吉田豪 TBS安東弘樹アナの素顔を語る

吉田豪 乙武洋匡スキャンダル報道で感じたことを語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で金曜日の新パーソナリティー、安東弘樹アナの知られざる素顔について話していました。

(玉袋筋太郎)さあ、じゃあ今回、豪ちゃん、その筋の話はなんと安東弘樹アナウンサーで。面と向かってやろうよ!

(吉田豪)そうなんですよね。この『人間コク宝 サブカル伝』という本に、実は乙武くんのインタビューと安東さんのインタビューがどっちも入っています! 貴重!

(玉袋筋太郎)幅が広いねえ。フィールドが。じゃあ、そういうことで今回、安東さんの筋。私があらすじとその筋を紹介しちゃいましょう。1967年、横浜生まれの48才。カトリック信者でクリスチャンネームはグレゴリオ。成城大学法学部を卒業後、TBSに入社。『王様のブランチ』や『アッコにおまかせ!』、『ひるおび!』など人気番組を担当し、この春からはTBSラジオの『たまむすび』金曜パーソナリティーでもあります。

(安東弘樹)恐縮です。

(玉袋筋太郎)そして豪ちゃんの取材によると、安東さんのその筋は……その1、自分1人で生きていく。5才で芽生えた独立心の筋。その2、成城大学。自分からいちばん遠い大学に入ってしまった筋。その3、TBSの就職活動でそれまでの人生が良かったと思えた筋。その4、モテた実感ゼロ。屈辱の思い出ならあるの筋。その5、口は災いの元。でも、言わないメディアよりマシだの筋。以上の5本の筋となっております。

(吉田豪)はい。じゃあ順番に行きますかね。

(安東弘樹)ありがとうございます。本当に。

(吉田豪)実はでも、この『人間コク宝 サブカル伝』って出した時に、いちばん評判が良かったのが安東さんのインタビューなんですよ。

(安東弘樹)本当ですか?

(玉袋筋太郎)そうそうたるメンバー、いるわけだよ。

(吉田豪)そうそうたるメンバーがいる中で、いちばん意外だったっていう。

(安東弘樹)ああー、意外っていうのはその、だから乙武さんにも通ずるところがありますね。

(吉田豪)そうですね。伝わっていない。いちばんデストロイな人っていうか。生きる『ドーベルマン刑事』みたいな人ですからね(笑)。

(安東弘樹)いやいや……

(吉田豪)ド外道は許さない!っていうスタイルで生きている人ですから。

(安東弘樹)『ドーベルマン刑事』、ずっとね、読んでましたから。持ってましたから。

(玉袋筋太郎)武論尊(笑)。

(吉田豪)だってインタビューであんなに「クソ」を連発する人、いないですよ。もう。「クソ社会」とかね。なんか、腹が立つと全てに「クソ」がつくんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)いや、うれしいよなー。

(安東弘樹)下品ですね。本当にすいません。本当に。

5才で芽生えた自尊心

(玉袋筋太郎)じゃあ、その1から行ってみようか。「自分1人で生きていく。5才で芽生えた独立心」。これなんですよね。

(吉田豪)行きますかね。もともと、だからすごいいいところのお坊ちゃん的なイメージがすごい強いじゃないですか。

(玉袋筋太郎)うん。俺もそういうイメージ。

(吉田豪)全然違いますからね。まあ、基本育ちは良さそうに見えて違うっていう。

(安東弘樹)いや、でもこのプロフィールを見たら、本当に見えますね。自分で思いましたからね。たしかにね。

(吉田豪)ああ、お父さんが上智大学のオーケストラの創始者で、指揮をやっていたとかね。スペインに留学とか言うと、坊っちゃんに見えるけども、そうじゃないわけですよね。

(玉袋筋太郎)そうじゃないんですか?

