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吉田豪 田口トモロヲを語る

吉田豪 田口トモロヲを語る たまむすび
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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で俳優・田口トモロヲさんについて話していました。

(安東弘樹)はい。このコーナーでは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋を話していただきます。今日、豪さんに紹介していただくのが、俳優・ナレーターの田口トモロヲさん。

(吉田豪)はい。

(安東弘樹)ではまず、田口トモロヲさんのあらすじとその筋をご紹介します。1957年生まれ、東京都出身。80年代はパンクバンド ばちかぶり・ガガーリンのボーカリストとして活躍。俳優としては1982年の『俗物図鑑』で映画デビュー。塚本晋也監督の『鉄男』で注目されると、今村昌平監督の『うなぎ』、大島渚監督の『御法度』など多数の作品に出演します。俳優以外にもNHKの『プロジェクトX』のナレーターを務めるなど、ナレーターとしても活躍。みうらじゅん原作による映画『アイデン&ティティ』、『色即ぜねれいしょん』の2作では監督も務めました。日本映画に欠かせないバイプレーヤー、それが田口トモロヲさんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材による田口トモロヲさんのその筋は……その1、とりあえず自分を消す。役者としての基礎の筋。その2、映画館がなかったら犯罪者? の筋。その3、パンクから俳優へ。天才じゃない。ガンジーで行こうの筋。その4、ロリコン漫画ブームで挫折の筋。その5、テレビの死体と映画の死体、どっちやりたい? の筋。その6、チュッ! みうらじゅんはミラクルな友人の筋。その7、素行が悪くてもプロジェクトXの筋。以上、7本の筋です。

(玉袋筋太郎)ねえ。濃いねえ。

(安東弘樹)玉さんはいままで絡み、ありますか?

(玉袋筋太郎)田口さんはないですよ。

(安東弘樹)あ、意外ですけど。

(吉田豪)そうなんですよ。僕も実はこの取材をするまで……っていうか、この取材っていうのがそもそも最近のネタじゃないんですよ。実は。最近のは、僕は全女のボブ矢沢レフェリーとか、あまりポピュラーじゃない人を取材していて(笑)。内容的には面白いんですけど、ラジオにはあまり向かないので。2009年に『POPEYE』で取材した田口トモロヲさんのインタビューを。

(安東弘樹)8年前か。

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2009年のインタビュー

(吉田豪)ラジオでは話してないので、これを掘ってきたんですけど。田口さん、僕は実は世界が近いんですけど、この時まで会ったことがなくて。この時に結構仲良くなって、「飲みましょう!」って言われてそれっきりまた会っていないっていう、そういう関係で。

(玉袋筋太郎)そういう人なのかな? 距離感として。

(吉田豪)(笑)。なんですが、まあすごい面白かったんでぜひこの話をしたいという感じで。これが当時、ちょうど田口トモロヲさんがみうらじゅんさんの映画『色即ぜねれいしょん』を監督した頃にインタビューしたんです。というわけで、まずはこの話から始まっていくんですけど。その主演の渡辺大知くんという、黒猫チェルシーってバンドのボーカルで、日本アカデミー賞の新人俳優賞をとっているんですけど。この人の話で。この人、あれなんですよね。田口さんが映画の会見とかで「本物の童貞だ」ってバラしちゃったんですよ。主演の彼を。

(安東弘樹)渡辺くんが。はい。

(吉田豪)で、その渡辺くんに「ちょっと、バンドのメンバーに知られちゃったんで、恥ずかしいので……」って注意されて。「これはかわいそうだったな」と思って自粛するようにしていたらしいんですよ。ところが今度は、マスコミ向けの試写の時に今度はリリーさんがバラして。リリーさんがバラしたからしょうがないってことで、みんな解禁する感じで。僕もだから、この渡辺大知さんは会ったことがないんですけど、リリーさんとかみうらさんから、いかに本物の童貞でヤバいやつかっていうことを聞かされて(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)「ピュアでいいやつなんだよ! かわいいんだよ!」って。

(安東弘樹)まあピュアなね。

(吉田豪)なかなかいまね、映画の主演で童貞をバラされ続けるっていうこと、ないじゃないですか(笑)。で、しかも聞いたらキスシーンにもう悩んでいたらしいんですよ。というのも、それがファーストキスだったっていう。

(玉袋筋太郎)ええっ? 奥手だなー!

(吉田豪)そう。で、彼のキスのポイントは「本当に好きでもない人と、たとえ映画とはいえしてもいいのか?」という苦悩で。「それを聞いたら、なんていいやつなんだと思った」ということで。

(玉袋筋太郎)おおーっ! いいですよ。いい話だ。ピュア、ピュア。

(吉田豪)「僕の頃は、隙さえあればやりたいっていう世代でしたから」って言っているんですけど。でも、田口さんの話を掘ってみると、実はそんなギラギラした青春を送ったわけでもなくて。都内で転校を繰り返していたので、転校をするたびにいじめられたりしていたと。で、その中でサバイブしていくことがメインだったので、青春を謳歌する的なことは二の次になって。転校生ってやっぱり女子の注目度が高いから、それが男子にとっては気に入らないんでジェラシーの対象になると。で、何者であろうと最初はいじっていじめるというのがあったので、とりあえず自分を消すという作業を始めたと。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)「それがその頃に覚えた芸風で、それがいま思うとプラスになっている。出すべき時には出すけど、あとは普通に目立たなくする。変に個性は出さないでおく。それが役者としての基礎になった」という。

(玉袋筋太郎)なるほど!

(安東弘樹)そうか。そこから役に入っていけばいいわけですね。

(吉田豪)で、さらに田口さんのチームに1人、おとなしいのにキレると泣きながら後ろから三角定規で刺すやつがいて。そういう危険な匂いというか、「あいつ、おとなしいけどいじるとヤバいぞ」っていう、そっちタイプにも足を突っ込むことにしたと。で、そこからブレてないんです。要は、初期に演じた役は全部こうなんですよね。基本、おとなしいけどキレたら何をするかわからないっていう。

(安東弘樹)ああー! イメージ、そうだ。

(吉田豪)そうなんですよ。それができたという。

(安東弘樹)その流れか。映画館がなかったら、犯罪者?

(吉田豪)まあ、「そんな学生生活だったんで、とにかく学校をサボって映画館に通い詰めるようになった。中学、高校生の頃は150円とか300円ぐらいで見れる名画座があったんで、時間を潰すとなると喫茶店か映画館しかなかった。当時はゲーセンとかネットカフェがある時代じゃないから。映画は2、3本立てだからあっという間に1日が過ぎる。だから映画館があったから救われた」って言っていたんで、「なかったら、どうですか?」って聞いたら、「犯罪者の側に行っていたかもしれないです」って言っていて(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)「だから、とにかく映画が教科書だった」って言っていたんですけど、まあ当時名画座でかかるような映画って絶対に間違った教科書なんですよ(笑)。

(安東弘樹)教科書っぽくない映画ですね(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだね。

(吉田豪)で、ご本人も言っていました。「ちょっとトゥーマッチな、過剰な思想の入って芸術的すぎる教科書で学んだんで」って。「それを刷り込まれると、たぶん人生で道は見誤りますよね?」って言ったら、「見事に見誤って。こうやって、なんとか食べているから、まあ人生に正解はないですけど。人様に迷惑をかけずに自立さえしていければ……」っていう感じで。

(玉袋筋太郎)いや、いいよね。人様に迷惑をかけないっていうことは。

(安東弘樹)いや、なくてはならない存在ですもんね。いま映画界でね。

(吉田豪)まあ、この流れで劇団とかに入ったりするようになったりとかって流れなんですけど。

(玉袋筋太郎)でもパンクから俳優だもんね。

(吉田豪)そうなんですね。

(安東弘樹)もともとパンクなんだ。

(吉田豪)まあ正確には、劇団からパンクにまずなるんですけどね。アングラな田口さんがパンクバンドをやるきっかけっていうのが、ちょうど田口さんの世代でも前衛的な音楽をやっている人たちがちょうどパンクの影響でパンク的な思想の音楽をやるような流れがあったんで、その中に入っていって。「あの頃はいい時代だったと言い切れますね」って言っていて。「懐古じゃなく、自分たちで時代を変えられるんだっていう幻想を持てる時代だったので。大きなシステムから脱却して、自分たちで好きな作品を発表できて、希望に満ちていた」って言う。

(安東弘樹)うーん!

