宇多丸 映画『それでも夜は明ける』を語る

宇多丸のウィークエンド・シャッフル

宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の映画評論コーナー、ムービーウォッチメンでアカデミー作品賞受賞作品『それでも夜は明ける』について語りました。

それでも夜は明ける(字幕版)

(宇多丸)さあ、それではいってみましょう。『それでも夜は明ける』。私もTOHOシネマズ六本木などでも見てまいりました。もう輸入DVDなんかも出てますしね。また例によって、舐めるように。全シーン解析できるぐらい、舐めるように見てまいりましたが。でですね、アカデミー賞作品賞ということで。アカデミー賞作詞家を取っちゃうと、作品賞取っちゃう作品って、『えっ!?』みたいな。で、後々考えると、なんかちょっとな・・・っていうの、あると思いますけど。僕ね、個々の作品の好みとか、個々の作品に対する映画としての評価は置いておいて、まあアカデミー賞がいまこのタイミングで作品賞を与えるという作品としての意義は、久々に、作品賞らしい作品賞というか。久々に意義深いアカデミー作品賞じゃないかなと、僕個人的には思っております。

あの、作品としての評価、好みは別よ。僕は『ネブラスカ』の方が好き、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の方が好きっていうのはあるんだけど。それ、どういうことか?っていうと、もちろんね、奴隷制度。近代奴隷制度っていうのかな?アメリカ史上というか、人類史上に残る恥部というか暗部というか。に、久々に正面から向かい合った作品だからと。で、まあ昨年度、名前出てましたけどね。『ジャンゴ』、クエンティン・タランティーノの『ジャンゴ』とか、『リンカーン』もそれに入れていいですかね。スピルバーグのね。からの流れ。要は奴隷制度みたいなものを現代のアメリカ映画としてもう1回見直すみたいな流れがいよいよ決定的になったというか。

奴隷制度をテーマにした映画たち

今回の映画は、スタッフとか監督からみると、半分はイギリス映画っていうね、色が強いんですけど。まあまあまあ、そういう流れがあると。で、ともあれ、奴隷制度というテーマ、扱った作品。近年ですと、近年とも言えないけど、一応スピルバーグの『アミスタッド』とかもあったけど、19世紀アメリカ南部で黒人奴隷制度がどういう風に営まれていたか?っていうのを、それこそ観客に嫌悪感を催させるのも厭わず。っていうのは、もちろん実態が本当に、見せれば嫌悪感を味わざるを得ないようなものだからなんだけど。厭わずに、赤裸々にショッキングに暴くという点では、もちろんちょっと不満のある方もいらっしゃるとは思いますが、一応正面から描くという点ではですね、先ほどちょっと名前があがってましたけど、リチャード・フライシャー。先駆的問題作と言っていいでしょうね。75年『マンディンゴ』。これ、町山智浩さん、この番組来て頂いて、ソフト化してほしい作品みたいなので挙げてもらいました。

トラウマ映画のあれにも入ってますけど。いま、もうDVD、IVCから出てますからみなさん、見ていただきたいんですが。マンディンゴであるとか。あるいは、さらにそれに先立つ、これこそ本当先駆的作品。ヤコペッティの超怪作。非常に異様な作品ですけどね。『残酷大陸』。1971年。これ、ございます。映画秘宝アートディレクターの高橋ヨシキさんのオールタイム・ベスト1位に挙げている作品ですね。そしてもちろん1977年。忘れるわけにはいきません。世界的大ヒットテレビドラマ。僕の世代は本当、大ブームでしたね。『ルーツ』。クンタ・キンテ!なんつってね。子どもの頃は意味もわからずに『クンタ・キンテ!』なんつってましたけど。ルーツ。ルーツはさ、たとえばマンディンゴなんかに比べるとソフト版で・・・みたいなことを言われますけど。やっぱりこれがあって、その黒人奴隷制度の実態みたいなのを初めて知ったっていう人が世界中にいるわけですから、この作品が果たした功績の大きさっていうのは計り知れないと思いますけど。

