円っていうお年玉に対して、プレステだとかサターンっていうのは4万円ぐらいしていたんですよ。だから、それだけだと買えないという。で、実際に子供たちが今も使っている現役のハードって、まだまだ全然ゲームボーイやスーパーファミコンだということが実はアンケートで出ていたんですよね。なのでコロコロ的にはそこに対して新作タイトルをどんどん紹介していきたいんですけど、もう時代が変わってきちゃってるから、全然期待できるタイトルが出ないんですよ。

(宇多丸)ああ、みんなまだ使っているのに。

(渡辺範明)まだ需要はあるのに、新作が出ない。そんな状況の中で出たこのポケモンっていうのは任天堂のやつだし。キッズがちゃんと対象になってるし。だから、コロコロ的に渡りに船というか。「こういうのが来てほしかった!」っていうやつだから、プッシュせざるを得ないというところもあって注目したわけですね。

(宇多丸)そうか。だから逆にもう、その業界としては時代遅れになってるからこそ、そこにはまるのがもうポケモンぐらいしかなくて。しかもゲームシステム的にはね、ある意味メンコだとかなんだとかに近くて。子供が好きそうなというか。

(渡辺範明)そうなんですよ。だからもう、コロコロ的にはもうばっちりなんですよね。で、まずはその発売当時の1996年の2月28日に別冊コロコロコミックで漫画版の『ポケットモンスター』で『ふしぎポケモン ピッピ』というのが連載開始します。

(宇多丸)これ、つまり発売翌日ってことですよね?

(渡辺範明)だから当然、事前に仕込んでおいてやるんですけど。この時のポケモンはですね、もう今見ると結構、目を疑うような。今のポケモンの感じと違う、なんかすごい下品ギャグがね、多いんですよね。で、しかも主人公はピカチュウじゃなくてピッピですし。

(宇多丸)あっ、本当だ。やばっ! ピカチュウ、やばっ!

『ふしぎポケモン ピッピ』

(宇内梨沙)すごいこれ、懐かしい。

(宇多丸)読んだことある?

(宇内梨沙)家に漫画、ありました。

(宇多丸)へー! でもたしかにコロコロはこういう、ちょっとね、あえて下品な。

(渡辺範明)お下品ギャグみたいなのが多くて。

(宇内梨沙)私、ピッピが大好きだったのに、こんな風にピッピが描かれていることがすごい腹立たしくて。

(宇多丸)あと、これピカチュウ、やばくない? うんこしてますよ?

(渡辺範明)そうそう。下積み時代のピカチュウです(笑)。

(宇多丸)体を張っている(笑)。

(宇内梨沙)なんかすごいアニメでかわいくて安心した記憶がある(笑)。

(渡辺範明)そう。だからこの時はまだ世界観とかがだいぶ守られてなくて。だいぶコロコロマナーの方に寄せた漫画化になってるわけですね。で、この時点のアンケート人気はそこそこって感じだったんですけど。これが2月なんですが。3月になると、子供たちの間ですね、ちょっとポケモンが口コミ的な人気が高まっていきます。

(宇多丸)やっぱり口コミなんですね。

(渡辺範明)で、この口コミのきっかけになったのがミュウというポケモンがありまして。このミュウっていうのは初代ポケモンの中で151匹目の隠しポケモンという扱いになっていたもので。ゲーム中にデータとしては存在するんだけど、登場しないんですよ。で、今はそういう隠しポケモンみたいなのがあって、プロモーションで配る前提で仕込まれているっていうことはよくあるんですけど。この時は別にそういうこととか全く意図してなくって。本当にただ、開発チームの中のお遊びとして入れていただけのもので。だから、お客さんの目に触れる予定は全くなかったんですけれども。もう単なるバグで、全国の小学生たちの中にミュウを持っている子たちがちょっとずつ出始めたんですよ。

(宇多丸)バグで!?

(渡辺範明)バグで。で、登場すること自体、バグなんだけど、データとしてはちゃんと存在してるから。1回、持っちゃえばセーブもできるし、交換もできるんですよ。

(宇多丸)ああ、そうか。広まるのか!

隠しポケモン・ミュウの噂が広がる

(渡辺範明)そう。だからそれを人伝いに「ミュウ、もらった」とか。いろんな育てたポケモンと交換でもらったりとかして。「えっ、何? このポケモン。どこの本にも載ってないんだけど?」みたいなのが手に入っちゃったら、もう子供たちって盛り上がるじゃないですか。

(宇多丸)呪いのビデオじゃん! 『リング』じゃん!