(吉田豪)学生の身分で奥さんと子供を連れて留学したから、お金がなくて。とにかく貧乏だった。

(安東弘樹)父がですね。父が。

(吉田豪)はいはい。インスタントラーメンと卵かけご飯ばっかり食べていたっていう。

(安東弘樹)まあ、ばっかりではないですけどね。まあ、むしろこれはご馳走でしたね。

(吉田豪)ああ、ご馳走(笑)。もっとひどかった?

(安東弘樹)いや、ひどかったんですって。

(玉袋筋太郎)全然そんなイメージ、ねえな。

(安東弘樹)いやいや、好きでした。

(吉田豪)まあ、スペインでも基本孤立というか。まあね、日本語が通じない世界でまず、幼少期をすごし……

(玉袋筋太郎)それはすごいですね。

(吉田豪)そして、戻ってきたら日本で浮き……というのがまずベースにあるわけですよね。

(安東弘樹)はい。まあ、浮いたというか、やっぱりね、保育園とか幼稚園に行ってないわけですよ。で、いきなり帰ってきてすぐに小学校だったわけですね。だから、日本のいろいろなしきたりを覚えるじゃないですか。幼稚園とかで。そこが全くなかったので。

(玉袋筋太郎)抜けてるから。

(安東弘樹)はい。びっくりしました。髪型もおかっぱ。当時は短い子が多い中で、僕はおかっぱで割と長めの髪の毛で。いわゆるヨーロッパ感のある子供で。

(吉田豪)まあ、学校じゃ浮きますよね。なおかつ、ご両親が不仲だったりとかもあって、なかなか帰ってこない時に独立心がどんどん芽生えて。5才で「俺が弟を食わせていこう」と決意っていう。

(安東弘樹)スペインにいた時ですね。

(玉袋筋太郎)スペインで目覚めたんですね。これ、5才で。

(安東弘樹)誰も頼る人がいないので。周りに。

(玉袋筋太郎)はー! 弟さんはいたと。

(安東弘樹)弟はいたんで。もう、どうにかして守ってやらなきゃっていう意識はすごく。

(吉田豪)だって、その時に「俺は物乞いでもして生きていこう」とか考えていたっていう。

(安東弘樹)あの、ある日、両親が帰ってこない日が。あの、朝になったら帰ってきたんですけど、僕にとっては夜中の10時ぐらいだったんでしょうね。当時、子供にとっては本当に真夜中に、目覚めたら親がいなかったんですよ。家に。いまにしてみれば、どこかに遊びに行っていたのか、わかんないですけど。「あ、もう帰ってこなかったらこれは僕が路上でなんとかお金をもらって弟を食べさせなきゃいけないな」ってその時に思っていたんですよね。

(玉袋筋太郎)はー!

(吉田豪)5才にして。

(安東弘樹)5才の時に。

(玉袋筋太郎)すごい! 最悪の事態をもう想定してるわけですよね。

(安東弘樹)危機管理人生がそこから始まりました。後々続いていく。

(吉田豪)で、小学校とかでもまあね、先生にいじめられたのもあったんですよね?

(玉袋筋太郎)それはひどいな!

(吉田豪)で、教師に対する反発とか、そういうものがどんどん。

(安東弘樹)いやいや、それは後になっていじめだったって。その時はわからないんです。だから、視力検査のやり方も何もわからないんで、視力検査は全然見えているのに、わからないんですよ。この「C」の空いているところを指差すとかっていうのがわからない。だから、その時の先生にいま思えば、「安東くんは何もできない子だね」とかみんなの前で言われたりしてたんですけど。その時は自分が悪いと思っていたんです。いじめられているとは思わないんです。で、後々、「あれ、いじめられていたのか、俺?」って気づくっていう。まあだから、髪型もヨーロッパっぽいし、もうモロに浮いていたので。広島の小学校の話で。その後、横浜に行ってそういうことはなくなるんですけども。

(玉袋筋太郎)ええ。

(安東弘樹)広島の、みんな短パンの学ランっていう小学校が。公立の。

(吉田豪)広島、厳しいらしいですからね。

(安東弘樹)だからそこに短パンの学ランが似合わない、なんかたぶん変な、浮いていたんでしょうね。

(玉袋筋太郎)異物がね。

(吉田豪)つまり、その時点でも、1人で生きていくみたいな謎の独立心が芽生えていた?

(安東弘樹)そうですね(笑)。まあ、その時はね、両親も別居して。日本に帰ってきた時には別居もしている状態で。

(玉袋筋太郎)ああ、そうなんですか。ああー。苦労してるな、それは!

お坊ちゃんっぽいプロフィールとは全く違う人生

(吉田豪)で、その2なんですけど。だからプロフィールだけ見たら、成城大学卒で車好きの二枚目アナウンサーっていうイメージじゃないですか。

(玉袋筋太郎)お坊ちゃんだよ。

(吉田豪)お坊ちゃんですよね。それが全然違うってことなんですよね。

(玉袋筋太郎)なんでですか? それは。

(吉田豪)高校生ぐらいから、まず家族を養わざるを得ない家庭環境だった。

(安東弘樹)まあ、その続きですね。母親が割とお嬢様っぽい感じで。働くとかができない……

(吉田豪)離婚された後、お母さんが仕事をほとんどしていない。

(安東弘樹)そうですね。はい。そういうことです。

(吉田豪)養育費も取らず、慰謝料も取らず。

(安東弘樹)はい。

(玉袋筋太郎)ええーっ? これ、じゃあ安東さんがやったわけね。働いたな、さては?アルバイトですね。

(安東弘樹)そうですね。まあ、中学まではアルバイトができないので。中学がいちばん大変でした。はい。まあ、公立なんであれなんですけども。

(吉田豪)お母さんが収入が月1万円で……

(安東弘樹)いや、母親、そうですね。最大でそれぐらいですね。

(吉田豪)最大で1万円(笑)。

(安東弘樹)あとは、まあ、祖父が弁護士をやっていたので。離婚して母親がまあ、自分の実家に行ったわけです。最初は割と裕福で。家も大きいんですね。

(吉田豪)おじいちゃんがね、弁護士で。

(安東弘樹)で、その後に祖父が亡くなりまして。1年後に。

(吉田豪)またおじいちゃんも結構アグレッシブな人で。アグレッシブな活動をしていた方だったんですよね。

(安東弘樹)まあ、アグレッシブというか、そうですね。割とこう、子供にいっぱい何かを残すとか、そういうこともなく。遺産相続のいろいろトラブルなんかも随分弁護士で知っているので。あまりそういう現金とか、資産的なものは残さず。家はもちろん、相続税とか分ぐらいは残していたんですけど。簡単に言うと、現金収入がない。祖母の年金のみの大きい家に住んでいたんです。

(玉袋筋太郎)ああー。

(吉田豪)だから、周りから見ると金持ちだと思われているけど、全くないっていう。

(安東弘樹)そこがだから、僕が精神的に追い詰められなかったひとつの理由が、家が大きかったっていうのがすごく大きいと思います。

(吉田豪)まあ、住むところはとりあえず確保されていたっていう。

(安東弘樹)そこは大きいですね。

(玉袋筋太郎)でも、実入りがなかったと。

(安東弘樹)そういうことですね。

(玉袋筋太郎)アルバイトは何をやったんですか?

(安東弘樹)中学はやってないですね。高校時代はカマボコ工場の夜のバイトとか、OA・オフィス家具メーカーの集配所のトラックの運転手さんの隣に乗って、その場所でいろいろ手伝う。そういった肉体労働です。全部。

(吉田豪)そこでまた、相当なルサンチマンというかね。世の中に対する憎しみが芽生えていく。

(玉袋筋太郎)憎しみ。いつか復讐してやると。

(安東弘樹)もう、汚い大人たちに対する憎しみというか。

(吉田豪)はいはい(笑)。

(安東弘樹)いまだに、僕、48才でも大人が嫌いだっていう。

(吉田・玉袋)(笑)

(玉袋筋太郎)永遠の少年ですね(笑)。

(吉田豪)当時の、要は社員の工場長とかに対する怒りがあるんですよね。

(安東弘樹)はいはい。そうなんですよ。まあちょっと嫌だった。いわゆるバブルだったんで。

(玉袋筋太郎)でもある意味、あれだよね。西村賢太先生も同い年だけど。『苦役列車』には乗っていたってことですね?

