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東野幸治 チャーリー浜を追悼する

東野幸治 チャーリー浜を追悼する 東野幸治のホンモノラジオ
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東野幸治さんが2021年4月23日放送のABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』の中で亡くなったチャーリー浜さんを追悼していました。

(東野幸治)そして、チャーリー浜さんがお亡くなりになって。78歳でございましたけれども。Twitterでは「心よりご冥福をお祈りします」という風につぶやかせていただきましたけど。だから、たぶん聞いてる方で若い方は僕とチャーリー浜さんとか、僕と新喜劇のイメージが全くないと思いますけど。僕、19歳でこの世界に入って。ダウンタウンさんのブームに乗っかって。毎日放送での夕方の帯番組『4時ですよ~だ』をやっていて。それが終わってダウンタウンさんが東京に行って。『夢で逢えたら』とかやって。東京、フジテレビで活躍するんですけど。残った我々はその時に吉本新喜劇の『やめよっカナ!?キャンペーン』っていう……佐藤くん、知らないでしょう?

(佐藤)知らないです。

(東野幸治)ちょうどその時……今から30年以上前に、吉本新喜劇っていうのが人気がもう落ちちゃって。だから寛平さんはマラソンとかしたり、東京進出する。萩本欽一さんの下でバラエティ番組に出るとか。あと、言うたらもっといろんな師匠、新喜劇の役者の皆さんが当時、だから野球賭博とか。なんか借金で逃げたとか、トンズラしたとか、そういうネガティブなニュースばかりになっていって。うめだ花月とか京都花月の出番、トリの漫才師、トリの落語家さんが終わったら10分間、15分間セットを組んで新喜劇をやるけど、その時にはお客さんがもう帰ってるとか、めちゃくちゃ減ってるっていう時代があって。

で、「これはあかん」ということで吉本興業が『新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン』みたいなを打って。半年ぐらい、期限を決めて。その期限の中でうめだ花月で新規劇をするけど。その中で新喜劇を見るお客さんの数がある一定の目標数をクリアしなかったら、新喜劇は解散しますっていうキャンペーンがあって。で、その後、新喜劇を新しくして。新生新喜劇だっていうところで、今田さんとか、ほんこんさんとか、板尾さんとか、俺とかが呼ばれて行ったのよ。22歳か3歳ぐらい。新喜劇なんてあんまり見てなかった。学生時代。小学校の時ね、土曜日に学校から帰って。昼ご飯食べながら新喜劇を見て……という時代ですけど。新喜劇って12時から1時で。僕が学校が終わるのがだいたい12時過ぎで、家帰ったらもう1時過ぎで。そんな、見るような環境じゃなかったし、文化でもなかったんですけど。

でも、吉本の大崎さんに言われて。「新喜劇、やれ」って言われて。「嫌です」って言って。「吉本、やめます」言うて(笑)。ほんで「そんなん言うな、お前。ちょっと新喜劇、頑張ってやって。何年かしたらまた東京行って。もう大丈夫や。お前は売れる、売れる」って言われて。で、その時にみんなもそういうふうに言われて。それで流行った歌が『そんなヒロシに騙されて』っていう歌で。「お前は売れると耳元で言った そんなヒロシ(大崎洋)に騙され♪」っていうんでみんな、新喜劇に行くんですよ。

ほんで、その時にだから今まで2丁目劇場でダウンタウンさんのおかげで女子中高生の前でやってた僕らが、ある日を境に急にお爺ちゃんとかお婆ちゃんとか。なんか訳ありのおっさんとか、変なおばちゃんとか、まばらな客の前で。うめだ花月の出番で新喜劇するようになるんですよ。で、そこで初めてチャーリー浜さん。だからその頃、もっと前はね、「浜裕二」やったんですよ。浜裕二という喜劇役者の名前で。それで俺、ちっちゃい頃、覚えてるんですけどね。浜裕二ってね、やっぱりおもろかったんですよ。

「浜裕二」時代

(東野幸治)やっぱりなんかちょっと、寛平さんとか、木村進さんとか、いっぱいギャグするイメージですけど。浜裕二っていつも役はだいたい2つしかなくて。最後、ヤクザの組長でやってきて脅す。それで最後にやられるっていう役か、東京にいてた女の子がお父さんの借金で東京のお金持ちと結婚せなあかん。婚約する。フィアンセがいてる。それで「嫌や」って言って大阪の実家に帰ってくる。「やっぱりあなたが好きだ」っていう風になって「一緒になろう」というところに東京からやってくるフィアンセっていうのが浜裕二なんですよ。それがね、もうやっぱりちょっとね、子供ながらにいってるっていうか。「ごめんくさい、これまたくさい。あー、クサッ!」ってギャグ、あるじゃないですか。あれね、昔はあんなんちゃうかったんですよ。

あれは「ギャグ100連発」っていう、だから吉本のその『やめよっカナ!?キャンペーン』の時になんかせなあかんなということで、当時の新喜劇の作家さんみたいなのが毎日放送にある吉本新喜劇のたくさんの大量のテープの中から、ギャグだけを勝手に詰めたんですよ。それを「ギャグ100連発」って言って何の気なしに出したら、それらバカ当たりしたんですよ。これがバカ当たりして、吉本新劇ブームが来るんですよ。

で、そのへんのコントの中で、そのちょっと前の時、チャーリー浜の前に浜裕二やったんですよ。で、新喜劇がブームになって、浜裕二が『チャーリーズ・エンジェル』っていう海外のドラマが好きだということからチャーリー浜になって。それでブームでキャーキャー言われて、浮足立ってしまって。「ごめんくさい」「キャーッ!」ってなった時、「これまたくさい」って言って「キャーッ!」ってなって。それで「あー、クサッ!」って言って全員が倒れてウケるっていうのに味をしめたんですけども。

でも、僕から言わすと、言うたら東京から来たフィアンセで、背広上下を着て。急ぎ足で「ごめんくさい」ってこう言って登場する方が面白かったんですよ。静かなトーンで「ごめんくさい」って言って。もともとは「ごめんください」を言い間違えて、それがギャグになったから。だから「ごめんくさい」って言ってコケるっていう感じで。それでキザな役みたいな感じで。「あなた、本当にお金持ちですか?」「私はお金持ちだよ。これも高級な背広だよ」「本当に高級ですか?」「舶来品だよ」「シャツもですか?」「ああ、シャツも舶来品だよ。インドのカルカッタで買ったカッターシャツ、高かった」みたいなギャグがあるんですよ。それを「面白い人やな」と思って。

で、浜裕二からその新喜劇のブームになって、チャーリー浜になって。その頃に俺とか今田さんとか、みんなが来るっていうところで話は戻るけど。2丁目劇場で女子中高生の前でやっていたんが、ある日突然、うめだ花月っていう……当時、だから改築する前の船底の楽屋で。螺旋階段で下にどんどんどんどん楽屋に降りていってっていう新喜劇の楽屋で。畳がもう、めちゃくちゃダニだらけで汚くて。

で、「なんや、この楽屋?」思うて。二間、あるんですよ。楽屋。そこでいつもお爺さん役の井上竜夫さんが出前の鍋焼きうどんを注文するんですよ。それで見てたらずっとね、だから出番が終わったら鍋焼きうどんを公衆電話から電話して。また携帯がない時代ですから。で、鍋焼きうどんを食うて。で、「昨日、阪神勝ったかな」って言ってスポーツ新聞を見て。で、一通り見終わったら、それをかけ布団にして寝るんですよ。

で、夕方の4時、5時ぐらいに起きて。またメイクしてかつらをかぶって、お爺ちゃん役をやって。で、ギャグやって、終わって、着替えて。背広を着て、尼崎かな? 十三かな? 自分のスナックをやってはったんで、そこのスナックに行くんですよ。「えっ、すげえな、芸人!」と思って。でもやっぱり僕らはね、その楽屋で寝るとお坊ちゃまな皮膚、スキンだからダニに噛まれるんですけども。

でも、井上竜夫さんクラスになると、もうスキンが言ったら鉄板みたいやから、ダニが通さないんですよね。そういう楽屋で。で、ちょっと向かいに扉があって、その扉が開いたらうめだ花月の劇場の横から見るようなところがあるんですよ。2階から。ちょっと上から舞台を見れるっていうところで。で、本番前とか見たら「今日も客、ガラガラやな」みたいな感じで。それでパッと舞台を見たら、月亭可朝さんが出てきて。「あっ、月亭可朝さんや」ってなったら「いやー、ホンマにホンマでっせ」って言って。「いやー、ホンマにホンマでっせ。ホンマでっせ! うん。ホンマにホンマでっせ……」って。それ、15分やるんですよ。