(吉田豪)そうなんですよ。聞いてみると、トモロヲさんって結構本気で変革とか革命とかを考えていたタイプなんですよ。

(玉袋筋太郎)へー! 本気なんだ。

(吉田豪)本気だった側なんですよ。

(安東弘樹)存在を消すから、そっちで本気になったんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。「本気で無血革命をしようとしていた」っていう(笑)。「本気でしたね、いま思うと。完璧に挫折しましたけど」っていう。

(安東弘樹)でもいいな、そういう本気の思いってね。

(吉田豪)「大きな流通のシステムじゃなくて、もっと自分たちをメインにして、中間搾取されない流通とか作品だったりを作りたかった。純粋に自分たちが聞きたいもの、それで見たり聞いたりする人たちが純粋に求めているものを追求した」と。で、それでやったのがばちかぶりで、「うんこ食べたら40万円」とか歌っていたっていう(笑)。

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ばちかぶり『産業』

(玉袋筋太郎)ああ、ねえ。そういうイメージあるんだよな。

(吉田豪)で、「革命を起こせないって気づいたのはいつぐらいだったんですか?」って聞いたら、JAGATARAのアケミさんっていうボーカリストがいて。で、田口さんは日本だとJAGATARAが大好きで。アケミさんっていうのは90年に亡くなったんですよ。それでひとつの時代が終わったと思って、田口さんもばちかぶりでメジャーデビューして。「アケミさんの存在は自分の中でとにかく大きくて。お前は自分のロックをしているか?って常に自分を問い続けた人で」っていう。

(玉袋筋太郎)そうだね。やっぱ、言うよね。

(吉田豪)まあ、音楽的にもばちかぶりがどんどんJAGATARA寄りになっていくんですけど。その時ってちょうど田口さんってバンドブームだったんですよ。90年ぐらいって。

(安東弘樹)そうでしたね。

(吉田豪)要するに、事務所に騙されて搾取されていた側なんですよね。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)そういうのもあったりとかで、もう完全に気持ち的には転向って言ってましたね。転向して、プロの俳優になろうと思ったっていう。

(安東弘樹)そうか。ここで俳優なんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。「それまでは、他の職業を持ちつつ、バンドをやったり演劇をやったりとか考えていたけど。そして、それまでそういうことをやってきた人間の負け惜しみだとも思うけど、こんな狂った世の中にはどうせ正当性なんかないんだから、自分も狂った方がいいっていう考え方だった。僕の頃っていうのは本当に『テレビを見てるとバカになる』って言われていたような時代だったのが、いまは真逆で。ここまで経済メインな世の中になるのかと。そこに微妙な社会主義をブレンドされてもいて、そういう意味では日本は才能のない人たちにとってグレーゾーンで生きていきやすいのかもしれないですけどね。僕も含めて」って。

(安東弘樹)これは深いよ! これ、モロに的を射ているというか。

(吉田豪)田口さんは本当に、「自分は平凡で普通」っていう考えなんですよ。「基本、人生っていうのは自分がいかに天才じゃなかったかっていうこととの戦い」とも言っていて。「若い時は自分のことを天才だと思っていたけど、映画の世界とかに入ると才能のなさがわかる。すごい人はいくらでもいる。そういう意味では、自分は出会いがよかったっていうことと、コツコツやっていくタイプだった。子供の時や20代の時は世界が両手を広げて受け入れてくれるような幻想を持っているけど、実はそうじゃない。『お前が世界に合わせろ』っていうことから社会参加が始まるんで。世界には選ばれた人がいて、そういう人たちに打ちのめされながら、自分のできることをやっていくしかない」っていう。

(玉袋筋太郎)あらららら。

(吉田豪)深い話をずっとしていて。革命に挫折した人ならではの。

(安東弘樹)でも、うなずけれう内容ばっかりです。

(吉田豪)ですね。安東さんはすごいうなずきそうです(笑)。そっち側の人じゃないですか(笑)。

(安東弘樹)いやいや、ものすごくうなずきます。これは。

(玉袋筋太郎)いや、その天才じゃなく、ガンジーっていうね。

(吉田豪)「基本的には戦わないことが正解。最初から無抵抗で、天才じゃないガンジーで行こう。特に50をすぎると人生は競争じゃないっていう形でやっていきたい」ということで。

(安東弘樹)ああー。当時ちょうど50才を超えたばかりぐらいですね。

(玉袋筋太郎)うーん。身の丈だよ、身の丈。

(安東弘樹)で、その4がね、ロリコン漫画ブームで挫折っていう。これは?

