赤江珠緒とカンニング竹山 市原悦子を追悼する

赤江珠緒とカンニング竹山 市原悦子を追悼する たまむすび

赤江珠緒さんとカンニング竹山さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で亡くなった市原悦子さんを追悼していました。

(赤江珠緒)そう。兼高かおるさんもお亡くなりになってしまいましたし。しかも昨日ね、市原悦子さんの訃報が入ってきてしまいまして。私は本当に市原さんが大好きで憧れておりましたので。

(カンニング竹山)ああ、そうですか。

(赤江珠緒)もうね……。

(カンニング竹山)しゃべりのあれとかで?

(赤江珠緒)一度だけ、朗読会でご一緒させていただいたこともあるし、たまむすびに来ていただいたこともあって。

(カンニング竹山)ああ、そうか。そうか。

(赤江珠緒)すごく無理なたまむすびオリジナルの昔話っていうかお話みたいなのを読んでいただいたことがあるんですけども。

(カンニング竹山)そうですね。

(赤江珠緒)あんなにまろやかなお声の方、いらっしゃいますか?っていう。

(カンニング竹山)だから今日、朝も言っていたんですけども。僕らの世代だとなんと言ってもやっぱり『まんが日本昔ばなし』じゃないですか。で、あれをずーっと聞いていたから、なにに似てるのかな?って思ったら、小学校の時、担任の先生じゃなくてもずっと学んでいた学校の先生が亡くなった感じ。なんかそんな感じよ。自分にとって。

(赤江珠緒)なるほど。

(カンニング竹山)だから自分の人生にも入っているし。「ああ、先生、そうか。亡くなっちゃったのか」っていう、その寂しさ。

(赤江珠緒)で、土曜日がまだ学校に行かなきゃいけなかった時代。私たちが小学校の頃。その頃の夜に『日本昔ばなし』が放送されていて「明日は休みだ」っていう高揚感と相まって、その家族の団欒みたいなところにあのゆったりとした声と時間が流れて。ちょっと幸せな時間っていう。

(カンニング竹山)そうですね。

(赤江珠緒)あれがなんかすごく遠いものになってしまったような寂しさと……。

(カンニング竹山)そうね。でも自分の中に市原さんの声が入っているというか、根付いているんですよ。

(赤江珠緒)「『まんが日本昔ばなし』は30分で30人の声を出す仕事なの」って市原さんがおっしゃっていたんですけども。

(カンニング竹山)3本分あるもんね。

(赤江珠緒)いや、2本。

(カンニング竹山)でも30人の声を出していたっていうことか。

(赤江珠緒)30人以上。

(カンニング竹山)若い人もおばあさんも全部。

日本昔ばなしは30分で30人の声を出す仕事

(赤江珠緒)老若男女ね。なんだったらもう異界の天女や山姥、天狗など。あれだけ自由にいろんな世界に声を飛ばすことができる方は本当に稀有な方でしたね。

(カンニング竹山)赤江さん、あれじゃないの? お子様とかもいるから、子供の教材にもいいんじゃないの?

(赤江珠緒)私はね、もう買っているんですよ。本当はね、TBSさんにもう1回ちゃんと放送してほしいの。あれ、やっぱりね、視聴率とか関係なくやっぱり次世代の子供たちに見てほしいものだから。普通に地上波で放送してほしいんですよ。

(カンニング竹山)そうですよね。あれ、古いも新しいもないよね。だって昔からやっている時から絵は古かったもんね。だから関係ないもんね。

(赤江珠緒)うん。で、あれは絵描きの方がいろいろ書いていて。だから先に絵コンテを書いて、それに脚本の人が本をつけて。で、ナレーションとかはその後にできて、2日前ぐらいにできたものをお二人で配役をわけて。常田富士男さんとされていたんですよ。

(カンニング竹山)それでやっていたんだ。

(赤江珠緒)だから1個1個が本当に作品みたいな、もう芸術ですから。ちゃんと放送してほしいなって思いますね。

(カンニング竹山)やった方がいいね。土曜日とかまたやらないかな? うん。

<書き起こしおわり>

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