吉田豪 津川雅彦を語る

吉田豪 津川雅彦を語る ラジオ

吉田豪さんが2011年10月6日放送のTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』の中で俳優の津川雅彦さんについて話していました。

「津川雅彦物語」カツドウ屋血族

(小島慶子)で、今日は俳優の津川雅彦さん。もう吉田豪さんはもうなんて言ったって長門裕之さんは本当によくご存知ですので。その弟さんという。

(吉田豪)そうですね。長門番として、長門さんは3回取材したわけですが、弟さんの津川さんは初めてで。今週の週刊ポストに出てるわけですけど。津川さんは1940年生まれの現在71歳。お父様はの往年の日活の大スター、澤村国太郎でお母さんは女優のマキノ智子。妻は朝丘雪路さんでお兄さんが長門裕之さん。今年5月に亡くなったわけですけど。で、長門さんのインタビューをずっとやっていたんでうが、主に津川さんの悪口がすごい多いですよ(笑)。

(小島慶子)そうなんだ(笑)。

(吉田豪)最初にインタビューした時とか、相当悪口言ってて。でもそれが晩年というか後になるにつれて、だんだん雅彦と若いみたいな感じで、いい関係になって終わった感じだったんですよ。で、「その2人の関係って面白いというか、仲の良いのか悪いのか全然わかんないんですよ」ってまず素直に津川さんにぶつけたんですよ。そしたら「うん、どっちとは言えない。子供の頃は仲良くて、役者になってから長い間、仲が悪く晩年また仲良くなったから、まあ後味は良い」っていう感じで。元々同じ役者だし、若い頃は津川さんに映画会社とか雑誌とかから電話がかかってくると、背後で長門さんがコップを割ったりするっていうね(笑)。

(小島慶子)なるほど。同業者だしね。

(吉田豪)ショックだし、妨害もするし……みたいな。

(小島慶子)厳しいね。仕事がどっちに来るかなんてね。兄弟だと比べちゃうから。

(吉田豪)で、津川さんが『狂った果実』でデビューした16歳の時の話で、「人気の上で弟に追い越されるっていう、兄としての沽券に関わったわけさ」っていうことで。顔は長門さんと全然似てない……晩年は結構似てきてる感じもするんですけど。っていうか、この写真がもうすごいですよ。いまの津川さん。

(小島慶子)あらっ、どうされました?(笑)。

(吉田豪)ファッションがすごいことになってて。Tシャツの柄はピースマークなんですが、他は全部ドクロですね。全身ドクロでスニーカーには銀色の鋲が全部打たれているっていう感じで。

(小島慶子)それは普段着ですか?

(吉田豪)普段着です。「ファッションも反体制がテーマだ」って言っていて。「柄はドクロとか大麻が好きなんだよね」みたいな(笑)。「いくつだ?」っていう(笑)。

(ピエール瀧)ファンキーなお爺ちゃんってことですね。

(吉田豪)71歳(笑)。

(小島慶子)ちょっとね、役柄とはあんまりつながらないファッションですね。

(吉田豪)まあ、こんな感じなんですが。顔がいま、ちょっと似てきているんですが、もともと当時ね、長門さんは桑田佳祐の顔が似てるって言われぐらい、いわゆる親近感の持てる顔。で、津川さんいわく、「二枚目がモテるあの時代にはそぐわなかったんだよ。まあ、はっきり言えばブスさ。それを言うと兄貴はマジで不愉快な顔したけどね」って。「でも、それがテレビ時代になっても、渥美清さんに代表される等身大の人気スターを視聴者が求めるなって、兄貴には良い流れが来た」と。で、「津川さんは二枚目であるがゆえに、テレビの時代なると流れに乗れなくなっていった」って言ったら、「いやテレビのせいなんて大げさなことじゃなくて、自信過剰での自滅にすぎない」っていう。まあ、日活から松竹に移ったんですよね。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)「この美しい顔さえあれば、どこでも通用すると思ってたが、演技がド下手だった」っていう。

(小島慶子)お芝居が。へー!

(吉田豪)まあ、お二人とも楽をしたがるタイプ。長門さんが楽したがるタイプで、津川さんは努力家っていうイメージだったんですが、津川さん曰く「いや、どっちも楽をしたがるんだよ。僕は生来の怠け者で、兄貴は天才肌で。『努力するやつは凡人だ』的な感覚があって、ポリシーを持って努力しなかった」という。で、津川さんは凡人だからこそ、努力せざるを得なくなった。楽はしたいんだけど……っていう人なんですね。で、「天才の兄と凡才の弟だから勝負にならないはずが、やっとウサギとカメの競争に持ち込めた。あとは兄貴が昼寝するのをじっと待っいてた」みたいな感じで。

(小島慶子)じゃあ、やっぱりライバル意識があったんですね。

(吉田豪)ちなみにこういうような発言をしてるんですが、インタビューと載っている原稿が全然違うんですよ、実は。

(ピエール瀧)そのポストに?

(吉田豪)そうです。このへんの発言はすべて津川さんが後から作ったやつです(笑)。すごいですよ。文体から何から全部変わってて、エピソードも相当追加&削除になってて。

(小島慶子)ああ、インタビューの後に原稿に起こしてご本人に見せたら、大変更?

(吉田豪)口調も全部違うし。「○○さ」みたいな(笑)。でも、全体にかっこよくなっているんですよ。こういうかっこいい比喩とかをどんどん入れていて。別にぬるくする感じの直しじゃない感じですね。面白い感じの。

(小島慶子)美学があるんですかね。

(吉田豪)そうですね。すごい美学がありました。

(ピエール瀧)本番モードの文章になっているっていうことね。要するに。プライベートではなく。

(吉田豪)まあずっとブログ書いている人だから、自分のブログ文体っぽくなっているのもありますね。

(ピエール瀧)ブログ書いているのもすごいけどね。

(吉田豪)で、ブログでひたすらいろんなことに噛みついてますからね。ギラギラしてるんですよ。最近もだから、やしきたかじんさんの番組でそのギラギラした反権力的な発言で話題になったんですが。ここの中にはそういうような発言もたっぷり入ってます。で、津川さんはもともと役者をやる気は全然なかった人っていう風に本とかにも書いてあったんですがそう聞くと、「いや、いや!」っていうね。前半、いちいち「いや!」って僕の発言を否定するんですよ。「いちいち逆らうようで申し訳ないが、全然ないってことはなかった」って。これも当然、付け足した発言なんですけども(笑)。

まあ、「役者の家に生まれたから、映画に出ることには抵抗はなくて。もともと子役とかやったんですけど。親の言うとおり役者にになっちゃつまらない的なたわごとを反抗期にほざいたわけさ。で、思いついた事件だ殺人だと夜中に駆けつける新聞記者。その野次馬根性や好奇心はいまでも盛んだがね。それで新聞部のあった早稲田大学の高等学院に入ったわけさ。でも、根は浅い」みたいな感じで、ジャーナリスト志望だったんですよ。それがいま、ブログでああいう社会的な発言をするに至るわけですけど。

「まあ、もともと役者も絵描きも小説家も音楽家も反権力・反体制がポリシーさ。で、さらに僕が管理するやつ、融通が効かないやつ、自由を束縛するやつが大嫌いでね。公器で権力を叩ける新聞記者になりたかった。が、楽が好きだから役者になっちゃった」っていうね。で、長門さんに「役者は天職か」って聞かれた時、答えられなかったことがあるんですよ。それはどういうことかっていうと、「指にブワーッと札束が巻き付いてくるような楽でボロいのが天職だと思ってた」っていうね。それ、ジャーナリストだとさらに困難だと思うんですけど(笑)。

(小島慶子)フフフ(笑)。

『狂った果実』のラブシーン

(吉田豪)役者の方が、まだっていう。で、津川さんは後年、「ラブシーンの名手」として名を馳せたわけですけど、実はもともと奥手だったんですよね。16歳で『狂った果実』でデビューするまでは女性の手も握ったことがなくて。それなのに初日の撮影が葉山海岸のロケーションで、黒山の人だかりを前にして水着のラブシーンっていうね。で、「初体験だし童貞だから絶対兆候が出てしまう。死ぬほど恥ずかしかった」っていう。まあ要は勃起しちゃったんですね。水着で。

(小島慶子)16歳だもんね。

(吉田豪)で、それがものすごいトラウマになって、2本目からそういうことを感じないで芝居ができるようになっちゃった。だからラブシーンでも女性の美しさを強調するのが男の役割だと早く気付けて、要は盾みたいなものだって気づいたらしいんですよ。女性を美しく見せるための。経験がないからこそ、そっちに気づいたっていう。で、『狂った果実』の時はマネージャー代わりだったお母さんが現場に来ないと心細くて。北原三枝さん……現在は石原裕次郎さんの奥さん、未亡人ですね。その北原三枝さんと手をつないで寝ていたそうで。

曰く、「初恋は北原美枝さんさ」っていうことで。その惚れた理由についても語ってたんですが、ここは瀧さんん、お願いします。

(ピエール瀧)はい。「ロケでのラブシーンの時も、彼女がいち早く僕の兆候を気づいて優しくケアしてくれてね。嬉しかったし、見たこともない美人だったし、大スターだし。いっぺんに惚れちゃった。おふくろが一緒に寝てても、マコちゃん(北原三枝さん)が『1人で怖いから一緒に寝させて』って平気で僕の部屋へ来て。おふくろと僕の間に布団を敷いた時は嬉しかったなあ。ドキドキした。寝てからさらに『雅彦ちゃん、怖いから手つないで』って言われて、手を握って一晩寝たんだ。いくら童貞って言っても、マコちゃん、罪作りだよ!」。

(小島慶子)フフフ(笑)。これ、北原三枝さんはなかなか大胆なお姉さまですね。

(吉田豪)これ、童貞からしたらヤバいですよね。

(小島慶子)寝られなくなるでしょう?

(吉田豪)でも、童貞だからシステムを全然わかっていなかったみたいで。お母さんと一緒なんだけども、「このままだから手をつないだりしたら何かやれるんじゃないか?」みたいなことを思っていたらしくて(笑)。「無理ですよ、そのシチュエーションじゃ!」「いや、そういうこともわからなかったんだよ」っていうことで。で、津川さんがすっかりテンションが上がって。で、学期末試験で学校に行って、3日してロケに戻ってきたら石原裕次郎がマコちゃんの膝枕で耳掃除してもらってて瞬間ノックダウンっていうね。「これは関係性が俺と違う」ってすぐにわかったっていう。

(小島慶子)そうか。うん。

(吉田豪)ちなみにその北原三枝さんと手をつないでいたら、「それは恋人のつなぎ方よ」と注意されたこともあったそうで。ここも瀧さん、お願いします。

(ピエール瀧)「そうそう。よく知ってるね。指を1本1本、互いの間に入れる。しっかり気持ちの握り方さ。一度やってみたかったんだ。ダメを出された時は恥ずかしかったが、これで僕の恋心が伝わったかな?って密かに期待したんだ。はじめて手をつないで初恋の女性と寝床を一つにして。ここから本物の恋に突然できたら夢のまた夢。でも、どう切り込めばいいか皆目わからない。湘南の不良にあっという間にブチ壊された」。

(小島慶子)石原裕次郎さんを「湘南の不良」呼ばわり(笑)。

(吉田豪)まあ、勝てるわけないですよね(笑)。

(ピエール瀧)うーん、そうね(笑)。スマートな不良だもんな、あちらさんはね。

(吉田豪)二枚目だけど、こっちは童貞ですからね。で、たぶんそんなモヤモヤがあったせいで、この『狂った果実』がヒットして日活の偉い人に「何がしたいか?」って聞かれて、津川さんは「一度祇園で思いっきり遊んでみたいです」って言って、芸者遊びするわけですね。「我ながら気の利いた要求をしたと思うよ。以降55年間、祇園遊びは飽きずに続いてるからね」っていう。

(ピエール瀧)すごいね。55年間祇園遊びができるっていう。

(吉田豪)まだギラギラしているっていう(笑)。で、そしたらある日、お父さんに「お前、いまかわいがってる子の旦那になるか?」って言われて。「『とんでもない! セックスするなら結婚する人です!』って断ったがウブだったな。親父は粋だったね」っていうね(笑)。まあ、芸能一家はどうかしてますよね(笑)。

(ピエール瀧)うん、そうだね。面白い方へ、面白い方へ……っていう(笑)。

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