町山智浩 映画『AIR/エア』を語る

町山智浩 映画『AIR/エア』を語る こねくと

町山智浩さんが2023年4月11日放送のTBSラジオ『こねくと』で映画『AIR/エア』について話していました。

(町山智浩)今日はですね、もう日本で公開中なんですけど。『AIR/エア』という映画です。

(石山蓮華)『AIR/エア』?

(でか美ちゃん)私、これ見たいんですよ。まだ見れていないんですけども。

(町山智浩)知ってます?

(でか美ちゃん)結構周りで評判がよくて。

(町山智浩)ああ、本当に? もう既に評判がいいんだ。これ、『AIR/エア』っていうタイトルで映画館、行かないよね?

(でか美ちゃん)どんなお話なんだろう?って思いますが。

(町山智浩)だって「エア」がつくのって、なんていうか「エア飲み会」とかさ。

(でか美ちゃん)えっ? なんか、リモート的な?

(町山智浩)そうそう。リモート的な。実際には飲み会、していなかったりするのね。エアって、実際にしてないことを……「エアギター」とか、あるじゃないですか。

(でか美ちゃん)ああ、たしかに。エアギターとかが一番、パッと思いつくか。

(町山智浩)ねえ。だから『AIR/エア』って、「この映画、大丈夫か?」って思っちゃいますよね。タイトルがね。で、これは他のタイトルが使えなかったんですよ。これは、エアジョーダンというバスケットシューズがありますけども。

(でか美ちゃん)はいはい。ナイキの。

(町山智浩)ナイキのですね。それをナイキが商品化した時の苦労話を映画化したものなんですよ。

(でか美ちゃん)じゃあ、ちょっと先週の『テトリス』と近いような?

(町山智浩)すごい近い。あれは90年代だったんだけど、さらに昔の話になりますよ。1984年です。

(石山蓮華)じゃあ39年くらい前ですかね。

(町山智浩)そう。40年くらい前ですよ。で、僕はもうこの時、働き始めていたんで、いかにジジイかってことがよくわかりますけどね。で、エアジョーダンのは今でも売っているから、見たことはありますよね。

(でか美ちゃん)めちゃめちゃメジャーなスニーカーですよね。ピンキリある感じのね。

(町山智浩)そうそう。いろんなバージョンが出てるんですけど、最初は1バージョンだけだったんですよ。赤と白と黒のね。で、これが年間でどのくらい売り上げてるかっていうと、ここに記録があるんですけど。年間売上が50億ドルですって。

(でか美ちゃん)ええっ! まあ、世界中で売っているっていうのも、ありますよね。アメリカだけじゃなくて、日本でも見るし。

(町山智浩)そうそう。あのね、中国ですごい売れているんですね。

(でか美ちゃん)ああーっ!

(町山智浩)中国はヤオ・ミン選手が出てから、NBA、アメリカのプロバスケットボールがものすごいブームになって。中国全土で何億人もの人がバスケットボールをやっている状態なんで、バカ売れしててですね。50億ドルってだって、5000億円以上ですよね?

(でか美ちゃん)そうですね。想像もつかない額だな。

(町山智浩)ほとんど国家予算ですよ。すごいことになってるんですけど。そのエアジョーダンがいかに始まったか?っていう話がこの映画なんですね。で、監督がベン・アフレックで、主演がマット・デイモンというね。この2人は幼なじみで、昔から映画を一緒に作ってるんですけれども。で、これ、マット・デイモンが主人公のソニー・ヴァッカロというナイキの社員で、マイケル・ジョーダンというNBAの選手の契約とのした人を演じています。これ、すごいのはエアジョーダンっていうのはマイケル・ジョーダンっていうNBAの選手……彼はエアジョーダンと言われるほど、ジャンプがすごかったんですね。

(でか美ちゃん)そう。私、知らなかったんですけど。その対空時間からあだ名を付けられてたんですね。

(町山智浩)そうなんですよ。本当に空を飛んでるように見えて。彼は空中でボールを持ち替えたりするんですよ。滞空時間が長いから。

(でか美ちゃん)本当にもう、スーパースターじゃないですか。

(石山蓮華)そうですね。私でも……私、本当にスポーツは疎いんですが。私でも知ってる選手です。

(町山智浩)でしょう? でも、このエアジョーダンっていう靴を企画して契約した時は、マイケル・ジョーダンはまだスーパースターじゃなかったんですよ。

(でか美ちゃん)ええーっ? なんかスターのモデル……たとえば布袋さんのモデルのギターが出るみたいな、そういうことだと思ってたんですけど。

(町山智浩)そうそう。布袋さんのテレキャスターとかね。マイケル・ジョーダンってこの時、実はまだNBAにも入ってなかったんですよ。

(でか美ちゃん)ええっ? じゃあ、何をしてたんですか? 

