寺坂直毅さんが2023年3月14日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で津田沼パルコの閉店について話していました。
(寺坂直毅)寺坂直毅のデパートに愛を誓って。いらっしゃいませ。毎度お越しくださいましてありがとうございます。放送作家の寺坂直毅です。この時間は北海道から沖縄まで、おそらく200以上デパートを訪れた寺坂直毅が毎週、ひとつの都道府県をピックアップし、その街にあるデパートについて星野源さんと語ります。さあ、今回はこの都道府県のこの街にフォーカス。ドゥロロロロッ、ドンッ! 千葉県船橋市。今回、愛を語ってキスをするのはこちらのデパートです。津田沼パルコ!
ということで、津田沼という街はJR総武線の駅なんですが、習志野市なんですね。基本的に津田沼というのは。ただ、このパルコだけ駅前にあるんですけど、そこは市境になってまして、船橋市というギリギリのところにあるんですが。星野さん、パルコというのはもう大変ゆかりがあるといいますか?
(星野源)そうですね。
(寺坂直毅)劇場もありますしね。
(星野源)そうですね。PARCO劇場に出たこともありますし。あと、池袋のパルコとかによく学生時代は行ってましたね。
(寺坂直毅)そうですよね。タワーレコードが。
(星野源)P’PARCOの方ですね。ありまして。
(寺坂直毅)視聴コーナーなどに通っていたと以前、おっしゃっていましたが。で、この千葉県船橋市の津田沼パルコなんですがこの間、2月28日に全館で営業を終了したんですね。45年8ヶ月の歴史に幕を閉じたという。で、その理由としては近隣にですね、大きな商業施設がどんどんできて。売り上げ減も撤退の理由だということなんですね。で、この2月28日、最終日はたくさんのお客さんが訪れて、買い物や食事を楽しまれたそうです。で、閉店時間の午後9時には外の壁にですね、レーザー光線で「Thank You Tsudanuma」というメッセージが投影されて、従業員の皆さんが窓越しに手を振って明るく別れを惜しんだそうですね。
(星野源)いいですね。
文化を生み出してきたパルコ
(寺坂直毅)で、この野口店長さんによりますと「悲しいお別れではなく、大団円で、そういう終わり楽しい終わり方をしたかった」ということなんですね。「パルコがなくなっても、新しい明るく素敵な街であり続けてほしい」という思いを込めていらっしゃったそうです。で、本当にパルコって、実は長野県の松本のパルコも惜しまれつつ、2025年2月末で閉館するという発表があったりしまして。ちょっと寂しいこともあるんですけれども。そもそも、そのパルコの歴史を調べてみました。
(星野源)ああ、はいはい。ちょっと知りたい!
(寺坂直毅)これ、デパートではないんですよ。できたのが昭和44年で。なんとなく渋谷のパルコが古いのかなと思いきや、一番最初は池袋のパルコだそうです。で、パルコというのはどんな意味かといいますと、イタリア語で「公園」という意味。
(星野源)へー!
(寺坂直毅)ですから、渋谷のパルコがあるところを「公園通り」って言いますね。あれは、このパルコからも来ている。まあ、代々木公園にも繋がっているということもありますけども、パルコの公園という意味もあるそうで。やっぱりパルコ、なにが新しかったかというと、ただのショッピングモール、商業施設だけでなく、劇場ですね。さっき星野さんもおっしゃってましたが劇場。あと映画館ですね。それからクラブクアトロ。これもパルコですね。
(星野源)そうですね。僕、クワトロには散々お世話になりましたね。
(寺坂直毅)そうですね。ツアーも以前、されてましたよね。あと、スペイン坂スタジオっていう。あれもパルコなんですよね。
(星野源)ああ、そうかそうか!
(寺坂直毅)TOKYO FMのサテライトスタジオですね。
(星野源)お世話になりましたね。懐かしい。
(寺坂直毅)あれも全国ネットのFMのラジオ番組で大変おなじみで。今はもうないんですけども。あとパルコ出版というので、本も出していました。その流れで、パルコブックセンターというのもありまして。
(星野源)いやー、パルコブックセンター! よく行ってました。
文化を生み出してきたパルコ
(寺坂直毅)というように、文化を生み出した場所でもあるということで。もちろん渋谷パルコも、池袋のパルコも営業してますので。これからも応援していきたいなと思っております。
(星野源)はい!
「ありがとう津田沼パルコ」 45年間、地元と共にhttps://t.co/IU1N5rDbMm
JR津田沼駅北口の「津田沼パルコ」が閉店します。街の人たちは、思い出を振り返りながら、シンボルとの別れを惜しんでいます。
— 毎日新聞 (@mainichi) February 28, 2023
<書き起こしおわり>