星野源・三浦大知・松重豊 新宿の思い出を語る

星野源・三浦大知・松重豊 渋谷・原宿の思い出を語る 星野源のオールナイトニッポン

三浦大知さんと松重豊さんが2021年11月23日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』にゲスト出演。『おげんさんといっしょ』の生放送を終え、車でNHKから有楽町のニッポン放送に移動をしながら通りかかった新宿の思い出を星野源さんと話していました。

(星野源)あっ、新宿、来た?

(三浦大知)新宿ですね。

(松重豊)ガードを超えるね。

(星野源)うわっ、本当だ。新宿だ! いやーん、懐かしい! ここで昔、エッチなビデオを買いました。

(三浦大知)アハハハハハハハハッ!

(星野源)このあたりでね。懐かしいです! これ、松重さんはもうどう考えても新宿に思い出、あるでしょう?

(松重豊)「思い出がある」っていうか、今、思い出横丁って書いてあったけど、そんな名前じゃなかったから。ションベン横丁ですから。

(星野源)ああ、そうかそうか。ションベンなんですね。

(松重豊)だからもう、演劇の有象無象たちがもう、このへんは下北とは違う温度でたむろしてたんで。やっぱり花園神社とかで状況劇場がやっていたからね。

(星野源)やってたー! そうですよね。

(松重豊)テント芝居をやっていて。それに憧れて俺、ゴールデン街で初舞台を踏んだんですよ。

(星野源)えっ、ゴールデン街に劇場が?

ゴールデン街で初舞台を踏んだ

(松重豊)劇場があったんですよ。スペースDENっていう。もう本当に、ゴールデン街の中に。ちっちゃなちっちゃな劇場なんだけども。そういうなんか、やっぱりちょっといかがわしいものとアングラっていう演劇がね、本当にいい感じでこのへんは漂ってたんですよね。

(星野源)ああ、歌舞伎町だ。いやー、懐かしいね。

(松重豊)で、あっち行くとシアターアプルがあったしね。紀伊國屋がこっちにあるし。

(星野源)トップスもね。

(松重豊)トップスもあったね。

(星野源)トップスは通ったなー。

(松重豊)劇場、結構あったんだよね。

(星野源)そうですよね。今、トップスってもうないですよね?

(松重豊)どっかにできたっていう話を聞いたな。

(星野源)ああ、1回なくなってまたできたのか。そうか。

(松重豊)なんかね、うん。

(星野源)いやーん、もう、懐かしすぎて。

(松重豊)新宿。やっと中央線がとりあえず終わったから。ちょっとそういうスパイラルじゃない方に……。

初めてのバイトが新宿のイタ飯屋

(星野源)私、初バイトが新宿だったんだねー。新宿のイタ飯屋で。

(松重豊)結構、バイトしてるね。

(星野源)そうですね。すごいトラウマがあって。

(三浦大知)アハハハハハハハハッ! なんかまた、吹き出てきましたね(笑)。

(松重豊)また嫌なトラウマが?

(星野源)そう。なんかね、皿洗いのバイトをしてたんですけどね。いわゆる料理を作ってる方がやっぱり偉いっていうのもあると思いますけども。ちょっとすごい邪険に扱われてね。

(松重豊)昔、ヒエラルキーがすごかったんだよ。厨房ヒエラルキーが。

(星野源)本当につらかった。いや、すごかったですね。いや、しょうがないと思うんですけどもね。「くそっ!」って思いながら皿を洗っていましたね。今、その店はもうないんですけども。

(松重豊)ないんだ。イタ飯屋ね。

(星野源)そうなんです。そうですか。えっ、初舞台がスペースDENっていうところで。その頃はじゃあ、在学中ってことですか?

(松重豊)大学の時ですね。そうそう。日芸じゃなくて俺、それ明治で劇団を作ってる時だから。

(星野源)なるほど。その時って東京サンシャインボーイズに一瞬入ったいう?

(松重豊)サンシャインはその後、日芸の三谷さんとかとやってたやつだったんで。

(星野源)その頃はまだ明大だったんですね。

(松重豊)俺は明治だったんで全然……日芸の人たちとやるとチケットノルマがないんですよ。

(星野源)ああ、そうなんですか?

日芸の人たちとやるとチケットノルマがない

(松重豊)さっき言ってたように、お金持ちの子が多いから。本当にそれが楽で。それで俺、明治を捨てたんですよ。

(星野源)アハハハハハハハハッ! そんなこと、あるんすね。でも本当、チケットノルマってつらいですよね。

(松重豊)そうなのよ。

(星野源)生活の全てがチケットノルマのためになっちゃいますから。

<書き起こしおわり>

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