(渡辺範明)だから都市伝説的にすごい盛り上がっていって。それが盛り上がったのをコロコロコミックの当時、ポケモンの担当をしていた久保雅一さんという編集者がいて。この人、本当にめちゃくちゃキーパーソンなので覚えておいてほしいんですけれども。実質的にポケモンのもう1人のプロデューサーですね。で、この人がですね、当時漫画編集者なんですが、このミュウの誌上プレゼント企画をしようっていう。「子供たちがほしがってるんだから」ということで「ミュウをあげます」っていうので20人限定のプレゼント企画をしたんですよ。でも、雑誌の誌上プレゼントとしては20人ってそんなに少ない数じゃないじゃないですか。「スーパーファミコンを5人にあげます」とか、そういう感じの世界だから。

で、これを募集したところ、そこに7万8000通の応募があったっていう。で、当時小学生は全国で800万人いたらしいんですけど。800万人中の約8万人ですから、全小学生の1%が送ってきている。まあ、男子小学生だけだとしたら、2%ぐらいになる。だから、すごい割合の応募がダーッと来てしまいまして。で、その当選した子供に自分のゲームボーイのカセットを送ってもらって。それにミュウのデータを入れて送り返すという非常にアナログな方法で20人にプレゼントしたんですけど。でも、この希少性ってやばいじゃないですか。8万人に20体って……。

(宇内梨沙)狩られそう。

(渡辺範明)逆に危ないっていうか(笑)。「これ、大丈夫?」っていう感じだったので、「これはどんどんあげていこう!」ってなって。それで次世代ワールドホビーフェアっていうイベントがあったんですけど。このイベントで「ミュウを配ります」ってまたやって。「ゲームボーイを持ってきてくれくれたら、配るよ」っていうことで。もうその場にコロコロのスタッフがバーッて並んで。みんな、ゲームボーイに通信ケーブルを挿して待っていて。どんどん並んでる小学生のゲームボーイに通信ケーブルを挿して、ミュウを交換してあげるっていうことをやって。これで今度は700人ぐらいに配った。

こういう流れの中でだんだんポケモンが口コミ的な人気が高まっていって、任天堂も最初は5万本単位ぐらいで増産していったんですけども、それで追いつかなくなっていって、10万本単位で増産をするようになって。で、1996年の9月。発売してから7ヶ月後に100万本を突破します。だから23万本から始まって、ここで100万本を突破しました。目標の200万本にはまだ及ばないんですが、100万本の大台に乗ったわけですね。で、コロコロの久保さんは次にこのポケモンをさらにジャンプさせるきっかけになるネタないかな?って探していたところ、ゲームフリーク側が「実はこういうの、作ってるんですよね」と言って『ポケモン青』というのを見せた。

で、この『ポケモン青』もゲームフリーク的にはなにかの記念に配ったりとかすればいいかなって思って作っていて。そんな、売るつもりもなかったんですよ。本当にそのポケモンの出現率とか、一部のグラフィックを変えたぐらいのバージョン違いなんで、新商品になるイメージもなかったんですけど。それを「これ、売りましょう!」と久保さんが言ってですね、任天堂にその話を持っていったんです。

そしたら当時の任天堂の山内溥社長。先々代かな? の、社長さんはこの『ポケモン青』に関しても「そんなちょっとしたバージョン違い、任天堂の新商品として出せませんよ。だから、やりたかったら、おたくでやれば?」と言って、このコロコロの誌上限定販売で『ポケモン青』を出したんです。

(宇内梨沙)ええっ? 最初はそうだったんですか!

『ポケモン青』のコロコロ誌上限定販売

(渡辺範明)正確にはコロコロと学年誌ですね。『小学◯年生』っていうあの学年誌とコロコロの合同企画として、誌上限定販売でこの青バージョンを出して。「でも何万通とか、応募が来ちゃうかもね? ミュウのプレゼントでも8万通来たんだから。販売だから、そこまでは行かないかもしれないけど、5万ぐらいは応募が来てもおかしくないね」と思っていたところ、これが60万本売れます。なので、ポケモンの累計販売本数は一気に160万本になりました。しかも、この60万本を誌上通販で売るっていうのも小学館的にも異例中の異例で。もう本当に販売機能というか、流通の機能としてもキャパオーバーだし。お金の回収とかもすごい大変だし。まあ、すごい儲かったんですけど小学館のの中ではむしろ問題になったらしくて。

