渡辺志保と池城美菜子 海外アーティストへのインタビューを語る

渡辺志保と池城美菜子 海外アーティストへのインタビューを語る MUSIC GARAGE:ROOM 101

池城美菜子さんがbayfm『MUSIC GARAGE:ROOM101』にゲスト出演。渡辺志保さんとこれまでにインタビューしてきた海外アーティストたちについて話していました。

(渡辺志保)続いてはお待ちかねのゲストのコーナーです。本日は書籍『カニエ・ウェスト論』の翻訳を手がけた池城美菜子さんにお越しいただいております。池城さん、よろしくお願いします。

(池城美菜子)よろしくお願いいたします。

(渡辺志保)めっちゃ緊張しています、私。みなさん、のブラックミュージック好きの方はかならず通った道だと思うんですけれども。「いまはなき」といってしまいますけども、ブラック・ミュージック・レビュー(bmr)でずっと池城さんがあの『Oh! My Bad』というタイトルのコーナーをずっと毎月連載されてらっしゃって。私はですね、あれを読みながら「自分もいつ、ニューヨークに行けるんだろう」って思いながら、高校生ぐらいの時からずっと読んでおりまして。で、それが本当に貴重な情報源になっていて、今日こうやって……実は初めて私も今日、池城さんとお会いしておりまして。

(池城美菜子)そうですね。はじめましてですね。

(渡辺志保)そうなんです。よろしくお願いいたします。もういろんなことをうかがいたくてしょうがないっていう感じなんですけれども。簡単に池城美菜子さんの紹介文を読ませていただきますとR&B、ヒップホップ、レゲエ専門の音楽ライターであり、翻訳者。95年からニューヨークを拠点に活動。取材したアーティスト数は延べ300組以上。2016年に帰国後、ライナーノーツやライブレポートの執筆、歌詞の対訳などを続けている。カニエ・ウェストはイベント、パーティーなどで20回近く観察というバイオグラフィーを……(笑)。

(池城美菜子)そう。インタビューをしていないんですよね。カニエさんは。

(渡辺志保)でも、同じ空気を吸ってるっていう……。

(池城美菜子)それは、吸いましたね(笑)。

(渡辺志保)でも95年にニューヨークに渡られて、21年間向こうにいらしたという。すごい、何て言うんでしょう? ヒップホップ的にも音楽業界的にも、めちゃめちゃバブルというか、いちばん景気のいい時にニューヨークにいらしたんじゃないかっていう感じがするんですけども。

21年間、ニューヨークで活動

(池城美菜子)おっしゃる通りです。行く前に、私はもともとレゲエマガジンっていう雑誌が昔、ありまして。ジャパンスプラッシュ……そっちの方が通りがいいかもしれないんですけど。そこの会社にいたんですね。で、そこで編集とかライターとかを覚えて。で、90年代って割とまだいろいろと勢いがあったので。行ったら何とかなるかな?っていう……(笑)。

(渡辺志保)大事です! いちばん大切なところですね!

(池城美菜子)で、まあなんとかなったのでグズグズと20年以上……。

(渡辺志保)おお、すごい! でも、ちょっとカニエからは外れてしまうところなんですけども。ちょっと前に21サヴェージが不法移民として逮捕された時なんかも池城さんはすごい詳しくご自身のブログにいろんな状況のことを説明して書いてくださっていて。

21サヴェージ vsトランプのアメリカ – MS. BRUTALLY HONEST

やっぱり我々には知り得ない、わかり得ない状況だったりするわけじゃないですか。なので本当にそういう池城さんが発信する情報も非常に貴重だなと思いましたし。で、bmrは池城さん以外にも堂本かおるさんとか松田アッコさんとか、いろんな方が現地の様子を書かれていて。それを私は本当にすごくなめるように読んでましたので。いまってもちろんSNSは発達してるけれども。

そうやってまとめてライターの方が発信する場所、現地にいらっしゃる方が発信する場所っていうのがやっぱり徐々に減ってきてるなという感じがしますので。やっぱり池城さんの、それこそR.ケリーに関する文章であったりとか、そういったものもブログで読ませていただいてですね、やっぱりそのリアルタイムでご本人にちゃんと会ってるとかね。それってなによりも説得力があることだと思うので。もう本当にこう、「恐れ入ります!」っていう感じで(笑)。

『サバイビング・R.ケリー』を観て。 – MS. BRUTALLY HONEST

(池城美菜子)いやいや。なんだろう? ライト・プレイス、ライト・タイミングっていう感じで、運とかも関係するので。そんな私自身がすごいというよりは、音楽業界が元気だったっていう。だだ、自分としては現場主義。その場にいた方がいいっていう風にはいつも考えているので、まあそれが。

(渡辺志保)いや、すごい。でも延べ300組以上のアーティスト、本当に名だたるアーティストたちにインタビューをされてきて、いままでにやっぱりすごく忘れられないインタビュー……いい意味でも悪い意味でも。そういったものが、そんな話もうかがいたいなと。

(池城美菜子)やっぱり心に残ってるのはもう会えないアーティストですよね。アリーヤが2回、レフト・アイが1回。やっぱり亡くなってしまった時も非常につらかったし。なんか、その一挙一動を思い出す時があります。あとはやっぱり大物は大物のオーラがすごくって。会っているだけでダイエットになるような(笑)。

(渡辺志保)カロリーを消費しちゃうみたいな?(笑)。

(池城美菜子)ものすごい疲れるっていうのはありますね。だから、そういう意味では……ジェイ・Zもすごかったし。あと、テディ・ライリー級もやっぱりすごかったです。でも、大好きな人な分だけ、「会わなきゃよかったな」っていう人もたまにいて。というのも、それは私とか状況とかじゃなくて、インタビューが嫌いな方で。

(渡辺志保)なるほど。自分が作り出したファンタジーを……?

(池城美菜子)盛り上げても盛り上げてもなんか滑っているっていう、ツイステッドなおじさまは彼女にずっと爪を……(笑)。なんていうこともありましたけども。あと、ルーサー・ヴァンドロスは電話なんですけども。ルーサーなんかに電話で「スウィートハート」とかって言われると、やっぱりそれを心の糧に生きていけますよね。すごい辛いことがあっても、「ルーサーが私のことをスウィートハートって呼んでくれたもん!」って(笑)。

ルーサー・ヴァンドロスに「スウィートハート」と言われる

(渡辺志保)すごい(笑)。それ、めちゃめちゃ生々しい。私も一度、ケンドリック・ラマーさんに電話インタビューをさせてもらったことがあって。で、本当に短いんですよ。もうプレスの方が用意してくださる、10分で容赦なく切られるみたいな。で、何を話したっていうのも緊張してるから、もう何を話したっていうわけでもないんですけど。でも1回、私の質問に「いい質問だね(That’s good question.)」って言ってくださったことがあって。それが私の生きる糧に……。

(池城美菜子)なりますよね。わかります。

(渡辺志保)「ケンドリックから『いい質問だ』って褒められたもん!」っていう(笑)。
(池城美菜子)そうです。そうやって生きていくしかない(笑)。

(渡辺志保)でも、実際に私なんかもうジェイ・Zなんて雲の上の上のさらに上の人っていうイメージがあるんですけど、実際に会うジェイ・Zっていうのはどういうオーラの方なんですか?

(池城美菜子)私はジェイ・Zにはすごい思い入れがあって。行った時に『Reasonable Doubt』が出て。最初から見たし。

(渡辺志保)しかもニューヨークで彼のことをずっと見たという。

(池城美菜子)彼が前座をやってるのは見てるし。あの人、案外ゆっくり売れてるんですよ。それはビヨンセも一緒で、あの夫婦は似た者夫婦なんですけど。割と苦労して5年ぐらいですごくビッグになったっていうのがあるのでやっぱり思い入れはありますね。

(渡辺志保)池城さんがそのジェイ・Z先生にインタビューされたのはジェイ・Zがどのプロモーションのタイミングだったんでしょうか?

(池城美菜子)で、彼はデフ・ジャムの社長をやってたじゃないですか? だから贅沢な話なんですけど、その期間はしょっちゅう見てたんですよ。しょっちゅう会って……だからナズがソニーからユニバーサルに来た時にナズのリスニングセッションに行ったらジェイ・Zが立っていて。「これはライバルとして聞いているのか、社長として聞いているのか……どっちだ?」みたいな。

(渡辺志保)そうか。それ、たしかに当時デフ・ジャムジャパンをやってらした桜井理子さんもそれをおっしゃっていて。デフ・ジャムのニューヨークのオフィスに行ったら普通に廊下をジェイ・Zが歩いていて挨拶とかしてくれるっていう。すごい時代!

デフ・ジャム社長時代のジェイ・Z

(池城美菜子)そうですね。だから、はじめのインタビューは「辞める」ってなった時に「社長とアーティストの両立は大変ですか?」みたいな質問を一生懸命したみたいなのは覚えています。そしたら「売れたらアーティストは自分の手柄にするし、売れなかったらレコード会社のせいにするから辛い」って言ってましたね(笑)。

(渡辺志保)ああ、なるほど(笑)。

(池城美菜子)「でも、自分もそうだったんじゃないかな?」ってちょっとだけ思ったんですけども(笑)。

(渡辺志保)そうですか(笑)。お優しい方ですか?

(池城美菜子)本当にすごいかっこいいです。

(渡辺志保)そうなんだ。ヤバい!(笑)。

<書き起こしおわり>

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