東京ポッド許可局 『あまちゃん』論

映画評論家 町山智浩 『あまちゃん』を語る 東京ポッド許可局

マキタスポーツさん、サンキュータツオさん、プチ鹿島さんのラジオ番組『東京ポッド許可局』でNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』について熱く語られていました。

(ナレーション)ここは東京のはずれにある事務所、東京ポッド許可局。例によって暇を持て余した局員たち。今日もおしゃべりが止まらないようです。3人が語らっているのは『あまちゃん』論。一体どんな話が飛び出すのやら。ちょっとのぞいてみましょう。

(マキタスポーツ)なんか俺、ずっと愛知の豊橋に仕事で行ってたんですけど、帰ってきたらものすごい盛り上がってるじゃないですか。

(サンキュータツオ)何が?

(マキタスポーツ)あまちゃん。

(サンキュータツオ)あまちゃん!かわいい!能年玲奈、かわいい!

(マキタスポーツ)ちょっと待って。ちょっと待って。

(サンキュータツオ)今日はビーチフラッグだよ!早いもん勝ちだよ!

(マキタスポーツ)俺がちょっと突いただけで、もうこれだけしゃべるの?ちょっと待って。俺さ、全くついて行けてなくて、ものすごい盛り上がっていて、『かわいい』とかさ、『小泉今日子がすごくいい』とかさ。全くついて行けてなくて、かろうじてこの間、一回見たのよ。途中で祭り始まっていて、俺、祭りの途中参加大っ嫌いだから。だけど我慢して見ましたよ。だけどまあ、かわいいし面白いと思うんだけど、そんなになぜ熱くなっているのか、まだ分かんねーんだよ。

(サンキュータツオ)鹿島さん、見てる?

26年ぶりに朝ドラにハマる

(プチ鹿島)あの、NHKの朝の連ドラね、ハマったのはこの間もいいましたけど、1987年以来。古村比呂主演の『チョッちゃん』以来26年ぶりなんですよ。

(サンキュータツオ)ええー!マジで?それまで見てなかったんだ。

(プチ鹿島)これだけ毎日録画までして見てる、チェックしてるのは。だって僕いま、放送のない日曜日が一番寂しいです。やるせない感じですね。

(マキタスポーツ)どんハマりですね。つまり、こういう人にも響いてるっていう。

(プチ鹿島)響いてますよ。

(マキタスポーツ)いや、『みんな!エスパーだよ!』の方がすごいって。

(サンキュータツオ)いや、『みんな!エスパーだよ!』も面白いですよ。『みんな!エスパーだよ!』も面白いですけど。

(マキタスポーツ)ああそう。どこがそんなにすごいのよ?たしかに、能年玲奈、かわいいっすよ。

(サンキュータツオ)だからまず、鹿島さんに聞きたいのよ。

(マキタスポーツ)そうだよ。あなた、何でそんなにハマってんのよ?

(プチ鹿島)まあ、朝の時計代わりっていう感じ・・・

(サンキュータツオ)おじさんかよ!本当におじさんかよ!

(プチ鹿島)最近僕ね、起きてお茶飲みながら見るのがルーティーンに入りましたね。

(マキタスポーツ)ルーティーンに組み込むっていうことは、枠っていうのが、連続テレビ小説っていうのはそういうもんだよね。時報代わり?そういうことだよね。

(サンキュータツオ)またオープニング・テーマが時報っぽいんだよね。

(プチ鹿島)知らずに、あれ、クドカンじゃないですか。宮藤官九郎がやるっていうのは、薄らぼんやり覚えてたけど、『ああそう言えば』って忘れてたんだよ。忘れてて、たまたま見たら面白いなと思って。『ああ、クドカンか。これは腰を落ち着けて見ないと』っていう、そういうことなんですよ。で、能年玲奈ですよね。僕、アイドルとか若手女優とかそこら辺、あまり詳しくないですけど、俺、あの人去年の12月に舞台挨拶で見てるんです。『カラスの親指』っていうね。で、それが阿部寛とか石原さとみとか、あと村上ショージさんとか、いわゆる屈強なキャストに囲まれての舞台挨拶なんですね。で、僕6年ぐらいキャリアあるんですけど、(映画初日の舞台挨拶を)見に行ってる。その6年間の中で最もたどたどしい挨拶でした。

