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内田也哉子 樹木希林・内田裕也との最初で最後の家族旅行を語る

内田也哉子 樹木希林・内田裕也との最初で最後の家族旅行を語る 安住紳一郎の日曜天国
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内田也哉子さんが2021年5月9日放送のTBSラジオ『日曜天国』に出演。18歳の時、樹木希林さん、内田裕也さんとヨーロッパを旅した最初で最後の家族旅行について話していました。

(安住紳一郎)お父さんは当時(小学生の時に)なにかアドバイスはくれましたか?

(内田也哉子)そんなわけないじゃないですか(笑)。わざと言っているんですか?(笑)。

(安住紳一郎)そんなことはないですけども(笑)。

(内田也哉子)いやいや、アドバイス、ほしかったですよ。ただ、生き様で私が察したという部分ではアドバイスはいろいろとあったかもしれないです。そういう、なんていうか、「グレたところで生きやすそうでもないな」っていう気配を教えてくれたっていう(笑)。

(安住紳一郎)内田也哉子さんから「小さい時、お父さんと撮った写真、ありますか?」っていうのでテレビ番組で写真をお借りした時、居酒屋の養老乃瀧のカウンターで不機嫌そうなお父さんと、うつむいてもう今にも泣き出しそうな也哉子さんの写真。「これが父の写真です」っていただいて(笑)。

(内田也哉子)大人はみんな酔っ払ってる中でね。いや、本当に危ない環境で育ちましたよ。年に1回、父の日に会いに行くっていう。それが、そこですよ? 養老乃瀧(笑)。いや、いつもじゃないですけども。たとえば、コンサートの楽屋だったこともあれば、養老乃瀧だったこともあって(笑)。だからちょっと、やっぱり強烈ですよね。

(安住紳一郎)でもきっと、娘さんに対する思いもあるんだけれども。普段一緒に生活してないので、愛情をストレートに表現するのも、ロッカーとしても違うかなと思ったでしょう。だから、パリかなんかで……ビデオカなんかでクリスマスプレゼントがありましたよね?

(内田也哉子)よくご存知ですね。

(安住紳一郎)あれがね、すごくお父さんらしいなと思って。

(内田也哉子)そうですね。ほとんど会う機会がなくて。思春期の頃に、たまたま父の日に会った時にちょっと照れながら。「ちょっとこれ、俺のあれだ。見とけ」って言われてDVDを渡されて。それのタイトルが『Run For Paris』って書いてあって。それで家に帰って見たら、ひたすら父がパリの街を疾走している姿。延々とそれを、いろんなパリの有名な、オルセー美術館とか、エッフェル塔とか、いろんなところをひたすら無表情で走ってるっていう映像だったんですね。

(安住紳一郎)それはわざわざ撮ったんですかね?

パリの街をひたすら疾走する映像

(内田也哉子)それは、うん。何かのために撮ったんだと思うんです。「これが今の俺の最高傑作だ」って言って渡されたんです。その時に私は映像とか映画にとても興味があったので。「ああ、父ってちょっとやっぱり視点が違うんだな」って面白く思えた瞬間に、今までただただ怖くて、恐ろしい、なるべく会いたくない存在だったのが、ちょっと怖いもの見たさで興味を持つようになったんです。父にも。

だから、まあ母もそうでしたけど、父に対してもやっぱりこう、自分がちゃんと言葉を持って、なにか思いが生まれた時にはちゃんと対等な人同士として向き合ってくれた。小さい時はもう全然、なんていうか「ガキに興味はない」っていう感じでしたけど。とても、思春期以降大人になってからは何か、短い時間の中で本質的な話をパッとできたりとか、聞けたりとか。だから、ねえ。一生涯で過ごした時間は数十時間しかないんですけど。でもやっぱりインパクトがすごくあったし。

(安住紳一郎)パリで走った後はなんかメッセージみたいなのはあったんですか?

(内田也哉子)なにもないです(笑)。ただひたすら走っている。

(安住紳一郎)パリの中を走っているお父さんが映っていると。へー! それをプレゼントだって渡される。

(内田也哉子)コンセプチュアル・アートかな?っていう感じですよね。

(安住紳一郎)本当に。誕生日プレゼントになんかね、現代芸術を渡されたみたいな。ですよね。さて、内田也哉子さんにお話を聞いていますが。おしまいは、初めての家族旅行。これは、そんな3人で初めて行った家族旅行という。

(内田也哉子)そうですね。最初で最後でしたね。18歳の時、スイスの高校卒業するにあたって、どういうわけか父と母で「じゃあ最初で最後、1回、也哉子の高校の卒業式、行ってみよう」ってなって。1週間、10日ぐらいかな? もう長すぎるあの時間でしたけど(笑)。

(安住紳一郎)1分いると波が立っちゃうご夫婦が。

(内田也哉子)本当に。で、裕也としてはやっぱりその60年代にヨーロッパに放浪の旅に出て。パリもすごい思い出深い街だったし。そのジュネーブとパリとヴェニスっていうこの三都市に行ったんですけども。でも、なんというか、自分の昔話をいっぱいするんですよ。でも私たち、母も私も聞き飽きちゃって。そのうちなんか呆然としていると、やっぱり「お前は何で興味を持たねえんだ!」って怒り始める。だからもっと一生懸命ね、心を込めて聞いてあげれば良かったんだけど、あまりにもエピソードが多すぎて。もう本当、1人芝居状態で。

(安住紳一郎)まあ、「俺の青春」ですもんね。

(内田也哉子)そうですね。でも、やっぱりそれまで一緒にいれなかった、奥さんと娘とも一緒にいれなかった時間をその時間で一生分埋めようとしていたぐらいエネルギーを費やしていたから。「このシャンゼリゼ通りで俺は……」って。それこそ、ビートたけしさんと宮沢りえさんと3人で撮った『エロティックな関係』とかも「このシャンゼリゼ通りにびっくりするようなデカいクレーンを入れて、俺は……」とか。まあ、プロデューサーとしてやっていたんで。そういう武勇伝をいっぱいぶち込んで来て。

(内田也哉子)「60年代、金もねえ時に高田賢三さんやいろんなアーティストの卵たちとこのバーで安酒を飲んだんだ」とかね。そういう、今思えば面白いんですけど。母も私も2人とも、ボーッと聞いていたらもう怒りの爆弾が……。それで、レストランに行ってもやっぱり入り口すぐの席を案内されたりした時はもう「お前は日本人をバカにしてんのか!」ってフランス人に食ってかかったり。でも、そんなことはないんだけど、いちいちがコンプレックスの塊で。もう喧嘩せずにはいられない。だから落としがもう泣きながら、通訳しながら収めて。だからもう本当に、たぶん体重が半分ぐらい減っちゃったんじゃないかっていうぐらい。汗と涙で(笑)。

(安住紳一郎)お父さんとお母さんと行く唯一の家族旅行でずっと泣き通し。

(内田也哉子)そうです。だから本当に……いやー、過酷な家庭に生まれたなっていうのはこの時、最初で最後に思ったし。母がやっぱり私を身ごもった時に「この人とは一緒の家庭では暮らせない」って言って、マンションの鍵を渡して父に出て行ってもらったっていうあれなので。うん。その理由がよくわかりました。「これは一緒にいられないな」と。

(安住紳一郎)ですね。お互いに好きなんだろうけれど、一緒にいるとうまくいかないっていう、そういう愛の形っていうんですか? まあ、ライオン同士っていうかね。そうですよね。

(内田也哉子)フフフ、そうですね(笑)。でも、不思議なのは「じゃあそんなに嫌なら、早く別れればいいだけのことになのに」っていうところで、ずっと疑問だったんですけど。でも、やっぱりね、誰よりも……久しぶりに会うと父と母とでね、もうずっとしゃべってるんですよね。話が尽きないっていうか。だからなにかそういう、深いところで共鳴し合ってたっていうのは私は晩年、見れてよかったですね。

深いところで共鳴し合っている2人

(安住紳一郎)たしかに、泣き通しの旅行でしたけども。いい思い出じゃないかもしれませんが、かけがえのないっていうか。

(内田也哉子)そうですね。

<書き起こしおわり>

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