「すっげえな! えらいところ、迷い込んだな!」って思って。いや、すごいんですよ。ほんで、池乃めだかさんとかもね、名前も知っているし、ギャグも知ってるけど。一緒に絡ませてもらうっていうのもありがたいし。そういう風にして。桑原和男さんとか。みんなで一緒にやるようになって。そこからNGKに行くんですよ。で、NGKに行ったら新しい劇場で新喜劇をやらしてもろうて。で、そこに僕も2週間ぐらい出番があって。座長ですよ。だからもう、言うたら特待生みたいなもんですよ。『吉本新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン』みたいなんがあって。

で、なんか吉本の社員……当時、木村さんとか順番に面接していって。「吉本、これから思い切り若返りますけども。それでよろしいですか? いいんだったら残ってください。嫌だったら、地方の営業とか、ご自由にどうぞ」みたいな面接があったんですよ。で、そのあとに我々が来るんですよ。めちゃめちゃ嫌でしょう? で、それを聞いていたから一緒にやる人らは「ああ、この人らはええんや」と思って。それで稽古をするじゃないですか。で、たまに別班の、田舎の営業に行く新喜劇グループみたいなのも稽古しているんですよ。やなぎ浩二さんとか。「チャッソ」みたいな。その人は全然こっちには来ないんですよ。

「ああ、この人は俺らのこと、嫌いやねんな」とか。なんか全部わかるんですよ。で、そこにロッキングチェアがあるんですよね。で、ロッキングチェアはいつもチャーリー浜が座って揺れているんですよ。チャーリー浜の化粧前で。それで俺、トイメンぐらいに座っていて。「ああ、あのロッキングチェア、ええな」と思っていて。で、チャーリー浜さんが出番ない時は内場さんがそこに座っているんですよ。で、内場さん、NSCの一期生で。新喜劇が一番のどん底の時にトリオのコントをやってたけど解散して、一番下っ端から入るんですよ。で、苦労されてて、僕らが来て、後輩の僕らの方が役が上なんですよ。で、たぶん不満もあると思うんですけど、文句言わんといてて。そのロッキングチェアに座っていて。

「それ、チャーリーさんのあれじゃないんですか?」って言ったら、そのロッキングチェアは花紀京一門のロッキングチェアなんですって。で、花紀京さんがそのロッキングチェアを使っていて。で、花紀さんからチャーリーさん、チャーリーさんから内場さんっていう、その3人しか座れなくて。で、花紀さんはその時はNGKに出ていなかったんですよ。でも、おかしいじゃないですか。花紀さんと内場さんはわかるけど、なんで真ん中に「カルカッタで買ったカッターシャツ、高かった」の人が入っているのかな? 「いずこへ?」の人、なんで入っているんやろうって、内場さんに聞いたんですよ。まあ、失礼な話ですけど。

花紀京一門のロッキングチェア

(東野幸治)「おかしないですか? 芸風があまりにも違うから……」って聞いたら、実は昔、浜裕二の頃。若手の頃に花紀さんの出番で出たんですけども、ある時に来ないんですよ。で、来ないから「おかしいな、おかしいな。もしや……?」ってなって。チャーリーさんはお酒が大好きだから。「家、ちょっと見に行くわ」っていうんで、マンションだかアパートに行ったんですよ。ほんだら、隙間からガスのにおいがするんですよ。で、「なんや? 危ない!」って思ってガラスを割って中に入ったら、後でわかったんやけども。前の日にクジラのハリハリ鍋を家でやって。ガスでやって。お酒飲みながらやってて。で、酔うて寝て、火が消えてガスが充満してて。ほんで、花紀さんが助けたんですよ。だから、花紀さんが行かへんかったらチャーリーさんは危なかったっていうの俺、内場さんから聞いてて。