(サンキュータツオ)へぇー!天然モノだね。

能年玲奈のたどたどしい舞台挨拶

(プチ鹿島)そう、そこなんだよ。でも、『天然』っていう言葉では片付けちゃいけない感じの、自然さなんです。『天然』って、もう何かラッピングじゃないですか。私、こういうラベルで『天然』で・・・そういうんじゃないんです。

(サンキュータツオ)原石感ハンパないというか。

(プチ鹿島)そうなんです。だからたどたどしいんだけど、堂々としている。たとえば滑り台から降りるシーンが20回も30回も監督にやらされて、村上ショージさんも初めての映画、準主役ですから、結構監督に怒られる2人だったんだって。で、ショージさんが「僕と玲奈ちゃんはすごく共通項があって、どんなに監督に怒られてもお昼ごはんは美味しそうに食べるんですよね」って言ったら、能年玲奈はそれを受けて、「お昼ごはんはどんなに怒られても美味しいです」って自然に。

(サンキュータツオ)オウム返し。

(プチ鹿島)で、その後、やっとそういうコメントを言えたから、「じゃあ、これに関して能年さん、どうですか?」って司会が振ると、「えっと、あの・・・」で止まっちゃう。で、ショージさんが途中でズッコケたりして。全部、考えてみれば今の『あまちゃん』に通じる・・・

(サンキュータツオ)まあ、その時ぐらいから動き出している・・・

(プチ鹿島)すんごいざわざわしたんですね。『こんな女優さん、いるんだ』って思って。あざとくとか、計算とか、キャラとかじゃなく、普通にたとたどしい。

(マキタスポーツ)ごめんね。俺さ、あの透明感あるじゃない?

(サンキュータツオ)透明感って形容されちゃいますよね。

(マキタスポーツ)あのクリオネ的なのあるじゃないですか。物質としてのクリオネ感がものすごくありますよね。あの系譜ってたとえば広末涼子とかの系譜だと僕は思うんですけど。だけど、広末がたとえばあざとさとしてですよ、『MajiでKoiする5秒前』的な・・・っていうのがたとえば10だとしたら、どのぐらいあざとさが無いんですか?

(プチ鹿島)いや、もうそれ、俺が今まで見たことないレベルかもしれない。

(マキタスポーツ)そんなもんお前、2000年代のこの世の中にいるわけねーじゃん!

(プチ鹿島)あの、もう一回説明するとね、『あまちゃん』っていうのは能年玲奈演じるアキっていう子が、天野アキが、小泉今日子が母親なんですよ。で、田舎が町おこしとかしたくて、その一環で小泉今日子を騙して里帰りをさせるんです。そしたら東京ではずっと根暗で引きこもりがちだった天野アキ、能年玲奈が母親の実家に初めて帰省することで、岩手の架空の都市なんですけど、一気に活き活きするんですよね。急になまりだして。で、「私は海女さんになる」って。おばあちゃんが海女なの。宮本信子がね。

(マキタスポーツ)もともとはあれは何?じゃあ、なまってなかったのが急になまりだしたの?

(プチ鹿島)そう。だからあれは結構その、にわかなまりみたいなんですよ。それで、地元でアイドル目指している橋本愛と出会った時に「東京から出てきた人のにわかなまり聞くと、私はバカにされた気がする」って。

(プチ鹿島)橋本愛っていうのがまた、対照的にいいコンビで描かれてて、田舎の子なんですけど、まあクールですよね。で、大人びてて、『私は将来東京でアイドルになりたい。なれる』って自分を知っている子なんですよ。それが、なまらないし、東京の情報は誰よりも知ってるし。あまちゃんといいコンビになるんです。期せずして、町おこしの動画で2人のアレがアップされたら、オタクたちがカメラ持って鉄道を見に集まっちゃって。それで町おこしになるっていう、今の時点ではそういう展開です。