(町山智浩)大学生。

(石山蓮華)えっ、すごい。大学生のモデルを作ったんですか?

(町山智浩)作っちゃったんですよ。

(でか美ちゃん)えっ、それはなぜできたんですか? そんなことが。

(町山智浩)これはまず、ナイキっていう会社でそのソニーさんって人がね、ナイキの次のスターというか……ナイキってその頃、会社としてはバスケットシューズ部門がめちゃめちゃダメだったんですよ。で、「このマイケル・ジョーダンという学生に全てをぶち込もう!」っていう。

(でか美ちゃん)それって、結構な判断だと思うんですけど。

マイケル・ジョーダンという若者に全てをぶち込む

(町山智浩)これ、大変な判断ですよだ。だって、エアジョーダン自体、契約したのが1984年の10月なんですけども。その1984年の10月にマイケル・ジョーダンはプロデビューをしてるんですよ。

(でか美ちゃん)ええっ? それは、何から見出したんですかね?

(町山智浩)学生時代のマイケル・ジョーダンのビデオを見ていて。そのジョーダンの落ち着き方を見て、ソニー・ヴァッカロさんが「こいつは将来のスーパースターになる!」って思い込んで。

(でか美ちゃん)練習してる風景とかじゃなくて、その佇まいで判断したんですか?

(町山智浩)佇まいなんですよ。試合の最中、パスを受ける前に待っている状態のマイケル・ジョーダンの顔を見て「この自信はすごい! こいつにナイキの全てを賭けよう!」ってことになるんですよ。

(でか美ちゃん)すごいギャンブラーだな!

(石山蓮華)聞いてるだけでちょっと鳥肌立つぐらいの……。

(でか美ちゃん)だって、ナイキでしょう? 会社でしょう?

(町山智浩)そうなんですよ。それで今、「ギャンブラーだな」って話が出たんですけど。このソニー・ヴァッカロさんっていう人は本当にギャンブラーなんですよ。

(でか美ちゃん)ああ、本当にお好きなんだ(笑)。

(町山智浩)ギャンブルが大好きで。この映画の最初にマット・デイモン扮するソニーさんはラスベガスに行って数百万円をサイコロを転がすクラップスっていう博打で、ひとつの目にオールインしちゃうんですよ。

(石山・でか美)オールイン!?

(町山智浩)そう。全賭けってやつですね。それをして、数百万を一瞬で失うっていうシーンがあって。

(でか美ちゃん)失った経験もあるのに、ジョーダンに全ベット、オールインしようってなったということですよね?

(町山智浩)そうなんですよ。それを聞いたらナイキの社長は「なんで? この人、誰?」っていう話ですよね。まず最初に。

(でか美ちゃん)ねえ。「なに、なに?」ってなっちゃうよ。

(石山蓮華)「ちょっとちょっと止めようかな?」って思いますよね。

(町山智浩)最初、止めようとしますよ。さすがにね。「ルーキーだから」「試合の成績はどのぐらいなんだ?」「いや、まだ試合出てません」って。ジョーダン、ドラフト指名されて、シカゴ・ブルズっていうその頃、あんまり強くないところに入ったばっかりだったっていう。

(でか美ちゃん)ああ、シカゴ・ブルズも強くなかったんだ。めちゃめちゃ有名なチームですよね?

(町山智浩)強くなかったですよ。マイケル・ジョーダンが入って、その後に強くなるんですけど。で、「そんなこと、まずできるの?」っていうところから……あとはナイキっていう会社がその頃、実はすごいちっちゃい会社だったんすよ。これね、僕の年齢……僕は1962年生まれで。ちなみに僕、マイケル・ジョーダンと学年が一緒です。

(でか美ちゃん)えっ、タメ? ジョーダン世代?

(町山智浩)そう。ジョーダン世代なんですけど。で、僕が子供の頃はバスケットボールシューズっていうと、全部コンバース一色だったんですよ。みんなコンバースで。その頃、学生って中学生はみんな男の子は学ランを着てたんですけど。みんな、黒のコンバースしか履いてなかったです。

(でか美ちゃん)大流行。

(町山智浩)というか、それしかなかった状態だったんです。

(でか美ちゃん)そうか。一番ベタなものだったんだ。

(町山智浩)みんな、コンバースオールスターっていうのを履いていて。キャンバス地のやつをね。

(でか美ちゃん)ああ、今でもね、定番のデザイン。

(石山蓮華)うちにもあります。

(町山智浩)今でも定番ですけど。それが1970年代ですよ。その後、1980年代に入って、アディダスがバスケットボールシューズで売れ始めるんですよ。で、それはRun-D.M.C.っていうラップグループが履いていたんですよ。アディダスのスーパースターってやつを。それで売れるんですけど。ナイキはその頃、ほとんど全く売れてなかったんです。

(石山蓮華)そうだったんですか!

