渡辺範明さんが2023年11月8日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション2』・国産RPGクロニクルの中で初代『ポケットモンスター』を特集。『ポケットモンスター赤・緑』のゲームデザインの革新性について話していました。
(宇多丸)ということで、国産RPGクロニクルです。今回はポケモンというので。改めて、初めて聞かれる方もいるかもしれないから言っておくと、今までのドラクエとFFを中心としたシリーズも、基本的に私自身、ゲームはいっぱいやるけれども。僕はあんまり得意じゃない方のジャンルなんだけど。それとは全く関係なく、ゲーム史だとか、もっと言えば企業史だとか。めちゃくちゃ面白い話として、渡辺さんが語ってくださるシリーズなので。残念ながらポケモン、またしても私、弱者中の弱者ということで。
(渡辺範明)宇多丸さんが苦手なもの担当という感じにちょっとなりつつありますけれども。
(宇多丸)大丈夫ですよ。食べれるように包んで出していただいているので。
(渡辺範明)だいぶ咀嚼してやっていきますんで(笑)。
(宇多丸)ということでポケモン、前・後編で。
(渡辺範明)はい。ドラクエ・FFでやってきたみたいにシリーズをずっと、ポケモンの歴代シリーズを追ってくっていう形で今回やろういう風に思っているわけじゃなくて。初代ポケモンにあくまで話を絞って。で、ポケモンってとにかく初代がエポックメイキングですごいんですよ。大発明だったんですけど。いわば、それの味を結構守り続けているのがポケモンというシリーズなので。初代の話を前・後編に分けてガッツリしようというのが今回ですね。
(宇多丸)了解でございます。とにかくポケモンはタイトルの世界的なデカさから言えば、もうドラクエ・FFどころじゃないっていうか。
(渡辺範明)そうなんです。実はそのドラクエ・FFの売り上げの話をしたこともありましたけども。販売本数ですね。ドラクエ・FFの史上最高って、FF7なんですよ。FF7は世界全体で1300から1400万本ぐらい売れていて。それがドラクエ・FFの歴史の中ではダントツで海外受けしたっていう話をしたと思うんですけども。初代ポケモンって、全世界で3000万本以上、売れてるんですよ。
(宇多丸)ああ、もう既にしてから。
(渡辺範明)だからもう、その時点でダブルスコア以上なんで。JRPGというと、僕らはやっぱりドラクエとかが最初に思いつきますけど。世界で最も売れてるJRPGって何かと言われれば、それはポケモンなんですよ。
(宇多丸)だし、キャラクターとしてもはや……っていう感じですよね。
(渡辺範明)そうなんです。だからそのへんの話を今回の第1回の方、前編の方では、ポケモンというゲーム自体が誕生するまでと、そのゲームがいかなる内容なのかというゲームデザインの面の話をして。後編に関しては、発売した後でポケモンが大ブレークしていく過程。そこもすごくプロデュース的な部分で面白いので。この前・後編にしたいと思います。
(宇多丸)ちなみに今回は全編で、2週後に後編をお送りするという予定となっております。再来週です。ということでまず、ポケモン。「説明不要」と言いつつ、でもやっぱりね、世の中でポケモンをやったことがある人、明るい人ばっかりじゃないので。改めてちょっと、どんなゲームだったのかを説明しておきましょう。
(宇内梨沙)はい。『ポケットモンスター』シリーズとは、1996年2月にゲームボーイ用ソフトとして発売された『ポケットモンスター赤・緑』に端を発するゲームシリーズです。発売元は任天堂。そして開発はその後のシリーズを含め、基本的にゲームフリークという会社が担当しています。ポケモン赤・緑はマサラタウンという小さな町に暮らす主人公の少年がポケットモンスターと呼ばれる不思議な生き物を捕まえ、育成し、他者と対戦しながらチャンピオンを目指すといった内容です。ゲームボーイの通信ケーブルを使ったユーザー同士の交流や、同時発売した赤版と緑版で出現するポケモンが違うなど、新しい試みが話題を呼びました。その後、コミックやカードゲーム、アニメの放送などの後押しを受け、全国の小学生を中心に一大ブームに成長。今年3月時点でシリーズ累計販売は4億8000万本以上。
(宇多丸)よ、4億?(笑)。
(宇内梨沙)9の言語に翻訳され、世界中で愛されるまさにモンスターコンテンツとなっています。ちなみにアニメは192の国と地域で放映されているそうです。
(宇多丸)いやー、もうめっちゃくちゃ! 桁違いですね。じゃあ早速、これからポケモンの誕生についてお話を伺っていきましょう。まずは、こちら。
(宇内梨沙)田尻智とゲームフリーク。
田尻智とゲームフリーク
(渡辺範明)はい。まずポケモンのオリジナルクリエイターである田尻智さんという方の話から入りたいんですけども。さっきの「ゲームフリークという会社が今も作っている」という話がありましたけど。ゲームフリークって元々は田尻さんが高校3年生の時に創刊したミニコミ誌の名前なんですよ。
(宇多丸)へー!
(渡辺範明)本当にコピーした紙をホッチキスでとじたみたいな、そういうミニコミ誌なんですけども。
(宇多丸)高校の時の?
(渡辺範明)はい。1983年なので、まだ全然ゲーム雑誌とか、ゲーム攻略本とかはほとんど存在しない世界で。アーケードゲームを自分たちでプレイして集めた、自分たちの足で稼いだ情報をミニコミ誌にまとめて。で、それを出版というか、配布というか、出していくというスタイルで。一番有名なのがですね、「ゼビウス1000万点への解法」という、ゲーム攻略本のほぼ元祖とも言われている有名な特集号があるんですけども。こういうものでゲームライターとして名を成していったというのが初期の田尻智さんですね。
『ゼビウス1000万点への解法』が再入荷いたしました。こちらは基板ショーケース内にて展開しております。当時の有名ゲーマー「うる星あんず」氏が学生時代に製作した同人誌でゲームフリークが委託し再販したものです pic.twitter.com/JLKFZKCw7h
— BEEP秋葉原店 (@BEEP_akihabara) January 10, 2018
(宇多丸)で、ちなみにこの後にポケモンのキャラクターデザイナーになる杉森建さんもゲームフリークの創刊の第2号でイラストを書いてるんで。あと、後にポケモンの音楽をやる増田順一さんとかですね、この同人時代から既にゲームフリークのコアメンバーは変わっていないというところも面白いところですね。
(宇多丸)なんか、いいですね。夢あるわ。
(渡辺範明)で、当然ゲーム好きのメンバーが集まっているので。田尻さん、しばらくはゲームライターとしてゲーム雑誌に寄稿したりとか、攻略本を作ったりとかっていうことをしてたんですけれども。やっぱりゲームが作りたいということでですね、セガとかにゲームの企画を持ち込んでいたらしいんですよ。でも一向に採用されなかったため、仕方なく仲間たちと自主制作で、ファミコンのソフトを作ったと。だけど、当時ファミコンのソフトとかって任天堂と契約して、ライセンスして、開発機材を貸与されて、それで作るっていうのが普通だったんですけども。それもないので、自分たちでファミコンを解析して、開発機材から自作するというですね、まことにハッカー精神あふれる……。
(宇内梨沙)えっ、天才?
(渡辺範明)まあ当時、そういう文化だったんですよね。
(宇多丸)コンピュータ文化というか。
(渡辺範明)そうそう。コンピュータ文化のね。で、それで作ったのが『クインティ』というゲームなんですけれども。ナムコから後に発売されまして。これ、割とファミコン後期のナムコのゲームとして今遊んでも結構面白い、良作のアクションゲームなんですけれども。これが20万本を売り上げたということで、1989年にですね、ナムコから『クインティ』の印税5000万円が出まして。「これを元手にゲームフリークを会社化するか、それとも5000万をみんなで山分けして解散するか」っていう選択があったんですけれども、会社化しようという方を選んで、株式会社ゲームフリークが成立しました。
(宇多丸)なんかすごい若い、本当に草の根の力っていうか。
(渡辺範明)しかもゲーム好きから入って。
(宇多丸)好きをパワーにしてっていうか。なんか、そこだったんですね。
(渡辺範明)だからゲームマニアから入ってるっていうところがちょっと第2世代感のあるゲームクリエイターという感じです。
(宇多丸)なるほど。さあ、そんな田尻さんが作品をどういう風に作っていったかというところで、続いてはハードのお話です。
(宇内梨沙)ゲームボーイというハード。
(宇多丸)要するにゲームボーイがあってこそのポケモンという。
(渡辺範明)そうですね。田尻さんたちがゲームフリークを作った1989年4月なんですけれども。実はこの全く同じ月にゲームボーイも発売してるんですよ。だからゲームボーイと同じ月に会社を作って「よし、この新しいゲームフリークという会社で次、何を作ろうか?」ってなった時にゲームボーイに当然、注目をしまして。「じゃあ、ゲームボーイのソフトを作ろう」となったんですけど。この時に田尻さんたちが面白かったのが「ゲームボーイに通信ケーブルがある」ということに着目してるんです。この頃、他にも当然、ゲームボーイ用のゲームっていっぱい出てるんですけど。みんな、その「携帯性」に注目していて。だからファミコンを持ち運ぶことができるというのがみんなのゲームボーイの捉え方だったんですけど。「このケーブルが面白いな」と。
(宇多丸)これ、任天堂は通信ケーブルはどういうつもりでつけてたの?
(渡辺範明)でも任天堂も当然、通信ケーブルを使っていて。ゲームボーイの初期の代表的なタイトルっていうと『テトリス』なんですけど。『テトリス』の通信ケーブルって、対戦用なんですよね。だから通信ケーブルと言いつつ、ほとんどのゲームでは対戦に使っていたんだけれども、田尻さんたちとしては対戦っていうのは別にアーケードゲームの古くからある文化だし、そんなに珍しくない。むしろ、この通信ケーブルで戦闘ではなく、情報を交換したら面白いんじゃないかっていう。
この「交換」という動詞に着目するんですね。で、田尻さんご自身のゲームデザイン本でも、「ゲームデザインは動詞からスタートするのだ」という風に書いていて。たとえば『クインティ』というのは床に敷き詰められたパネルをめくって、そのめくったパネルの効果によっていろんなエフェクトが発生して、敵を倒していくっていう面クリア型のアクションゲームなんですけど。この「めくる」からスタートすると『クインティ』ができる。
(渡辺範明)同じようにマリオとかは「ジャンプ」とか「走る」とか、そういうことからスタートしているはずだと。で、同じようにこの「交換」っていうことを中心にすると、新しいゲームが……新しい動詞から新しいゲーム生まれるということで。こういう考え方でゲームデザインをスタートするんですね。
(宇多丸)すげえな。
新しい動詞から新しいゲーム生まれる
(渡辺範明)これはすごく……後にスマブラとかを作る桜井政博さんとかも同じようなことをおっしゃっているし。宮本茂さんも度々、同じようなことをおっしゃってるので。だいぶ任天堂的なスタイルに相性がいい考え方なんですけれども。でですね、それで交換を主軸にしたゲームを作ろうと思った田尻さんたちは、ガチャガチャのようなカプセルに入ったモンスターを交換するゲームというですね、『カプセルモンスター(仮)』を企画します。で、この『カプセルモンスター』というか、カプセルに入ったモンスターという発想はおそらく『ウルトラセブン』の……。
(宇多丸)カプセル怪獣だ。
(渡辺範明)カプセル怪獣から来ていて。で、ポケモンの世界観にはだから結構、ウルトラ怪獣的な、特撮怪獣のテイストっていうのも細かく入っていて。
(宇多丸)ねえ。カプセルっていうか、投げて「戦って来い!」っていうのは。
(渡辺範明)ねえ。ミクラスとか、ああいう同じですもんね。で、ポケモン図鑑にも初期から怪獣の鳴き声が必ず入ってたり、足跡が入ってたりとかするのって、あれはウルトラ怪獣マナーなんですよね。というか、怪獣のソノシートとか、昭和の怪獣文化から来てるんですけれども。そんな感じで『カプセルモンスター』を企画したんですけども、これがですね、開発が難航します。どこで難航したのか?っていうとですね、二つ、難点があったんですけども。まず1個は、モンスターを交換をさせようっていうことは決まっているんですけど。交換して、何をするのかが決まってないんですよ(笑)。
この時、まだ「RPGにしよう」とかっていうことも決まってないんで。交換した上で、アクションするのかもしんないし、育成するのか、シミュレーションするのか、とかいろいろあってですね。そこがちょっと、最初の頃はあんまり定まっていなかった。で、もう1個がより大きな難点としてあったんですけども。「なぜ交換するのか?」という動機づけが難しかった。これはちょっと僕ら、もう既にポケモン以降の世界に生きてるんで完全に答えを知ってるから。「いや、こういう仕掛けを入れれば交換したくなるじゃん」ってわかっちゃうんですけど。でもこれ、本当にコロンブスの卵なんで。当時はね、わかんないんですよ。
