カルロス矢吹と玉袋筋太郎『日本バッティングセンター考』を語る

カルロス矢吹と玉袋筋太郎『日本バッティングセンター考』を語る たまむすび

カルロス矢吹さんが2022年2月18日放送のTBSラジオ『たまむすび』に出演。著書『日本バッティングセンター考』について、玉袋筋太郎さん、外山惠理さんと話していました。

(玉袋筋太郎)さあ、そんな矢吹くん、今日はどんなプロモーションなんでしょうか?

(カルロス矢吹)はい。今日はですね、僕が書いた最新刊『日本バッティングセンター考』というバッティングセンターの本をプロモーションしに来ました。

(玉袋筋太郎)またいいところに目をつけるねえ! もう最高! ジャストミートしてるよ!

(外山惠理)『日本バッティングセンター考』。

(玉袋筋太郎)バッティングセンターだもん! やっぱりね、バッティングセンターだよね! やっぱりこういう本が出ねえかなと思ってたのよ。そうしたら矢吹くんが。

(カルロス矢吹)作ってきました。はい。

(玉袋筋太郎)なぜ、このバッティングセンターに手を出そうと? そのボールに……。

(カルロス矢吹)そうですね。僕、野球は好きで。何年も草野球をやってるので、バッティングセンター自体もよく行くんですけど。バッティングセンターって、すごい日本人にとってポピュラーな施設じゃないですか。たぶん行ったことない人はあんまりいないと思いますし、もっと言えば野球をやったことない人でも、バッセンには行ったことあるよっていうの人の方が多いし。で、行ったこともないけど、バッティングセンターって言ったら共通認識としてどういう施設かっていうのはみんな、頭に浮かぶじゃないですか。こんな国、日本ぐらいなんですよ。バッティングセンターっていうものがこうやってあるのは。あと、アメリカと韓国にもあるんですけど、ちょっとずつ形式が違っていて。こんなにポピュラーなのに、日本第1号のバッティングセンターがどこか?っていうのも実はあんまり知られてなくて。

(玉袋筋太郎)どこだ? 日本初は?

(外山惠理)読んでてそれもびっくりした!

(カルロス矢吹)で、ちょっと僕、時間とお金を使って調べてみようかなと思って書いたのがこの本ですね。

(玉袋筋太郎)いや、すごいよ!

(外山惠理)びっくりしますよ。私の縁のある区でした。最初のバッティングセンターは。

(カルロス矢吹)日本第1号のバッティングセンターって、墨田区の錦糸町ですね。錦糸町の駅前に、今はパルコになっている楽天地ビル。

(玉袋筋太郎)ああ、楽天地。

(カルロス矢吹)あの楽天地ビルの屋上が第1号なんですよ。

(玉袋筋太郎)あそこが第1号なの? えーっ! それ、何年ぐらいなの?

(カルロス矢吹)1965年ですね。

(玉袋筋太郎)もう56年ぐらい前とかか。あら、そう!

1965年、錦糸町に最初のバッティングセンターがオープン

(外山惠理)でもなんか、すごい読んでと思ったのはやっぱりみんな、バーッと熱中するのに飽きやすいんですよね。なんか、日本人ってそういうところがあるのか……「日本人」っていうか、何人っていうのじゃないのかもしれないけど。なんかね、「だったらもっとずっと通ってくれよ?」って思っちゃった(笑)。

(玉袋筋太郎)最盛期っつーのには日本にどれぐらいあったんだろうね?

(カルロス矢吹)最盛期は1500店舗以上あったといいます。それは70年代末ぐらいに1500店舗以上あったっていうのが総務省の報告でありますね。で、今はもう半数以下に減ってるはずです。

(玉袋筋太郎)バッティングセンターっていうのはある程度、ブームになったというか、火が付いたってことなの?

(カルロス矢吹)大きいブームが2回、あるんですよね。1回目は1965年にできた後のすぐの時。65年から67年ぶりの時にバーッと盛り上がって。それが第1次で。その時に東京きっかけでいろんな地方にバーッと人気が出たんですけど。その後、ボウリングブームが来て。

(玉袋筋太郎)出た! それなんだよ。やっぱりボウリングとバッティングセンターの関係、なんか俺はありそうだなって思っていて。

(カルロス矢吹)そう。すごい密接にかかわっていて。ボウリングブームのせいで実はバッティングセンターって潰れてるんですよ。実はですね、その楽天地ビルのバッティングセンターがなくなった理由はわからないですけど、間違いなく言えるのは楽天地ビルのバッティングセンターがなくなった直後に、楽天地もボウリング場をオープンしてるんですね。なので、バッティングセンターで稼いでいた人たちが1回、ボウリングに流れていったところはあるんですよ。それで一気にボウリングブームがグッと行って。それでボウリングって72年がブームの最盛期だったと言われているですね。

(玉袋筋太郎)中山律子さんとか。

(カルロス矢吹)その頃、3700店舗あったって言われてます。3700あって、地上波のテレビ番組が1週間に14本、あったんですよ。ボウリングだけで。なんですけど……73年にオイルショックでボウリング場経営っていうのが一気に行き詰まるんですね。まず、みんなお金なくなるからっていうのと、あと、ボウリング場ってものすごい維持費がかかるんですよ。

(玉袋筋太郎)そう。箱がバッティングセンターよりもデカいし、その維持費ね。

(カルロス矢吹)全部機械で、しかも結構複雑な仕掛けになるじゃないですか。なので、ボウリング場を維持するためにボウリング場の駐車場のところ。空き地だったところにバッティングセンターをついでに作るっていう風な形態が一気に増えたんですよ。で、ボウリング場ってすごいブームだったんで、行列ができるじゃないですか。その行列を遊ばせないために、喫茶店と、待ってる人のためのインベーダーゲームみたいな簡単なゲーム機、ゲーム筐体みたいなものを置いていたんですよね。で、ボウリング場の横にバッティングセンターができたことによって、バッティングセンター、ボウリング場、簡単な食事、そしてえゲームセンターっていう、この日本の原風景みたいな。黄金の……。

(玉袋筋太郎)最高だよ! そこで育ててもらったようなもんだよ!

(カルロス矢吹)黄金のエンターテイメント施設が出来上がったんです。なので、ボウリングブームとバッティングセンターブームっていうのが結構地続きで。それで、生き残ったボウリング場がバッティングセンターもつくことによって数が増えていったんですよね。で、その70年代ぐらいのバッティングセンターが増えた時っていうのが第2回目のブームで。

(玉袋筋太郎)これ、最初のバッティングセンターっていうのは、ちゃんと球を投げてくるスタイルなの? それとも、俺は昔後楽園球場……だから東京ドームの前の頃の後楽園球場の周りにさ、トスバッティングのがあって。あれ、どっちの形式が先なの?

(カルロス矢吹)トスバッティングより、投げる方の形式の方が実は先なんですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、先なの? へー!

(外山惠理)それも出てきましたもんね。トスバッティングのも。

(カルロス矢吹)実は最初、その楽天地にバッティングセンターを作ろうとした人っていうのは、トスバッティングを開発して。これを売り出そうとしたんですよ。これは神戸の町工場のおじさんなんですけど。

(玉袋筋太郎)当たらねえんだよ。あのトスバッティングが。全然当たらねえの。打てねえの。

(外山惠理)玉さんもよくバッティングセンター、行ってたクチですもんね?

(玉袋筋太郎)俺はだからその新宿の方のね、バッティングセンターによく行ってたんだけども。そうそうそう。それだったのね。それでこう、投げる形になっていった? へー! よく漫画でもさ、バッティングセンターの、ビヨーンって腕みたいな、アームでビューンって投げるタイプとさ、あとは漫画でギューン!ってローラーが回って、そこからブシューン!って出てくるのと。あの方式、メーカーっていうか。日本製、外国製ってあるの?

(カルロス矢吹)基本的に日本で出てるピッチングマシンっていうのは99.99パーセント、日本製だと思います。

(玉袋筋太郎)すげえ! ああ、そう? へー! いや、変化球を投げられるようになったりとかね。ああいったものも、そういうことか。

(カルロス矢吹)最近だと空気圧でボールを出すっていうのも出てきていて。それだと、あらゆる変化球を再現できるって言われてます。

(玉袋筋太郎)じゃあ、神宮球場の周りにあるやつとか、そうなのかな?

(カルロス矢吹)あれはアーム式ですね。

(玉袋筋太郎)アームなんだ。へー! すげえ! アメリカはどうなの? だってアメリカは野球の……。

アメリカのバッティングセンター

(カルロス矢吹)アメリカはですね、バッティングセンターって言わないんですよ。バッティングケージって言って。「ケージ」は「籠」っていう意味ですけども。プロ野球で試合前に打撃がお客さんの席に飛ばないようにするケージってあるじゃないですか。あれのことなんですけども。で、バッティングケージって言うだけあって、アメリカだからできる話なんですけども。もうグラウンドの真ん中ピッチングマシンが1個、ポツンと置いてあって。「自由に打っていい」っていう。だから20分で10何ドルとか、そういう風に自由に打っていいっていうのか、オーナーさんが投げれるんだったら、オーナーが投げてくれるんですよ。

(玉袋筋太郎)ええっ?(笑)。

(カルロス矢吹)アメリカってそういうのなんですよ。だからもう、バッティングセンターって言うよりかは完全に野球の練習場なんですよ。打撃練習場。

(外山惠理)そういうね、日本のバッティングセンターの始まりからさ、そういうのもあるんだけど。いや、本当に「バッティングセンターの本か……」と思って読み始めたわけ。そしたらさ、最初にね、気仙沼のバッティングセンターの話が出てくるの。でさ、その話がさ、もう私は感動しちゃってさ……。なんてていうんだろう? この本にはバッティングセンターがいくつも出てくるんですけど。ほんの数ページなんですよ。ひとつのバッティングセンターについて、書かれているのは。だけど、そこでやっている人の人となりとか。

(玉袋筋太郎)なぜ始めたのかって。

(外山惠理)そう! そういうのがすごく、矢吹さんって本当にインタビュアーなんだなと思ったんだけどさ。もう、感動で。全てに行きたくなる。行った気持ちになれるんだよね。それで、なんか。だからバッティングセンターガイドブックじゃないけど、「ここに今度、旅行に行ったら絶対ここに行こう」って思いたくなっちゃうような人がまたバッティングセンターをやっているんですよ。

(玉袋筋太郎)まあ、わかる。なんとなく、わかる。

(カルロス矢吹)バッティングセンターってオーナーさんの人間力に支えられている施設なんで。

(玉袋筋太郎)やっぱりなんとなくイメージではチェーン店みたいなところだなと思ってるんだけど、そうでもない? 個人で要するにはじめてみるみたいなバッティングセンターがあると、やっぱりストーリーって絶対あるわけじゃない? なぜ、こういうことをやろうとしたか、とかね。

(外山惠理)うん。いや、すごいのよ。それでみんなさ、儲けようと思って……まあ、はじめはそういうきっかけがあったかもしれないんだけど。結局、なんかその土地とかさ、そこの土地を元気にしたいっていうのかな? あとは来る人たちを楽しませたいっていうので、自分のことは二の次みたいな人たちがすごく多いんだなと思っちゃって。まあ、この本に載ってないバッティングセンターの人は知らないよ? どういう人かは。だけど、そう感じてね、とってもいい本!

(玉袋筋太郎)繁華街であるバッティングセンターとはまた違うね、話を書いてあるというか。

(カルロス矢吹)でも繁華街の方にあるバッティングセンターも割と、実は行っています。ただ、そこもやっぱりオーナーさん、そういう思いで。いろいろあってやってるので。

(玉袋筋太郎)いいねえ!

(外山惠理)ちゃんとね、ほら。協力店一覧って住所とか電話も出てるんですよ。行ってみたくなっちゃって。タイのバッティングセンターもあって。

(玉袋筋太郎)タイ!?

(カルロス矢吹)そうです。最後、タイの話で締めています。タイのバンコクにバッティングセンターを作った日本人の方がいまして。その人にも会いに行きました。

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(外山惠理)これ、写真も全部矢吹さんが?

(カルロス矢吹)はい。写真、僕ですね。

(外山惠理)これ、写真も最高ですよ! かならずさ、そのバッティングセンターのお話が終わったら写真も載ってるし。最初はカラーでも載ってるんですけど。

(玉袋筋太郎)これはやっぱりいいところに目をつけたよな!

(外山惠理)本当に。それで最後はね、瀧さんとね、対談をしていて。

(玉袋筋太郎)おお、ピエール瀧と対談! 彼こそ、ミスター草野球、ミスターバッティングセンターだと思っているわけよ。

(外山惠理)本当、本当。

ピエール瀧とのバッティングセンター対談も収録

(カルロス矢吹)帯文もね、瀧さんにいただいているんで。

(玉袋筋太郎)これがまた、いい帯を書いているんだよ、あれ。

(外山惠理)でも瀧さん、言ってましたよね。自分でね。「バッティングセンターって、お客さんが誰もいなくて。照明がジワーッとにじんでいて。バッティングセンターって暇なやつとか寂しいやつを受け入れてくれる場所だよね」っていうさ。

(玉袋筋太郎)100点満点だよ、これ! 200点満点だ、このコメントは! 素晴らしいね!

(カルロス矢吹)しかも、この本の最初に書いてあるその気仙沼のバッティングセンターの話って、元々僕、外山さんと瀧さんが『たまむすび』をやられている時、木曜日に話したんです。この本を作ったのは、そのことがきっかけなんです。

(玉袋筋太郎)ああ、そう? バッティングセンターの話を。

(カルロス矢吹)でも外山さん、完全に忘れてましたけどね(笑)。

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(外山惠理)そう。「ええっ?」って思って。いや、本当にね、これはちょっと本当に読んでほしい。

(玉袋筋太郎)読みますよ! 今日、いただいたんでね(笑)。

(外山惠理)なぜ、その気仙沼のバッティングセンターの機械が7台なのか?っていう理由とか。でも、この話がきっかけで、バーッと取材して……っていうこと?

(カルロス矢吹)そうです、そうです。

(外山惠理)すごいですね、それ。

(カルロス矢吹)だから結構、時間がかかっちゃいましたね。その外山さんに取材報告をしに行ったのが2017年なんで。もう5、6年かかったっていうことですからね。取材を始めて、これが形になるまでにそのぐらいかかっちゃったので。

(玉袋筋太郎)でも本当にそれで素晴らしい本になってると思いますよ。その苦労が全て出ている。

(外山惠理)矢吹さん、取材する時に取材力が半端ないから、全部時間が掛かる本ばっかりですよね。

(カルロス矢吹)そうですね。時間はめちゃくちゃかかります(笑)。

(玉袋筋太郎)バッティングセンターをやったら、あとは釣り堀ぐらいしかなくなってきたね、これは(笑)。

(外山惠理)釣り堀ね(笑)。

(玉袋筋太郎)それぞれのね、マイバットで行ったりとかね、その来ているお客様たちとの関係とか。またそういうのもたまらねえだろうな。

(外山惠理)なんかね、そっけないバッティングセンターに自分が行っていて。「こうじゃないバッティングセンターを作りたい」と思って作った人とか。だからちゃんと、ずっといるわけ。その人が。もうずっと、常連さんとかとも会っているわけじゃない? 「がんばれよ」って声をかけたりとか。そういう、なんて言うの? 人と人との……その人となりが本当にわかるですよ。読んでいると。

(カルロス矢吹)それ、たぶん広島のバッティングセンターですね。

(玉袋筋太郎)バッティングセンターのおやじっつーのも憧れるもんな。ねえ。

(外山惠理)でも瀧さんなんて「バッティングセンター、やりたいんだよ」なんて、ねえ。

(カルロス矢吹)ずっと行ってますよね(笑)。

(玉袋筋太郎)やりゃあいいんだよ(笑)。

(カルロス矢吹)たしかこの本でも言ってますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)そのかわり、変なものを打つなよって話だけどな(笑)。

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(外山惠理)いや、本当にいい話だった。バッティングセンター。

(玉袋筋太郎)でも、バッティングセンターは減り続けてくっていう感じのジャンルなのかな?

(カルロス矢吹)ですけど、「こういう形で生き残っていくんだろうな」っていうような、ちょっと希望的な観測も最後の方にはいろいろ入れてますので。そのへんは本を読んで確認していただければなと思います。

(玉袋筋太郎)いい本だよ!

(外山惠理)ちょっとなんか、寄りたくなっちゃったもん。機械とかもなんか勉強すればちょっといじれるようになるのかな、とか。そういうのが大変だったりとかね。いや、ちょっとぜひ多くの方に読んでいただきたいなと。

(玉袋筋太郎)これは本当にイチオシでございますよ。

(外山惠理)『日本バッティングセンター考』。双葉社から昨日、発売になったんですね? 税込み、2035円っていうことでね、本当に1人でも多くの方に。

(玉袋筋太郎)サイン会とか、なかなかできないしな。

(カルロス矢吹)そうなんですけど、渋谷の大盛堂書店っていうセンター街のところにある書店なんですけど。あそこに僕のサイン本をいっぱい置いてくださっていまして。あそこに行ったらサイン本を買えるのと、大盛堂書店さんはサイン本の通販も行ってらっしゃるらしいので。大盛堂書店さんのホームページから、サイン本がほしい方はぜひ、ご購入ください。

(玉袋筋太郎)いいねえ! サインボールもつけちゃえばいいんだよな。今度な。

(カルロス矢吹)サインボール、つけたいっすね!(笑)。

(玉袋筋太郎)つけたいよな? あのバッティングセンターのさ、イボイボが取れたツルツルのボールで(笑)。

(外山惠理)ボールをちゃんと新品に変えてやっているっていう。ずっとそのままだと、やっぱり来なくなっちゃうんだって。

(玉袋筋太郎)新宿はツルツルなんだよな(笑)。

(外山惠理)ねえ。面白い本を。本当に。

(玉袋筋太郎)ありがとう、ありがとう。いただいちゃって。

(カルロス矢吹)面白いと思いますんで。

(外山惠理)これは本当に面白いです! そう。「これは」って他がどういう本のことを言っているのかわかんないけども。

(玉袋筋太郎)謎多き娯楽施設っていうのがまたいいよね。たしかに、娯楽施設だな。

(外山惠理)ということで、今日はカルロス矢吹さんにお越しいただきました。また来てくださいね。

(カルロス矢吹)よろしくお願いします。ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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