コンバットRECと橋P(橋本吉史)『アトロク』のエモさを語る

コンバットRECと橋P(橋本吉史)『アトロク』のエモさを語る ラジオ

コンバットRECさんと橋本吉史さんが『アフター6ジャンクション特別編・徹夜で夏期講習 in下北沢』の中で『アフター6ジャンクション』という番組のエモさについて話していました。

(古川耕)ちょっと僕、ブング・ジャムの人たちを呼んできますね。

(コンバットREC)そうですね。じゃあ、俺と橋Pでなんかつなぎますかね。

(橋本吉史)なにを話しますかね? RECさん、でも本当に番組に対しての目線は本当にありがたいですね。あの、ピリッともするんですよ。僕らも「ああ、これは」って……。

(コンバットREC)そんなピリッとすること、言っている? Twitterの文句ぐらいしか言ってないじゃん?

(橋本吉史)でも「声がデカい」とかそういうこともあるかもしれないですね(笑)。

(コンバットREC)物理的な?(笑)。

(橋本吉史)物理的な声がデカいから、なんか威圧されている感じみたいなのもあるかもしれないですけど。でも基本的には作り手の立場に立ったダメ出しっていう感じですけども。

(コンバットREC)ラジオが流れていないから言いますけど、先週橋Pと朝まで飲んだじゃないですか。その時に言って、ラジオだとちょっと恥ずかしいから言わないけど。やっぱりこの番組はすごいエモいと思うんですよ。

(橋本吉史)ああ、その話ですね!

(コンバットREC)その話、いいでしょう? ここならしても。

(橋本吉史)もちろん、もちろん。

(コンバットREC)要は橋Pってずーっとプロデューサーみたいなイメージだけど、タマフルって実質頭の3年ぐらい?

(橋本吉史)そうですね。正式には2009年から10年ぐらいで1回現場のプロデューサーじゃなくなりました。

(コンバットREC)そうですよね。2007年から始まって09年、10年ぐらいでいなくなっているから。実は頭の2、3年でもう橋Pの番組じゃないんですよね。

(橋本吉史)そうそう。実は事業部に行ってそこから「名誉P」っていう名前を発明して(笑)。なんかやっている感じにはなっていますけどね。

(コンバットREC)で、橋Pも事業部に行ったり、自分で別の番組を立ち上げたりとかいろいろとあって。お互い7年とか実は道が別れていたわけじゃないですか。

(橋本吉史)その間、事業部に行った後に『トップ5』という番組を作って。それを3シーズン作って。

(コンバットREC)それは私もやらせていただいたりしたんだけど。

(橋本吉史)そこからのご縁みたいなところもありますし。

(コンバットREC)だから橋Pと宇多丸さんの道が別れた7年があって。で、橋Pがいなくなった時に宇多丸さんはすごいショックを受けていたけど、でもタマフルも立て直して人気番組になっていって。その2人が合流しているっていうのがまず超エモいっていう。

(橋本吉史)ああ、なるほど。TBSラジオ史的に言えば。

(コンバットREC)エモいな!っていう。しかもこの番組に出ているゲストの方が、その橋Pの7年と宇多丸さんの7年とが合体している感じとかも超エモくて……だからもう聞いていてこっちはめっちゃ上がっているんですよね。もういまやね、1ラジオリスナーとして「この番組、最高だな!」って思って。

(橋本吉史)たしかにコンバットRECさんも山本匠晃アナウンサーと毎週会うようになって。

(コンバットREC)そうなんだよね。山本さんとやっているのも実は、放送とかでは言わないし。あいつが言うとまたなんかね……なんか調子に乗りそうだから言わないけど、エモいよね。

(橋本吉史)フフフ、まあでも聞いていると思いますけどね。

山本匠晃アナウンサーのエモさ

(コンバットREC)本当? また向かい合わせでやっているのも結構エモいなと思って。いや、『トップ5』のシーズン2か、一緒にやったのが。その番組が終わった時の打ち上げで「いつかなんか機会が来たら一緒にやれるといいね」みたいな話をしたんですよね。

(橋本吉史)たしかに。で、山本アナウンサーも「これでラジオが終わっちゃう。悲しいな」っていう顔を打ち上げでしていたんですよね。そしたら「山本、君はこれからテレビでもがんばってくれ。テレビで名前が売れて、そこでスキルもすごくついて。そしたらもう1回ラジオをやろう。そしたらまた絶対面白い番組ができるよ」って言ったら彼がダーッ!って居酒屋の外に走って出ていって。非常階段のところで号泣していたんですよ。

(コンバットREC)みんな「なんで出ていったんだろう?」って思ってね。

(橋本吉史)そしたら号泣していて。「ありがとうな」みたいな。

(コンバットREC)同期のディレクターの久保田さん。いまはスーさんの番組をやっているのかな?

