秋元康と佐久間宣行 ラジオと作詞を語る

秋元康と佐久間宣行 ラジオと作詞を語る 佐久間宣行の東京ドリームエンターテインメント

秋元康さんが2020年2月19日放送のニッポン放送『佐久間宣行の東京ドリームエンターテイメント』にゲスト出演。佐久間宣行さんとラジオやニッポン放送、そして作詞について話していました。

(佐久間宣行)この時間は『佐久間宣行の東京ドリームエンターテイメント』をお送りしています。メールが来ております。「今日のオープニングトークですが、『EXITがボケまくってくれて助かった』とか言っちゃうと秋元さんに『たくさんボケろ』って振ってるみたいじゃないですか。エンタメ界の至宝にそんな振りをして大丈夫ですか?」。いやいや違うのよ。これ、「山本(圭壱)さんと比べてEXITが助かった」ってことだから。別に今日のゲストみんなにボケてくれっていうことじゃないし。あの……もう目の前にいるし。フハハハハハハハハッ!

(秋元康)でも、すごいね。なんか、感動した。

(佐久間宣行)何がですか?

(秋元康)なんか普通の局アナが読むような原稿まで読んでるんだね、佐久間が(笑)。

(佐久間宣行)そうなんですよ(笑)。ということで本日、最初のゲストをご紹介します。秋元康さんです。よろしくお願いします。

(秋元康)よろしくお願いします。いやはや、もうニッポン放送のさ、だって玄関に入ってきたら佐久間のポスターがあるんだよ? おかしいよね?(笑)。

(佐久間宣行)フフフ、そうですね。たしかに異次元の空間なんですよ。あの、一番恥ずかしかったのがCM中に秋元さんが座った直後。「生き生きしてんなー」って(笑)。

(秋元康)いや、本当よ。本当こんなに生き生きしている佐久間を見るのはさ、ないよね?

(佐久間宣行)いやいや、テレビの仕事ももちろん生き生きやってますけども。秋元さんの前で打ち合わせをさせていただく時は、まあ企画の内容を当てたりね。『青春高校』を一緒にやっているから。だから、このテンションではしゃべらないじゃないですか。「秋元さん、ちょっとこの企画なんですけど」ってこのテンションではしゃべらないですから。

(秋元康)ああ、そうなの? やっぱりオンとオフがあるんだ?

(佐久間宣行)オンとオフがあるっていうとちょっと違いますけど。まあ秋元さんの前でこのテンションで話すのは初めてですね。

(秋元康)だってもうさ、あのジングルの「佐久間宣行の!」とかっていうのがさ、プロだよね?

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!

(秋元康)すごいよ。びっくりした。

秋元康との出会い

(佐久間宣行)視聴者の皆さんにまず秋元さんと僕の関係だけで簡単に御説明させていただきたくて。元々、テレビ東京で『青春高校3年C組』っていう夕方の帯番組が2年前に始まったんですけども。その番組の企画をうちの上層部というかプロデューサーと秋元さんが話し合ってるぐらいの中盤ぐらいから「ディレクターが入った方がいいだろう」っていうことで僕が初めて秋元さんとお会いさせていただいて打ち合わせ始めたのが2年前ぐらいですね。

(秋元康)そうですね。

(佐久間宣行)そこからば番組を一緒にやって、定期的に……月に1回とか2回ぐらい、打ち合わせをさせていただく感じだったんですけど。AKBのオールナイトに僕がたまた、中井りかがやっている時に同じ番組をやってるから参加させてもらって。それで盛り上がったのを秋元さんが「面白いじゃん」って言っていただいたのがきっかけみたいなところがありますね。僕がオールナイトをやらせていただくきっかけになったのは。

(秋元康)あれはもう、素晴らしいよね。なんかサクセスストーリーを見ていてさ。涙ぐむよ。

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!

(秋元康)なんか、ねえ。福島から出てきた青年がさ、こういう形で。ずっとね、僕が放送作家でニッポン放送のスタジオでね、ずっと見てきたからね。長渕剛もオールナイトニッポンの二部の時から2人でここで牛丼を食べながら……。

(佐久間宣行)長渕さんの番組は秋元さんと長渕さんでやられていたんですよね?

(秋元康)そう。僕は構成作家で今の福田くんみたいにこういう風にいろいろ書いて出してたんだよね。だから、もしかしたら佐久間もスーパースターになるかも(笑)。

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ! いや、それは長渕さんと秋元さん、おいくつの時にやっていたんですか?

(秋元康)ええと……22、3だと思うな。長渕が……。

(佐久間宣行)僕、44ですよ? フハハハハハハハハッ!

(秋元康)いや、大器晩成じゃない?(笑)。

大器晩成型の佐久間宣行

(佐久間宣行)大器晩成(笑)。元々秋元さんはあれですもんね。ウィキペディアとかを見ると高校生の時にニッポン放送にコント台本みたいなのを送ったのをきっかけで構成作家になったんですもんね?

(秋元康)そう。ここの8階に経理があったんですけど。だから台本を書くとそこにお金をもらいに行ってたの。

(佐久間宣行)ああ、直接もらいに行って?

(秋元康)そうすると、源泉を取られた現金をくれて。

(佐久間宣行)現金でもらっていたんですね。

(秋元康)とっぱらい(笑)。

(佐久間宣行)とっぱらいだったんですか。で、高校からそういうのを始めて。それで大学でテレビの仕事も始めたっていう。

(秋元康)そうそう。

(佐久間宣行)だからニッポン放送に秋元さんはすごい思い入れ、ありますよね?

(秋元康)すごいある。だってその高3の夏休みにニッポン放送のレコード室にとじこもって……つまりさ、もうおじさんおばさんの昔の歌謡曲のイントロンに合わせて口上を書かなきゃいけないわけ。曲紹介の。それを書かなきゃいけないんだけど、曲を知らないじゃん。それでずっと高3の時にそのレコード室にこもって昔の歌謡曲を聞いていたわけ。で、それがたぶん自分の作詞の「ああ、こうやって作詞をするのか」っていう……これと、後にTBSの『ザ・ベストテン』構成をやるようになるんだけども。それがきっかけだと思いますよね。

(佐久間宣行)『ザ・ベストテン』は初めからやられてるんですよね?

(秋元康)そうそう。でももう本当に一番下っ端のハガキを選んだり、いろんなことをやるような。

(佐久間宣行)秋元さんって作詞って一番最初は何歳ぐらい時に、どのタイミングでやられたんですか?

(秋元康)21、22ぐらいの時だと思うんだけど。プロフィール上はアルフィーのB面の『言葉にしたくない天気』なんだけども。

(佐久間宣行)はいはい。

プロフィール上は『言葉にしたくない天気』がデビュー作

(秋元康)それは一応、アルフィーの方がかっこいいかなって思って。でも、本当は『タコローダンシング』(笑)。『とんでも戦士ムテキング』の。

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ! 『ムテキング』、いいじゃないですか! 俺、子供の頃、めちゃくちゃ見てましたよ、『ムテキング』。

(秋元康)そうそう。『ムテキング』だよ。

(佐久間宣行)タコローの歌だったんですね(笑)。

作詞家デビュー作は『タコローダンシング』

(秋元康)そうそう。『タコローダンシング』っていうのと『言葉にしたくない天気』だったら『言葉にしたくない天気』の方だろう?

(佐久間宣行)そうですね。プロフィール上はそうしますよね。

(秋元康)だろ? だからそっちになっているんだけども、本当は『ムテキング』だっていう(笑)。

(佐久間宣行)『ムテキング』かー。あの土曜かなんかにやっていたアニメですよね?

(秋元康)そうそう。元々は『ザ・ベストテン』とかいろんなことをやってると、いろんな歌手の皆さんから「今度、コンサートやるんで構成とか演出をやってくださいよ」って言われるのよ。で、その時にたとえば石野真子ちゃんとか石川秀美さんとか、そういう人たちのコンサートをやってると、その洋楽をやるじゃない? で、その時に「訳詞をして」とか言われて。その訳詞をすることから始まったの。

(佐久間宣行)なるほど。だって俺、秋元さんのプロフィールを見て度肝を抜かれたんだけど。『川の流れのように』を30歳ぐらいで書いているのよ(笑)。俺ぐらいの年齢、43、4ぐらいのイメージだったんだけど。もうわかんないから。クラシックになってるから。なんであんな人生の歌詞を31歳ぐらいで書かれたんですかね?

(秋元康)苦労してたんだろうね(笑)。

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ! ああ、そうか。1年、ニューヨークに行かれてた時に書かれたんですね。

(秋元康)そうそうそう。

(佐久間宣行)だからあれはニューヨークの川なんですよね?

『川の流れのように』はニューヨークのイーストリバー

(秋元康)そうそう。イーストリバーね。でもさ、それもあと付けだと思うんだよね。なんかさ、「あの川はどこですか?」って言われてるうちにさ、だんだん「俺、その頃ニューヨークにいたからな。あれ、イーストリバーなんだろうな」って、だんだんそういう風に思い込んでいくんだと思うんだよね。

(佐久間宣行)ちょっとずつかっこよくしているっていうことですか?

(秋元康)そうそうそう(笑)。

(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!

(秋元康)だからたぶん佐久間も「一番最初にラジオを始めたきっかけは?」「なんとなく帰るタクシーの中で、なんかブツブツしゃべっていることがあって……」とか。適当になんか自分でストーリーを作り始めると思うんだよ。

(佐久間宣行)ああ、なるほど。僕がだからもし、ラジオをずっとやっていたらそのうちに「いやー、ちょっとなんかサラリーマンの皆さんの夢を叶えるために、中年からでも頑張ろうって思いました」みたいなことを言い始めるっていうことですか?

(秋元康)そうそうそう。

(佐久間宣行)ああー。それはたぶんですけど、絶対にやります! フハハハハハハハハッ!

(秋元康)フフフ、だからたぶんもう、「自分の半生を語ろうか」みたいなことをやると思うんだよね。ロングインタビュー的な。

(佐久間宣行)ヤバいな。それ、俺めちゃくちゃダサいと思ってるんだけど……たぶんやる(笑)。

(中略)

(佐久間宣行)今、後ろで『タコローダンシング』が流れていますけども。

(秋元康)すごいね。この頃から何かをやる男だと想うよね(笑)。

(佐久間宣行)フフフ、ちょっと待ってくださいよ(笑)。このレジェンドになってから自分で自分を褒めるの、やめてもらっていいですか?(笑)。

(秋元康)なんかその片鱗が……(笑)。

(佐久間宣行)しかもさっき、CM中にお聞きしましたけども。これ、山下達郎さんが持ってたんですもんね。このLPを。

山下達郎も持っている『タコローダンシング』

(秋元康)この間、去年だか一昨年に東京ドームで嵐のコンサートに行ったら、そこに達郎さんとまりやさんがいて。達郎さんがね、「これにサインしてくれよ」って。『とんでも戦士ムテキング』のアルバムを持ってきていて(笑)。

(佐久間宣行)フフフ、すごいな! レジェンド同士、すごいな!っていう。

(秋元康)すごいよ。マニアック(笑)。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました