吉田豪とGLAY HISASHI X JAPANを語る

吉田豪とGLAY HISASHI X JAPANを語る SHOWROOM

(吉田豪)で、PATAさんは僕のことも全然わからない状態だったんですけど。「PATAさん、実は僕、TOSHIさんもTAIJIさんの取材をしていまして。『WE ARE X』という公開された映画にも僕の音声が使われてまして……」とかって。

(HISASHI)ラジオでしたっけ?

(吉田豪)そうなんですよ。それで「ええーっ!」みたいに驚かれたっていう流れで。

(HISASHI)なぜPATAさん、知らないんだろう?(笑)。

(吉田豪)しょうがないですよ、あれ、なんのクレジットもないですから。僕も知らないっていう(笑)。試写会に行った人が驚いていたっていう。

(HISASHI)へー! 実はGLAYも撮ったんですよ。

(吉田豪)そうなんですか? コメントを?

(HISASHI)いや、なんか料亭みたいなところを借りて。やっぱりGLAYを発掘してくれたYOSHIKIさんっていうことで。でも、全カットですよ、あれ。

(吉田豪)へー!

(HISASHI)まあまあ長回しだったんだけどなー。

(吉田豪)GLAYがカットされて、なんで僕が生きているのか?っていう(笑)。

(HISASHI)TAKUROだけ使われたのかな、たしか。

(吉田豪)なるほど、なるほど。

(HISASHI)俺も『WE ARE X』、見に行きましたけどね。

(吉田豪)いい映画でしたけどね。短くまとまっていて。

WE ARE X DVD スタンダード・エディション
東宝 (2017-12-13)
売り上げランキング: 3,554

(HISASHI)でも俺らが活動している間と重なっているからすごく感慨深いっていうか。それこそ、HIDEさんの件とか。うん。HIDEさんが『HOWEVER』っていう曲を見つけてくれたりとかして。もうYOSHIKIさんとかね、忙しすぎてデモテープとか聞く時間がなかったと思うんですよね。そしたらHIDEさんが「このバンド、いいよ!」って。

(吉田豪)HIDEさんは僕、接点がなかったんですけど、お葬式は行きましたね。お葬式で死にかけましたよ。本当に将棋倒しになって。

(HISASHI)マジですか?

(吉田豪)すごかった。TAIJIさんの取材を2回やって、1回目が本当に面白かったんですよ。ちょうど足を怪我された頃で、なんでも話してくれて。かなりゴタゴタのことまで。

(HISASHI)へー!

(吉田豪)で、マネージャーさんが「あんまり昔の話ばっかりは、ちょっと……」みたいになった時も「いいんだよ、みんなこういう話が聞きたいんだから」って全部話してくれて。

(HISASHI)素晴らしい。

(吉田豪)すごいよかったんですけど、ところが二度目の取材が大変で。とあるDVDにするための深夜番組の企画で、「昔の話をする」っていうそういう企画だったんですよ。でも、僕がその前のインタビューをして単行本化する時に「いまやっているバンドでもう1回、インタビューしてほしい。いまの話をしたい」って言われて。ただ、それだと単行本のコンセプトと変わっちゃうから、残念ながら不掲載になったという流れがあって。だから、「そういう人が昔の話をする番組に出て大丈夫なの?」って言っていたら、案の定いざカメラが回ったら「昔の話はしたくない」っていうTAIJIさんと、「昔の話をしなきゃいけない」っていう状況下での1時間のバトルっていう……(笑)。

(HISASHI)フハハハハハハハッ!

(吉田豪)結構な大変なことになって。

(HISASHI)豪さんでもダメでした? それは。

(吉田豪)全然ダメでしたよ。何度か映像も止まったりしながら。で、最終的にはTAIJIさんに中指を立てられるという。

(HISASHI)フフフ(笑)。ええっ?

TAIJIさんに中指を立てられた

(吉田豪)で、なにが悲しいって、そういう流れがあったということを知らないで、そこだけYouTubeに映像が上げられるじゃないですか。年に1回ぐらい、「吉田豪、許さない!」みたいなTAIJIファンからの書き込みがあって。「違うんですよ! そういう流れがありまして……」っていう(笑)。「嫌がっているのにこんな話ばっかり聞いて失礼だ!」みたいな。「違うんですよ、そういう番組で……」っていう。

(HISASHI)うん。それ、TAIJIさんはいつの時代ですか?

(吉田豪)亡くなる直前ぐらいですよ。

(HISASHI)ああ……。

(吉田豪)和解する前ですね。いちばんYOSHIKIさんとギクシャクしていた頃で。なんで、だから昔の話をいちばんしたくない時期だったんですよ。大変でした。という愚痴をTOSHIさんとかにもしたんですけどね(笑)。

吉田豪 X JAPAN ToshIインタビューを語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。X JAPANのToshIさんにインタビューをした話をしていました。ToshIさんの真面目でいい人すぎる人柄をたっぷりと紹介しています。 (赤江珠緒)さあ、そして今日、豪さんが取り上げてくださる...

(HISASHI)フフフ(笑)。

(吉田豪)でも、最後に和解できて本当によかったと思うし……みたいな。

(HISASHI)いや、本当にエクスタシー・レコードはなんて言うんだろう? ファンっていうか……もう憧れ、尊敬している高校の頃から聞いていたバンドがたくさんいるレーベルっていうところで。昨日までは本当にコンビニのレジ打ちしていたのに、いきなりエクスタシー・レコードに行ったりとかして。最初はもう、喜びしかなったですよ。

(吉田豪)あの時代、だからパンクがいちばん下火になったというか、バンドブームでビートパンクが全盛で、いわゆるちゃんとしたパンクがなくなりつつあったような時代で。ハードコアとかあるにはあったけど。世界的にも弱まっていたんですよね。日本盤が出るのがトイドールズとラモーンズぐらいの時代で。ビジュアル系に流れるのもしょうがないっていうか。僕もだから、半分ぐらい行きかけたぐらいの時期だったんで。

(HISASHI)フフフ(笑)。なんかカテゴライズが、たとえばトランスとかっていうものが、ビジュアル系みたいな(笑)。

(吉田豪)わかります、わかります。だからフールズメイトがああいう風に流れるのも本当にわかるんですよ。

(HISASHI)フールズメイトね、そうね。たしかに!

(吉田豪)もともとはパンクとかトランスとかを扱っていた雑誌がだんだんビジュアル系雑誌になっていくのもわかるんですよ。時代の流れとして。

(HISASHI)うんうん。だからちょっとビジュアル系が……まあ、いつの時代もアイドル的なものであったけど。クイーンとかもそうだったかもしれないけども。そういうところで言うと、やっぱり容姿ってデカいんだなっていうか。そういうことを気付かさせてくれたというか。

(吉田豪)僕もあんまり表で言ったことはないですけど、1回ハノイ・ロックス的なバンドにスカウトされて。やりかけたことがあるんですよ。

(HISASHI)なにを?

(吉田豪)ベースを軽くはやっていたんで、外見だけでスカウトされて。ただ、練習まで行く前に僕はクビになりましたけどね。家で軽く合わせた時点で「こいつ、ベース弾けない」っていうのがバレて(笑)。全く向いていないっていう(笑)。

(HISASHI)シド・ヴィシャスだったら入っていたけどね(笑)。

(吉田豪)フフフ、パンクなら対応できても……っていう(笑)。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました