木村拓哉とR-指定&DJ松永 部活動の思い出を語る

R-指定とDJ松永 木村拓哉の優しさを語る TOKYO FM

Creepy Nutsのお二人が2020年11月8日放送のTOKYO FM『木村拓哉のFlow』に出演。木村拓哉さんにCreepy Nuts結成までの道のりやグループ名の意味などを話していました。

(木村拓哉)ガキンチョの頃はどんなガキンチョだったの? スポーツとか、やっていました?

(DJ松永)俺はサッカーをやっていたんですよ。小学校4年生から高校1年生でサッカーをやっていました。

(木村拓哉)ああ、結構本気のやつだ?

サッカー部だったDJ松永

(DJ松永)7年間ぐらいやっていました。本気で一応、取り組んでました。けど、中学校3年生最後の試合。俺、結構誰よりも頑張っていた自信があるんですよ。朝練を誰よりもやって。グラウンドのレーキがけとか、3年生になってもやっていたし。本来なら1年生の仕事だけど。なのに、中学校3年生、最後の試合。ベンチにも入れず、ユニフォームももらえず、体操着を着て新入生や保護者と一緒にグラウンドの外からメガホンを持って応援していたんですよ。それで結構心が挫けて。「もうサッカーをやめよう」って思ってたんですけど……入った高校がサッカーがめっちゃ弱い高校だったんですよ。

それでほとんどが初心者で構成されているような部活で。俺、一応数年間の経験があったから。「これは初めて、超上手いやつの顔ができるかも?」と思って。「サッカーで結構おいしい思いができるかも?」と思って。それで上手いやつだけに許された特権……派手なスパイクを買って。すね当てももうつけないとか。派手な練習着も買って、1年生のくせにめちゃめちゃ檄を飛ばしたりとかしていたんですよ(笑)。で、最初はみんな初心者だからドリブルでめっちゃ抜けるんですよ。「ウエーイ!」とかってやっていたんですけど……1ヶ月、2ヶ月経ったら徐々に抜けなくなっていって(笑)。

才能のない、ただサッカーを数年間やっていたやつよりも、運動神経のある数ヶ月しかやっていないやつの方が上手いっていう壁にぶち当たって。それで1年生だけで練習試合をするんですよ。周りはほとんど初心者。それと俺みたいな感じの1年生だけで構成されたチームで、他校の1年生との練習試合で……14、5人ぐらいのチーム。だからほとんどみんあレギュラーで出れるような人数なんですけど、俺はベンチだったんすね。

もう誰よりもピカピカのスパイクを履いて俺、ベンチだったから……もうそこで挫けちゃって。最初はなんか上手いやつの顔をして、激とか飛ばしてたんですけど。俺、もうその引っ込め方をわかんなくて(笑)。「えっ、どうしよう?」みたいな感じになって。それで、「1年生でこれか……」って思って。「これ、2年生になったら新入生とか入ってくるよな? えっ、その時って、どういう顔をしたらいいの?」って思って。「ああ、そういう時にする顔、ない!」って思って、7年間続けたサッカーを辞めたんですよね。

(木村拓哉)ああー。まあ、サッカーを続けた……なんていうんだろう? 始めた、その真のスタートと、「もう1回やってみようかな」っていうリスタートの、そのリスタートのスタート地点はめっちゃ不純だもんね(笑)。

(DJ松永)そう。めっちゃ不純(笑)。それでサッカーをやっていたじゃないですか。それでその後、DJを始めて。その時に初めて俺は「人には向き・不向きっていうものがあるんだな」ってめっちゃ気付いたんですよ。俺、サッカーをやっていた時って、ただ与えらた練習を何も考えずにめちゃめちゃ淡々とやっていたんですよ。で、それをいっぱいやったんですよ。

(R-指定)それをやれば上手くなるって思って?

(DJ松永)そう。思っていたんですよ。かつ、サッカーって小学校4年生の時に始めたんですけど、別に自分はもともとすごいサッカー好きで始めたっていうわけじゃないんですよ。小学校4年生って学校に通っていく中で部活というものが始まる。で、運動部に入るとなんか学校生活が円滑に進む。なおかつ、自分の友達でサッカーをやり始めるやつが多い。その友達の流れでなんとなくサッカーを始めるっていう。周りに流されて、特にあまり自分の意志というわけじゃないんですよね。だからあんまり自分が努力することに対して、「ここをこうやったら上手くなる」とか「こういう練習をしよう」「こういうものを目標にしよう」みたいな、そういう想像力が働いていないんですよ。

でも、DJって自分の意志で始めたものだし、それをやって初めて気づいたんですけども。「ここの力を抜いたらスクラッチが上手くいく」とか「ここで脇をしめてみよう」とか。そういう想像力がめちゃくちゃ働くんですよ。そこで初めて「ああ、サッカーって俺には本当に向いてなかったんだ!」って気付いたんですよね。想像力が働いてないんですよ。「ここをこうしたら上手くなる」とか、そういう試行錯誤ってしてこなかったんですね。「ただやればいい」だったんですよ。

でも、DJはめちゃめちゃ「ここをこうしよう、こうしよう……」ってどんどんと湧き上がってきたんですよね。そこで、DJを始めて「ああ、あれは向いていなかったんだな」って思いましたね。

(木村拓哉)でも、気づけたからいいね。

(DJ松永)そうっすね。気づきました。そこで。

(木村拓哉)全部OKだね(笑)。で、R-指定は?

(R-指定)僕もバスケをやっていたんですよ。

(木村拓哉)ほう! サッカーとバスケって、もうコテコテだね!

バスケ部だったR-指定

(R-指定)コテコテ。僕も小4から高校2年の頭ぐらいまで続けるんですよ。バスケを。で、僕もなぜか……やっぱり松永さんに似たような感じになるんですけども。小学校からずっとやってて。ずっと、すごい練習してた記憶はあるんですけど、試合にはほぼ出れないまま。それで、どっちかと言うと小学校の時にバスケ一緒にやり出したやつとは仲いいまんま、中学・校高校と一緒に行くんですよ。一緒にバスケを小学校からやってたやつと。

それで、俺は下手なんですけど、その一緒にやっていたやつは超上手いんですよ。で、中1の1ヶ月だけは上手いけど、ホンマに運動神経のいいやつに余裕で抜かされてベンチみたいな風に中学校の時になってしまって。それで自分では認めていなかったんですけど、「ああ、もしかしたら俺、運動苦手かも?」みたいな。でも、やっぱり学生時代の運動が苦手ってすごいコンプレックスやから。「それ以外のことを……」と思って考えてたんですけど、なかなかなくて。

それで高校生になっても、でもなんとなく「仲のいい友達がおるから……」って感じで一緒に行って。もう高校生の時は、それこそ僕もベンチ外で応援してたんですけど。応援歌を作ることに注力してましたね。

(木村拓哉)もう早くも?

(R-指定)だから、ヒット曲とかをちょっと替え歌にして相手チームを煽ったり。逆にこっちの士気を高めるような替え歌みたいなのをずっと作ったり。そこでたぶん韻を踏んだりとかちょっと残しの部分とか、絶妙に変えたり変えない部分みたいなのはたぶんその時にもうラップ聞いてたたりしていたから。そのテクニックとかを応用してやっていて。結果練習はしてても全然試合には出れないみたいなのがあって。

それで俺もバスケはやっぱり自分の意志というかは、なんとなく友達ができればいいかとかっていう感じでやってしまっていたんで。でも、本格的にラップが好きやってなって。ラップを自分でこっそり家で書いたりしていて。それで高校1年の時に初めて、そのヒップホップのイベントに行って。ラップ好きな友達と一緒に行った時に「お前、やってみろ!」ってバッて背中を押されて。オープンマイクっていう、お客さんの前でラップするやつがあるんですよ。素人が出てきてやるやつ。それにバッて踏み出してラップしてみるんですよね。

そうしたら結構、お客さんが「ワーッ!」って湧き上がってくれて。それで友達も「お前、ラップ上手いな。カラオケとかでも聞いてたけど、お前はたぶんラップ、上手いで!」って友達に言われて。「俺、ラップ上手いん?」ってなって。人生の中で自分で初めて得意なことが見つかった感覚やったんです。それまで、スポーツも全然別に苦手やったし。勉強もめっちゃ嫌いやったし。人にたぶん褒められたのが初というか。「ラップ上手いな、お前」みたいに言われて。「俺、初めて自分で自信を持てるものができたかも?」ってなって。

そこから本格的にクラブに行ってMCバトルに出たりとか、ラップのバトルに出たりとか。ライブに行ってみたりとかするんですけど。それと学校生活と部活動の両立で俺はできへんなというか。「バスケも上手くはないけど、友達はおるから、最後までチームにもいたいけど。でも、俺は今どうしようもなくラップをやりたくなっている。俺はもうこれからラップをやる。部活は辞める!」ってそこで決めて。それで学校の部活の友達とかに「俺、ちょっとラップをやりたいから辞めるわ」って。

それで周りの部活の友達も俺がラップ好きなのとか、ラップしてるのも知っていたから。でも「いや、お前小学校からやってきたんやから。最後まで、卒業まで頑張ろうや」「いや、でも俺は今、やりたいって決めて。しかも両立もできへんし、お前らにも迷惑かけるから」って言って。みんなで体育館倉庫の前で全員、同い年のチームのやつらに囲まれて。なんかみんな泣きながら止めて。俺も泣きながら「でも頑張るから……」みたいなことを言って。

(木村拓哉)熱いな!

(R-指定)で、部活をやめて。そこからずっとラップを始めたんですけど。だから最近、その高校の友達とかに「あの時に俺らが本気で止めすぎていたら今のお前、おらんかったんやな」みたいな。「ある程度、お前の意思尊重して……最後までやって卒業したかったけど、お前の意思を尊重して良かったわ」って連絡が来たり。なんか、みんな見てくれてるんやなって。

でも1個、悲しかったのがその小学校の時のバスケの監督がおるんですけど。その監督がなんかTwitterかなんかでつぶやいてたのを友達がスクリーンショット送ってきて。「今の彼の活躍を見ると、昔の彼からは想像ができない。運動が苦手で内向的な性格で……」書かれていて。「ああ、運動が苦手で……ってその時点で思っていたんや。教えてくれよ!」って思って。小学校の時の先生(笑)。「お前、向いてないよって小学校の時に教えていてくれよ。俺、高校まで続けてしまったがな」って(笑)。

(木村拓哉)フフフ(笑)。

<書き起こしおわり>

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