町山智浩『オフィサー・アンド・スパイ』を語る

町山智浩『オフィサー・アンド・スパイ』を語る たまむすび

町山智浩さんが2022年5月17日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中でフランス映画『オフィサー・アンド・スパイ』を紹介していました。

(町山智浩)ということでですね、今日ご紹介する映画はもうすぐ公開のフランス映画なんですが。『オフィサー・アンド・スパイ』という映画です。はい。フランスで大ヒットして、いろんな賞を取ったりしてるんですけれども。6月3日から公開ですね。で、この『オフィサー・アンド・スパイ』の「オフィサー」というのは軍隊の士官のことですね。で、「スパイ」はスパイですが。これは1894年にフランスで実際に起こった「ドレフュス事件」という事件の映画化です。これ、聞いたことあります?

(赤江珠緒)いや、ドレフュス事件って、ちょっと存じ上げないのですが。

(町山智浩)これは実はその後の世界の歴史はものすごく大きく変えた、大変な事件なんですね。この事件があったかなかったかで、その後の世界の歴史は変わってるんですね。で、これは1849年にフランスの軍人のアルフレド・ドレフュス大尉がですね、フランスの隣の国のドイツに大砲に関する情報を売っていたということで、陸軍の情報部……だからCIAみたいなところですね。そこに告発されて。ドレフュスさんはスパイ容疑で有罪になるんですよ。で、この映画はですねそのドレフュスさんが公衆の面前で、みんなものすごい人が集まってるところで軍服から階級章を引きちぎられてですね、軍刀……サーベルを折られて軍の帽子、軍帽を破られて。軍人としてのですね身分を全部、剥奪されて刑罰を受けるところから始まるんですよ。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、ドレフュスはその後ですね、南米にあったフランスの領土のギアナっていうところの悪魔島という絶海の孤島に島流しになります。そこはですね、脱獄不可能で。脱獄した人は「パピヨン」と言われてる人1人しかいないというところに送られるんですね。

(赤江珠緒)パピヨン、よく脱獄できたね。

(町山智浩)それも映画になっています。スティーブ・マックイーン主演で。その脱獄もすごいんです。はい。で、この映画『オフィサー・アンド・スパイ』はオフィサー、つまり士官の人が主人公になるんですが。その人はドレフュスじゃない軍人なんですよ。ドレフュスが有罪になった後に、その彼を有罪にした陸軍情報部の長官に任命されたピカール中佐という人が主人公です。で、このピカールさんがその情報部に入ってみると、まあそこはデタラメなんですね。機密の保護とか全然してないし、出入りは自由だし、文書の保存とかしてないし、もう杜撰なところだっていうことがわかるんですよ。

で、このドレフュスがドイツの大使館に情報を売っていた。手紙のやりとりをしていたとして、ドイツ大使館に忍び込ませていた掃除のおばさんからその破った文書を拾わせて。それを証拠としてドレフュスを有罪にしたんですが……その証拠の手紙っていうのは筆跡を見たら明らかにドレフュスのと違うんですよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)全然違うんですよ。完全に冤罪で、別に犯人がいるんですよ。どう考えても。で、「なんだ、これ?」っていうことでこのピカール中佐がですね、「これはどうして起こったんだ?」ということで周りの人たちに聞いていくと、ドレフュスという人はユダヤ系だったんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、ユダヤ系だったんで「どうもこいつだろう」っていうことで適当な、なんていうか、証拠なしで。だから差別と偏見で彼がスパイだと決め付けちゃったんですよ。しかもそれが報道されると、この冤罪に非常に差別的な右翼的な新聞が飛びついてですね、「ユダヤ人はスパイだ! 危険だ!」という記事でキャンペーンをやったんですね。で、そのフランスにいたユダヤ人とか移民とか、そういった人たちに対して反発する人たちが大騒ぎして。政府もそれに乗っかるということで国家ぐるみのでたらめなことが行われていたということがわかって。で、このピカール中佐は「全部、わかりました。証拠は全部、これです:と言って、自分の上司である陸軍大臣とか、そのトップにいる大統領にそれを提出するんですよ。

(赤江珠緒)うんうん!