ルーツ、素晴らしい作品だと思いますよ。僕もDVDボックスで何度も見返しております。ルーツ。という、それらの勇気ある作品群って言っていいでしょう。70年代とかだったらね。の系譜に直接連なる久々の一作だと思うんです。要するに、背景としてとか、ちょっと一部出てくるとかじゃなくて、まさにそれが題材っていうね。南部の奴隷制が題材っていう今回の『12 Years a Slave』。しかもそれが黒人監督の手で、しかもアカデミー作品賞。黒人監督による作品賞は史上初ということなんで。それでも非常に歴史的に意義深い作品賞だっていうのはありますと。これ、マンディンゴとか残酷大陸はね、実際作品の質としてそういう部分もあるんだけど、ゲテモノ扱いされざるを得なかった時代。そして『風と共に去りぬ』は揺るぎない名作ですよっていう時代からすると、非常に隔世の感があるなということでございます。

僕はいいことだとすごく思っておりますが。監督スティーブ・マックイーンさん。黒人監督。これ、もちろん黒人監督ですから、改めて言うまでもないんですけど。今日、何度もスティーブ・マックイーンって言いますけど、あの伝説的アクション俳優とは、もちろん同姓同名なだけというね、ことでございます。スティーブ・マックイーンさん。これからたぶんこっちのスティーブ・マックイーンの名前の方が鳴り響いていくっていうことかもしれませんけどね。ひょっとしたらね。イギリスの方。元々はビデオ・インスタレーションのアーティスト。要は映像アート畑の人で。元々そっちの方でぜんぜん高く評価されてきた人なんですよね。で、2008年に長編映画デビュー。『ハンガー』という映画で長編映画デビュー。

これ、あの日本では実はソフト化されてなくて。あと、普通に一般劇場公開もされていない。東京国際映画祭でやっただけで。なんですけど、みなさん!いま、これ見れます。ギャガがやっている青山シアターっていうオンラインシアターで3月18日まで限定で、ハンガー、日本語訳付きで見れますんで。是非みなさん、この機会にご覧ください!僕はあの、アメリカ盤というか、クライテリオン盤。クライテリオンという会社が出しているブルーレイで持っているんですが。クライテリオンが出している、出し直しているっていうことはつまり世界的はこのハンガー、スティーブ・マックイーンの1作目。すでにクラシック入り決定・認定されているっていうことなんですよね。

『ハンガー』

HUNGER/ハンガー (字幕版)
Posted with Amakuri at 2018.3.27
スティーヴ・マックィーン, エンダ・ウォルシュ

これも実際にあった事件が元で。1981年にIRA。アイルランドの独立活動をしているメンバーが、いわゆるハンガーストライキ。ご飯食べないハンガーストライキ、聞いたことありますね?ハンガーストライキの果てに、本当に餓死するまで。これ、本当にあったことなんですけど。これを赤裸々に。マイケル・ファスベンダーが体を痩せ衰えさせてやっている。まさに、マイケル・ファスベンダー。僕知る前でしたけど、出世作だったということですね。で、同じくマイケル・ファスベンダー主演で2作目の『シェイム』。これが日本では最初の公開作。セックス依存症の話。マイケル・ファスベンダーのおちんちんが見れるよ!なんて。みなさん、行きましたね(笑)。あと、NEWSの加藤シゲアキくんの2012年度年間ベストワンに彼、選ばれたりなんかもしていました。

で、そのハンガーとはシェイムの個々の作品紹介、詳しくやりたいんですけど、時間とてもないんで。ないんですけど、今回の3作目。3作目ですよ!それでも夜は明ける。までですね、一貫したスティーブ・マックイーン監督の作風っつーのが割とはっきりとありましてですね。それは、今回のそれでも夜は明ける。奴隷制度っていう題材の重さみたいなのばっかり話題になりますけど、実はその題材の重さに負けないぐらい、スティーブ・マックイーン監督の作風っていうのが本作、重要な要素なので。最初にざっくり、どういうものなのか?っていうのを紹介しておきますと。

まず、これもう見た方なら納得できると思いますけど。まず、状況説明などは素っ気ない字幕処理などで極力、最小限まで削ぎ落としたスタイル。で、まさに今回、そうなんですけど、いきなり進行中の状況まっただ中。お話としては思いっきり途中から、何の説明もなく映画が始まったりするという。あるいはですね、これまた特に親切な説明とかないまま、パッと時間が、ジャンプカットで飛んで。そういう大胆な省略話法。これがスティーブ・マックイーン、非常に特徴的だと。あるいは時制をあえて前後させて、わざと見るものに状況を混乱させて。見るものにいきなり状況を飲み込ませないっていう手のよく使う。だから映画見て最初の10何分ぐらいは、なんなんだかよくわかんないんだけど?って。