次に翌年6月にもう一度、この『ポケモン青』を再び誌上販売するんですけど。その時には受け渡しにローソンを使いまして。なので、後のそのコンビニ流通とかの先駆けにもなるような動きになるわけですね。任天堂的には。で、2回目のこの青バージョン販売では今度、70万本売れて。これで田尻さんと石原さんが当初、目標にしていた200万本を突破して230万本に行きました。

(宇多丸)でもなんかやっぱり、大人たちの思惑を超えて、子供たちがシーンを作り、支持をして……っていう感じがしますね。どの局面でもね。「えっ、こんなにウケるの?」みたいな感じがありますよね。

(渡辺範明)しかもそれもやっぱりこのコロコロの久保さんがこれをやろうと思わなかったら、行かなかったんですよ。この青バージョンの発売もそうだし、ミュウを配るのとかだって、本当はなかったはずのことなんですから。

(宇多丸)だからやっぱり子供の市場調査を常にしてる久保さんだからこそ、わかってることだったのかな? ということで、コロコロの果たした役割ということを伺ってまいりました。そして社会現象化していく中で、さらにこちらの要素が加わります。続いては、こちらです!

(宇内梨沙)ゲームのテレビアニメ化。成功の秘訣はスタッフ全員に◯◯をさせること。

(宇多丸)はい。アニメ版。

(渡辺範明)で、コロコロ的にはですね、漫画がうまくいったら次はアニメだということに当然なるんですけれども。で、アニメ化の話を任天堂の山内溥社長のところに持っていったところ、山内社長はこのポケモンのアニメ化にも難色を示します。

(宇多丸)やっぱり保守的なんだ。

(渡辺範明)やっぱりちょっと山内さんって慎重なんですよね。でも「慎重」って言っても、そもそもそれまでにゲーム原作の映像化って、1回も成功例がないんですよ。この時点では。で、任天堂自身もそのハリウッド映画版の『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』っていうやつで痛い目を見てますし。ゲーム原作のアニメ化っていう意味で言うと、国産ではですね、ドラクエが1989年に『勇者アベル伝説』と言われてるTVアニメシリーズをフジテレビの全国ネットでやったんですけど。これもですね、華々しく始まったわりに32話で打ち切りになりまして。残りの11話分はローカル枠でやって、なんとか完結させるという結構しょっぱい終わり方をしていて。

なので、とにかく「ゲームのアニメ化ってうまくいかない」というイメージがこの時にはもう定説だったんですよね。しかもこの時点でもうポケモンは230万本売れた状態なんで、もうポケモン的にはアニメ化やってコケたらマイナスだし。売れたとしても、別にそんなに大したプラスにはならんだろうという。もうミリオンタイトルですよっていうことなので。それは山内さん、ビジネス的な判断としてはここのところに慎重になるのもすごいわかるんですよ。なんですけど、そのコロコロ久保さんとしては「いや、そんなことはないですよ。アニメ化っていうのはたしかに結構リスキーなところもあるけれども……」っていうことで。

ただ、久保さんは自分の担当をタイトルでもう過去にミニ四駆ブームというのを仕掛けたことがあって。第一次ミニ四駆ブームの時に、それがすごく盛り上がっていたのが収束してしまったきっかけになったものが『ダッシュ四駆郎』っていうコロコロでやっていたミニ四駆漫画のアニメ版。そのアニメ版の終了がその第一次ミニ四駆ブームの終了のきっかけになっちゃったことがあったわけですね。で、その時にはまだ全然ミニ四駆って売れていたし、なんなら『ダッシュ四駆郎』のアニメだって別にそんなに視聴率とかも悪くなかったのに、あくまでその局側の都合……枠的な都合とか、代理店的に次のタイトル入れたいっていう都合で打ち切りになってしまって。で、おもちゃの問屋さんとかも「アニメが終わるんだから、ミニ四駆ブームもそろそろ終わりなのかな?」っていうことでどんどん数が絞られていって。結果的に第一次ミニ四駆ブームが終わってしまったという、こういう痛い失敗があって。

なので、コロコロ的にはこの時、既に第二次に四駆ブームを仕掛けていて。この第二次ミニ四駆ブームの中心になっていたのが『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』というアニメなんですけれども。この時には、もうアニメの制作体制って根本的に変えて。局とか代理店よりも原作者サイドがとにかくコントロールができるように……という、今でいうところの製作委員会の仕組みに近いようなものを確立していて。「なので、ちゃんとハンドリングできるようなアニメ化っていうものがあるんですよ」ということを山内さんに実例を交えて頑張って説得したわけなんですね。で、この熱心な説得により慎重な任天堂の山内さんもギリギリ納得しまして、それでポケモンをアニメ化することになります。

タイトルとURLをコピーしました