(吉田豪)ねえ。いろんな方向で才能があった人で。80年代前半に本名の田口智朗名義で官能漫画家、エロ劇画家としても活動していて。

(玉袋筋太郎)へー! これは知らなかった!

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エロ劇画家としての活動

(吉田豪)パンクなテイストをエロの世界に持ち込んでいて。一部で評判だったんですよ。で、「単行本を出したのに、漫画を続けたいとは思わなかったんですか?」って聞いたら、「当時は三流エロ劇画ブームで面白かったから、自分も参入したいと思ってやったけど、それが時代がチェンジして。自分が描いていた頃はとりあえずエッチであれば内容は好きに描かせてくれた。社会の三面記事的なことをテーマにして深いコトッをやっても、『もっとやってください』とか言われたのが、ロリコン漫画ブームによってそういうのが全く売れなくなって、また挫折」っていう。

(安東弘樹)そうかー!

(吉田豪)挫折を繰り返した人なんですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、ロリコン漫画に。

(吉田豪)ありましたね。80年代半ば。

(安東弘樹)時代のチェンジに翻弄されたんですね。ずっと。

(吉田豪)ちなみに本マニアでもあって。25、6才の頃は基本的に漫画で生活していて。で、バンドと演劇に入れあげて。で、漫画でも挫折して収入源がなくなったんで、1回実家に避難したらしいんですよ。家賃が払えないので。

(玉袋筋太郎)恥ずかしいよ、これ。恥ずかしい。

(吉田豪)そこに膨大な数の本を持っていって置いていたら、今度は実家の2階が陥没しそうになって。本のマニアだから同じ本を3冊とか買っていたんですよ。そしたら、実家の2階が重さで崩れてきて。で、お父さんが保管用のプレハブを建ててくれて。まあ、ものすごい甘えていたっていう(笑)。

(安東・玉袋)(笑)

(安東弘樹)パンクをやっていた人じゃないですよ。

(玉袋筋太郎)そうだよ。パンクじゃないよね。

(吉田豪)それが、つまりステージで炊飯器にウンコしてたりとかで、いちばん暴れていた頃なんですよ(笑)。

(安東弘樹)実家だったんすか(笑)。

(吉田豪)そうそうそう(笑)。

(安東弘樹)プレハブを建ててもらってやっていたんですね(笑)。

(玉袋筋太郎)帰り道とかさ、つけられたら恥ずかしいよね(笑)。「実家だよ……」みたいな。

(吉田豪)「実家だよ……お父さんのプレハブじゃねえか!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)でもまあ、俳優になっていくんだよね。これ。

(吉田豪)そうですね。俳優というか、テレビの仕事とかも。最初はまず、テレビがあったんですよね。

(安東弘樹)テレビの死体と映画の死体、どっちやりたい?っていう。これは……?

(吉田豪)そう。「『この仕事で食べていこう』って思ったきっかけは『今夜は最高!』の末期のレギュラーになったことですか?」って聞いたら……まあ、実際にそうだったらしいんですけど。実はひっそりやっているんですよね。こういうのを。ワハハ本舗の公演に出た時に、それを見に来た構成作家の高平哲郎さんから「『今夜は最高!』に出てみないか?」って誘われて。ところが、「『今夜は最高!』は高平さんには申し訳ないんですけど、相当キツかった」と。

(玉袋筋太郎)なんでだろう?