それはわざとそういうことをやったりする。あるいはですね、極端なクローズアップ。なんか映されているものが、たとえば人の体であっても、なんかモノ化するというか。映されている物とかの本質がむき出しにしてしまうような。ちょっと暴力的なものさえ感じるような極端なクローズアップとかもトレードマーク。かと思えば、すごくシンボリックに作りこまれた構図の引きのショット。これ、非常に効果的にポン!と放り込んできたりなんかする。そんなのも得意だったりする。要は、画作り自体は非常に、ちょっとこれバカっぽい表現で申し訳ないですけど、画作りは非常にアートっぽい。やっぱりすごい美的な感覚にあふれた画作りをすると。で、シーンによっては、これでもか!というばかりに超長回し。ながーい長回し。ワンショットを続けたりもする。

たとえばハンガーで言うと、いわゆるダーティープロテスト。壁に自分の糞尿を塗りつけてっていう抗議行動。で、要するに牢獄の廊下からドアごとにバーッと糞尿のあれが出てくる。それを、廊下を掃除夫が掃除する。それをなんの説明もなく、延々それを映し続けたりとか。あるいは、ほとんどセリフがない。ハンガーはあんまりセリフがない映画なんだけど、途中15分ぐらい、マイケル・ファスベンダー演じるIRAのメンバーが神父と議論をするんですけど。その場面がずーっと延々15分ぐらい長回しで続くと。まあ、シェイムでもね、一応ちょっとカットは割れるけど、キャリー・マリガンが歌を歌う場面。この兄弟、なにかただならぬ過去をもっているぞ!?みたいな。あれを暗示する歌と、それを聞くファスベンダーのあのくだりのながーい感じとかね。キャリー・マリガンなんかどアップのまま。ながーいあのショットであるとか。まあ、そういうのが非常にトレードマークだったりする。

要はこういうことですよ。言葉的なその説明。言語的な説明っていうのを極力排して、観客が直接、たとえば痛みであるとか。今回で言えばまさに痛みですよね。痛い!みたいな感じをなんて言うのかな?あるいは、お腹すいたでもいいんですけど。自由への渇望とかでもいいですけど、とにかくそういう痛みとか、なんか感覚的なものを直接、体感させられるような。いわゆる身体感覚っていうんですかね?身体感覚的な表現っていのが突出している作家っていう。だから要はビデオ・インスタレーションって言いましたけど、言葉じゃなくて、映像表現とかで感覚的にウッと。生理的にウィッとさせるような。そういう表現が非常に得意。

特に1作目のハンガーはビデオ・インスタレーション作家的な資質がすごい出ている作品なんで。是非見ていただきたい。非常に面白かったです。こちらもね。で、もちろん監督だけじゃなくて、撮影。今回、ずっと一緒に組んでいる撮影のショーン・ボビットさんであるとか、編集のジョー・ウォーカーさんとか。そういうチームのカラーもあるとは思うんですけど。で、今回は原作があるわけですね。原作っていうか、実話ですよ。実際の手記ですよね。実際の原作があって、なおかつ初めて他人の脚色であると。これ、脚色もね、アカデミー賞を取りました。ジョン・リドリーさん。少なくとも今回、奴隷制度とか誘拐っていうその件は、割と明快に悪じゃないですか。要するにハンガーとかシェイムに比べると、割と明快にこれは悪いじゃんっていう悪があるし。

で、そっから脱出しなきゃ!したい!っていう、割と明快な出口もある。物語的な出口もある分、これまでの2作に比べればかなりわかりやすい。この言い方、語弊があるかもしれないけど、かなり普通の映画に近い作りにはなっているとは言えると思うんだけど。同時にですね、元々の本物にね。実在した人物ですから。ソロモン・ノーサップさんが1853年に出版した元の手記。12年奴隷としてと。これ、日本語訳が出てなくて。これからようやく出るらしいです。慌てて出すらしいっぽい感じ。英語版とかだったらKindleとかで非常に安く。97円とかで手に入りますけど。それと読み比べてみればですね、今回の映画版が、もちろん原作に書かれた事実。原作が非常に実際にあったことに正確に書かれているっていうのは証明済みなんですけど。

原作に書かれた事実を踏まえて、しっかり物語にも取り込みつつ、ここが本当にジョン・リドリーさん。アカデミー脚色賞を取った、その手腕が非常に生きてると思うんだけど。なんだけど、原作の流れとか事実、起きたことは踏まえつつも、やっぱりスティーブ・マックイーン監督ならではの、非常に独特な語り口。省略話法であるとか、後ほど詳しく言いますけど。が、すごく色濃く出ている作品なんですよ。っていうのは逆に言うと、仮に他の監督だったら、もっとぜんぜん違う語り方の作品になっているはずなんですよ。もうちょっと、たとえばここをエモーショナルに絶対盛り上げるとか。ここを見せ場にするでしょ!みたいなところを、あえてそうしない作りにしている。だから、ちょっと変わった映画にもなっているということですね。はい。

たとえばですね、もちろんさっきから言っているように冒頭。状況の途中からいきなり始まる作りっていうことになっている。今回もね。普通の監督だったらこんな作りにしてないと思うんだけど。でも、いちいちこれ、言葉で説明しなくてもね。『ここは南部のサトウキビなんとかで、この人たちはなんとかで・・・』って説明しなくても、最初にさ、監督官みたいなのがさ、『サトウキビはこうやって刈るんだよ』って。黒人を、奴隷っていう説明はまだないけど、並べさせて言っていると。そのサトウキビ畑のシーンだけで、圧倒的な上から目線で。要するに、『こんくらいならお前らのようなもんにもわかるだろ?』みたいな感じの態度で単純労働を強いているという。要はその舞台となる、当時の南部の産業の構造というか。プランテーションの構造みたいなものを、まず一発で、頭のところでわかるし。

なおかつそれが、教えている監察官が、あんまり口に出したくないですけど、Nワードですよ。N-I-G-G-E-Rですよ。Nワードを連発して、『お前らにだってこれだったらわかんだろ?』って連発してるところからわかるように、明らかにそれは、その産業構造は強固な人種偏見がベースになっているという、この作品でいちばん重要な世界観みたいなものが、もう最短距離で、しかもさり気なく伝わっていると。で、なおかつですね、その後主人公が、筆記具も容易に手にできない状況なんだ、囚われに近い状況なんだろうな、とかさ。あるいは、本来のパートナーはどっか他所にいて。切り離された不本意な生活を強いられているんだなってこうことがね。隣に女が迫ってくるんだけどっていうのと、その後に来る、要するに過去に時制が戻って奥さんとベッドで寝ている図が非常に対照的なまず構図ね。

最初の女が言い寄ってくるところは暗闇で。構図的には上からカメラ撮ってるんだけど、構図的には女が上で、まるでノーサップが圧迫されるような構図になっているんだけど。それがパッと変わると、時制が戻ると、奥さんと完全にシンメトリーに。つまり対等な感じで明るいロウソクの光に包まれてっていう。これだけで、『あ、主人公が本来いるべきパートナーとかとも切り離されてるんだな』みたいなのが一切の言語的な説明ではなく、映像的に伝わってくるという作りになっている。これはもう、スティーブ・マックイーンっていう感じですよね。はい。で、そっからタイトルが出て、改めて時制が元に戻るわけですけど。そこにはマックイーン監督十八番の超クローズアップ。バイオリンの超クローズアップとかも入ってくるんですけど。この12 Years a Slave、12年奴隷としてと、この作品最大の特徴は、主人公が演じているキウェテル・イジョフォーさん。アミスタッドのね、通訳役だよね。あれね。通訳とかしてる人ですよね。

まあいいんだけど、主人公が元は完全に西欧的自由市民として生まれ育っている。つまり現代の大多数の観客が感情移入しやすい立場っていうのが、たとえばマンディンゴであるとか残酷大陸であるとかルーツとかと、かなり違うあたりと。だからこそ、当時実際に多発していたという自由黒人誘拐事件。要するに奴隷の輸入が禁じられたから、国内で誘拐して連れてきて奴隷にしちゃうっていう事件がいっぱいあったというんだけど。その体験が要は非常に感情移入しやすい立場の主人公なので、普遍的なものとして感じられるという。これは題材選びの勝利ということじゃないでしょうかね。

それまでの普通の生活とのギャップ

で、ちょっと前まで俺、普通に暮らしてたんだけどな・・・っていうこのギャップは特に前半、繰り返しちょっと残酷に強調されるという作りになっておりますと。で、その主人公のソロモン・ノーサップさんがですね、まんまと罠にはまっていくわけですけど。そのプロセス。やっぱりスティーブ・マックイーン監督ならではの大胆な省略。時制の前後みたいなのって要は、主人公は事態がよく飲み込めないまま、あれよあれよと、あっという間に気がつくと酷い場所に着いているという感覚を。要するにソロモンが味わったであろう感覚を我々が追体験させられるような。そういう独特の話法になっていると。あと、またここぞというところに長回しワンショットが入る。今回もここぞというところ、何ヶ所かに入るんですけど。

まずは囚われの身になったところで、ガッと強制的にひざまずかせて、板叩きは始まる。『お前は奴隷だ!奴隷だろうが!奴隷だろうが!』。要するにソロモンのアイデンティティーを暴力的に、力づくで剥奪しようというかのごとく、板を叩く。折れるまで叩く。そのままワンカットでさらにムチ打ちが続く。あれ、後半に出てくる延々と続く長回しワンショットでムチ打ちシーン、出てきますけど。あそこもそうだけど、これ、本当に叩いているようにしか見えない。っていうか、本当に叩いてるよね?って。なんか痛くないようにしてるんでしょうけど。ものすごい迫力だと。まあこういう風に、観客が『痛い痛い!』と。観客も痛い。言葉的な情緒じゃなくて、痛み。身体感覚に直接訴えかけてくるような表現。これもスティーブ・マックイーンの真骨頂という感じじゃないでしょうかね。

でね、鉄格子ごしに『助けて!』っていうその声が虚しくワシントンの空に飲み込まれていくっていう残酷な、絶望的なクレーンショット。クレーンがグーッと上がっていくと、向こうにワシントンの連邦議会議事堂が見えるというこの皮肉も非常に効いてますしね。で、その後もね、スティーブ・マックイーン的なタッチはいっぱい続くわけです。たとえばニューオリンズに運ばれていく船。船のあの推進機関のガーッと回るプロペラっていうのかな?あれと波のどアップ、音楽がドッドッドッ!っていうあのビートと相まって。なんて言うのかな?巨大な機械が動いている様子が、なにか動き出してしまって止められないシステムが作動してしまっている感じみたいな。絶望感を増したりとかですね。

あるいは、ここは非常にマンディンゴとか残酷大陸とかに通じる描写ですけど、ポール・ジアマッティ演じる奴隷商人がですね、もう完全に黒人たちを本当に、本気で家畜としか思っていない。周りの白人たちも本当に家畜としか思っていない、あのやだみ。みたいなの。どんどんどんどん絶望が深まっていくという。で、上手いなと思うのはですね、たとえば、結局主人公はベネディクト・カンバーバッチ演じるフォードさんっていう、一見比較的良心的に見える風な男。ご主人様の家に。まあ、優しいは優しいんですよ。連れて行かれる。で、まあそこにはポール・ダノ演じる大工。ティビーツっていうあれがいて、こいつが非常に感じが悪いっていうのがあるんだけど。

そこでポール・ダノがおどけてね、『Run,Nigger,Run!』ってね。『逃げろや逃げろ』みたいに。ちょっと感じ悪い、差別的なね、ニュアンスを込めた脅しの歌をね、おどけながら歌う。手拍子しろ!っつって。それが、歌が流れたまま、木材を伐採するという労働の様子が流れて、さらにその歌が流れたまま、要するにポール・ダノの歌う、レイシスト丸出しな歌に重なって、さっき言った一見、非常に良心的な旦那風であるところのフォードさんがみんなを集めて聖書の朗読会を開いてるんだけど。ポール・ダノの歌が重なったまま、そのシーンに行くと。ちょっと重なってるわけです。朗読と、そのレイシズムな歌が。こういう似たような編集は、実は直後のもう1回繰り返されて。

ソロモンと一緒に買われていったイライザっていう女性がいる。彼女は子どもと引き離されて、もう嘆き通しなわけですよ。で、フォードさんは一見、良心的に『かわいそうだと思わないのか?』って言うんだけど、『まあ、仕方ないか』みたいなことを言って。奥さんは奥さんで、『かわいそうね』みたいな態度をするんだけど、『まあ忘れなさい』なんつって。犬猫じゃねーぞ!っていう話なんだけど、そういう態度を取られて嘆き通し。で、ソロモンは、『フォードさんはいい人だよ。この時代状況の中ではいい人だ』ってフォローをするんだけど、イライザは『そんなのは表面的なもんだ。あんたの素性を本当は気づいてたって、見て見ぬふりをしてるだけなのよ。だから私、泣かせて!泣かせて!』っつって、イライザが泣く。その泣く声に重ねて、またフォードの聖書朗読会に編集を重ねるわけですよ。

