安住紳一郎 代打・福島暢啓アナウンサーを絶賛する

福島暢啓 独特な名刺入れを語る 安住紳一郎の日曜天国

(安住紳一郎)福島さんもCBC(名古屋中部日本放送)とMBSのことを少し言っていましたけれども。CBCMBSは民放では最も早く開局したということで、非常に歴史のある放送局で。1951年かな? その同じ日に放送開始していて、朝6時30分に名古屋の放送局が第一声を発して。それから遅れること5時間経って、お昼に大阪のMBSが放送を開始したということで。本当タッチの差で一番、二番ということなんですが、試験電波を出したのは大阪の方が早いということで。その民放第1位をMBSとCBCでこう取り合ってるというようなところがございまして。東京のTBSはさらに遅れること3ヶ月、12月に出していますので、やっぱりなんとなくね、東京支社、大阪支社、名古屋支社みたいなイメージがあるかもしれませんが、それは誤解であって。もう完全な別法人で。

兄貴格が当然、大阪のMBS、名古屋のCBCということで。MBSさんから来ていただくということは大変光栄なことであるいう風にTBSの方の人間は考えてるわけですね。当然、MBSも「TBSの手伝いに俺たちが行かなきゃいけないのか?」っていうような気持ちは当然あると思いますよ。そんな中で実現したということなので、TBSラジオのリスナーの皆さんもMBSの皆様に是非、チャンスがありましたら感謝を伝えてほしいなという風に考えております。

系列局っていうのはとても複雑で。テレビの方で説明するとわかりやすいので、系列局の仕組みってのを簡単に皆さん、知ってるかどうか分かりませんけども……一番わかりやすいのは読売新聞系列の日本テレビと読売テレビですね。これはわかりやすいですよね。世界一の発行部数を誇る読売新聞が持っている株式パーセントはたぶん25%ぐらい持ってると思いますが。東京に日本テレビ、大阪に読売テレビ。そうですね。それで同様にフジサンケイグループがあって、東京にフジテレビ、ニッポン放送、文化放送。そして大阪にラジオ大阪、関西テレビのあるフジサンケイグループ。日本最大のメディアコングロマリット。1万人以上が働いてますけども。この2系列はわかります。

一方、今度はテレ朝系とテレ東、TBSはとても複雑だということですね。ここまで、よろしいでしょうか? ここから難しくなりますよ。朝日新聞っていうのは元々大阪の新聞社ですよね。いまも東京本社などもありますが、登記上の本社は当然大阪の住所ですね。で、テレビ局を作るとなって朝日新聞が最初に作ったのは当然、大阪の朝日放送(ABC)ということになりますね。当時はまだ東京にネット局はなかったわけです。なので大阪だけで放送していたABCというのがあるんですね。

(中澤有美子)ええ。

(安住紳一郎)で、テレ朝はどうなっていたかというと、東京には日本教育テレビというチャンネルがありまして。これはテレビに進出しようとしていた当時の映画会社の東映と同じくラジオが短波放送。そして参考書の旺文社、さらには日経新聞がチャンネルを作ろうということで日本教育テレビというチャンネルがあったんです。「NET」ということですね。古舘伊知郎さんはNETので試験を受けてテレビ朝日の一期生ということになるんですよ。

で、その4社……東映、短波放送、旺文社、日経がチャンネルを作っていたんですけれども、なかなかうまくいかなくて。朝日新聞に引き取ってもらった。で、東京にテレビ局を作りたかった朝日新聞はこれをチャンスとばかりに、その日本教育テレビを「全国朝日放送」という名前にして、朝日新聞のテレビ局の東京キー局ということでテレビ朝日をそこに作ったということになるわけですね。なので、大阪の方がもともとは古いですし、大元なのでいまもなんとなくテレ朝系列の皆さんはABCがお兄さんでテレ朝は後から出てきた、まあ金回りのいい子供みたいなような、そういう扱いになっていますね。

なので、ABCのアナウンサーがテレビ朝日の番組のメインキャスターをやったりするというようなことはそういうような事情があるという風に汲み取りいただくと非常にわかりよいということなんですね。そして、テレビ東京は何となく「日経新聞のテレビ局」という印象を持ちの方が多いと思いますが。現在はそういう風になっていますが。30%近くの株式を日経新聞が持っていますが。元々はテレビ東京は大阪のMBSと三菱商事・三井物産・東レなどが作ったので、大阪の毎日放送は当初ネットを組んでたいた東京のテレビ局はテレビ東京と組んでいたんですね。

(中澤有美子)ええーっ!

(安住紳一郎)「ええっ?」っていうことですよ。びっくりですよね。うん。もともとのテレビ東京は大阪のMBSが作っていたんですね。そして、それがうまくいかなくて、日経新聞にお任せするということになって、日経新聞のテレビ東京というものができはじめることになるんですね。なのでTBSは当然、MBSとは最初からパートナーを組んでいないということになるんですね。で、TBSはどうかといいますと、毎日新聞が作ったと思ってる人が多いですが、実は関係はありません。創立当初からの生粋の所属先不明です。フラフラした放送局です。

なんとなく全体の方針が見えない。何がやりたいのかわからないというのがTBSテレビの特徴です。これは皆さんも見ていてそう感じると思います。なぜなら、親がいないからです。各個人に裁量が任されておりますので、いいところもあり、そこがまたよくわからないところでもある理由ですけれども。元々誰が作ったかというと非常に安定株主のいない放送局いうことになっていまして。なので、系列を組む時に仲間がいなかったんですね。

で、全国放送というスタイルを取らないと生き残れないとなった1958年から1960年にかけて、何をきっかけにTBSは系列局を作ったかと言いますと、これは1959年。今上天皇が皇太子殿下た時のご成婚パレードの時、NHKが中継をするわけですが。NHKだけの中継ではなく、民放もやはりこういうような大きな行事の中継をやりたいと考えた時に、当然NHKに対峙するだけの体力がない民放局は「一緒にやる人いませんか?」ということで各放送局からカメラや中継車を貸してもらえるようにお願いをするわけです。

そこで手を挙げた放送局がTBS、大阪からABC、名古屋からCBC、北海道からHBC、そして福岡からRKBの皆さんが手をあげたということで、実はこれでネットを組むことになったのですね。なので特に親会社の関係とかはなく、ある一つのイベントの放送をやろうという時に集まった仲間がそのままJNN系列を作ったということになるんですね。なので、むしろ兄貴とか弟とかそういうものは関係ないということなんですね。

そしてその後、TBSと仲間を組んでいたABC……なので、TBSの大阪のパートナーはずっと ABC(朝日放送)だったんですね。なので、どちらかというと新聞の影響を受けているのならば、朝日新聞の影響を受けるはずの放送局だったんですが、ABCはその後テレ朝がNET、日本教育テレビからテレビ朝日に名前を変えましたので、念願の東京での朝日新聞のテレビ局ができましたので、当然ABCはそことくっつきますね。すると、今度はTBSは大阪のパートナーがいなくなったので、ある政治家の強引な手法により「じゃあMBSと一緒になりなさい」ということで一緒になった。というのが1975年の出来事ですね。

(中澤有美子)ええーっ!

(安住紳一郎)私が何を言おうとしてるか、わかりますか? そうです。TBSとMBSはそれほど仲良くありません。

(中澤有美子)フハハハハハッ!

実はそれほど仲良くないTBSとMBS

(安住紳一郎)そうでしょう? だって、元々一緒になった経緯とか関係ないんだもん。ですよね? だから本当は「懐かしい! ご成婚パレード一緒にやったね!」「やったやった!」っていうのはABCさんですよ。「MBSさんはやってませんもんね?」みたいな。「急にね、後から一緒になったけどもね……」みたいなことですよね。で、MBSさんにしても「はあ? TBSさんですか、一緒にやるのは? へー、そうですか」って。

(中澤有美子)そういう感じ?

(安住紳一郎)そういうこと。だからMBSから福島さんが来てもらえるっていうのは大変なことなんです。それが一つね。もう一つ、これが大事ですよ。天皇陛下、今上天皇が生前退位のご意向を尾示しになりまして。来4月、平成がいよいよ終わりということになりますけども。私が夏の終わりにいただいている休み、だいた10月の頭ぐらいにいただいてるんですけども。すなわち、今年の夏休みが私の平成最後の夏休みと言えなくもないわけですね。なので陛下御成婚の時に生まれたTBSと大阪の放送局との連携……ABCさんから現在はMBSさんへと移っていったわけですが、なんとなくこの平成の最後にいま一度、大阪と東京の放送局の連携でみんなをあっと言わせたい。新しい時代の一角だけでも、一隅だけでもちょっと感じていただけたらな……という私の放送局で働く1人の、そして放送局で働く私と福島君の大きな野望だったのです。

(中澤有美子)はー、そこまで!

(安住紳一郎)はい! 皆さん、3週間空くいていたので忘れてましたね。私はヤバい人でーす!

(中澤有美子)フハハハハハッ! そこまで?

(安住紳一郎)はい。ちょっとね、大阪と東京の放送局の連携っていうのを楽しんでもらいたいなという、そういう趣向でございました。これからも福島君の番組、そして日曜朝10時『日曜天国』、どうぞお付き合いいただきたいと思います。さて、今日のメッセージテーマはこちらです。「食欲の秋」。です。はー、気持ちよかったー! はー、気持ちよかったー! 手の皮を剥いただけ、あるわー!

(中澤有美子)すごーい! 踊っていましたね。その手の上で。

(安住紳一郎)本当? そこまで感じてなかった?

(中澤有美子)感じてなかった!

(安住紳一郎)ああ、感じてなかったかー。やっぱりなー。もうちょっとみんなもさー、上から目線でラジオを批評するんだったらそれぐらい、調べたらわかるでしょう?

(中澤有美子)フフフ(笑)。

(安住紳一郎)なーんてね。ごめんなさい。いや、でもやっぱり楽しかったですね。大阪から本当に勢いのある福島さんに手伝ってもらってね。さて、「食欲の秋」。我孫子市の「褒め言葉しかいらない」……あ、間違った。俺、福島くんの真似をするんだった。

(中澤有美子)フフフ、えっ?

(安住紳一郎)さて、今日のメッセージテーマは「食欲の秋」。「11年前に私たち夫婦は結婚式を挙げました」という我孫子市の「褒め言葉しかいらない」さんからのお便りです(笑)。

(中澤有美子)フハハハハハッ!

(安住紳一郎)福島くん、こうやってやっていたよね? 「上手だな!」って思ったわ! メモしたわ! 「ああ、そうか。最初の1行はこっちにつけて。そうやって読むの?」なんてね。

(中澤有美子)フフフ(笑)。

<書き起こしおわり>

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