町山智浩さんが2023年1月24日放送のTBSラジオ『たまむすび』で黒澤明監督『生きる』をカズオ・イシグロさんがイギリスでリメイクした『生きる LIVING』を紹介していました。
(町山智浩)今日はですね、黒澤明監督の名作映画『生きる』という1952年の作品をイギリスでカズオ・イシグロさんが脚色して映画化した『生きる LIVING』という映画を紹介します。『生きる』はご覧になってますか? 黒澤監督のは。
(赤江珠緒)私は見ました。大学でね、授業で見て。あのブランコのシーンね。やっぱりね。
(町山智浩)何の授業ですか?
(赤江珠緒)心理学とか……なんか教養みたいな部門で。
(町山智浩)どっちなの? 心理学と教養と……(笑)。
(赤江珠緒)心理学部だったんですけど。それの教養課程でそういう、いろんな名画を見るような授業があったんですよ。
(町山智浩)それの先生、誰でした?
(赤江珠緒)ごめんなさい。そこまで覚えてないです。
(町山智浩)内田先生じゃなかった?
(赤江珠緒)内田樹先生ではなかったんじゃないかな?
(町山智浩)哲学じゃなかった?
(山里亮太)そういう先生がいらっしゃるんですね。
(赤江珠緒)内田樹先生っていう、神戸女学院の先生なんですよ。
(町山智浩)そうなんですよ。ただ、僕も師事している先生なんで。「そうかな?」と思ったんで聞いてみたんですけども。
(赤江珠緒)そうか。内田先生ではなかったような気がするんですけど。ごめんなさい。
(町山智浩)そうですか。内田先生は倫理学の人なので。人の生きる道についての先生だったので……。
(赤江珠緒)ああ、じゃあ内田先生だったかな?(笑)。内田先生だった可能性がある……(笑)。
(町山智浩)そう。『生きる』だから内田先生じゃないかな?って僕は思っているんですけども。
(赤江珠緒)なるほど。その可能性もあります。はい(笑)。
(町山智浩)まあ、いいですけど。どうでした?
(赤江珠緒)いや、もう本当ね、なんか……ごめんなさい。どうだったか……(笑)。
(山里亮太)内田先生も泣いていますよ(笑)。
(赤江珠緒)本当だよ(笑)。「見た」っていうのはあるんですけども。
(町山智浩)『生きる』って、結構怪獣ファンの人はよく見てるんですね。志村喬さんが出てくるんで。あのゴジラを愛していた山根博士をやっていた人ですね。で、この『生きる』というのはずっとですね、お役所で働いてきた役人の役が志村喬さんで。もう50ぐらいなんですけれども。何十年もね、ただ判子を押して、書類を右から左に動かすようなのを黙々とやり続けた人なんですけれども。
ある日突然ですね、自分が胃がんで。しかも、もう半年ぐらいしか命がないっていうことを知っちゃうんですね。で、今まで何も……とにかく自分のことは何もしないで。自分の意見は何も言わないで、黙々と働いて。奥さんは亡くなってるんで、自分の息子をただ育ててきた人なんですが。
息子はもう大きくなってしまってね、嫁さんと一緒にいて。で、その嫁さんと2人でですね、「お父さんが死んだら遺産をどうしよう」とかいう話なんかもしているようなね、ちょっと薄情な息子でね。で、自分ががんになってしまったかも、言えないんですよ。自分が死ぬことを待ち望んでる息子には、言えないですよね? で、「どうしよう? 自分には人生というものは、なかったんじゃないか?」と思って。それでもう慌てて、今までしなかったことをしようとするんですよね。
で、まずお酒をベロベロに飲むってこともしたことがないんで、酒を飲みにいって。それで、博打とかもしたことがないんで、パチンコをしに行って。スケールが小さいんですが。あと、ダンスホールに行って、お姉ちゃんとかがいる、そういうエッチなお店に行ったりもするわけですけども。でも、虚しいんですよ。「どうもこれは、生きるってこととは違うみたいだ。本当に生きるっていうのは、一体どういうことなんだろう?」っていうことで、それを探そうとする話なんですね。
黒澤明『生きる』をカズオ・イシグロがイギリスで映画化
#カズオ・イシグロ&#ビル・ナイ
黒澤明 不朽の名作を蘇らせ 初のオスカーに王手
『#生きるLIVING』第95回アカデミー賞(R)2部門ノミネート✨https://t.co/TYt4yMyyCj pic.twitter.com/GOIrFTn6Dd
— シネマNAVI ? (@CINEMA_NAVI) January 25, 2023
で、これをですね、イギリスでカズオ・イシグロさんが映画化したっていうのは非常に面白いことなんですよ。カズオ・イシグロさんって、ノーベル賞作家ですけれども。5歳まで日本にいてね。長崎で生まれ育ったんですけど。その後、お父さんの仕事の都合でイギリスに行って、イギリスで育ったんですが。彼の小説は常に日本的なものと、イギリス的なもの、英国的なものを繋いでいくという仕事をしてきたんですよ。で、イギリス人と日本人って、似てるんですよ。
(山里亮太)ああ、そうなんですか?