つまりこれによって、フォードさんはいい人風かもしれない。善人風だけど、その善人っぷりの中の根底には、本質的にはやっぱり欺瞞があるんだと。その奴隷制度を容認して、利用している欺瞞があるんだっていうの、非常に映画的に暗示しているという。非常に見事な編集の流れじゃないかと思うんですけどね。で、こういう風にですね、フォードさん然りなんですけど、一瞬その人が救いの神に見えても、所詮はさっきから言っている時代環境にとらわれた視野しか持っていない当時の南部の白人なのだという。そういう要するに、一旦期待するんだけど、『うわっ、やっぱこいつ、似たようなもんだ』っていうこの失望の構図はこの後も何回も何回も繰り返される。

たとえばもちろん、先ほどからね、話題にも出ておりましたソロモンさんがですね、リンチに遭いかけて。で、チェイピンというね、監督官が来て、止めるんだけど。『あ、助けてくれた!救いの神だ!』って思うんだけど、その吊られかけて、つま先立ちで吊られたまま、放置!?っていう名場面がある。そのまま長時間放置されるという場面。これはまあ、本作の中でも誰もが印象に残る白眉なシーン。ひとつだと思うんですけど。そこはまさに、救いの神!って思ったら、いやそんなことはない。同じだという。で、ここね、長い長い引きのショットの積み重ね。非常に美しいショットなんですよね。積み重ねで、のどかな日常風景との対比。その残酷さ。本当見ればわかるし、誰もが言及するあたりでしょうからこれ以上は言いませんけど。是非これ実際見ていただきたい。素晴らしいショットの連なりだと思います。

その後、ようやくご主人様、フォードが『待ってろよ、フラット!』。フラットっていう名前つけられている。『フラット、待ってろよ!』と慌てて助けに来てくれる。さすがフォードさんは違う!フォードさんは本当に俺のことを思ってくれてる!って思うんだけど、まずその後の会話から浮かび上がる、彼の限界。結局彼は南部の金持ち白人にすぎない。会話から浮かび上がるっていうのは後からあるんだけど、その前に弱っているフラットことソロモンを介抱してくれるのか知んないけど、床に枕ひいて寝かせるわけですよ。このちぐはぐさですよね。枕は一応ひく程度の親切さはあるけど、でも床!っていう。ここにもフォードという男のさ、ハンパ感っていうのがさ、現れてるなっていう感じだと思います。

で、しかもここでさ、会話の中から結局、あんたもね、他の白人と同じかって。内心はそれが言いたいんだけど、それをたとえばセリフで言ったり、これ見よがしのショットで示すんじゃなくて、ソロモンが天井を眺めている。このショットをちょっと長めに撮ることで、ソロモンの深い失望みたいなものを表現している。このさり気なさ。スティーブ・マックイーン節じゃないですか?で、まあそっから舞台はマイケル・ファスベンダー演じるエップスというやつの家に行く。こいつは、非常に小心者なくせに、だからこそハードなレイシストでサディストという。本作の中でいちばんわかりやすい悪役の1人なのは間違いないんだけど。たとえば彼がですね、お気に入りの女性の奴隷。パッツィーさんというね。これ、だからさっき言ったルピタ・ニョンゴさんですよ。賞を取ったニョンゴさんが演じるパッツィーに夜這いをかけるシーンがあるわけですね。

で、その夜這いで、本当にね、グッと来てる。少なくとも性欲は感じてグッと来て、やってるんだろうけど。ことが終わった途端、なんかウウッ!みたいになって、わけわかんなくなってビンタみたいなのをする。要は彼自身、自らの欲望とか、言っちゃえば人間的な気持ちみたいなものを、どう捉えていいのかわからず。たとえば『黒人奴隷の女に俺、本当に気持ちが・・・うーん!ダメダメ!』みたいな。なんかそういう、彼自身が自分の気持ちをコントロールできていない、混乱しているっていう様が描かれる。あるいはその、この奥さんがパッツィーという女奴隷にちょっとジェラシーを抱いて危害を加える場面。何ヶ所かある。たとえば酒瓶をゴーン!っていう。あれ、本作中でもいちばんギョッとする場面。音がすごいんだよね。ゴツーン!っていう音がする。で、口論になって。