(吉田豪)乗っているようには見えてないけど。

(玉袋筋太郎)超特急に見えるんだけど、苦役列車だったんすね。

(安東弘樹)西村先生ほどではないですけど(笑)。やっぱり家が大きかったっていうのが、そこが大きい。

(玉袋筋太郎)ああー、そっかそっか。

(吉田豪)ただまあ、憎しみみたいな部分は同じという。

(安東弘樹)社会に対する怒りは。

(吉田豪)社員が「ボーナス200万超えちゃって、何に使っていいんだかわかんないんだよね」って言うたびに、「この工場長は人間じゃねえよ!」って言っているような(笑)。

(安東弘樹)あのね、いろんな僕ら学生アルバイトとか、地方から来ている方がね、そこのいわゆる部屋で、控室みたいなのがあったんですよ。そこにたぶん3、40人。狭い控室にね、缶コーヒーとかを飲みながら。そこにわざわざ社員の工場長が来て。バブルだったんで。「いやー、今回のボーナス、200万超えちゃってさ。何に使ったらいい?」って聞くわけですよ。そういう、アルバイトの人たちに。控室で。「ぜってーこういう大人にはならねえ!」って思いました。

(吉田・玉袋)(笑)

(安東弘樹)「お前はたぶん幸せにはなれんぞ」と思いながら……

(吉田・玉袋)(笑)

(安東弘樹)でもそれは本当に……っていうか、逆にびっくりしたんです。こんな人が、世の中にいるんだっていう。

(吉田豪)こういうのが会社員だっていう?

(安東弘樹)そうなんです。で、どっちが人間的に……って思うと、こんな程度の人間って言ったら失礼ですけど。が、こんな処遇を受けられるのは日本社会、おかしいなって思ったんですよ。

(吉田豪)「こんなバブル、絶対に壊れる」とその時点で思うわけですね。トラック運転手の時もそういうような憎しみが常に。

(安東弘樹)まあ、やっていたトラック運転手さんはすごいいい人なんですけど。その方は本当に素晴らしい人だったんですけど。

(吉田豪)やっぱり正社員がひどかったんですね。

(安東弘樹)いや、その方も正社員だったんですけど。一線で働いている、ちゃんと実際に現場で働いている方は素晴らしいなと思うんですけど。

(玉袋筋太郎)でも、勉強はできたわけですよね?

(安東弘樹)でもね、僕、本当に折にふれ言っているんですけど。5段階で言うと、オール4の人生なんですよ。だから10段階で言うと、8か9まで。10を1個も取れていないんですよ。5段階で5が取れない。だから、まあ中途半端って言ったら変ですけど。まあだから、できたっていう認識はないんですよ。

(玉袋筋太郎)でも、平均的にはいいんでしょ?

(安東弘樹)まあまあ、そうですよね。

(玉袋筋太郎)俺なんか2だったから。1と2だもん。

(吉田豪)(笑)。まあ、だから成城大学に入れるぐらいの学力はあるけども。ただし、そこでも奨学金9万5千円をもらい、そこからひたすらバイトっていう。

(安東弘樹)そうですね。

(吉田豪)そして、弓道部もやって。毎日2、3時間睡眠時間っていう。

(安東弘樹)そうですね。

(玉袋筋太郎)アナウンサーを意識したのはだいたいどれぐらいなんですか?

(吉田豪)意識してたんですか?

(安東弘樹)もともとメディアの怖さを小学校6年生ぐらいで……

マスコミを志望した理由

(吉田豪)「メディアの怖さ」。始まりましたよ! いま、その3に入りましたけどね。マスコミを目指した理由に衝撃を受けたんですよ。安東さん。

(安東弘樹)あの、いわゆる太平洋戦争中にラジオも新聞もそうですけど。嘘のね、大本営発表を国民が鵜呑みにして。メディア側がそうさせたんですけど。それによって、戦争の悲惨な、どんどんどんどん悪い状況にはまっていったっていうことを知って、これはメディアにいないとマズいなっていう意識は割と小さいころからあって。

(吉田豪)「俺が中に入ってなんとかしないと」っていう。

(安東弘樹)で、一般職全部落ちたんです。アナウンサーでしか受からなかったっていうのが。

(吉田豪)しかも、アナウンス学校も行ったことがないし、OB訪問もしてないんですよね?

(安東弘樹)そうです。あるのも知らなかったです。そんなものがあるのも。

(玉袋筋太郎)一般の会社も受けたんすか?

(安東弘樹)まあ、車が好きなので。車の某メーカーも受けて。まあ、当時バブルだったんで、まあ内定っていうんですかね? いただくような状況もあったんですけど。でもやっぱり、メディアにいないと怖いなっていうのはあって。もうだって、わかんないじゃないですか。なんにもわかんないじゃないですか。まあ、いまで言うとテレビね。当時のラジオ、新聞しか情報は得られないんで。ネットもないし。

(玉袋筋太郎)ネット、ないや。

(安東弘樹)しかも、ネットがあっても本当のことが入ってくるかはわからないんで。メディアには入っておかないとっていうのはありましたね。

(吉田豪)だから、新入社員の時点でおかしいんですよ。新入社員の時のインタビューを発掘して見たら、「局の雰囲気は?」っていう質問に、「ちょっと硬直している気がします」っていうね。新入社員の発言じゃないんですよ(笑)。

(安東弘樹)なんなんでしょうね? まあでも、思ったことは言ってしまうんですね。だから、女性も褒めるんですけど。

(吉田・玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)でも、「TBSに入社後は嫌なことばっかりだった」って言ってましたよね?

(安東弘樹)(笑)。「嫌なことばっかり」というか、さっきも言ったお金の話とか、いわゆるそのTBS自体がというよりも、本当に社会が。当時の世の中が、「なんでこんな大人はみんな浮かれて……なんだろう?」っていうのはもう、本当に気味が悪かったです。実体のない好景気というか。

(吉田豪)「利益が上がればいい」みたいな感じの流れに対する不満が高まり……

(安東弘樹)本当に嫌でしたね。

(玉袋筋太郎)ああ、数字至上主義的な。

(吉田豪)でも、全く見えてなかったじゃないですか。そういう人には(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。イメージとしてはね、やっぱりバブルで遊んでるなとかさ。そういうイメージしかないんですよ。僕ら。

(安東弘樹)バブルの時はいちばんね、まあアルバイトもやっていて。91年入社なんで。89年、90年は非常にハードにバイトもやっていた時期なんで。その時の、ある工場の工場長の話もその時代で。本当に、「おかしいな、いまの日本」っていうのはずっと。「絶対にこんなのは持たないぞ!」って思ってましたね。

(玉袋筋太郎)憂国の士ですな。

(吉田豪)会社に入ってからも、波風をいろいろ立てているっぽいじゃないですか。

(玉袋筋太郎)これはなんですか? なにを立てちゃったの?

(安東弘樹)だからこう、なんて言ったらいいですかね? 保身で嘘をつく人とか。あと、自分の責任を後輩のせいにするとか。

(吉田豪)これ、会社に流れているやつですよね? 大丈夫ですよね? これね(笑)。

(安東弘樹)それがとにかくもう、うちの会社だけじゃなくて、全体として嫌なんです。「なんで自分が守るべき相手に対してそんな、陥れるようなことをするのか? 不利なようなことをするのか? なぜ!?」って思うんですよ。

(吉田豪)たまに部会で爆発するっていうのがね。

(安東弘樹)部会はまあ……これはもう、でも本当に暴言を吐いてしまったりとか。それも、全く嘘をつかれたりとかしたんですけど。これも、何回も言うことじゃないんであんまり……

(吉田豪)まあね、言葉をソフトにしますと、殺害宣告みたいなことを(笑)。

(安東弘樹)でもね、なんで嘘をつくのかな?っていうのが。

(吉田豪)そこに怒るわけですね。どうしても。

(安東弘樹)そうなんですよね。

(吉田豪)これは、言っていいんですか? 某アナウンサーの先輩が「アクセサリーをつけるな」って言ってきた話っていうのは?

