松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中でリスナーからの質問メールに応え、音楽プロデューサーとして心がけていることなどについて話していました。
(松尾潔)ルーサー・ヴァンドロス、81年のデビューアルバム『Never Too Much』から『『Sugar and spice (I found me a girl)』。
LUTHER VANDROSS『Sugar and spice (I found me a girl)』
こちらにリクエストをくださった方はお若いんですよね。大阪府にお住まいのサトアツさんというハタチの男性リスナー。(メールを読む)「こんばんは。いつも楽しく拝聴させていただいております。僕はプロデューサーという職業にとても憧れを抱いているのですが、松尾さんがアーティストと関わることにおいて音楽上でいちばん重要視していることはなんでしょうか?」。うん、なかなか鋭い質問ですね。
僕はね、いちばん重要なことというか、いつも心がけていることでお話をすると、トレンドに目配りすることと歴史に学ぶっていうことをなるべく両立されたいなという風に思っているんですね。そして、これはどっちかひとつだけをやるよりも、ふたつを一緒にやることの方が答えが見つかりやすいのかな? という気もしています。経験上。たとえば、ブルーノ・マーズの『24K Magic』。さっきその話題が出ました。あのアルバムの表題曲はこんな曲でできていますよっていうようなことはいま、SNSとかですぐそういう曲の解剖っていうんでしょうか? 答えが出てくるような世の中ですけども。「なるほど、なるほど。ああ、こういうことか」っていう時に、そのトレンドの素。要素還元されたようなものをさらに遡っていくかどうか?っていうのでずいぶんと広がりが違うと思うんですよね。
ブルーノのアルバムの2曲目に『Chunky』っていうね、ちょっとぽっちゃり女子を応援するような曲が入っていますが……
Bruno Marc『Chunky』
たとえば「『Chunky』っていう曲で女性ボーカルの使い方が非常に気持ちいいな。じゃあ、『Chunky』みたいな感じを作ろうか?」。これだと奥行きがないですよ。『Chunky』の二番煎じというか、劣化コピーにしかならない。よくできてコピーでしょう。だけど、じゃあその女性コーラスを使ったもの。他にこれってどこからこの流れが来ているんだろう? みたいなところで、たとえばそのルーサー・ヴァンドロスの『Sugar and spice』。さっき聞いていただいた曲のコーラスの使い方。ちょっとやっぱりブルーノ・マーズあたりの源流のひとつという気もしますよね。
こういうところに遡っていくっていうことだと思うんですよ。やっぱりトレンドだけを見ていると、マーケティング偏重のものづくりになっていて。やっぱりなんか、作品を作るというよりも商品を作るっていう感じになっちゃうと思うんですけど。それももちろん、必要ですよね。商業音楽だから。だけど、そういう時にやっぱり重心をマーケティングだけに置くんじゃなくて、迷ったら自分の気持ちに素直に作ってみるっていう。その「素直な気持ち」っていうのをあっためるためにいろいろ音楽に触れてこなきゃ行けないんじゃないかな?っていう風に思いますね。
だって、マーケティング偏重で作ったものっていうのは、それは外してしまうと売れ残りのクリスマスケーキみたいな、悲しいプロダクツになってしまうんですけど、自分が好きっていう揺るぎないところで作ると、それはまた時が巡ってきた時に2回目、3回目のチャンスがやってくるんじゃないかな? なんてちょっとこう、理想論かもしれないけどそういうことを考えていますし、長く愛されてきた音楽っていうのはそういう共通項があるんじゃないかな? なんていう風に僕なりに感じているんですけどね。ちょっと熱い語りになってしまいましたけど。本当に問題提起になるようなメール、ありがとうございます。いつか仕事の場で会いたいですね。サトアツさん。
<書き起こしおわり>