『この女、売って!』って。『売らねーよ!これ売るぐらいだったら、オメーを捨てるわ』って。そんな会話がある。でも、してる会話は寒々しいんだけど、奥さんの顔はスッと優しく触るみたいな。このちょっと相反する動きをする。これ、スティーブ・マックイーンがこういう演出をつけたらしいんですよ。口論はするけど、優しくしてやれみたいな。という、この人物の中にちょっとヒダというか。厚みを見せる演出みたいなの。いいんじゃないでしょうかね。全体に、まあ奴隷制度支持者。レイシスト。人種差別主義者たち。南部の白人たちは、もちろん悪として描かれるんだけど、強大な、強固な悪というよりは、彼らはその弱さゆえにそこに逃げ込んでいるっていうバランスで本作は描かれている。これは特徴でもあるし、はっきり言って現代的なところだと思う。

レイシストの本質

レイシストっていうのは弱いからなるんだっていう本質を描いていると思うんですね。これはまさにちょっと通じるところだと思いますよ。いろんなことにね。で、ちなみにですね、先ほども触れた超長回しのムチ打ちシーン。ここははっきり言ってさっきのつま先立ち吊りシーン同様、みんな言及しまくるだろうから、ここはあえて飛ばす。っていうか本当は全シーン解析したいけど、あえて飛ばして。その後のシーン、ちょっと言うならばですね、ソロモンがですね、結局いろいろ絶望して。最悪だと。この暮らし。で、前のフォード旦那からもらったバイオリンを破壊してしまうというシーンがあるわけですよ。で、ここ、ちょっと前のシーンでゴスペルで『ヨルダン川よ流れろ』。出てきます。あれで高まっていく。音楽で心を鼓舞していくっていうシーンがありますよね。

そことの対比で考えれば、音楽的な歴史で見るならさ、白人的なものへの三行半っていう風にもちょっと取れたりするけど。ちょっとそれは置いておいて。ここね。彼の好きな音楽が救いになるってところで、いちばん生活の糧でもあるし、彼の、元々自由人だった時代の名残でもある。で、家族の名前も彫ってたりして。を、絶望して壊しちゃうっていうのはさ、要は考えてほしいんだけど。ここ、普通の映画だったらここをものすごくエモーショナルに絶対盛り上げるところだよね。こうやって直してって、ピーン!って弦が切れて。音楽が盛り上がって、NO!っつってさ。ガン!ガン!って。絶対やるじゃん。これ。っていうか、普通に、やれよ!って思うじゃん?

ところがスティーブ・マックイーンはここを割とあっさりしたジャンプカットで、パッとカットが変わるともうバイオリンは壊れてる。で、それを見ているソロモンの後頭部しか映さない。どんな顔をしているかは映さないっていうね。つまり、もはやそういうエモーショナルな高まりとかもない絶望感みたいな感じになるっていうことじゃないですかね。まあ一方では、でも同時に結果的に救世主となるバスという男。ブラッド・ピット演じるバスっていうのが現れて、事態は急速に解決に向かっていくっていうんだけど。これね、わかります。見た人。バスがちょっといい人すぎって思うかもしれません。でも、まずですね、このエップスと、たとえば奴隷制は全く認められない!って議論しますよね。あれとか、間の議論はかなり端折ってるけど、原作通りなんです。

つまり、実際にこのやり取りをしている人が。バスはしてるんです。だから本当にああいういい人なんですよ。いたんです。ああいう人は。っていうのもあるし。あとですね、ここ重要です。ブラピが出演するということが決まったからこそ、お金が集まった映画なんですよ。だからあれは条件なんです。だからブラピがいい役をやってるからって責めるのは、お門違いなんです!はい(笑)。という。あの、ブラピにね、バスに救いのあれを託して。あとは待つばかりなんですけど。そこの時間表現がまた独特で。まあ、できかけだったテラス。最初は木のむき出しだったテラスが、パッとカットが変わると、非常に素っ気ない省略表現で、白い塗装中で。要するに、時間がかなり経過している。これはまだ、らしいけどまだわかるあたりなんだけどね。

僕ね、この次んところが本作でいちばん変わっている演出だなって思うところがありましてですね。恐らくはその、バスがね。バスに救いを託して。で、救いの手をずっと待ち続けている間の、その時期のことなんだけど。ソロモンの表情だけをずーっと映し続ける、ながーいながーいワンショット、ありますよね。ここ、さっきからね、ここぞという時に長回しが出てくるって言ったけど、そのソロモンが吊られるシーンとか、ムチ打ちシーンは臨場感であるとか、残酷さを際立たせているっていう明確な物語上の意味とか意図がはっきりと示されてるじゃないですか。でもそことは、ちょっと本質的に違いますよね。ちょっとよく意味がわからない場面。