(町山智浩)そうすると政府の方はですね、「お国が間違ったということになると政権の威信に関わるから黙っていなさい」っていうことで、もみ消されることになっちゃうんですね。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)という事件がドレフュス事件なんですけれども。これがですね、フランスにとって非常に歴史上の汚点となってるんですよ。

(赤江珠緒)まあ、完全に間違ってますもんね。

フランスの歴史上の汚点

(町山智浩)はい。で、一番大きいのはですね、フランスは1940年にナチスドイツに戦争で負けて占領されるんですけども。そこからフランス国内でのユダヤ人狩りというのが始まって、「フランスはドイツに占領されたから仕方なくユダヤ人狩りをしたんだ」っていう言い訳をしてたんですね。でも、そのナチスドイツに占領されるも40年も前に、フランスではものすごい差別があったってことを証明しているのがこのドレフュス事件なんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そういうことか。

(町山智浩)はい。フランスは元々、ユダヤ人差別があった国なんですよ。で、この映画の監督はですね、ロマン・ポランスキーという監督で。この人自身もユダヤ人なんですよ。ポーランド人で、6歳の時にポーランドがナチスに占領されて。そこから6歳なんですけど、子供だったからね、いろんな善意の人たちの家に匿われて。それで6年ぐらい生き続けたんですけれども。で、戦争終わって1人、生き延びたんですが、親はアウシュビッツで殺されてしまったというのがこの監督なんですよ。だからそのユダヤ人差別に対して、ものすごい怒りを持ってる監督なんですね。

でね、このでっち上げ事件であるドレフュス事件っていうものはね、すごくこの後、変な展開にどんどんなっていくんですね。このピカール中佐、告発をしようとしたから逮捕されることになっちゃうんですよ。

(赤江珠緒)えっ、今度はピカールさんが?

(町山智浩)何も悪いことをしてないですよ。「告発をしたから、こいつを黙らせよう」っていうことで政府から逮捕されそうになるんですよ。で、逮捕されたらこれはもうどうしようもないっていうことで、新聞に情報をリークするんですね。「こんなことがあった」って。で、新聞が出るんですけど。逮捕される直前にね。それで記事を書いたのはエミール・ゾラという小説家なんですね。この人の名前は聞いたことがあると思うんですけど。『居酒屋』という小説が大ベストセラーになったんですが。フランス国内の非常に貧しい人たちの生活を非常にルポルタージュ形式で徹底的に調べて書いた、自然主義文学というものを確立した大作家なんですね。

当時からもう、世界的な作家だったんですが。このゾラさんが新聞の一面に「私は弾劾する」というタイトルの記事で大統領とか政府に当てて「ドレフュス事件はでっちあげで、その後の隠蔽とか証拠隠滅を政府ぐるみでやっていた」ということを告発したんですよ。で、これでフランスが真っ二つにわかれちゃって。その「ドレフュスは無実だ」っていう人たちと「ドレフュスは有罪だ」っていうユダヤ人差別的な人たちとでフランスが二つにわかれて、大変な論争になっていくんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、あのルノアールという画家がいますよね。かわいい女の子の絵を書いて。

(赤江珠緒)きれいな色のね。

(町山智浩)ねえ。あの人もその当時、「ドレフュスとかユダヤ人、あんなやつらは出ていけ!」っていうことを言ったりしてるんですよね。

(赤江珠緒)ああー、すごく平和的な絵を書いているイメージですよね。

(町山智浩)そうなんですよ。だからやっぱり差別意識があったんですよ。その人の中にもね。はい。で、どうしてそういうことになっちゃうかというと、これがまたややこしくてね。なぜ、ドレフュスみたいなユダヤ系の人がフランスにその頃、いたのかというと、彼はアルザスという地方の人なんですよ。これ、『最後の授業』という有名な話を聞いたことありますかね?

(赤江珠緒)ああ、ありますね。うん。

(町山智浩)あれはアルザスの話なんですよ。あそこはドイツとフランスの国境なんで、ドイツになったり、フランスになったりするところなんです。で、『最後の授業』っていうのはだからフランス語の授業が最後になっちゃうんですね。ドイツになったり、フランスになったりしているところで。そこにいたユダヤ人なんで、信用されないわけですよ。「ドイツの仲間なんじゃないか?」っていう風に思われるんです。だからすごく複雑な事情があってですね。で、ゾラも世界的な作家なんですけれども、政府に対して「こういう隠蔽をやっている!」って告発記事を書いたら、それに対して政府はどうしたと思いますか? 政府っていうか、政治家たちは。

(赤江珠緒)ええっ? 政治家たちは……?

(町山智浩)名誉毀損で彼を訴えたんですよ。

(赤江珠緒)ああ、また?

