吉田豪 マサ斎藤を語る

吉田豪 マサ斎藤を語る ラジオ

吉田豪さんが2011年10月にTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』でマサ斎藤さんにインタビューした際の模様を話していました。

プロレス「監獄固め」血風録―アメリカを制覇した大和魂

(小島慶子)で、今日はまたプロレスの方ですよね?

(吉田豪)そうです。もう小島さんなんかはさっぱりわからないと思いますが。

(小島慶子)マサ斎藤さん。

(吉田豪)わかりやすく言うと『マグマ大使』のゴアみたいな感じの顔をした人です。

(小島慶子)わかりづらい(笑)。

(吉田豪)まあ、それもわからないでしょうけど。

(ピエール瀧)そうですねー。

(小島慶子)でも、お名前は聞いたことがあります。

(吉田豪)いま、Tシャツを着ています。こんな感じの……。

(小島慶子)あら、まあずいぶん迫力のある……。

(吉田豪)迫力のある髪、ヒゲ、体型。引退試合でも完璧なコンディションを作っていい試合をしていた人なんですけどね。

(ピエール瀧)焼いたレバーみたいな感じです。

(吉田豪)わかりづらいなー。フハハハハハッ!

(ピエール瀧)焼いたレバーを組み合わせると……。

(小島慶子)わからない!

(吉田豪)ああ、なんか肉の感じはそうですね(笑)。

(小島慶子)でも、迫力がありますね。

(吉田豪)迫力あります。1942年生まれで現在69才。レスリングと喧嘩に明け暮れて大学時代にレスリングで東京オリンピックに出場。で、卒業後の65年に日本プロレスに入団し、その後アメリカに渡ってヒールレスラーとして活躍。クマと戦ったりしながら85年には警官暴行事件に巻き込まれて現地で1年半の刑務所暮らし。その刑務所の中でもガンガントレーニングを続けて「監獄固め」という技を開発したという設定になっているんですけども。まあ、その前からあったらしいんですけどね(笑)。そんな人で。で、戻ってきてからは猪木さんとライバル関係になって、87年には猪木さんと巌流島の戦い。

(小島慶子)あ、これは聞いたことある!

(吉田豪)時間無制限、ノーレフェリー、ノールール、無観客で2時間5分14秒の死闘を巌流島でやったというね。で、99年に現役引退。そして僕がBUBKAでインタビューをしてきたわけですけども。

(小島慶子)はい。

(吉田豪)まあ僕ら、プロレスファンが本当にみんなマサさんを大好きなんですよ。男の憧れというか、本当に自由に生きてきた人で。アメリカで己の体ひとつでなんとか渡り合ってきた人なんで。「本当にマサさんはファンから支持されているというか、嫌われない人ですよ」みたいなことを最初に伝えると、「本当?」って言われて。「みんなマサさんのこと、大好きですよ!」って言っても「まあ、ファンの人とあまりしゃべったことないから。口下手だし。いまはこういう病気になっちゃったし。しゃべらないから好きなんじゃないの?」みたいな感じで。実はいま、ちょっとパーキンソン病的な病気で、結構しゃべるのもいっぱいいっぱいで。取材の前にも発作が起きて奥さんが背中をさすっていたりしてたぐらいの状態なんですが。

(小島慶子)そうだったんですね。

(吉田豪)だからボソボソとしゃべるだけなんですが、いまでもやっぱりすごくいいことを言うんですよ。で、口下手だからかっこいいというのはたしかにあると思って。「余計なことは言わないというか……」って言ったら、「余計なことは、言った」って言っていて(笑)。そうなんですよ。現役引退後、プロレス中継で解説者をやっていたんですけど、コンビを組んでいたのが辻よしなりアナで。で、辻さんから聞いたことがあるんですが。辻さんはよく「ヒャッホーッ!」とか大声を出していて、それがプロレスファンからはすごい評判が悪かったんですよ。「なにがヒャッホーだ、バカ!」みたいな感じで。

(ピエール瀧)フフフ(笑)。

(吉田豪)で、実はそれはマサさんがしょっちゅう放送禁止用語を言いそうになるのを消そうとしたのが原点だったらしいんですよ。

(小島慶子)あ、だから唐突なんですね!

(ピエール瀧)なるほど。

(吉田豪)唐突に「ヒャッホー!」とか言わなきゃいけなかったらしいんですよ。

(ピエール瀧)「ピー!」がわりっていう。

(吉田豪)そうなんですよ。その場で消さなきゃいけない。余計なことをすぐに言おうとしちゃうらしいんですよ。まだテレビ上で言っちゃいけない先のこととか平気で言っちゃうんで。「……だったんですよ」って言ったら、「ああ、気を遣ってくれていたんだ」って。知らなかったんですね。「放っておくと平気で4文字の放送禁止用語を言っちゃうからなんですよ」っていう。「放送禁止用語とか気にしていましたか?」って聞いたら、「全然」っていう(笑)。「誰かに注意されても全部こっちの耳からこっちの耳に抜けちゃう」っていうね。

(ピエール瀧)ふーん!

本当に自由だった解説者・マサ斎藤

(吉田豪)で、解説者時代のマサさんは本当に自由だったんですよ。で、辻アナとのコンビが抜群に面白くて。だいたい辻アナが「○○なんですよね、マサさん?」って聞くとマサさんは「違います」とかね(笑)。だいたい全部否定するんですよ(笑)。で、自由すぎてマスクマンの正体もだいたいバラしていたんですよね。たとえばブラックタイガーっていうマスクマンのことを「エディ(・ゲレロ)はね……」って本名で呼んでいたりとか。獣神サンダー・ライガーが出ている時も「山田が……」とかね。「そんな風に言ってましたよね」って言ったら、「そんなのみんな知ってるじゃん?」っていう(笑)。「知ってますけど……」っていう(笑)。「なんか、おとぎの世界みたい」っていう。フフフ(笑)。

(小島慶子)へー!(笑)。

(吉田豪)みんながそうやってファンタジーを守る中でマサさんの自由なところがよかったんですよ。で、「辻アナが当時、いい具合にヒールになっていたから辻アナをたしなめることでマサさんがいい具合にベビーフェイスになる部分があるんですよ」って言ったら、マサさんいわく「全然わかんなかった。ファンの反応をいちいち気にしていたらしゃべれない。長州は文句を言っていたけどね」っていうね。当時、まあ新日本でいちばん偉かった長州力さんはいつも文句を言っていたっていう。まあ、長州さんの盟友みたいな感じだったんですよ。長州さんというのは一緒に新日本から抜けてジャパンプロレスを旗揚げして。で、新日本に出戻りという形で戻ってきて……っていうね。で、その頃にマサさんが猪木さんとシングルで対戦したんですね。

(ピエール瀧)うん。

(吉田豪)で、試合中にホッケーマスクをかぶった海賊男っていう謎のマスクマンが現れて。手には手錠を持っていたんですよ。で、それを猪木さんとマサさんにつなげれば手錠マッチが完成するんですが、なぜかその海賊男は自分とマサさんを手錠でつないで退場しちゃったんですね。っていう、事故があったんですよ。で、その後手錠の外れたマサさんが走ってリングに戻ってきて猪木さんと殴り合ったものの、試合はいつの間にかマサさんの反則負けで。で、試合内容に納得がいかないファンが暴動を起こすっていう事件があって。

(ピエール瀧)フハハハハハッ!

(吉田豪)で、「ファンの反応をあまり気にしないマサさんですけど、ああいう時はファンの反応とか、どういう風に見ていました?」って聞いたら、「俺が感じたのはアクシデント。なんで俺がそんなことやられないとダメなんだ?って思った。海賊男に手錠をはめられた時、なんで俺?っていう。なんであんな……びっくりした。どうしていいか、わからなかった」っていう。まあ、そうだと思います。

(ピエール瀧)1回連れ去られちゃったから。おとなしくね。

(吉田豪)そうなんですよ。「あれあれあれ? なんでなんで?」って。

(ピエール瀧)で、向こうまで行ってから「これでいいわけねえだろ!」ってノリツッコミをしたってことですか?(笑)。

(吉田豪)フフフ、そうです、そうです(笑)。「戻らなきゃ!」っていう(笑)。で、マサさんは海外でのトラブルにも相当慣れているから、基本動じないんですよ。で、その後も87年12月の新日本プロレスの両国大会で突然、ビートたけしさんとたけし軍団のメンバーが乱入したことがあって。まあビッグバン・ベイダーっていう選手を連れて猪木さんの対戦カード変更を要求。で、観客が納得しなかったせいでやむなく猪木さんが2試合やる羽目になったんですよ。で、そのどっちもが消化不良の試合になったためにまた観客が暴動を起こしたことがあって。その時にベイダーを連れてきたのがマサさんで、どっちもマサさんが絡んでいるわけですよ。暴動に。それを聞いたらマサさんが「……やったかもね」みたいな感じで(笑)。他人事なんですよ。

(ピエール瀧)フフフ(笑)。

(吉田豪)「でも、たけしが出てきてプロレスファンはびっくりしたよね」っていう。「いや、びっくりはしましたよ!」っていう(笑)。まあその87年当時、たけしさんは人気絶頂で。だったのに、会場ではプロレスファンからの大ブーイングで。「たけしさんはそのせいですごいプロレス嫌いになったという話もあるんですよ」って言ったら、「フフフ、そうなの?」みたいな感じで(笑)。「完全にトラウマになったらしいです」って言ったら「トラウマはね、誰にも消せない」って言っていて(笑)。全部他人事なんですよ(笑)。で、ちなみにそのたけしさんの乱入で大激怒していた長州さんが舞台裏ではサインをもらって喜んでいたっていう話もあるんですよ(笑)。

(小島慶子)ちょっと!(笑)。

(吉田豪)「たけしさん、サインください!」っていう(笑)。それを言ったらマサさんは「それは知らなかったけど、俺はサインなんかいらない。自分がサインするのも嫌いだから」って言っていて。「それはずっとヒールでサインをしないような習慣ができたとか、そういうことですか?」って聞いたら「面倒くさいだけ」「あ、それだけ? 断るんですか?」って聞いたら「知らんぷりしてる」みたいな感じで。まあ、マイペースなんですよ。

(ピエール瀧)うんうん。

(吉田豪)でもまあ、マサさんの話を聞くだけで幸せになれる部分っていうのがあって。

(ピエール瀧)まあ知らんぷりしていてもそれが絵になる構図になっているっていうことでしょ? だから。

(吉田豪)ですね。顔と風格と。で、エピソードが本当にいいのばっかりなんですね。マサさんって。僕が好きなのが駅で新日本の選手たちが新幹線を待っている時、「アケミはまだか?」って言っていた話で。「のぞみ」と「アケミ」を間違えたっていう(笑)。どこのスナックの女が来るのかって思っていたという(笑)。「アケミ、遅いな」って言っていて(笑)。

(小島慶子)新幹線アケミ(笑)。アハハハハハッ!

(吉田豪)って言ったら、「フフフフ、ありえるな」って言っていて(笑)。まあ、覚えてはいないんですけど。まあ、マサさんの話は勝手に大きくなっていっちゃう部分もあると思っていて。マサさんが獄中にいる時、「なにか欲しいものはないか?」って聞かれてマサさんが「カルピスだ」って答えたという話があって。当時、週刊プロレスの編集長だったターザン山本がアメリカの通信員の人に差し入れを託したら、マサさんがカルピスについて「世の中にあんなに美味い飲み物はないよな」って言っていたという話が一気に広まって。

(小島慶子)ふーん!

(吉田豪)で、「そうなの? まあ、カルピスは好きだった。子供の頃から飲んでいたからね」みたいな感じで言っているんですけど。「みんな勝手に幻想を持っていたんですよ。マサさんのことだからボトルのまま薄めずにストレートで飲んでいるだろうなとか」って言ったら、「いやー、やっぱり薄めないと……」って言っていて(笑)。

(小島慶子)そりゃそうですよ!

(吉田豪)当たり前ですけどね(笑)。そんなマサさんが『監獄固め血風録』っていう素晴らしい自伝を講談社から出しているんですよ。あれがすごいいい本で。読んでいるとこれって書いていいんだっけ?っていうことばっかり書いているんですね。

プロレス「監獄固め」血風録―アメリカを制覇した大和魂

(小島慶子)うんうん。

(吉田豪)「要はセックス、酒、ドラッグみたいな感じで……」みたいに僕が言ったら、「そう。セックス、ドラッグ、ロックンロールだったから」って言っていて。「ロックンロールもあったんですか?」っていう(笑)。まあ、すごいんですよ。アメリカで酒を飲みながら車を運転してピストルを撃つみたいな話ばっかりで(笑)。

(小島慶子)ええっ?

(吉田豪)「基本、デタラメすぎるんです」って言ったら、「ハハハハッ! いまはアメリカではそういうこと、できないからね。あの頃は時代が時代だからできたんだろうね」って、まあ当時も法律的にはアウトだったはずなんですけど(笑)。

(ピエール瀧)まあプロレスラーですからね。そういうエピソードあっての。

(吉田豪)そうです。ヒールならねっていう。で、「もしかしたらレスラーっていうのはそういうのが普通の感じだったんですか?」って聞いたら、「うーん、レスラーは○○○○が多いから」っていうね。まあ「クレイジー」な意味のね。「あの頃はみんなね……」みたいな感じで。「じゃあ、日本のレスラーだと誰がいちばんクレイジーだと思いますか?」って聞いたら、「誰もいない。みんなまとも」っていう。

(ピエール瀧)うんうん。

(吉田豪)ほら、いかにアントニオ猪木がおかしいか?っていうのはよく聞くじゃないですか。「じゃあ、猪木さんとかは変わっていると思ったことはないんですか?」って聞いたら、「ああ、全然」「普通の人ですか?」って聞いても「うん」っていう。「藤波(辰爾)さんは?」って聞いても「普通の人じゃないの?」っていう。「僕の中では橋本真也さんとかより上の人はみんな変わっているっていう印象があるんですよ」って言っても「みんなまともじゃない? 変わっているのは俺だけだよ」っていうね。まあ、俺節な人で。

(小島慶子)うん。

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