ただはっきりとしてるのは、ただ待つしかないというソロモンの不安とか絶望とか期待っていうそのニュアンスが、顔に浮かんでは消えるっていう。それだけの場面。で、実はここね、原作の手記。元々、要はバスにたのんでからニューヨークに伝えが行って、非常に複雑な経緯を経てるんです。実はここは。本当は。なんだけど、これは映画では省略されている。つまり、それを全て、このソロモンの長い表情、そしてショットの異様な長さっていうだけに。この間、いろいろありまして・・・っていうのを託しているということなんですよ。これ、すごく変わった語り口ですよね。

これ、ちょっとなんとなくイメージで言ってるかもしてないけど、能の時間経過表現みたいだよね。こう、カーン!と1個、足踏んだら、それが百里・千里を行ったことになるみたいな。能みたいな、ちょっとすごく抽象的なというか。ちょっと変わった表現をしてるんですよ。これ、他の人、ほぼしない表現だと思うんですよね。なおかつですね、ここもギョッとするんだけど、ずーっとソロモンがね、いろいろ思ってるんでしょう。表情浮かべる途中で、一旦カメラ目線みたいになるんですよ。こっち見るんですよ。たぶん。おそらくね。だと思うんだけど、カメラ目線になるんですよ。

で、ほら、これさ、ウルフ・オブ・ウォールストリートとかそういう映画じゃないからさ、そういうメタ的な語り口が入り込む余地がある映画じゃないじゃん。だからこそ、余計に、えっ!?ってちょっとギョッとするっていうね。こういう演出が入っている。この1点だけとってみても、実は、もちろんいわゆる立派な題材を扱った作品。いい映画ですね!なんだけど、実はかなり変な映画でもあるとは言えると思います。あとはですね、マックイーン監督はですね、ここまで時代背景なりなんなり、説明っていうものを素っ気なく済ますのはもうひとつ、意味があると思う。要は、特異なね。これはこの時代だから、特異な時代背景のせい、で片付けさせないためでもあると思うんですよ。

過去の話ではない

まず、その奴隷とか人身売買は過去の話でもなんでもないですよ。世界的に見れば、ぜんぜん。むしろいまは盛んですよ。そこら中で人身売買やらなにやら。ということ。だから実は奴隷制度は過去のものではないし。そしてレイシズム。いいですか、みなさん。人種差別。あと時代の枠にとらわれてしまった偏狭な思考。恐怖とか不安ゆえの排他主義。そして他者への想像力の欠如。これ、ちょっと僕がオープニングトークで話したことに通じますけど。これ、いまの我々と関係ない話ですか?これ。

宇多丸 推薦図書『九月、東京の路上で』と反レイシズムを語る
宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の中で、関東大震災の朝鮮人虐殺を描いた本『九月、東京の路上で』を映画『それでも夜は明ける』やK DUB SHINEの『物騒な発想(まだ斬る)』と関連付けて話していました。 (宇多丸)今日はもうさっさとね、...

ということを突きつけてくる映画なんですよ。だからこの映画を見て、やれね、『あら、かわいそうね。酷いわね』で済まさないようにと。そして、やっぱり僕は、これはまあイギリス映画、アメリカ資本も入ってるけど、やっぱり白人たちの負の歴史とするならばですよ、西洋の白人たちの。やっぱりこういうさ、自らの負の歴史を正面から見つめる強さっていう。これが強さだよなっていうかさ。目を背けて、美化した歴史に目を向けるっていうのは弱さっていうかさ。だから、こういうことができるから、やっぱりあいつらはすげーよなって思わざるをえないよなっていう作品で。これはいま日本でだってね、じゃあ関東大震災の朝鮮人虐殺の映画をさ、スター使ってできますか?っていう。

そう考えると、僕は頭があがんないです。正直。うん。はっきり言って。という感じだと思います。はい。ということで、みなさん。あれだよ!1週目、興行収入10位とか、ちょっと俺は恥ずかしいよ!(机を叩く)。是非みなさん、この映画ウォッチしていただきたいと思います!

<書き起こしおわり>

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