(町山智浩)すごく似てるんですよ。まず形式とか格式を何よりも重んじるんですよ。礼儀とかマナーとか品格とかね。で、自分の気持ちをそのまま出すとか、自分の意見を言うっていうのは恥ずかしいことだとされてきているんですよ。それを押し殺して、自分の苦しみとか悲しみとか家庭の事情とかを押し殺して、働くこと。たとえば、お葬式でしっかりしていて、泣かない人は褒められるんですよ。
(赤江珠緒)「気丈な」っていう感じで。
(町山智浩)そう。僕はそれ、どうかしてると思ってますね。そういう人たちは。でも、イギリスや日本では、それが美徳とされるんですよ。素晴らしいとされて。
(赤江珠緒)「忍ぶ・忍」みたいなね。
(町山智浩)そうなんですよ。で、それがすごくイギリスと日本で似てるんですけれども。カズオ・イシグロさんっていうのはそれをずっと描き続けてきた人なんですよ。だから、一番彼の有名な作品は『日の名残り』という小説で。映画化もされたんですが。それはイギリスの貴族の邸宅でずっと、それこそ何十年も働いてきた執事の話なんですね。で、彼はその父親が亡くなった日にも、執事としての仕事を立派にこなしたっていうことを本当に誇りに思うっていう人で。まあ、どうかしてる人なんですよ。日本でも、それこそ戦争で息子が死んだりした母親が褒められたりするわけじゃないですか。
そういう、はっきり言うと異常な世界、異常な倫理の中で生きているのがイギリス人と日本人なんだということをイギリスを舞台にした話でも描いてるし。日本を舞台にした話でも描いて、それを交錯させてきた人がカズオ・イシグロさんなんですね。で、特に『日の名残り』では人生の最後に執事が、今まで自分がずっと自分の意見を言わないできたことが、どれだけ世の中を悪くしたか。それに最後、気がつくんですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)というのは、彼が執事として仕えていた貴族は、ドイツと非常に仲が良くて。ナチスドイツに対する締め付けに反対したというイギリス人なんですね。で、実はイギリスはナチスが出てきた時に、ナチスを叩くか、叩かないかで、ものすごい2分されたんですけれども。「もし、今までドイツと戦争してきたとしても、我々は貴族であり、紳士なんだから、ドイツがヒトラーとか出てきたと言っても、それを叩くのはよくない」と言って反対したのが、その主人公の執事が仕えていた貴族なんですけれども。主人公はそのことが間違っているっていうことに気がついてたんですけど、それを言わなかったんですよ。
要するに「自分は執事だから、そんなことを言う権利はない。正しい執事はそんな意見を言わないもんだ」と思っていて言わなかったがために、どんどんと事態が悪くなって。それでナチスがチェコやポーランドに侵攻してしまったっていう事実があるんですね。で、それを「しまった! あの時、言っておけばよかった」と。そう思っても、もう遅いんですよ。もう人生は『日の名残り』。終わりかけている。「今まで、俺の人生って一体、何だったんだ?」って思うのが『日の名残り』という小説なんですが。