(でか美ちゃん)今やね、アディダスとナイキは並んでますけどね。

(町山智浩)いや、今はもうナイキがトップですよ。シェアでは。60%ぐらいです。現在は。でもその頃は12、3%しかないんですよ。というのは、これは知ってる人は知ってるんですけど。年齢的に僕ぐらいの世代は知ってるんですけども。ナイキっていうのは陸上競技の靴だったんですよ。

(でか美ちゃん)ああ、そうなんですね。

(町山智浩)ナイキの社長の人が、フィル・ナイトさんって人なんですが。この人は元々、オニツカタイガーで働いていた人なんですよ。

(でか美ちゃん)へー! ああ、日本の。

(町山智浩)オニツカタイガーって、まあアシックスですけども。陸上競技ですごく当時、人気があって。で、この社長さんはジョギングするのが大好きな人で。元ヒッピーなんですね。で、その頃は瞑想してジョギングをしてヨガをやっていうのが流行っていたんですよ。ニューエイジというもので。で、彼はジョギングが好きだったんで、オニツカタイガー自分が理想とするジョギング用の靴、ランニング用の靴を作るってことでナイキっていう会社を作ったんで。そのバスケットシューズは全然売れてなかったんですよね。

(でか美ちゃん)そうか。そもそもそのつもりじゃない会社だったってことですね。

ナイキのバスケットシューズは全然売れてなかった

(町山智浩)そうそう。興味がないんです。全然、この人は。ところが、ソニーさんっていう人が、当時21歳のマイケル・ジョーダン。「この若者にナイキの全てをかけて、彼専用のバスケットボールシューズを作ろう!」って言い出すんですよ。

(でか美ちゃん)だってまさにロゴというか、ジョーダンのマークがね、跳んでいる瞬間のが入ってますもんね。

(町山智浩)そうそう。マイケル・ジョーダンが足を広げてジャンプしているのが。今はあれがアイコンになってるんですけど、その頃は……それで僕も実はエアジョーダンを当時、持ってたんですけど。85年に買ったんですが。実は当時、日本の人はマイケル・ジョーダンっていう選手はほとんど知らないで買っていたんですよ。

(でか美ちゃん)ああ、最初は。そうなんですね。

(石山蓮華)じゃあ、逆転現象って感じだったんですかね?

(でか美ちゃん)「靴の人がこの人か」ってことですよね。

(町山智浩)そうそう。というのは、だってルーキーとして1年目ですから。しかもシカゴ・ブルズが優勝するのって、その何年も後なんですよ。

(でか美ちゃん)そうか。ジョーダンが来て、そこから強くなっていくから。日本で「強いぞ!」って伝わるまでには、それぐらいかかるのか。

(町山智浩)そう。だから「マイケル・ジョーダンっていう人の靴だ」ってことは知ってるんだけども。でも彼は日本では全然有名じゃないのに、靴は日本でもバカ売れしたんですよ。これ、すごかったのはね、その最初の年だけでとんでもなく儲けちゃうんですね。で、ジョーダン自身は試合に出始めたばかりだというのに、最初の1年で126ミリオン(1億2600万ドル)、売り上げちゃうんですよ。

(でか美ちゃん)なにがそこまで売れたんですかね?

(石山蓮華)デザインとかですか?

(町山智浩)デザインなんですね。あのね、ハイカットだったんですよ。エアジョーダンって。で、全部完全にレザーだったんです。その頃のアディダスは、完全レザーじゃなくてゴムが入ってたりしたんですよ。ゴムカップが付いてたりして。で、コンバースはキャンバス地だったんで、エアジョーダンは一番高級感があったんですよ。それで、エアジョーダンが当時、一番高かったんです。

(でか美ちゃん)ああ、それでも一番売れた?