(マキタスポーツ)へー。

(サンキュータツオ)で、結局夏休みの間だけの帰省だったのが、そのまま岩手に残ることになって、そこで地元の高校に編入してちょっと今、恋をして・・・みたいな感じのところ。

(プチ鹿島)で、どうやらテーマ・裏設定の一つが『アイドル』というテーマがあるようで、実際天野アキもお母さん、小泉今日子じゃないですか。小泉今日子は『東京に行く』って出て行って、20何年ぶりにあまちゃんを連れて帰ってきたっていうことで。で、80年代のオーバーラップのシーンがちょいちょい織り込まれるんですよ。まあ、クドカンお得意の小ネタですよね。アイドルグッズとか。だからこれからあの2人がアイドルとして、アイドルコンビとしてどう行くのか?小泉今日子の過去もまだ語られてないんで、そういうざわざわ感というか、そこら辺の楽しみ感もありますよね。

(マキタスポーツ)あのね、俺いま聞いていて思ったんだけど、俺はこの中で誰よりも一番古くから朝の連ドラを見た人間だと思うんですよ。僕が一番最初に・・・俺、修羅場おじさん。修羅場おじさんだから。

(サンキュータツオ)ビーチフラッグおじさん。俺が一番だろっていう。

(マキタスポーツ)(笑)。俺、一番最初に見たのが『雲のじゅうたん』っていうやつ。

(プチ鹿島)古いねー。

(マキタスポーツ)これ、浅茅陽子だったんですけど、『雲のじゅうたん』っていうんだけど。その後、『鳩子の海』っていうのがありましたね。

(プチ鹿島)『なっちゃんの写真館』とかね。星野知子。

(マキタスポーツ)そうそう。『おしん』とかぐらいまでは、俺は結構見てたんです。

(プチ鹿島)『おしん』。伊東四朗がスーパーブレイクした・・・

(マキタスポーツ)そうだね。泉ピン子とね。そん時に、基本的にあの時間帯にやっていたのは女のドラマですよ。女性が育っていくというか、成長していく。少女時代から老人ぐらいになるまでを追う、一生モノなんですよ。で、もう一つあったのは、基本的に戦争を体験している。

(プチ鹿島)戦争を挟むんですよね。

(マキタスポーツ)戦争がものすごい重要なタームだったの。

(プチ鹿島)時代モノだったんだよね。だからね。だって、『澪つくし』覚えてますか?沢口靖子がデビュー作なんですけど、川野太郎っていういい恋人役がいて、戦争を挟むことで、川野太郎が帰ってこなくなる。死んだっていう設定で。そしたら投書が、『それは可哀想すぎる』って。川野太郎、再婚したあと帰ってきちゃって。

(一同)(笑)

(マキタスポーツ)大変なもんですよ。テレビドラマだから。で、あともう一つあったのは、戦争とあと、方言ですよ。これ、方言はね、結構切っても切り離せないんです。で、必ず新人女優の登竜門になっていたわけで、だから俺はパッと見、久しぶりに『あまちゃん』がすごい話題だから見てみたら、『やっぱりか』と。やっぱり初々しいキャストの新人女優が、方言をしゃべらされてると。そのコスプレ感。いや、コスプレなんですよ。もともと、割と。

(プチ鹿島)あとねマキタさん、それに通じるのが、あのクドカンがですよ、要は一周もしてそういう王道をやっているっていう、その爽快感っていうか、引き受け方もスゴいんです。というのは、その一作前、大阪制作で『純と愛』っていうのがあって、相当これがざわざわさせたんですね。

(マキタスポーツ)どういう意味で?