(安東弘樹)ああー、まあこれはもう……(笑)。もう先輩も退職もされているからな。

(玉袋筋太郎)じゃあ、いいじゃないですか。そうなんすか? アクセサリーをつけるなと。

(安東弘樹)ああ、なんかこう、つけていたのに引っ張られたんですよ。後ろから、ガーンって。ある先輩に。で、なんだ?って前を見たら、僕の顔を見たその先輩が「似合ってるな」って言ったんですよ。でも他の、僕みたいな人間じゃない場合はものすごく怒る先輩なんですけど。僕はだから、こういうタイプっていうのがわかったのか、わかりませんよ。その真意は。急に「似合ってるな」って言われた時に、「もうこういう大人は本当に嫌だな!」って思って。

(吉田・玉袋)(爆笑)

(安東弘樹)本当にそれが嫌だと思うんだったら、相手が誰であれ、格闘家であれ、「ふざけんな!」って言えばいいじゃないですか。その相手によって変えるとか……

(吉田豪)ドーベルマン刑事スイッチが入った(笑)。

(安東弘樹)そういうのが本当に嫌なんですよ!

(玉袋筋太郎)いや、誠実。まっすぐな男ですね!

(吉田豪)まっすぐですよ。

(安東弘樹)まっすぐじゃない。まっすぐじゃないんですよ。幼少期のたぶん、たまたまそういうコンセプトが、マグマのように生まれた。全然、正義とかではないんですけど。感情なんですけど。単なる。

(吉田豪)いや、正義のハートはあるんですけど、正義が行きすぎる感じが面白いんですよ。

(安東弘樹)その方向性が嫌だっていうだけです。正義とは思っていないんです。たまたま僕はその方向性が嫌いだっていう。

(吉田豪)「許せねえ!」っていうね。

(安東弘樹)正義ではないんです。本当にそう思う。

(吉田豪)なるほど。ちょっと間違った気がする(笑)。

(玉袋筋太郎)さあ、その4ですね。モテた実感ゼロ。

モテた実感はゼロ

(吉田豪)さっきも言われてましたね。「モテた実感はない」って。

(玉袋筋太郎)ないんですね。そういうのはね。告白されたいっていう。

(吉田豪)「バレンタインの告白チョコをもらったりとか、女子から告白をされることが夢だ」って言ってましたね。

(安東弘樹)夢です。夢です。いわゆる義理チョコというものは、この仕事もありまして、たくさんいただいて。学生時代もたくさんいただいて。

(吉田豪)だって、他の学校にファンクラブがあったりとか。高校のミスターコンテストで一位になったりとか。

(安東弘樹)それは後で知ったんです。まあ、ミスターコンテストはもちろん知っていましたけど、他の学校のは全く知らなかったですし。「言ってくれればいいのに」っていう感じで、全く僕の耳には入ってこなかったですし。さっきも言いましたけども、卒業式のボタンは誰も取りに来てくれないし。あれは結構ヘコみましたね。友達がみんな、なくなっていくんですよ。第2ボタンならずとも。そんな中で私、全部。しかも、期待してましたからね。ちょっと。

(吉田豪)(笑)。まあ、一位ですからね。普通、なんかあるだろうと。

(安東弘樹)期待するじゃないですか。あの絶望感っていうのはいまだに忘れられないですね。ちょっとしたトラウマで。

(吉田豪)アナウンサーになってもね、ファンレターをもらっていたけど、結婚した途端にゼロになったりとか。

(安東弘樹)そんなのもありましたね。

(吉田豪)ただ、ファンレターをもらっていた人気の時期、あるわけじゃないですか。『王様のブランチ』が始まった時に駅で大変な事になったとか。

(安東弘樹)ああー、まあそうですね。たまたま。でも、それもあまりいい思い出ではないっていうか。

(吉田豪)女子高生に声をかけられて、ホームがパニックになったわけですよね。

(安東弘樹)その時にそばにいた男性が「チッ、こんなところ歩いてるんじゃねえよ」って言われたりとか。「お前、それ喜んでるんじゃないの?」とか言われてしまったんです。

(吉田豪)「こんなことになるから、電車なんかに乗るから」って。

(玉袋筋太郎)言われて、またスイッチが入ったんですね。「この野郎、この大人!」と。

(安東弘樹)いや、でもそれは迷惑をかけたのはしょうがないんで、なんとも言えないんです。その人に対しては。でも、「ああ、なんか辛いな」と思いまして。

(吉田豪)「辛いな」(笑)。

(玉袋筋太郎)最高だね!

(吉田豪)やっぱりね、不平不満の渦巻き方が本当に素晴らしいと思うんでね。

(安東弘樹)それはあります。たしかにね。

(玉袋筋太郎)この「口は災いの元。でも言わないメディアよりマシだ」っていう。このタイトルが、その5で全て安東さんを物語ってますよ。

口は災いの元。でも言わないメディアよりマシ

(吉田豪)全て、このハートですよね。「余計なことは言うけれども、言わないよりはいい。言っておこう」っていう。

(安東弘樹)それで本当に災いになったこともありますけどね。

(吉田豪)僕のインタビューで怒られた説っていうのはちょっと小耳に挟んだんですけど。大丈夫でした?

(安東弘樹)いや、正直この『人間コク宝』ね、いわゆるサブカル本じゃないですか。だからみなさん、多くの人が手に取ることはないのかな? と思っていたら、これ、ずっと一位でしたよね? 売り上げランキングで(笑)。

(吉田豪)そうですね。『王様のブランチ』で紹介されてましたもんね(笑)。

(安東弘樹)俺、びっくりして。

(吉田・玉袋)(爆笑)

(吉田豪)『王様のブランチ』で写真が紹介されて。

(安東弘樹)「こんなにメジャー? あれっ!?」って。ちょっと正直、大丈夫かと思いましたけど。「豪さん、サブカルじゃないじゃん! メインストリームじゃん!」って思って。

(吉田豪)バレないと思ったら。

(安東弘樹)裏切られてましたね(笑)。吉田豪さん、すいません。本当にありがとうございました。次回の登場は5月6日となります。そして、お知らせです。ミスター女子プロレスこと神取忍さんのインタビュー記事が載っている『BUBUKA5月号』。木下百花さんを取材した『SPA!4月5日号』が絶賛発売中です。

(吉田豪)はいはい。

(安東弘樹)また4月10日にイースト・プレスから発売される文庫本『須藤元気のつくり方』。こちらに須藤さんとの特別対談が収録されています。ぜひ、お手にとってみてください。そしてTOKYO MXの深夜で豪さんの冠番組『吉田豪とハミダシ女』がスタート。放送は4月5日火曜日午前2時から。

(吉田豪)深夜です!

(安東弘樹)ねえ。豪さんがいま気になる女性を招いて徹底インタビュー。予測不能の30分番組。いいですね。初回のゲストは一部でカルト的人気を誇るアイドル、水野しずさんです。

(玉袋筋太郎)その後には、岡本夏生?(笑)。

(吉田豪)いまこそ! タイミング的にはジャストなはずっていう(笑)

(玉袋筋太郎)怖い、怖い(笑)。いろいろ聞いたよ、俺も。MXの人に。

(吉田豪)うわー(笑)。

(安東弘樹)吉田豪さん、次回の登場は5月6日です。ありがとうございました!

(玉袋筋太郎)ありがとうございました。豪ちゃん!

(吉田豪)ありがとうございます!

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/47324

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