明らかにこれは『生きる』の影響を受けてるんですよ。『生きる』の主人公はね、「人生、自分は今まで何してたんだ?」っていうことで、はっと気づくんですけど。今まで、市役所にずっと嘆願書を出してた市民たちがいたんですね。それは敗戦からそんなに時間が経っていないんで。日本はその頃、いろいろと戦争の時に破壊された跡がそのまま残っていて、修復されていなかった時代なんですよ。1952年だから戦争が終わってからまだ7年しか経ってないんでね。
で、ある地域に暗渠……要するに、下に川が流れて上に陸地をつけちゃったところがあって。そこで水がよどんで、中でドブみたいになっていて。そこは蚊がわいていて、非常に子供たちに危険だと……その頃、蚊で日本脳炎とかになっていましたから。それで「この暗渠をその整備してほしい」っていうことで、市民が嘆願書を出していたんですけど、市役所の方で「いや、それはちょっとうちじゃなくて、土木課だな」とか。で、土木課では「いや、それは下水課でしょう?」とか。それで次々と「いや、それは保健所の管轄じゃないの?」とかって、どんどんたらい回しにしちゃうんですよ。で、たらい回しにして、全然そこが解決されないんですね。
(赤江珠緒)うんうん。
(町山智浩)で、主人公はそれを全部解決して。その暗渠をつぶして児童公園を作ろうとして。その残りのわずかな数ヶ月の命をそれにかけるという話が『生きる』なんですよ。で、それをカズオ・イシグロさんは同じ1950年代のイギリスの市役所で働く紳士の話に置き換えてやっています。で、ビル・ナイという俳優さんが非常にもうイギリス紳士のね、いつもスーツをきちっと着て、帽子をかぶって、きちっと丸めた、ピチッと巻いて絶対にささない傘を持ってるっていうようなイギリス人なんですけど。
(赤江珠緒)ささない傘を持っている(笑)。
(町山智浩)イギリス人は傘、ささないんですよ。ピチッと傘をきつく、きれいに巻いてるんで。それが彼らの紳士の身だしなみなんで。どんなに雨が降ってもささないんですよ。
(赤江珠緒)たしかに(笑)。細くきっちり巻いてますよね(笑)。
(町山智浩)そう。あれがイギリス紳士なんですけども。そういう人がビル・ナイという俳優さんが演じているんですけども。で、全く同じような状況になって。がんだと知っていろいろとやるんだけども、生きる意味が見つからなくて。とうとう、その生きる意味を人々のために尽くすという……まあ、市役所なんだから、それが仕事なんだけど。初めて「ああ、それだったんだ」って気がついて、それを命がけでやるんですね。という話なんですよ。
で、この志村喬さんバージョンで一番すごいのは、土木課のことでいろいろやってると、地元のヤクザが出てくるんですね。「なにを勝手にやってんだよ?」ってことでヤクザが来て、志村さんを脅しに来るわけですよ。そうすると、そのヤクザの親分が志村喬さんの目を見て、びびって帰っちゃうんですよ。だって、何も怖いものがないんだもん。
(山里亮太)ああ、そうか。死が迫っているから。
(町山智浩)そう。というあたりで、非常に面白いのがその黒澤の『生きる』なんですけども。そうなったら、どうしますか?
(山里亮太)いや、それは考えますよね。
(町山智浩)自分ががんだと知ったら、どうします?