で、田尻さんたちがおっしゃってたのは「交換するということは、たとえばお互いにモンスターを持ってて。お互いにこれが欲しい。欲しいということはなにか、価値が高いものなんだ。強いとか、かっこいいとか、かわいいとか、わからないけど。とにかく何らかの価値がある。でも、だったら自分で持ってればいいんじゃない? なんで相手にあげたくなる?」っていう。そこが、わかんないんですよ。この時点だと。
(宇多丸)まあ、だから、ねえ。元からあるものとなぞらえれば、その野球選手カードとか、仮面ライダーカードとか、要するに収集の方に行くかっていうことですよね。
(渡辺範明)そうなんです。で、それが後々の答えにはなるんですけども。その時、その収集の要素というものがうまくゲームの中に落とし込めなくて一旦、企画が塩漬けになります。で、そんなことを言ってても新しい会社が潰れちゃうんで、ゲームを作らないと話にならないということで、任天堂からいろいろ仕事をもらってですね、『ヨッシーのたまご』を作ったりとか、他の会社ですけど、『ジェリーボーイ』っていうスーパーファミコンのゲームを作ったりとか。いくつか、ちょっと小規模なアクションゲームとかパズルゲームとかを作って。会社としての開発力もつけつつ、日銭を稼ぐという感じで会社を維持していきます。
で、結局ですね、この『カプセルモンスター』の開発を再開して、1995年に『ポケットモンスター』として完成して発売するまでに、企画開始から6年間、かかったんですよ。で、この6年間っていうのは今からすると、国産RPGクロニクルの歴史の中ではもっとアホみたいに時間かかってるのがあるんでちょっとかわいく見えるかもしれないけど。当時の6年ってめちゃくちゃ長いんで。だからもう、いろんな状況も変わっちゃってですね。ドラクエ5とかも発売しちゃって。
(宇多丸)だし、ゲームボーイの新鮮さもないし。
(渡辺範明)もう全然最新ハードじゃないとか。そしてドラクエ5って、もうモンスターを仲間にして育成するというシステムが入っちゃっているんですよ。
(宇多丸)ああ、そうか! ある意味、やられちゃっているんだ。
(渡辺範明)そう。で、これが発売した時点で田尻さんたちもだいぶモチベーションが下がったらしいんですけど。「ドラクエがやっちゃってるしな」みたいな感じだったんですが。とはいえ、ポケモンが完成して発売してみたら、非常に画期的なゲームになっていたということが次の話になります。
(宇多丸)なるほど。苦労した甲斐があったのかということですね。ということで、今夜の核心部分でございます。こんなお話です。
(宇内梨沙)ポケモンのゲームデザイン、その特徴。
(渡辺範明)はい。ポケモンのゲームデザインの画期的だった部分を3項目に分けてお話しようと思います。まずひとつ目が、まさに今のそのモンスターを交換する動機という部分ですね。これをどう解決したのか?っていうことなんですけど。これは宇多丸さんがさっきおっしゃった通り、「コレクション自体をゲームの最終目的にする」というのがその答えでした。
(宇多丸)これさ、子供の遊びでコレクション物ってあるじゃないですか。ビックリマンとか。でもやっぱりたぶんデジタルデータでそれをするって、あんまり発想がなかったのかな?
(渡辺範明)そうなんですよね。昔から、メンコを集めたりとか、そういう遊びはあるんですよね。
(宇多丸)ベーゴマとかね。
ポケモンの雛形は昆虫採集
(渡辺範明)そうそう。で、田尻さん自身も「ポケモンの遊びの雛形になってるものは昆虫採集だ」とおっしゃってるんで。そういう意味だと収集が目的っていうことは最初からイメージにはあったとは思うんですけれども。それがゲームの最終目的になっていいのか?っていうところには、たぶんそこまでは割り切れなかったんですよ。
(宇多丸)そんなにそれが引きになるかどうかって。
(渡辺範明)そうそう。で、やっぱり物理的なものがあるからこそ、ベーゴマとかメンコとかはいいんだけれども。データってやっぱり機能じゃないの? みたいな。思うじゃないですか。で、実際にこれまでにモンスターを集めて育成するようなゲームっていうのは別になかったわけじゃなくて。それこそ、さっきのドラクエ5とか、このシリーズでも特集しました『女神転生』とか、そういうものはあるんですよね。だけどどっちも、そのゲームの最終目的はストーリークリアで。そこに行くための手段なんですよね。モンスターを集めて育成したりすることは。で、ポケモンもたぶんそういうところのはざまを揺れ動きながら開発されていたと思うんですけど。
でも、開発終盤にですね、ちょっと事件がありまして。SRAMという、その当時のゲームボーイのソフトのセーブ領域を司っている部分の容量の問題が起きたんですね。で、当時のSRAMの容量っていうのは、8KBが普通だったんですけれども。これだとポケモンが30匹しか保管できない。で、30匹っていうのは微妙な数で。ゲームクリアには全然問題がないんですよ。だって、実際にそれより後に発売される『ドラゴンクエストモンスターズ』とかも20匹ぐらいしか保存できなかったりとかもするし。別にそれでも入れ替えながらやっていけば、実際にレギュラーメンバーとして使うポケモンって、そのぐらいしかいなかったりするんで。まあ、クリアには問題ない。でも、コレクションって考えたらどうなんだろう?っていう数じゃないすか。そしてもう1個、選択肢があって。モンスターの名前をつけなかったら、もっといっぱい増やせるっていう。でも、これもなんかそれだと自分のポケモンっていう感じがしないっていうことで、それも選びたくない。
で、そのどっちを取るか?ってなっていた時に、任天堂の宮本茂さんがですね、「そこで劇的にゲームが変わるんだったら、もうSRAMの容量を32KBに増やそうよ」っていう。そうすると、すごい原価が上がるんで、メーカーの任天堂としては利益が減っちゃうから、なかなかそんな決断はしたくないと思うはずなんですけど。でも、ちょっと英断があって。それでSRAMを32KBにしたら、ポケモンが240匹、保管できるようになったんです。で、これで全然ゲームが変わったっていうことなんですね。
(宇多丸)へー! じゃあ、ゲームボーイ自体がグレードアップした?
(渡辺範明)ソフトのカートリッジに入っているチップをいいやつにしたみたいな感じです。
(宇多丸)そういうことか。その分、高いとか?
(渡辺範明)そう。部品で高くなっちゃうんですよ。原価が全然高くなる。まあ、あれですね。今のSDカードとかの高いやつを買うみたいな感じですよね。で、それによって腹が決まったわけです。「コレクションがゲームの目的なんだ」という風に腹が決まって。で、そういうような「最終目標はポケモン図鑑をコンプリートすることです。ストーリークリアもあるけど、それは中途目標に過ぎません」という新しいスタイルが生まれたわけですね。で、これってもう、後にポケモン型のゲームっていうのはいっぱい、いろいろ出たんですよ。各社から。『デジモン』とか『メダロット』とか『ドラクエモンスターズ』とか、いろいろ出たんですけども。でも、そういうレベルの影響の範囲じゃなくって。もう『どうぶつの森』だとか、なんなら今のソシャゲ全般とか。
(宇多丸)とか、別にオープンワールドでもいいですよね。そのメインをクリアした後に、コンプリートを目指すとか。
(渡辺範明)そうです。だからストーリークリアが目的じゃないゲームってもう今や、普通じゃないですか。でも、こういうもの全ての始祖というか。「そういうのがありなんだ」っていうことを大衆に知らしめたのは、ポケモンなんですよ。もちろんそれより前も『ダービースタリオン』とか、そういう育成系のゲームとかはストーリークリアが目的じゃないっていうのも全然あるんですけど。とにかく大衆に広く「このゲームのあり方って、ありですよね。っていうか、なんならこれが普通のゲームですよね」という感じに変えちゃったのがポケモンなんで。これがとにかくでかいんですね。