(ピエール瀧)で、童貞喪失したのは日活から松竹に移籍する時に、その間にアメリカに行っていたんですよね。そのアメリカで行われたらしいという風に聞いたんで追求したら、「そう。19歳だったね。16歳で何も知らないまま人気アイドルになっちまったからね、奥手には違いない」っていう。で、「ちなみに長門さんは初体験の相手が男性だったという話をご本人から直接聞いたんですが……」って聞いたら、「それは嘘! あの人はオカマさえかわいがったことないよ。ハッタリかますことが多いんだよ、あの人。5000円で買った時計もすぐ50万になっちゃうし。5000円か50万か、どっちかじゃないと人は面白いがらない。ウケるネタに対する才覚があった」っていうね。
「まあ、だからこそ長門さんは司会者に向いてたと思うんですよ」って言ったら、津川さん曰く「俺も落ち目の時、司会をやったことがあるんだけど、全然ダメだった。アドリブが下手だしね」って言っていて。「津川さん、たぶん余計なことを言いますよね?」って言ったら、「そう! 放送禁止用語なんかどんどん言っちゃうね」って言っていて(笑)。放送禁止用語を言い過ぎて、各種団体から抗議を受けたりとかしたらしいんですよ。で、放送禁止用語じゃないんですが、音楽番組でプレイボーイで名を馳せていた時代に「コーラを飲んだらインポなる」っていう噂を聞いて毎日飲んでいたって冗談で言ったら、コカコーラが怒って謝れ!って言ってきて。まあ、当たり前の話なんですけども(笑)。
(小島慶子)そりゃそうですよ(笑)。
(吉田豪)怒ります(笑)。ところが、津川さんの言い分としては「コーラとは言ったけど、コカコーラとは言っていない。でも『コーラと言ったらコカコーラなんだ!』て強引でさ。番組のスポンサーかと思ったら違うしね。『なんで謝んなきゃいけなんだ?』って言ったら、『TBSの大事なスポンサーだから局が迷惑する』って。コカコーラと喧嘩しても怖くないが、局と喧嘩は営業に差し障る」ということで仕方がないから次の放送で津川さんが言ったのは「コーラを飲んだらインポになると申し上げましたが、コカコーラのつもりではありません。僕、ペプシを愛用してましたから。でも『コーラと言えばコカコーラだ。謝れ!』ということなんで、謝ります。しかし、コーラはペプシもある。それは間違ってないと思います」っていう(笑)。余計にモメますよね。
(ピエール瀧)フハハハハハッ! 謝る気、ゼロだもん!
(小島慶子)アハハハハハッ!
(吉田豪)反省ゼロですね。「モメますよ」って言ったら、「本当はコカコーラを飲んだんだがね。『でもインポにはなかった。噂はデマでした』と言ってあげるつもりだったのに。ペプシの宣伝してやったよ、憎たらしいから」っていう(笑)。
(小島慶子)もうね、袖で聞いていた営業の人、全員舌打ちだったでしょうね(笑)。
兄・長門裕之の暴露本
(吉田豪)「余計なことを!」って。そりゃ、司会の仕事はなくなりますよっていう話で(笑)。で、そんな津川さんはね、あの長門さんが『洋子へ』っていう自身の女性関係を赤裸々に書いた暴露本を出したことをどう思ったのか?っていうのを聞いてみたら、当時『すばらしき仲間』っていうテレビ番組があって。
津川さんと朝丘雪路さんと長門さんと南田洋子さんのダブル夫婦で出演した時、番組の中で当時高視聴率を取ってた『スチュワーデス物語』の話になって。津川さんが言ったのが「作り方がひどい。人気になってるからってああいうちゃっちいドラマを作ってはいけない。心ある役者は出演を断るべきだ。無料のテレビにかじりつく茶の間の文化度は最低になった。一億総白痴化は進んでると認識すべき!」とかね、こんなことテレビで言うっていう余計な発言をして。
で、南田洋子さんが「雅彦さん、役者にとってたくさんの人が見てるのは素敵なことなのよ」って言って。「いやいや、中身が大事だよ」「私、ちょっと出たのよ。あれに」「えっ、洋子さんも?」「俺も出た」「えっ、兄貴も?」って。で、とどめは朝丘雪路さんが「私も出ています」っていう。それを聞いて「僕は間違ってました。実は素晴らしい番組かもしれない」っていう(笑)。
(小島・瀧)フハハハハハッ!
(吉田豪)そしたら、このやり取りがまるまる放送されて「面白かったです」とすごい評判がよかった。で、津川さん曰く「兄貴にしたら雅彦は毒をまいてアテンションしやがった。要は毒は効果なんだと学習したんだね」っていう。「それまでの長門さんはおしどり夫婦っていうのであえて意識的に演じてた。テレビの時代は夫婦仲良くが人気になるという正攻法で成功してきたけど、その長門さんがはじめて毒を使ったのがの暴露本だった」と。津川さん曰く。
「ただね、甘味を出すためにスイカに塩をかけるでしょう。多ければもっと甘味が出るというもんじゃない。本来塩は毒。長門さんは大量に塩を食ったら死んじゃうっていうのが分かってなかった」っていう。つもりさん、もともと子供の頃からビー玉を弾いてギリギリ線上で止めるゲームが好きで、ビー玉によって危ない橋を渡る学を学んだ。何度も挫折を重ねると成功と失敗は紙一重というのがよく分かるようになるとかね。
津川さんはだって、そもそも娘さんが5ヶ月の時に誘拐されている事件もあって。「部屋に寝ている娘を持っていかれたドジな父親だった」って報道されて。まあ、その後無事には戻ってきたんですが。で、警備会社にたのんで鍵を二重にして、雨戸もつけて、警報器もつけて。警察からは「完璧です。絶対に泥棒は入りません」と褒められたんですが、念のため消防署に行ったら「一家全員焼け死にます。咄嗟に誰も出れません」って言われて。
(ピエール瀧)頑丈にしすぎてね。
(吉田豪)そうなんですよ。入れないかわりに出られないっていう。「だから、危機管理っていのは全ての仮想敵を想像する能力と対処する能力の両方が必要なのだ。出と入り。つまり、安全と危険は紙一重。両立させるには普段の努力が大切。なのに自衛隊ですら必要ないと言う左翼は阿呆ではないんだから、日本を滅ぼす魂胆に違いないとその時にはっきり分かった。で、その後会う左翼はみな、下品極まりなかった。特に労組、日教組の偉いやつとか新劇人、小説家、左翼嫌いに拍車がかかってね……」みたいな感じで。
要はその誘拐事件の危機管理をきっかけに左翼嫌いになったっていう、全く知らないエピソードが出てきて。「いまではマスコミまでもが左翼に成り果てたが、昔は左翼にあらずば芸能人にあらず的な時代があってね。兄貴までが『雅彦、これからは社会党が流行るぞ』って言い始めて。『社会党に一票入れると、NHKが使わなくなるよ』ってかましたら、次からは自民党に投票していた。これが左翼ファンの本質さ!」みたいな(笑)。
(小島慶子)また、もうお兄さんは反論できませんからね(笑)。
(吉田豪)もういまはね(笑)。そうなんですよ。「この間も兄貴に『選挙、誰に入れた?』って聞いたら『蓮舫に入れた』って言ってね。僕が嫌な顔をすると『だってあいつ、きれいな顔だろ?』ってかわいく言ってごまかしていた」っていう(笑)。お兄さんのその顔で選ぶのもすごいですよね(笑)。みたいな、そういう呑気な話をいろいろしましたっていうね。面白かったですよ。で、津川さんが突然お風呂の話を始めたんですけど。
(小島慶子)お風呂?
(吉田豪)実は、僕長門産を取材していて、両者の本を読んでいたら2人とも共通点として「風呂嫌い」があったんですよ。で、「津川さんといえばお風呂嫌いで有名ですけど」って言ったら、長門さんが「ええっ? 雅彦、嫌いだったの?」って、知らなかったんですよね。で、津川さんにもその話を聞いたら、「ええっ? 兄貴、嫌いだったの? いま、はじめて知ったよ!」みたいな。そんな2人が一緒に風呂入ったエピソードとかも載っていたりするんですけどね。
みたいな感じで兄貴話を普通に「こないだ」とか言うんですよね。兄貴の話とかを。だから、「長門さんが亡くなった時のショックはさすがに抜けてきた感じですか?」って言ったら神妙な顔になって「抜けてない。こういう風に仕事でワーッとしゃべるのは兄貴の供養になるけど、1人で考えて落ち込むに決まってる。いなくなっちゃった兄貴を取り戻せるんだったら必死で考えるがね」っていう感じで。
亡くなった時、津川さんも狭心症で集中治療室に入っていたんですよね。で、津川さん曰く「カテーテルを通して手術してたら兄貴の方が先に行っちゃった。ICUから電話で兄の延命処置を止めることを了承した。まあ腐れ縁だね。兄貴は身代わりなって助けてくれたんだと思ってる。だからまだ僕の中で兄貴は死んでない」っていう。
(ピエール瀧)すごい状況で延命処置を止めることを了承したんだね。
(吉田豪)自分もギリギリだし。っていうか、自分の方が重かったらしいんですよ。この時点では。お兄さんは風邪だったんで。ただ、元気ですよ。異常に。
(小島慶子)何歳違いの兄弟なんですか?
(吉田豪)いくつだったかな? 享年77ですね。長門さんは。
(小島慶子)6歳違いか。これ、いま週刊ポストに載っているんですね。
(吉田豪)いま出ています。いま言わなかった話とかもたっぷりと入っていますので。とにかくこのファッションを見てくださいっていうね(笑)。
(小島慶子)いやー、びっくりですね。私服のセンス。
(ピエール瀧)どこに一筆足したのかな?って踏まえながら読んでも面白いっていう(笑)。
(吉田豪)一筆レベルじゃないですからね(笑)。
(小島慶子)ご本人による加筆が(笑)。
(吉田豪)大幅加筆(笑)。
(小島慶子)津川雅彦さんのインタビューは週刊ポストに掲載中です。プロインタビュアーの吉田豪さん、また来週、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
(吉田豪)どうもー。
<書き起こしおわり>