(プチ鹿島)僕、総集編をチラッと見ただけなんですけど、まあ暗くて、見てると憂鬱になる設定ばかりで。だからこそ、ハマってる人もいたんですけど、いわゆる『こんなの朝ドラじゃねー!』っていうご批判・お叱りも多数いただいたみたいなんですね。だからその揺り戻し。今の『あまちゃん』人気って、もしかしたら前からのネタ振りもあると思うんですよ。前振りも。『純と愛』があれだけ一石を投じる、仮面ライダーシリーズでいうと『アマゾン』みたいなことをやってたんですね。

(マキタスポーツ)ああ、なるほどね。

(プチ鹿島)それが、保守本流に戻って、王道でクドカンがやってくれたから、『やっと私たちの朝ドラが来た!』っていうその成分もあると思うんですよ。

(サンキュータツオ)プロレスにたとえると、何から何に行った感じなんですか?新日から全日ですか?

(プチ鹿島)『あまちゃん』ですか?プロレスにたとえると、これ話長くなるんですけど、越中(詩郎)と高田(延彦)の問題ですね。

(マキタスポーツ)(笑)

(サンキュータツオ)本当に長くなりそうだね。

(プチ鹿島)これは、割愛します。他で文章で書きましたんで、それ読んでください。これ、越中詩郎の物語ですね。はい。

あまちゃん=越中詩郎

(マキタスポーツ)へー。いやだから、一応さ、既定路線として女の人が成長していく物語である。あと方言っていうのはデフォルトなのかと。最初から決まっているのかって。NHKさんから。

(プチ鹿島)だから、久しく俺、見てないから。でも久しく堀北真希とか、ああいう若手女優だけどもう売れてる人を投入して、やっぱりちょっとベタっていうか、本腰を入れだした感はあると思うんですよ。連ドラって。そこに方言っていう、これ、もしかしたら久しぶりかもしれないですよ。敢えて入れてきてるっていう。

(マキタスポーツ)ほー。でも、あれ話題になりましたよね。尾野真千子がやってたやつ。

(プチ鹿島)あー。『カーネーション』だっけ?

(マキタスポーツ)『カーネーション』。『カーネーション』とかも、あれも一応方言ドラマの範囲ですよね。

(サンキュータツオ)一応、括りとしてはそうですよね。

(マキタスポーツ)そうだよね。だから方言と女の人の成長譚っていうのは必ず入ってるんだけど、何が違うのかな?って思ったら、多分戦争のニオイが全然しないってこと。一応これは現代を扱ってものだっていう・・・

(プチ鹿島)4年前ですよね。設定は4年前。

(サンキュータツオ)今回の『あまちゃん』を、僕はアニメオタクとして受容してるんですよね。今、マキタさん指摘ありましたけど、少女の成長モノっていうのはアニメのテーマでもあるのね。主要な。だから割とアニメをいっぱい見てる人って、朝の連ドラ見てるんですよ。それに関して言うと、『あまちゃん』における能年玲奈っていうのは、もう完全な萌えキャラなんですよ。それはなぜかというと、性のニオイがほぼしない。エロいっていうのがないから、本当に何か萌えキャラ化してるのよね。国民のね。前、鹿島さんが『あまちゃん』見てるっていうから、「能年玲奈、かわいいっすよねー」ってLINEか何かしたんですよ。そしたら、何だっけ?「ご褒美あげたい」でしたっけ?

(プチ鹿島)エサをあげたい。っていうのは、今回『あまちゃん』を見てすごく自分の中で考えたことがあって。これ、公に言うとすごくお叱りを受けるかもしれないけど、僕はたとえばいい大人がですよ、2000年代以降ですよ、モー娘。とか現れて、30代・40代の大人が10代の・・・加護亜依とか出てきたの、12・3ですよね。その少女に対して、大きな声で「大好き!」って言っている風潮が、僕はどうしてもイヤだったんですよ。『どういうこと、それ?』って。10代の男が10代の女の子にハマるのはいいんですよ。それは昔からやってきましたから。ただ、40とか30の男はさ、大きな声で論壇で語るのって、何?気持ち悪い!って俺、今はっきり言っちゃったけど。ずっと思ってたんです。ところがこの『あまちゃん』を見たら、やっぱりね、何なんだろう?今、タツオが言ってくれたけど、能年玲奈を見たら、女性に対する異性感は一切ないんですよね。

(マキタスポーツ)だからあれなんじゃない?うさぎ飼ってたじゃない?それとおんなじところだよ。

(プチ鹿島)で、じゃあ父親的な、血縁的なそういう温かさで見てるかっていうと、そうでもない。これ、何だろうな?ってやったら、ずっと見ていたい。ずっと癒されたいみたいな・・・

(サンキュータツオ)鹿島さん、それが『萌え』なんだよ。

(プチ鹿島)そうなんですか!?

