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高田文夫 笑福亭仁鶴の功績を語る

高田文夫 笑福亭仁鶴の功績を語る ラジオビバリー昼ズ
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高田文夫さんが2021年8月23日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で亡くなった笑福亭仁鶴さんについてトーク。その功績を話していました。

(高田文夫)しかし、あれだよ。笑福亭仁鶴さんがいかに大活躍だったか、みんな知らなさすぎるんだよな。

(松本明子)ねえ。私はもちろん小さい頃から見ていました。「どんなんかなー?」って。ボンカレーのCMで。

(高田文夫)要するに、関西圏だからだろ?

(松本明子)そうです。

(高田文夫)関西圏のテレビではどんだけスターだったか、言ってやれよ。

(松本明子)だから桂三枝師匠の出るもっと先輩で。

(高田文夫)もちろんだよ。三枝なんて憧れて入ってきたんだから。

(松本明子)一番最初に、だから落語家さんだけどもいろんなテレビでタレントみたいなことをやった人で。

(高田文夫)そういうことだよ。今の吉本ってお笑いの王者になったじゃない? でも仁鶴さんが入るまでは吉本なんて二番手だったんだから。やっぱり松竹芸能が一番すごかったんだよ。

(松本明子)ああ、松竹さんが。

(高田文夫)だってレッツゴー三匹がいるだろ? かしまし娘がいるだろう? 「うちら陽気な♪」って。かしまし娘っていう大看板がいるんだもん。でさ、レッツゴーがいて、正司敏江・玲児がいてさ。で、お芝居は松竹新喜劇だもん。『おちょやん』でやってたじゃん。去年までずっと。藤山寛美だよ。あれがもう、松竹新喜劇で松竹がバーン!って。それで吉本新喜劇っていうのがそれを真似してできるわけ。あっちは人情話だからこっちはギャグだけだっていうことで。だから、戦争が起きて……今では東京と大阪で合わせて落語家が1000人ちょいとか言うんだけども。600:400だとかいろいろと言われているんだけども。

戦後、江戸落語は残ったんだけどもさ、戦争が起きてそこで関西に落語家って20人、いなかったんだよ。20人だよ? そしたら落語なんて広まらないじゃない? 誰も知らない。その時に立ち上がったのが四天王って言われているさ、笑福亭松鶴さんだよ。だから仁鶴さんとか鶴瓶さんのお師匠さん。鶴瓶、鶴光って……「鶴」っていう字の。笑福亭松鶴さん。で、「おやじさん、おやじさん」って鶴瓶ちゃんはかならず放送でも言うじゃない? それが松鶴さんだよ。酔っ払いの松鶴さん。まあ、東京で言えば古今亭志ん生みたいな感じの人だよ。破天荒でさ。それが笑福亭松鶴さん。

(松本明子)はい。

(高田文夫)それから学究肌っていうかな、学問として落語を捉えていた桂米朝師匠。わかるだろう? 桂枝雀さんとかな、ざこばさんとか。その米朝師匠。それで桂春団治。桂小文枝。この4人が四天王って言われたんだよ。この、たった4人で戦後の落語を全部復興させたのよ。で、燃えちゃった落語全集とかを全部、書き起こして。だから全部の落語をたった4人の噺家が……まあ、弟子たちを入れて20人だけども。その中に松鶴さんのところにトップで入ってくるのが仁鶴さんなのよ。トップで、どうしても落語家になりたいって。

春団治のレコードを聞いて、どうしても落語家になりたいっていうことで松鶴さんところに来るわけよ。で、周りはみんな松竹系なわけ。松鶴っていうぐらいだから。でもさ、仁鶴さんはああいう感じだから。なんでもできるわけ。面白いから。古典落語以外にもタレント性もあるわけだろう? だからみんなからはさ、「お前は松竹にいて落語だけやっていてもしょうがない。お前は吉本に行ってふざけた方がニンに合っている」ってみんなに言われて。で、仁鶴さんだけ吉本に行くわけ。

(松本明子)へー! そういうことだったんだ。

落語家がいなかった吉本に入る

(高田文夫)で、吉本には落語家なんてそんなにいなかったんだよ。ほとんどが松竹だから。そしたら仁鶴さんが売れちゃったんだよ。深夜放送から始まってさ。『ヤングおー!おー!』っつってさ。その頃だろ? あなたが子供の時って。

(松本明子)そうです。

(高田文夫)その仁鶴さんのすごいスーパースターぶりに憧れて入ってきたのが三枝さんだよ。だからこれで仁鶴・三枝の時代ができるの。で、月亭可朝さんが入ってくるわけ。『ボイン』が。で、この3人で三羽ガラスっつってさ。大阪でものすごい人気が出るんだよ。

(松本明子)すごかったですね。テレビでね。毎日。今のアイドル並ですよね。

(高田文夫)今のアイドルなんてもんじゃないよ。もう仁鶴さんの人気たるや、今の女の子のアイドルよりもすごいよ。だって70年に万博があったろ? 大阪で。万博の会場にワッと人が集まるじゃない? そこの横で仁鶴さんが公開収録をやったんだよ。そしたら万博よりも人気があったって。万博よりも仁鶴さんが見たくて。そっちの方にみんな集まったんだから。だからみうらじゅんとか松尾貴史とか、あのへんはみんなそれに影響を受けた子供たちだよな。だからみんな仁鶴さんのところに行って。そのぐらい人気だったんだよ。

「うれしかるかる」「どんなんかなー?」「じっと我慢の子であった」なんて。「ちゃん」とか。それだよ。だから、そうだね。仁鶴・三枝でワッと人気が出て。「じゃあ、演芸の方も」っていうことでやすきよさんがワッと来て。それで吉本ブームよ。それで三枝さんが『ヤングおー!おー!』でザ・パンダを作って。落語家で4人組。で、そのパンダのおしりにさんまをくっつけたの。後から。それで吉本ブームが固まって、漫才ブームが来るわけだよ。だから今日の全ての吉本のあれはさ、元はと言えば仁鶴さんだよ。

だから前の吉本の会長さん、林正之助さん。あの人が当時、「仁鶴よりもギャラを上げてはいけないよ。全社の中で一番ギャラが高いのは常に仁鶴じゃないといけない」っていうポリシーだったのよ。

(松本明子)看板、トップスター。

(高田文夫)本当に大看板なの。そのぐらいすごい。で、その後、途中でちょっと喉をやっちゃったりなんかして、落ち着いた落語の方に戻ったわけよ。それまではタレント活動で「どんなんかなー?」「うれしかるかる」って。爆笑王だったけどさ。それでも声の調子とかいろいろとあるから、やっぱりちゃんと古典落語家に戻って。高座だけを大事に大事にやるようになった。この人の功績はすごいよ!

(松本明子)そうですね。吉本を本当にね。

(高田文夫)だって、仁鶴さんがいなかったら三枝さんが出てこないからね。仁鶴さんがいるから出てきたんだから。

(松本明子)で、さんまさんが続いて、ダウンタウンさんが続いて……。

吉本の全ての礎を作った人

(高田文夫)そういうことだよ。だから全ての礎を作った人が仁鶴さんなんだよ。そういう評価をしていないんだよな。全然、まだな。なにしろすごい人だなと思いましたね。

(松本明子)84歳ということで。

(高田文夫)84歳か。しょうがないな。みんなな。

<書き起こしおわり>

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