(町山智浩)そう。これ、とんでもない話で。これはいわゆる「スラップ」ですね。で、ゾラは有罪になっちゃうんですよ。で、これね、アメリカではこういったことは禁止されてるんですよ。日本ではそれを禁止する法律がないんですが、アメリカでは政治家とか、公務員であるとか、政権とか。そういった人たちを批判する記事に関しては、公益性があるので。つまり、それは世間にとって大事だから。人々にとって大事だから。だからその批判する記事に対してそれを名誉毀損で訴えることはできないという法律があるんです。

(赤江珠緒)ああ、それ、言いますね。うん。

(町山智浩)反スラップ法というのがあって。いくつかの州にあるんですね。まあ、ほとんどの州、30州ぐらいあるんですね。アメリカは。これ、その当時のフランスにはなかったんですよ。つまり、権力者とかが自分が批判された時、それを名誉毀損で訴えて黙らせることができるんですよ。これ、日本にも反スラップ法はないんですよ。だから日本はジャーナリストとかが政治家とか政府を批判した時に、名誉毀損でやられる可能性があるんですよ。

(赤江珠緒)そうなると、萎縮していきますもんね。

(町山智浩)はい。これ、100年以上前のフランスの話なんですけど。日本は今でも当時と同じような状況だっていうこと、ちょっと覚えていてほしいんですけど。で、この後にドレフュス事件に関わった人たち……その捏造に関わっていた役人が自殺したり。これもよくある話ですね。日本でも。今でもあります。これ、100年前にフランスであったことが今でも日本であるんですけど。あと、ドレフュス側の弁護団の人が右翼と襲われて、銃撃されたりとかですね。どこかで聞いたような話ばっかりなんですが。ということが起こって、どんどん大変なフランス中を揺るがす大事件になっていくという話がこの『オフィサー・アンド・スパイ』なんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、これね、日本ではね、実は1930年にすごく大きく、ちゃんと取り上げられたんですよ。大佛次郎さんっていうジャーナリストがいるんですけど。『天皇の世紀』とかで有名な人ですけど。「フランスでこういう事件が起こっている」ということを彼は日本に紹介してるんですよね。「これは大変なことだ。ユダヤ人差別というひどいことがあるぞ!」って言ってるんですけどその後、日本はユダヤ人を虐殺するドイツと手を組んだりするんですけどね。その、わずか10年ちょっと後で。だからいろんな問題がこの映画の中には含まれていて。じゃあなぜ、これが現在と関わっているかっていうと、これを見ていた1人のジャーナリストがいるんですよ。ハンガリーから来たジャーナリストが。

で、ドレフュス事件を取材していくうちに、「証拠が何もないのにユダヤ人だというだけで『あんなやつを追い出せ! あんなやつ、有罪でいいんだ!』っていう人がこんなにもたくさんいるんだ」っていうことを知って、愕然とするんですね。そのハンガリーから来たジャーナリストはテオドール・ヘルツルという人なんですが。で、彼自身がユダヤ人なんで、怖くなっちゃうんですよ。「これは大変なことが起こっている」って。これね、実はその頃、オーストリアのウィーンでは「ユダヤ人を差別しない」っていう法律ができて、ユダヤ人の人たちが匿われたりしてた状況があったんですけど。

「この状況もいつ、ひっくり返るかわからないぞ。もう一瞬にして、差別っていうものは爆発するんだ。これは怖い!」っていうことを気がついて。それでこのヘルツルという人は「もうダメだ。ユダヤ人はユダヤ人の国を作らないと殺されてしまう」って思うんですね。で、実際にその彼の危惧は当たるわけですけど。そのわずか40年後にホロコーストが起こるんでね。で、このヘルツルさんは「ユダヤ人国家を作るんだ。ユダヤ人はパレスチナのあるところに戻って、イスラエルを作るんだ」っていうことを初めて言った人なんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そうか……。

(町山智浩)この人が言わなければ、イスラエルっていう国は生まれなかったんですよ。だからこの「歴史を変えた」っていうのは、そこなんですよ。つまり、ドレフュス事件があったから「怖い」っていうことでイスラエルっていう国を作ろうということになって。だから、もし差別がなかったらイスラエルを作らなくてすんだわけですよ。

(赤江珠緒)でもそこまでも、やっぱりヨーロッパのいろんな地域でユダヤ人というのは差別されてる状況だったんですか?