(赤江珠緒)そうね。
(山里亮太)恨みを晴らしに行っても仕方ないもんね。「こいつに最後に……」ってなっても。
(町山智浩)そう。何をしますかね? まあ、子供とかがいたら、子供に何か残さなきゃなんないから。それが一番になるけども。この主人公はもう既に子供が成人してるんで、それはないんですよね。だから人々のために何かをしようとする。地元の子供たちのためにね。というところなんですけれども。でも人間、実はいつ死ぬかはわかんないんで。明日、死ぬかもしれないし、この数時間後に死ぬかもしれないんで、実はみんな同じ状況なんですけど。気がついてないだけですね。はい。常に「いつ死ぬか、わからない」と思いながら生きるのと、死ぬってわかって生きるのとは、実は状況は同じなんですが。人間はあんまり切羽詰まらないんですね。
(赤江珠緒)普段は忘れられているっていうね。そうですね。
(町山智浩)だからこの映画は「とにかくその気持ちで普段も生きようよ」っていうことなんですけど。これね、この日本の黒澤版の『生きる』とイギリスのカズオ・イシグロ版を比べるとね、似てるようでかなり違うというのが面白かったですね。
(赤江珠緒)ああ、そうですか? でもストーリーを聞くと、ほぼそのまんまですよね。
似ているようでかなり違う
(町山智浩)ストーリーは、完璧に同じですね。でも、描写が違うんですよ。さっき言ったたらい回しのシーンはね、黒澤版はね、15ヶ所ぐらいをたら回しにされるんですよ。土木課、児童課、下水課、保健所とかって、15ヶ所ぐらいあるんで。「もう勘弁してくれ!」って気になるんですけど。カズオ・イシグロ版は謙虚に5ヶ所ぐらいなんですよ。さらっとするんですよ。だからね、上映時間が30分ぐらい短いんですよ。イギリス版の方が。
(赤江珠緒)ああ、そうですか。
(町山智浩)で、この映画が見た人だったら覚えてると思うんですけど。たぶん赤江さんも言われれば思い出すと思うんですけど。実は、本当のクライマックスは主人公が死んでから始まるんですよね。
(赤江珠緒)うんうん!
(町山智浩)お葬式になるんですよ。お通夜になって。そうすると、市役所の同僚とか上司が来るんですよ。で、来るとまず最初に「公園を作ったっていうことは彼の手柄ではなくて、市役所がみんなで一生懸命やったことなんだ」っていうような、その自分褒めをし始めるんですよ。しかも彼らはその作業をなかなかしなかったくせに、それ自体が恥ずかしいから保身のために「実はそういうのは難しいものでね。ああいう彼みたいに強引に話をまとめちゃいけないんだ」とか言い出すんですよ。覚えています?
(赤江珠緒)そうそうそう! そうでしたね。
(町山智浩)そこでもう、役人たちが小役人根性をむき出しにして。「本当にこいつら、最低だな」っていうところを見せて。観客が「日本はだからダメなんだ! 全ての日本の悪いことはこういう無責任で保身だらけの役人根性が会社でも何でも、あらゆるところにあるから。だからダメなんだ!」っていうことが死ぬほどわかるぐらい、30分ぐらいでそれをやるんですよ。黒澤監督は。
(赤江珠緒)そう。本当にもう、そうですよね。まどろっこしいぐらい、その部分とかがありますもんね。
(山里亮太)この頃から、そういうことを言っているだ。
(町山智浩)そう。黒澤監督はね、とにかく観客の胸ぐらを掴まえて、その顔に向かって怒鳴るみたいな映画を撮る人なんです。だから「役人は悪いんだよ」っていうことをなんとなく思わせるとか、そんなんじゃなくて。「わかったか? 役人は悪いんだ! 日本人はだから悪いんだ!」なんてことを……もう「わかりました、わかりました!」ってなるぐらいに。
(赤江珠緒)「これでもか」と(笑)。
(町山智浩)そう。「これでもか? これでもか?」ってやるんで。「もうわかったんで。勘弁してください!」っていうところまでやるのが黒澤タッチなんですけども。カズオ・イシグロさんがやっぱり英国紳士的な、さらっとしたところがあるんで、それをさらっと流すんですよ。そこもね、「ああ、ここに違いがあるんだな」と僕は思ったですね。
(赤江珠緒)ああ、そうですか。そこはさらっとしていても、でも、いいんですね?
(町山智浩)さらっとしてる方が、効果的だと思ったんだと思うんですよ。
(山里亮太)「物足りない」みたいにならないんですね?
(町山智浩)うーん。「このぐらいでいいか」っていうところなんですよ(笑)。黒澤監督の方は「もう勘弁してください!」っていうところまでやるんで。
(赤江珠緒)たしかに。本当にそういう気持ちになった覚えがありますもん。