(吉田豪)「現場で話す人も、誰もいないし。タモリさんも普段はおとなしい、話さない人なんで。みんなひとつの部屋でワイワイガヤガヤやっている中、1人だけポツーンと誰ともコミュニケーションを取ることもなく。それがキツかった」って。

(安東弘樹)そっちか。キツいのは。

(玉袋筋太郎)最高じゃなかったっていう。

(吉田豪)全然(笑)。「歴史のある番組だったんだけど、半年で視聴率が落ちて。『あと何ヶ月で終わる』って聞いた時には、ジャンプしながら帰りました」っていう。

(安東弘樹)(笑)

(吉田豪)「ノイローゼになる一歩手前ぐらいで。そこからしばらく迷走が続いて。で、バンドブームで騙されて、事務所に『なんでもやってみた方がいいよ』って言われて『そうだな』と思って、リポーターとかお笑い番組とかやったんだけど、やっぱりなじめなくて。そんな時に映画に出会った。これだったら自分に合っていると思って。『テレビの死体と映画の死体、どっちやりたい?』って言われたら『映画!』って即答」という。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)ところが、映画はこの前から実は出てはいるんですね。公式のプロフィールから外れているんですけど、初の主演はホモ映画なんですよ。

(安東弘樹)はじめての主演(笑)。

(吉田豪)そう。太田竜さんっていう政治運動家の人が脚本を書いて、伝説のオカマの東郷健さんプロデュースの『THE AIDS』っていう、エイズを世界で始めて主題にした映画。

(玉袋筋太郎)おお、雑民だな。雑民。

(吉田豪)雑民党です。東郷健さん、政見放送で有名な。僕もインタビューしています。素晴らしい人ですね。亡くなりましたけども。そこに神代辰巳監督の助監督をやっていた人が田口さんのバンドとアングラ芝居を見に来て「出ませんか?」と誘ってくれたと。で、カンヌ映画祭に持っていくっていう話で、いろんなところで上映しようとしていたのが、ちょうどエイズが社会的な問題になってきた頃なんで、とにかく上映中止になっちゃって。で、東郷健さんがかわいがっていたゲイの人も出ていたんですけど、映画が終わった後に自殺しちゃったらしくて、東郷さんも映画を封印するっていうことになったりとかで。

(安東弘樹)ああー。

(吉田豪)だから、そういうこともいろいろあったんで、クレジットから消していたら、僕は東郷さんを取材したんですよ。そしたら、「最近この主演の田口トモロヲっていうのが売れているらしくて。でもなんかね、クレジットから外しているらしいから、どんどん上映会をやろうと思ってるのよ」って言っていて。当時、東郷さんがやっていたゲイバーで普通に上映会をやっていたんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)ああ、そうなんだ。

(吉田豪)そしたら田口さんが「へー! 僕も見たい!」って言っていて。全然、田口さんは恥ずかしがって消していたとかそういうことじゃなくて。聞けば答えるしっていう。ただの誤解だったっていうね。

(玉袋筋太郎)そう。こういうところから出てくるんだよね。2丁目から文化が発信される! みたいなね。

(吉田豪)名前出せない人、いっぱいいますもんね。って書かない!(笑)。

(一同)(笑)

(安東弘樹)筆談、筆談(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。その人が共演しているわけだからね。まあいいや、すいません。ラジオで筆談しちゃって。

(安東弘樹)すいません。私だけすごい納得……ああっ、ええっ! なるほどね。

(玉袋筋太郎)さあ、そしてその6ですね。

(安東弘樹)みうらじゅんはミラクルな友人。

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ミラクルな友人 みうらじゅん

(吉田豪)はい。みうらさん原作で2本続けて田口さんが監督をやった。二人の仲について聞くと、「みうらさんとは50才を過ぎて、お互いに褒め合いだ。誰も褒めてくれない。ちょうどこの時期、みうらさんも辛いご経験をちょっとされていたので、友達としてお互いこれからは介護し合おうと。だから、僕の映画も『本当にいい』と褒めてくださるし」っていう感じで。いい関係なんですよね。まあ、ブロンソンズやったりとか、仲良しで。

(玉袋筋太郎)そうだよ。うん。

(吉田豪)ただ、音楽的には全く合わないはずなんですよ。フォークとパンクっていう。接点ゼロなはずで。80年代とか(笑)。

(玉袋筋太郎)たしかに。

(吉田豪)で、「知り合いがやっているゴールデン街のお店で昔話をしていた時も帰り際にみうらさんがポツンと、田口さんが過ごした20代のことを『なんにもかぶっていないな』って言っていたのが印象的で」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)それでも友情っていうのは芽生えるもんなんだね。

(吉田豪)「チャールズ・ブロンソンとかブルース・リーとか子供の頃の接点はあるけど、その後は何もないのに。だから、ミラクルな友人関係かもしれない」と。で、「そういう関係だと、当然みうらさんとはキスしたこと、ありますよね?」って聞いたら、「ああ、もちろん。女だったらヤッてるね。付き合っているでしょう」って言われて。「当然、じゃあキャバクラも行ってますね?」って言ったら、「キャバクラはみうらさんに教えていただいたんですけど、『金を払って全く話の通じない女子たちにどこまで話を転がせるか?っていう修行の場なんだ』という話で。そうやって面白がるしかない文化系の悲しみということで、僕もちょっと修行しました」っていう。

(玉袋筋太郎)たしかに。

(吉田豪)で、「どこまでが有効か?っていうと、やっぱりテレビの話題なんですね。で、みうらさんが発見したのは、その当時は大槻ケンヂがギリギリだった」と。当然、田口さんなんかわかるわけもないっていう(笑)。みうらさんも当時はまだ届いていなかったっていう。

(玉袋筋太郎)ああーっ! 感じるねえ。

(吉田豪)感じますよね(笑)。

(玉袋筋太郎)だけどやっぱこの、素行が悪くてもプロジェクトXの筋。

(安東弘樹)ここにつながってくるわけですね。プロジェクトXですよ。いま、若い人の田口トモロヲさんのイメージは完全にプロジェクトX。

(玉袋筋太郎)それかベランダでね、なんか観葉植物をやっている人とかね。

(安東弘樹)っていうぐらい、まあ代表作になりましたよね。

(吉田豪)あれで有名になっても、声で気づかれることはないっていう(笑)。その当時も「全然違う」って言われていて。「プロジェクトXのしゃべり方とは普段は違う。声だけブレイクしたっていうのは本当に自分としてはありがたい。それで目立つわけでもなく……」っていう。

(安東弘樹)うーん。

(吉田豪)「ただ、周囲の反応はすごい変わって。本当に良い人って思われるようになった。プロジェクトXに出ている人なんだから……」っていう(笑)。しかも、NHKなんてスポンサーがいないから、こういう人も抜擢できるだけなのに。スポンサーがいないから、素行の悪い人も使ってくれる。スポンサーがいると、いちいち調べられるらしいじゃないですか、どうやら。だから微妙ですけど。だからまあ、あんまり芸能界的なことには付かず離れずでいたいっていう感じですね」っていう感じで(笑)。

(安東弘樹)いいなー! そのスタンス、いいなー!

(吉田豪)ちなみにこんな感じでいい話をいろいろしてくれたんですけど。このインタビューの冒頭では、「今日は1万字インタビューなんですか! 人生でそんな語るようなことは何もないですよ!」って言っていたんですけど……いっぱいありますよっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)十分あるよ(笑)。

(吉田豪)控えめな方です。

(玉袋筋太郎)ねえ。プロジェクトXを見終えたような感じだね。うん。

(吉田豪)1人の人生を。

(玉袋筋太郎)そっかー。本当にそうだな。俺たちより10上?

(安東弘樹)ちょうど10上ですね。今年60才になられるっていうね。

(玉袋筋太郎)還暦なんだ。

(吉田豪)前田日明より上なんだっていう(笑)。

(安東弘樹)そこの比較なんですね(笑)。

吉田豪 前田日明との対談イベントを語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でロフトプラスワンのイベントで前田日明さんと対談した際の模様について話していました。

(玉袋筋太郎)前田さん、まだ60行ってねえか。

(吉田豪)行ってないんですよ。

(玉袋筋太郎)そうか。

(吉田豪)いま58とかじゃないですか。

(安東弘樹)もうずいぶん前から活躍されているから、あれですけど。いやー、プロジェクトXを見た感じですよ。今日は。本当に。

(玉袋筋太郎)よかったー。

(安東弘樹)以上ね、田口トモロヲさんの筋をいじりましたが。豪さんといえば、現在発売中の雑誌『クイック・ジャパン』でエビ中のメンバーにインタビュー。

(吉田豪)それもいろいろあった時期にいちばんデリケートな話を聞くという、もう僕史上最大に自分を出さない、すごい気を遣ったインタビューをしました。

(玉袋筋太郎)自分を出さないね。うん。

(安東弘樹)そして明日。5月6日、武道館でアイドルイベント『武道館アイドル博2017』。コメンテーターとして豪さんが出演。

(吉田豪)ついに僕、武道館デビューですよ。

(安東弘樹)武道館デビューじゃないですか!

(吉田豪)武道館アーティストですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)これ、たぶん知らない人に説明すると、「武道館でアイドルイベント」って書いてありますけど、誤解をちょっと生むんで言うと、武道館で物販するイベントです。これ、ただの(笑)。わかりやすく言うと、東京ドームの物産展みたいなやつです。それのトークコーナーです。だから、武道館のステージに立つんじゃなくて、武道館のどっかのちいさなブースに立つっていう感じです(笑)。わかりやすく言うと。

(安東弘樹)いろんな物販ブースがあって。

(吉田豪)アイドルの方々が物販をやっている中で、トークのブースがちいさいのがあって。そこにいろんなアイドルの方々が来る。恐ろしいのが、物販が買えると思って引き受けた仕事なんですよ。そしたら、僕、10時間話しっぱなしで物販に行けないらしいんですよ(笑)。

(安東弘樹)10時間!?

(吉田豪)10時間。

(安東弘樹)えっ、ずっとこのトークイベントやっているんですか?

(吉田豪)3部制なんで、1部、2部、3部の合間に30分の休みがあるっぽいんですけど。その30分の合間にトイレ行ったり、水飲んだり、食事したりできるけど。どうやらその合間は物販ないっぽいんですよ(笑)。

(安東弘樹)ええっ?

(玉袋筋太郎)豪ちゃん、芸能事務所に入った方がいいよ(笑)。

(吉田豪)わかりやすく言うと、百人組手なんですよ、本当に(笑)。知らないアイドルが次々来るのを、僕が立ち向かうっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ちょっと!

(吉田豪)黒帯ください!っていう感じですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)あげるよ、本当!

(安東弘樹)一瞬うらやましいかなって思ったけど、それを聞くと大変ですね。

(吉田豪)本当に、正直何のデータもないというか。誰が来るかもわからないんですよ。台本で見ても。まだ。

(安東弘樹)たとえば、いま「どういうアイドルが出るんですか?」って聞こうと思ったんですけど、それもわからない?

(吉田豪)わかりやすく言うと、結構な地下の方が出るんですよ。トークのMCのサポートとかはメジャーとかで出ている方なんですけど、いわゆるゲストっていうのは僕がわかる人が1/3ぐらいな感じですね。

(安東弘樹)えっ、豪さんですら、わかるのが1/3?

(玉袋筋太郎)百人組手はね、水分とった方がいいよ。中村誠みたいになっちゃうから。ねえ。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)30分でぜひ、水分をとってほしいですね。

(吉田豪)過酷な戦いが明日、行われます。

(安東弘樹)忙しいなー。

(吉田豪)朝10時からです(笑)。

(安東弘樹)これはフラッと行ける?

(吉田豪)全然余裕だと思いますよ。武道館なんで(笑)。

(安東弘樹)私が行こうと思ったら、フラッと行ける?

(吉田豪)全然全然。オペラグラスで僕のトークの模様を見るだけでも楽しめると思います(笑)。

(安東弘樹)オペラグラスで(笑)。

(玉袋筋太郎)「いたー! 吉田豪、みっけ!」みたいな。

(安東弘樹)ぜひ、みなさん、行ける方は明日、日本武道館でございます。さあ、吉田豪さん次回の登場は6月2日になります。今日はありがとうございました。

(玉袋筋太郎)どうもありがとうございました!

(吉田豪)はい!

<書き起こしおわり>

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