(サンキュータツオ)それが『萌え』なんですよ、鹿島さん!嬉しいな、気づいてくれて!

(プチ鹿島)だから俺、2013年4月『あまちゃん』のおかげで、今まで半信半疑だったものが、性の対象じゃなくして10代の女の子を『がんばれ』とか、ただそこで見るとか、それを受け入れ始めた自分がいるんですよ。

(マキタスポーツ)今ね、鹿島さんの言葉が全てを物語ってるというね。僕の中でいろんなことが氷解した。理解できた。能年玲奈が2次元的な透明感をもったキャラクターとして描かれてるっていうのは、まず一つあって。俺はずっと、アニメを見る萌えの気持ちって何なのか?っていうのをずっと考えてきたの。ここ何年も。で、今は僕は『守護霊の気持ち』だっていう結論に達してるのね。

(サンキュータツオ)ああ、守護霊?

(マキタスポーツ)要は、覗き見してるんですよ。女の子を。だけどそれは親族でもないんです。親の気持でもないんだけど、何か娘かわいいとか、ペットかわいいに近い何かなんですよ。

(プチ鹿島)でも、娘じゃないじゃないですか。血のつながりはないじゃないですか。

(マキタスポーツ)ないんですよ。何か応援してあげたいみたいな。

(プチ鹿島)だから『あまちゃん』の中でもいみじくもそういうセリフがあったんですけど、その町のコンテストに応募する時に親友の橋本愛はおっさんたちも推すんですけど、「あまちゃんはどう?アキちゃんはどう?」って言うと、「いやいやいや、あれはないだろ。あれはでも、あれかわいいっていうのはチンパンジーがかわいいのと同じだべ?」って言って。俺、まさに『そうだよ!でんでん!』って思ったんです。そういうことなんですよね。

(サンキュータツオ)そう。いや、そう考えてみたら、『あまちゃん』ってたしかにアニメ的な手法なんだけど、何でそのアニメ的っていう風に思えるかっていうと、まずキャラクターがそれぞれ記号化されてるっていうのももちろんあるんです。たとえば、押し寄せるオタクたちが本当に、今はいないであろうぐらい『オタク』としてデフォルメされている。

(プチ鹿島)まあ、わかりやすい。

(サンキュータツオ)ような感じがあるんだけど、あの作品自体の主人公っていうのが、実は能年玲奈じゃないんですよ。宮本信子なんです。ナレーションが宮本信子なんです。だから、まあ朝だから、お年寄りも見る時間だから、お年寄りが感情移入できる人を立てているのかもしれないですけど。基本、朝の連ドラっておばあちゃんのナレーションから入るって結構あるじゃないですか。

(プチ鹿島)基本、あまちゃんって東京から来た『他者』ですもんね。

(サンキュータツオ)そうそう。だから、本当は能年玲奈が何を考えてるかとか、小泉今日子が何考えてるかとかモノローグがないから、一番クローズアップはされてるんだけど、何考えてるか分かんない子なんです。もっと言うと、大人の理想的な娘を体現してくれてるようなフシもちょっとあって。でまあ、おばあさん視点なんだけど、実はここで守護霊化するトリックが僕は一つあると思うのは、あのね、神の視点でもないのね。宮本信子のナレーションっていうのは。っていうのは、ちょっとね、一線を越えたナレーションなんですよ。たとえば、海女のアキちゃんがなかなかね、海女になるんだけどウニを取れないんだよね。

(マキタスポーツ)なかなか取れない。

(サンキュータツオ)『なかなか取れなくて、アキは焦っていました』って言うんですよ。だけど、焦ったかどうかなんて本人しか本当は知り得ないことですよね?