(橋本吉史)いまは『生活は踊る』のプロデューサー。僕が初代だったんですけど二代目プロデューサーとしてやっています。

(コンバットREC)そう。同期の久保田さんが突然出ていったから「なんかあったのかな?」って心配して出ていって。それで見に行って帰ってきた久保田さんに「どうしたの?」って聞いたら「泣いてました」っていう(笑)。

(橋本吉史)そうなんですよ。で、なかなかそうは言っても山本アナウンサーもすぐにラジオができる感じでもないのかな?って思っていたら、彼があれよあれよという間に『金スマ』とかで活躍して。「もうラジオはできなくなっちゃったのかな?」って思ったら、ある日突然ラジオのフロアにふらっと現れて。その時、憑き物が取れたような……だからRECさんの言う「なりすまし」っていう(笑)。

(コンバットREC)なりすまし疑惑ね(笑)。

(橋本吉史)別人みたいな感じでいて。「いや、ちょっとラジオをもう1回、やりたくて」っていう話で。「ああ、じゃあやろうよ」って。で、『興味R』にいっぱい出てもらうようになって。そこから、「じゃあこの番組にも行こうか?」っていう流れができたんですよね。だから、みんなが再集合した感じですよね。

(コンバットREC)そう。この感じがめっちゃエモいなと思って。「えっ、なに? いままでやっていたことってこの番組のため?」みたいな気もしてくるじゃないですか。だからいろいろと気になってね、「こうした方がいいんじゃない? ああした方がいいんじゃない?」って言っちゃうんだよね。

(橋本吉史)いや、ありがたいですね。だから基本的には本当に感謝しかないんですよね。

(コンバットREC)だからまあ、本当にエモいんですよ。これ、ラジオで言うとクサいじゃないですか。まあ、こういう場だからね。

(橋本吉史)そうそう。なんかね、すぐに「内輪」って言われますからね(笑)。

(コンバットREC)そうそうそう(笑)。

(橋本吉史)いや、妹尾さんが……まあ、いても全然いいんですけど。だから、難しいですよね(笑)。

(コンバットREC)フハハハハハッ! せのちんさん、ちょっと怖いからね(笑)。

(橋本吉史)せのちんさん、でも僕が「アドバイザーに入ってください」って最初にたのんだんですよ。『キサラギ』の映画評を送ってくれた時に、もう僕からすると妹尾さんは伝説の放送作家だったんで。あの『バツラジ』っていう名番組を導いた男と言っていいので。「えっ、妹尾さんが俺らみたいなこんな駆け出しの番組を聞いてくれているの?」みたいなのがあったんですよ。

(コンバットREC)おっ、なんて話をしているうちに、もう大丈夫な感じですかね? じゃあ、すいません……。ということで、はい。大丈夫ですかね?

(橋本吉史)っていうか、えっ? 政所さんがいるんですか?

(コンバットREC)えっ、政所くん、いるの? エモい! だからこれがエモいっていう話だよね!

(橋本吉史)そしたらRECさんと1回、ちょっと……。

(コンバットREC)ああ、たしかに!

(橋本吉史)それで、ちょっと挨拶したら渡しましょう。

(コンバットREC)ああ、いいの? マジで! すいません。もうちょっとください。2年ぐらい会ってないよ! 2年……もうちょっとかな?

(橋本吉史)だって政所さんとRECさんとジェーン・スーですから。『トップ5』、最初は。2011年の10月です。

(コンバットREC)ねえ。

(橋本吉史)すごいですね。

(コンバットREC)そうなんですよー。ラジオじゃあ言わないですけど、ニコ生だから言いますよ。エモいんですよ。結構この番組。

(橋本吉史)そうなんですよ。いろいろとエモいんですよね。で、その時のメンバーはまずアンディ(安東弘樹)ですよね。で、蓮見(孝之)アナウンサー。オモリーですね。で、小林悠。ナタリーですよ。

(コンバットREC)ああ、小林さん、1年目だ。そうだね。

(橋本吉史)そうなんです。いろいろあったんですね。いろいろあったんだけど、基本的にエモいんですよ。いや、でもたしかにその『トップ5』を始めた時にナイターが……。

(コンバットREC)おおっ、来たーーーっ! よいしょーっ!

(観客)(拍手)

(コンバットREC)ひさしぶりーっ! 元気?

(高野政所)おひさしぶりっす(笑)。呼ばれてないのに来ちゃいました(笑)。

(コンバットREC)いやいやいや! めっちゃうれしいよーっ!

(高野政所)政所でございます。恥ずかしいっすね。なんかね。

(コンバットREC)おかえり!

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