それからというもの、チャーリーさんは花紀さんに対してはもう、言うたら「兄貴、兄貴!」って。言うたら、俺が楽屋に座ってて。で、チャーリーさんも座ってて。花紀さんが来たら俺もね、立って一応、「おはようございます!」って挨拶をするけども。俺、座るじゃないですか。でも、チャーリーさんはもうずっと、直立不動なんですよ。もう花紀さんの前では直立不動。という流れやから、花紀さん、チャーリーさん、内場さんっていう流れで。で、そのロッキングチェアがめちゃめちゃええなと思って。俺、よう座ってたんですよ。こうやってよう座っていて。チャーリーさんと同じ出番やのに「まだ来へんやろう」って思ってよう、こうやって朝から揺れていたんですよ。

ほんなら、チャーリーさんがいつも来て。で、「どけーっ!」って言われて。「あ、すいません」って言って。でも、優しいんですよ。それしか言わないんですよ。で、どくじゃないですか。で、次の日もそこに座って、ずっとブランブランブランブラン。「今日、あそこどうしよう?」って考えながらブランブランしていたらチャーリーさんが来るんですよ。ほんなら目の前で「どけーっ!」「ああ、はい」って。そんな1週間ですよ(笑)。もうそれしか本当に言わないし。で、その新喜劇を3年、4年やってやめて、東京に行くんですけど。たまにNGKに行くとチャーリーさんがおったら「ああ、おはようございます!」って言うとチャーリーさんがニコッて。なんか目をピラピラッて。ちょっとパチクリパチクリして。両膝をこう、曲げるんですよ。で、俺も俺も同じように目をパチクリパチクリして、両膝を曲げるっていう関係性なんですよ。

だから、いい先輩っていうか、優しい先輩というか。たとえば2人の絡みがあって、「なかなかウケへんな。チャーリーさん、あそこの絡みですけど、どうしましょう?」とか言ったらいつも、普通やったらね、だいぶ先輩やからアドバイスしてくれたらいいけど。「寸劇や、寸劇! 考えるな!」って言って去っていくんですよ。なんにも教えてくれなかったんですよ(笑)。っていう優しい先輩ですよ。みんな、優しかったです。僕らに。井上竜夫さんは井上竜夫さんでお爺ちゃんじゃないですか。で、今田さんと僕でたまに新喜劇の出番もあるけど、2人でネタ番組とか出るんですよ。コントをする。

で、その時に今田さんと僕でお爺ちゃんと孫のコントをやってて。今田さんが孫、俺がお爺ちゃんなんですけど。で、僕らってだいたい出番とか、ネタ番組で「お願いします」って言われてからネタを考えていたんですよ。で、時間もなくて、小道具も用意できなかったから、そのお爺ちゃんと孫のコントのカツラを言えなかったんですよ。用意できなかったんですよ。当時23、4ですよ。で、勝手に井上竜夫さんのヅラをパッと取って。で、羽二重もせんと、かぶるわけですよ。しっかりしたカツラですよ。

で、そのカツラを……やっぱり若手やから、ちょっと、とんねるずさんに憧れるじゃないけども、ちょっとボサボサにしたいじゃないですか。白髪を(笑)。だからボサボサにしてコントをやって。ほんで、やってそこそこ手応えで。「やった、やった」言うて終わって。そのボサボサのまま、そのカツラ置きの頭みたいなところに乗っけて、また俺はロッキングチェアに座っているんですよ。23歳のペーペーの芸人が。ほんだら、竜じいが帰ってきて。「おはようございます! あ、すいません。竜じい」って。ホンマに悪いと思ってないんですよ。「すいません、竜じい。コント番組でさっき、カツラ借りました」言うて。無邪気に(笑)。「おう? カツラ借りた? なんや、それ?」言うて。で、奥の方に行ったら「なんやこれ? クシャクシャやないか!」って言って。

ほんで、だからさっき言うたように「若い子と新喜劇をやっていいか?」っていう面接をやっていたでしょう? で、「いいです」って言った人らやから、僕らはもう甘えたい放題なんですよ。でもそんな、さすがにブーブー言いながら。僕に聞こえるか、聞こえないぐらいの声で木槌で……だから頭をバンバンバンバン突っ込まれるから、もうカツラの中の鉄がボコボコなんですよ。で、それを木槌でコンコンッて叩きながら「ええか……カツラは、役者の命やぞ。何を考えてんねん、最近の……」って。ずーっと言うてるんですよ。

で、それを聞きながら俺もロッキングチェアに座りながら。「ああ、えらい怒ってはるな」って思っていたらチャーリーさんが来て「どけーっ!」って言われて。「あ、すんません」っていうのを俺、2年、3年ぐらいずっとやってたんですよ。すごいでしょう? あのお坊ちゃまぶり。池乃めだかさんに「飲みに行こう」って言われて。「行きましょう!」ってなんか新地で何軒か、2軒ぐらい行って。で、最後になんか「スナックに行く」っていうことでスナックに行ったら島田一の介さんがいてて。「ああ、おはようございます! 飲みに来ているんですか?」「バイトやねん。カラオケの司会の」「ええっ?」って。ペーペーの俺の横で司会してた(笑)。

いや、だから芸人ってホンマにすげえなって思った。その落差というか。女子中高生の前でやるのと、ホンマにその新喜劇でベタなことを2年、3年で教わったのは実は今となってはなんかいい経験やし。ベタを覚えれたんですよ。最初に入った時は2丁目劇場で「アンチ吉本、アンチ花月」って言うて。「ベタなことをするな」とか「ベタするな」って言われて育って。それで急に「ベタせえ、ベタせえ」って言われて。新喜劇の、なんか元気のない田舎に新喜劇のメンバーが行って。「明日、新喜劇しますから皆さん、来てください」ってビラをまいたりとか。で、ヤクザ役のA、B、Cを一般の方を舞台に上げて。セリフ当ぶりして。で、それを突っ込んだりすると、めちゃくちゃウケるんですよ。で、簡単な新喜劇のストーリーで客前でやるっていう。

まあ、テレビ番組と町おこしを兼ねたような企画がよくあったんですよ。その時に、第一部はのど自慢。田舎の人ののど自慢で、第二部が新喜劇で、お客さんもちょっと役に入ってやるっていう。そのパッケージなんですよ。その一部ののど自慢の司会みたいなんを俺と今田さんでよくやってたんですよ。俺、今でも覚えてるんですけど。その時に「1人目の方、どうぞ!」って言ったら70ぐらいのお爺ちゃんで。お名前を聞いて。「何を歌うんですか?」って言って。それでちょっといじったりなんかして。「どうぞ!」って歌ってもらう。

それで1回、はけるんです。で、歌い終わったらまた戻ってきて。「どうでしたか?」っていう。それを順番でやるんですけど。ある時、そのはけたところに大崎さんがいてて。ほんで、何を思ったのか、「もっとベタにやれ。ベタにやれ、ベタに」って言われて。「ああ、はい」って言って。で、また舞台に出ていって。お婆ちゃんとか、ちっちゃい子供とか、なんか坊主頭の中学生とかをいじるんですよ。で、帰ってきたら「もっとできるやろ、ベタに。もっとベタベタにせえ」って言って。「嘘やん? 2年前まで『ベタすんな』って言ってたのに……」って思って。だから、そこで「もっとベタに、もっとベタにやれ。わかりやすく、お爺ちゃんとかお婆ちゃんにわかりやすいようにやれ!」ってめちゃくちゃ言われましたから。

ベタを学んだ新喜劇時代

(東野幸治)今となっては、だから30年前ですけど。なんかいい経験というか、なんかやっててよかったなって。あの時、吉本を辞めんでよかったなとは、ちょっと思うんですけれども。そんなことをちょっと、チャーリー浜さんがお亡くなりになって。78歳っていうことでございますから。複雑な思いというか。だから島木譲二さんとかもお亡くなりになったりしてるし。皆さん、亡くなってる方がたくさんいらっしゃるんで。向こうでちょっと新喜劇もね、やってほしいなとも思いますし。

で、びっくりしたんが78歳でしょう? 30年前じゃないですか。「あの時、チャーリー浜さん、48歳。今の俺より年下やん!」と思ったら「ああ、そうか。すごいな……」ってちょっと思いますよね。今の年齢で『マルコポロリ!』やってて。「明日から22歳のNSCを出た3年目の子がMCやるから、ひな壇に座れますか?」って言ったら、俺はやっぱりやなぎ浩二みたいに「座れません」って言って地方営業に行くかもわかりませんけれども。チャーリー浜さん、こんな私を優しい目で見ていただいて、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

<書き起こしおわり>

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