(プチ鹿島)俺さ、タツオの今の話聞いて、すげー氷解したのね。俺も負けずに。

(サンキュータツオ)今日、分かり合えたんだ。俺ら。融け合っちゃってドロッドロ。

(プチ鹿島)っていうのは、クドカンが脚本っていうのは、うっすらと知っていたって言ったじゃん?あれ、週刊文春にコラム持ってるんですよ、クドカン。で、俺4月に『あまちゃん』にハマりだして、去年の、過去のエッセイを読みなおしてみたら、まさにクドカンが一番のネックというか、期待半分不安半分でのぞむにあたってね。ナレーションのことなんです。っていのはあの人、日芸の放送学科ですよ。だから学生の頃から教授に、朝の連ドラっていうのは忙しい女性たちが出勤の準備をしながら、もしくは家事・炊事の準備をしながら横目でチラチラ見つつ、それでも理解できるドラマの作りになってます。というのは、ナレーションに鍵があります。ナレーションで物語の筋をある程度、どれぐらい放り込めるか?っていうのが朝ドラで。それを学生の頃のクドカンは、『えー、そんなの俺、できねーよ。難しいよ!』っていうのを思ったってのを、自分の過去のエッセイとして書いているわけですね。で、そんな僕が今度朝ドラをやるってことになりました。だから今までのナレーションとは一線を画すかもしれない。だから注目してくださいっていう。だから今、俺ナレーションに注目してるんですよ。タツオくん。

(サンキュータツオ)そう。だからたとえば小説だと、神の視点と呼ばれるんだけど三人称視点で描写するっていう方法があって。Aさんはこうしました。その時こう思ってたのかもしれません。とか、Bさんはこういう風に動きました。Cさんはこう思ってました。みたいな神の視点なんですよ。ただこれ、宮本信子っていうのは神からもう一歩進んでいて、本人が心からどう思ったかも代弁しちゃってるんですよ。だから描写もしてないの。『これ、何なんだろう?』って思って、俺一つ妄想というか仮説があるんだけど。宮本信子って本当に守護霊なんじゃないかなってちょっと思ってるの。

(プチ鹿島)あっ!そっかそっかそっか・・・

(サンキュータツオ)何で現代劇なのに、2008年なんだろう?って考えるんですよ。だって今、2013年じゃないですか。2011年に何かが起きるんですよ。これが、マキタさんが言う、朝の連続テレビ小説の3つの・・・少女、方言、もう一つ、何でしたっけ?

(プチ鹿島)戦争。

(サンキュータツオ)戦争ですよね。戦争に近いことが起きるじゃないですか。2011年に。しかも、あの地域に。で、俺は宮本信子はもしかしたらそこで死ぬんじゃないかなと。で、守護霊になって、この物語を語っているというのが今のナレーションなんじゃないかと。

(プチ鹿島)俺、もう泣きそう。何か・・・でも、クドカンが請われてブログとかで書いているのもそこなんだよ。要はやっぱり、あの人も東北出身でしょ?

(マキタスポーツ)そうだね。リアルに。

(プチ鹿島)だから3.11って避ける事もできないし。でも、それも描くのもどうなんだろう?っていう葛藤もある。でも描くらしい。

(サンキュータツオ)オンエアーで2008年って入っているってことは、それは2011年に何が起こるかはみんな知っている状態で見てるわけじゃないですか。ってなると、おそらく2011年。今、2013年だから、2011年にこういうことがありましたってことがあって、実際、分からないよ。妄想だけど、そこで宮本信子は亡くなって、海女自体が出来なくなるのかもしれない。で、そういう時に地元のために何が出来るか?ってことを考えて少女が成長していくっていうお話になるのか・・・

(プチ鹿島)結局それって今までの連ドラが描いていた『戦争』っていうものが入ったことによって、それまでの生活が全て無くなる、変わるっていうものが、もしかしたら『あまちゃん』にとっては2011年の3月・・・

(マキタスポーツ)俺、それで思ったんだけど、いま話を聞いていて、ドラマ自体はほとんど、2回しか見てないんでそのことは分かんなかったんが、戦争の話も出たじゃない。逆に言うとね、今まで朝の連続テレビドマラっていうのは、今までっていつからそれをやめてるのか分からないけど、語るべきものとして戦争を使ってたわけですよ。モチーフとして。それがもうリアリティーを無くした世代の人たちが見て、見始めているから、むしろその戦争というものをモチーフに使っていた時代っていうのは戦争ドーピングしてたんじゃないかなと。それが無くなって以降、何を使うのかっていうことを言ったら、実際の実存のアイドルの人、俳優の人とかの文脈っていうものを使い、最終的には『萌え』とかっていうものを収斂させていったら、今のこの日本人ってたぶんコードとして理解出来るんじゃないかと。戦争とかって語るべきものが無くなって以降のものとしては、やっぱりその実存としての存在感ですよ。と、やっぱり『萌え』。だからそのに対しての回答を出しているドラマだってことだよね。

(サンキュータツオ)そう。やっぱりアニメよりも実写の方が、そういう意味では力があると思う。アニメはそこは、ある社会的な文脈っていうのは抜かした・・・まあ声優っていうのもちょっとはあるんだけど、そういうところは一般の人には伝わらないんで、アニメはそういうデオドラントな感じで『萌え』を純度の高いものとして楽しめるけど。やっぱりああいう社会的な文脈を持っている俳優たちの中に能年玲奈がいることの意味っていうのかな?ものすごく2次元的だなって思ったんですよね。

(マキタスポーツ)脇はそういうところで固めてね。能年玲奈だけは、すごい純度が高いものっていうね。

(サンキュータツオ)わざわざ言わなくても分かるじゃん。小泉今日子とか。意味が。

(プチ鹿島)そうなんですよ。俺らの世代からすると、むしろ小泉今日子を通しての・・・あれ、ヒロインですからね。僕らからすると。だから小泉今日子が夜、美保純とやっているスナックとか、俺、金落としたいもん。あそこに。

(マキタスポーツ)(爆笑)

(プチ鹿島)あそこはさんざん俺、金落としたいよ。

(サンキュータツオ)行きたい行きたい。たしかに。

(プチ鹿島)ぼったくられたいよ。

(サンキュータツオ)『会いにいけるおばさん』ね。

(プチ鹿島)だから能年玲奈は『かわいいチンパンジー』。小泉今日子はリアルで、一つのヒロインなんです。

(マキタスポーツ)でさ、さっきの戦争からの話だけど、思ったんだけどこれからのドラマとか日本のものづくりの中で、やっぱり2011年3月11日っていうのをどう描くか?取り入れるかっていうのは一つの命題になってくると思うんですよね。

3.11をどう描くのか?

(サンキュータツオ)だからこれは不謹慎な言い方かもしれないけど、アニメの中ではたとえばそれが戦争を知らない世代にとってはガンダムであり、エヴァンゲリオンだったわけですよ。それを実際の社会ではそれに近い震災みたいなもので、ある一つの『危機』を描くという。

(プチ鹿島)そう。だから真正面から描くこともあるだろうし、何かこの間やっていた『最高の離婚』っていうのがあったんですよ。フジテレビで。そこで俺、『あっ!』って思ったのは、主人公のカップルがね出会ったのが、3月11日に帰宅困難者で歩いて帰っている時にって、そういう切り取り方なんですよ。地震あったとかじゃなくて、終わったあと、しかも東京ですよ。東京。東京の・・・何だったら非日常だったじゃないですか。直接、東北地方の方とはまた別に、ちょっと違う非日常があったじゃないですか。そこを切り取って、出会いの場にしてたから、何か俺、初めて見たの。3月11日を取り入れた。でもこれからどんどん出てくるよね。ああいうの。

(マキタスポーツ)俺ね、あなたの話にすり替えてアレだけど、佐野眞一と北原みのりさんの本の違いの読み比べをあなた、してたじゃない?

(プチ鹿島)木嶋佳苗の裁判傍聴記のね。

(マキタスポーツ)裁判傍聴記のことに関してさ。俺、佐野眞一のルポってさ、すごく良く出来たものだと思う一方でね、やっぱり戦争とかみたいなものの爪痕を取材してたりすると、何かフィットしないものというか・・・俺なんかの年代でも、当然やっぱり思っちゃうんですよ。

(サンキュータツオ)リアリティーがないもんね。

(マキタスポーツ)そう。リアリティーがないしさ。で、そのまた詳らかにしてくれた取材をすごく綿密に積み重ねてやっていくやり方も多分あったのかもしれないけど、それで作られた佐野眞一の『別海から来た女』よりも、北原みのりの『毒婦。』の方が何かよく分かんないけどリアルなんですよ。分かりますか、これ?

(プチ鹿島)そう。だからあの2冊、どっちが面白いかって言ったら、はっきり言いますけど北原みのりなんですよ。っていうのは、熱があるから。良くも悪くも軽い意味で裁判見に行って、『どんな感じなの?佳苗』って見たら、想像したものより品が良かったり、もうサプライズがあったわけ。で、その驚きを全部書いているから。佐野眞一っていうのは、元々その時点で大御所ですから。自分の好きで行く前に発注があったわけですよね。で、仕事として行って裁判傍聴記を書いた。僕、本人にもぶつけたんです。「北原さんの裁判傍聴記より全然熱を感じなかったんです」って言ったら、「だって興味なかったんだもん」って佐野眞一、言いましたよ。

(マキタスポーツ)言ってましたよね。見ました見ました、それ。で、俺思ったんだけど、佐野眞一さんって良くも悪くも結論ありきで書いてるんじゃないかって。そっちに向かって、垂直方向に向かって有り無しで書いてるんですよ。それって俯瞰的に見てるじゃない。それはね、戦争っていう語るべきものが大きな題材として、あるものに向かって収斂していくようなやり方っていうことと、全く俺は似ていると思っていて。それに比べたら、同じ木嶋佳苗をモチーフにしても、北原みのりさんとかもっと虫の視点なんですよ。

(プチ鹿島)そうそうそう。

(マキタスポーツ)自分がその瞬間に見てどう思ったか?みたいなことを、そのまま克明に描写として印象論として書いている事のほうが、グワッと迫るものがあるんですよ。俺はだから、朝の連ドラっていものは、多分苦しんでいた時期があったんじゃないですか。

(サンキュータツオ)本当に。それで、さっきの視点の問題で言うと『純と愛』っていうのは、朝ドラに珍しく主人公たちのモノローグで構成されているんですけど、これがものすごく不評だったんです。これ、やはり『萌え』の問題と直結してますよね。やっぱり守護霊のナレーションだと主人公に感情移入できるけど、主人公のそのままのモノローグだと感情移入できない・・・

(プチ鹿島)そうですね。あれ、もし『あまちゃん』が能年玲奈がナレーションだったら、『そうはいってもお前、自由奔放すぎるよ!』みたいな、そういう感じも受ける可能性もあるよね。

(マキタスポーツ)じゃあやっぱりでも、そこで言うとさ、随分前から我々言ってきてますけど、基本的に覗き見、覗き聞き、いろいろエンターテイメントにおいて何が一番『色っぽい』のかなってピープショーにあるっていうことを言ってるじゃない?その定石があるんだとしたら、すごくそこを丁寧にやってるっていう。

(プチ鹿島)やってる。だから俺は、3月11日も『覗き見』ぐらいに抑えるんじゃないかなと思うんだよ。海女のシーズンが夏でしょ?だから、冬のシーズンって多分東京とかに出てくるようなシナリオにするんじゃないかなと。で、3.11は『あった』っていうことで、また岩手に戻ると、信じられない光景が広がっていてっていう感じにするんじゃないかなと思うんですよ。

(サンキュータツオ)でも今回、実写の魅力がようやく分かりました。むしろ。2次元ばっかり見てたから。

(プチ鹿島)まああの・・・ありがとうございます。

(サンキュータツオ)なんでNHK寄りなんだよ(笑)。

<書き起こしおわり>
http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=1233


https://miyearnzzlabo.com/archives/15257

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