(町山智浩)一番売れた。高級なバスケットボールシューズという、よく考えるとよくわからないもので。その当時、日本ではだいたい1万円ぐらいで売ってたんですけど。現在まで、それを保存していれば、80万円ぐらいらしいんですよ。

(でか美ちゃん)ええーっ! でもエアジョーダンって、この一番最初の作品の元になってるのもそうですけど。結構新しく出ているやつも、プレミアが付いてますもんね。いつもスニーカーって。

(町山智浩)みんな、発売した瞬間に買って。で、特に靴オタクの人たちは履かないで透明なケースに入れて、それで保存するんですよ。それで時々、1ヶ月に1回ぐらい履いて「うーん!」とか言うんですよ(笑)。

(石山蓮華)それは、家の中で履いて「うーん!」って言うんですか?

(町山智浩)そうですよ。外で履いたら価値が落ちちゃうから。

(でか美ちゃん)コレクションとしてのね。

(町山智浩)そういうものはなかったんですけど、そういうものを作ったんですよね。文化そのものを。

(でか美ちゃん)そもそも、差別とかもいろいろある中で黒人の方がこうやって何かのアイコンになるっていうこと自体が、素晴らしいし、当時だとすごいことですもんね。

(町山智浩)当時としてはすごいことですよ。ゴルフウェアとかでね、アーノルド・パーマーとかはあったんですけどね。で、このエアジョーダンがすごいのは、実はマイケル・ジョーダン自身がバスケットボールの年俸とかで得た所得よりもはるかに……なんていうか、たとえば去年のエアジョーダンの売り上げのパーセンテージでマイケル・ジョーダンがもらった額だけで、彼がNBAに在籍してもらった年俸の総額の2倍なんですよ。

(石山蓮華)総額の2倍!?

(町山智浩)そのぐらいすごい額を稼ぐようになったのは、実は売り上げのうち5%をマイケル・ジョーダンが受け取るという契約をしたからなんですよ。で、それまでのスポーツウェアっていうのは基本的に……アーノルド・パーマーとかは別なんですけど。たとえば、アディダスはある選手に靴を試合で履いてもらって、コマーシャルに出てもらって……っていう形で。その選手自身のブランドを作ったことはなかったんですよね。あまり、靴ではね。

(でか美ちゃん)そうですね。その、スポンサー的なことしかあんまないですよね。本来は。

(町山智浩)そうそう。スポンサーだったんですよ。でもそうじゃなくて、ブランドを作っちゃったんですよ。

(石山蓮華)じゃあ、そのエアジョーダンから、マイケル・ジョーダンもナイキも、ものすごい名前を上げていったんですね。

(町山智浩)だってナイキはその後、コンバースを買収しちゃいますからね。

(石山蓮華)ああ、そうなんですか!

(でか美ちゃん)そうですよね。

(町山智浩)昔、業界トップだったコンバースを買収しちゃうんですよ。

(でか美ちゃん)だからその三つがどんどん相乗効果で上がってくっていう物語なんだろうなということはわかったんですけど。やっぱりその実績ない学生にオールインするっていう背景がちょっと気になりすぎる。

(町山智浩)そう。これは映画を見てもらってもね、はっきり言ってよくわからないんですよ。だからこれを説得するのは大変なんですよ。「なんで彼なの?」みたいな。「でも、俺は絶対に行くと思うんだ!」ってマット・デイモンが言い続けるんで。ただね、マイケル・ジョーダンっていう人はやっぱりね、選手として技術とかそういったこと以上に、天才的なところがあったんですよ。

(でか美ちゃん)「天才的な」というと?

マイケル・ジョーダンの起こした革命

(町山智浩)あのね、マイケル・ジョーダンが出てくる前のバスケットボールって、プロもアマチュアも含めて当時のユニフォームって見たことあります?

(でか美ちゃん)ああー、でもバスケのユニフォームのイメージはタンクトップみたいな。ちょっとシャカシャカ。薄手のビブスみたいな素材で。ダボッとしてて。ちょっとヒップホップ要素がある感じの、かっこいいイメージですね。

(町山智浩)でしょう? でも、僕が子供の頃とか中学の頃は違ったんです。マイケル・ジョーダン以前は違ったんです。バスケットボールは。

(石山蓮華)ジョーダン以前、以後で違うんですね。

(町山智浩)それまでは、ユニフォームがパンパンの短パンだったんです。

(でか美ちゃん)えっ、ピチパツだったってことですか?

(町山智浩)ピチパツだったんです。キツキツの短パンだったんです。

(でか美ちゃん)でも、動きづらくないですか? 陸上選手みたいなやつですか?

(町山智浩)まあ、ピンク・レディーが『サウスポー』で履いていたようなやつですね。

(でか美ちゃん)ああーっ! めっちゃすぐ想像ついた! ああいう感じか!

(町山智浩)ああいう感じなんです。

(でか美ちゃん)ボディラインが出ちゃうぐらいの?

(町山智浩)出まくりです。

(石山蓮華)結構足がすごいよく見える感じなんですか?

(町山智浩)もうお尻がプリップリなんですよ。バスケットボール選手、当時は。プリプリしている感じで、前の方なんかははみ出そうなんですよ。

(でか美ちゃん)アハハハハハッ!

(町山智浩)まあ、それはセクシーでちょっとよかったんですけども。

(でか美ちゃん)町山さん、一番イキイキしてる……(笑)。

(石山蓮華)でも、はみ出ちゃうこともあったんですかね?

(町山智浩)もう試合に集中できないですよ。あんなの、セクシーすぎて。この当時のバスケットボールは。

(石山蓮華)どっちのボールがシュートしちゃうんだろう?

(でか美ちゃん)そうだ! 2つあるし(笑)。

(町山智浩)そういう問題があったんですよ。それを「これはエロすぎるからやめよう」っていうことで、やめたのがマイケル・ジョーダンなんですよ。

(でか美ちゃん)みんなのために動いてくれたんだ。

(町山智浩)で、あのガバガバの、今みんなが知っているダボッとしたショーツに彼が変えたんで。他の選手も「いや、俺も今まで恥ずかしかったんだよ!」みたいなね。

(でか美ちゃん)そうか。言い出せないというか、そういうもんだと思ってたから、みんな着ていたけども。

(町山智浩)そう。「気が散っちゃって」とかね、そういうので。それで、みんな一斉に変えたんですよ。

(でか美ちゃん)しかもバスケットの選手なんてね、結構背も高い方がほとんどですから、余計ね。

(石山蓮華)接触も多いスポーツですしね。

(町山智浩)接触も多いから、あんなにプリプリでやられるといろいろと困るんですよ。だから、マイケル・ジョーダンがいなかったら『SLAM DUNK』とかも大変なことになってましたよ。プリプリで。流川くんなんか、大変ですよ。「俺、こんなの履くの?」って。

(でか美ちゃん)っていうか、マジでバスケ、流行らなかったかもしれないですね。

(石山蓮華)競技人口の母数も変えたかもしれないですね。すごい!

(町山智浩)そう。だからマイケル・ジョーダン、そこらへんも天才だったんですけどね。で、あんまり天才だったから、あれですよ。金八先生も言ってたんですよね。「人という漢字はマイケル・ジョーダンがジャンプしているところから……」って。

(でか美ちゃん)おい、てめえ! ジジイ、嘘つきやがったな! 今週も……。

(石山蓮華)アハハハハハハッ! 私もそれはわかりますよ(笑)。

(町山智浩)武田鉄矢さんはすごいマイケル・ジョーダンのファンで。『JODAN JODAN』っていう歌まで出していたんですよ。本当に。

(でか美ちゃん)うわっ、これはちょっと際どいぞ? どっちだ?(笑)。

(町山智浩)際どいですね。これは本当です(笑)。

(町山智浩)あとね、もうひとつこのエアジョーダンが画期的だったのは、赤黒白だったからですよ。

(でか美ちゃん)ああ、あの初代のデザイン、すごい有名な。あれが画期的だったんですか?
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(石山蓮華)ねえ。映画のビジュアルも赤黒白ですね。

(町山智浩)あれはね、NBAでは反則だったんですよ。当時は。

(でか美ちゃん)えっ、なんで?

(町山智浩)「白い色が全体の面積の51%を超えていないといけない」っていうルールがあったんですよ。で、そういう色の付いたのを履いて試合に出ると、1試合ごとにかなりの額の罰金を取られることになっていたんですよ。

(でか美ちゃん)でも、履いていたんですか?

(町山智浩)それもね、マイケル・ジョーダンが無理やり履いて。最初はナイキが罰金を代わりに払っていたんですけど。3回続けて履いて試合に出たら、「もういいや」ってことで、そのルールがなくなったんですよ。

(でか美ちゃん)へー! じゃあ、本当にいろいろ変えた人なんだ。マイケル・ジョーダンって。

(町山智浩)そうなんですよ。だからそのことを歌ったのが、その当時のアイドルの芳本美代子さんの『白いバスケット・シューズ』っていう歌なんですよ。

(石山・でか美ちゃん)へー!

(町山智浩)これは嘘です。はい(笑)。ということでね、時間だな!

(でか美ちゃん)言い逃げだ!(笑)。でもこの映画、気になります。

(町山智浩)ぜひご覧いただきたいと思います。

<書き起こしおわり>

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