ドレフュス事件がイスラエル建国につながる

(町山智浩)ユダヤ人がなぜ差別されてるか?っていうと、実は紀元1世紀にですね、ユダヤ王国っていうのがあったわけですけども。パレスチナにね。そこがローマ帝国内にあったんですよ。ところが、完全な独立をしたいってことでローマ帝国に逆らったんで、ローマ帝国に潰されて国が完全に消滅してしまって。そこに住んでたユダヤ人たちがヨーロッパ全土に住まなきゃなんなくなっちゃったんです。だから彼らは難民なんですよ。実際は。それで今、世界中に難民がどれだけいて、その彼らがどれだけ差別されてるか?ってことなんですよ。世界最初の難民問題と言ってもいいぐらいなんですよ。ユダヤ人問題っていうのは。

(赤江珠緒)ああ、そうか。

(町山智浩)その後、2000年続いたんですよ。ユダヤ人難民問題っていうのは。

(赤江珠緒)ねえ。今もなお、そうですね。

(町山智浩)だって今、ウクライナっていう国が消滅しそうになってるじゃないですか。そしたら、ウクライナの人たちは世界中に散らばるんですよ。ユダヤ人問題っていうのは常にずっとある問題なんですよ。で、またね、この『オフィサー・アンド・スパイ』がややこしいのはね、このピカールという中佐がすごく正義の男として描かれてるのか?っていうと、そうでもなくて。結構、なんていうか女ったらしなんですよ。ハンサムで。で、自分の上司にあたる人の奥さんとエッチしてるんですね。それが途中でバレて、そのドレフュス事件を隠蔽しようとする側に「ピカールというのはスケベ野郎だ!」ってことを書かれて。マスコミでバンバン叩かれちゃうんですよ。これも現在、ある問題じゃないですか。

(赤江珠緒)そうですね。なんか、デジャヴ感、ありますね。

(町山智浩)ねえ。彼自身は政権と戦おうとしてるわけですけど。すると、シモの方のことで暴かれて叩かれるというね。もう今と全部通じていることなんですね。で、またこのロマン・ポランスキー監督自身がそれをなんでちゃんとここで描いているか?っていうと、彼自身が1970年代にアメリカで未成年の女の子と行為をしてしまって。で、その女の子からレイプで訴えられて。事実関係はよくわからないんですが、彼はそのままアメリカからフランスに逃げている状態なんですよ。

フランスというか、ヨーロッパにね。だから、フランスでもアメリカでも「こういうレイプ野郎、ロリコン野郎のことは絶対に許さない!」って言ってる人たちは今もいっぱいいるんですよ。で、これもどうしたらいいかわからない問題なんですよ。だからもう本当にね、すごい複雑でね。たぶんこの映画、ロマン・ポランスキーが監督してるから絶対に見ないっていう人は日本にもいっぱいいると思いますよ。

(赤江珠緒)そうか。そうですか。

(町山智浩)だからもう本当に何が正しくて、何が間違ってるとかね。まあ、あらゆるいろんな問題がこのドレフュス事件とこの映画『オフィサー・アンド・スパイ』に集まっているということで、問題作ですね。はい。

(赤江珠緒)これ、でもフランスからするとね、ちょっとやっぱり汚点みたいな事件じゃないですか。でも映画としてはヒットしてるんですね?

(町山智浩)ヒットしたんですよ。でも、それでもフランスの女性監督とかで「この映画を評価することは絶対に許さない。ポランスキーが監督だから」っていう風に言ってる人もいて。

(赤江珠緒)ああ、そっちはそっちで、そういう問題で。

(町山智浩)だから非常に難しい問題なんですね。チャップリンがですね、『独裁者』という映画でヒトラーのユダヤ人虐殺……その頃は虐殺してるっていうことはわかんなかったんですけど。ユダヤ人迫害というものを非常に批判した人なんですけど、チャップリンも少女と結婚を繰り返してた人で。「彼を絶対に許さない!」っていう人たちはいるんですよ。で、彼も最終的にはアメリカを追放されてしまったんですね。だからね、本当にいろいろ複雑でね。なんとも言えないんですが。ただ、この『オフィサー・アンド・スパイ』っていう映画は非常に美しくて素晴らしい映画でしたね。

(赤江珠緒)そうですか。いや、ちょっとその事件のこともね、知っておくべき事件なんですね。『オフィサー・アンド・スパイ』は6月3日からTOHOシネマズシャンテ他、全国公開でございます。でも清廉潔白な人の作品しかダメって言われると、世の中ね、どれだけの人が作品出せるのか、みたいなところも出てきますけどね。難しいですね。かといって、認めるわけにもいかないという思いもあるのか。なるほど。町山さん、ありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

『オフィサー・アンド・スパイ』予告

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました