「人生って不思議なものさ。そんな経緯でクインシーのアルバムで歌わせてもらうことになった『One Hundred Ways』がカール・カールトンの『She’s A Bad Mama Jama』とその年のグラミーを争うことになろうとはね。カールのレコーディングにキーボーディストとして参加した時点では、自分がシンガーとしてクインシーと共演するなんて思ってもみなかったんだから」と。はい。まあ、加えて私生活で言うと、このタイミングでジェームス・イングラムは人の親になるということも体験して。いろんなことが重なって、まあ「人生の転機だった」という風に言っておりました。
「でも、いまになって私はこう思うんだ。ソロかデュエットか。またはファンクかバラードか。そんなことは大して重要じゃない。大切なのはそこにグッドミュージックがあるかどうかなんだよ。極論すれば、そもそも自分のレコードにジェームス・イングラムをフィーチャーする必要すらないんだ。グッドミュージック、ただそれだけさ」。ちょっといまとなっては随分と達観したことを話してくれたんですよね。
というのは、ジェームス・イングラム、大人ではありますが、この時はまあ30代の終わりぐらいですよ。随分と老成した印象を与える人でもありましたが、まあその時点で思ってた通りなのかどうかわかりませんが。生涯において出したアルバムは10枚にも届きませんでしたね。ですが、珠玉のような複数曲がございます。そのような人生もまたよしではないでしょうか。
続いては、じゃあライブの終盤へ行きたいと思いますね。マイケル・ジャクソンの『Thriller』に提供したこの曲のおかげで自分は子供たちを大学まで卒業させることができた」と、後に忌憚なくそういう風に語っていたジェームス・イングラム。その曲とは『 P.Y.T.』でございます。ライブの終盤はこの曲で始まります。マイケル・ジャクソン『P.Y.T. (Pretty Young Thing)』。
Michael Jackson『P.Y.T. (Pretty Young Thing)』
James Ingram『Someday We’ll All Be Free』
James Ingram『I Don’t Have The Heart』
(松尾潔)今夜は1月29日に亡くなりましたジェームス・イングラムを追悼しまして、彼が初めて日本で単独公演を行いました1991年2月12日、東京のいまはなき汐留のサイカでのライブの模様を再現いたしました。最後にお届けしたナンバーはマイケル・ジャクソンの『P.Y.T. (Pretty Young Thing)』。そしてダニー・ハサウェイのカバー『Someday We’ll All Be Free』。そしてジェームス・イングラムにとって結局は単独名義では最初で最後のナンバーワンヒットとなりました。クインシーではなく、トム・ベルとジェームス自身のプロデュースによります『I Don’t Have The Heart』をお聞きいただきました。
(中略)
(松尾潔)さて、楽しい時間ほど早く過ぎてしまうもの。今週もそろそろお別れの時が迫ってきました。ということで今週のザ・ナイトキャップ(寝酒ソング)、もちろんジェームス・イングラムの曲ご紹介したいと思います。今日、ご紹介できませんでしたけれども、みなさまからのご要望があれば第2弾もお届けしたいなという風に思いますが。ご本人の歌以外にもシャラマーの『A Night To Remember』でキーボードとベースを担当してたりとかね。
結構バラード以外のダンサブルな曲でも沢山ヒットを飛ばしてきたジェームス・イングラムなんですよ。ミュージシャンとしは。ですがシンガーとしてはバラードのイメージが強かったこともたしかなんですが、その中で例外とも言えるのがマイケル・マクドナルドとの男性2人のデュエットソング、グラミーを獲得したこちらでございました。『Yah Mo B There』。今日はこちらを聞きながらのお別れです。
1991年2月12日のライブではアンコールで歌った特別な曲です。これからお休みになるあなた、どうかメロウな夢を見てくださいね。まだまだお仕事が続くという方、この番組が応援しているのはあなたです。次回は来週、2月18日(月)、夜11時にお会いしましょう。お相手は僕、松尾潔でした。それでは、お休みなさい。
James Ingram with Michael McDonald『Yah Mo B There』
<書き起こしおわり>