松尾潔とCHEMISTRY『メロウな夜』300回記念ゲストトーク書き起こし

松尾潔とCHEMISTRY『メロウな夜』300回記念ゲストトーク書き起こし 松尾潔のメロウな夜

CHEMISTRYのお二人がNHK FM『松尾潔のメロウな夜』300回記念放送にゲスト出演。松尾潔さんとそれぞれが選曲した曲を聞きながらトークを繰り広げていました。

(松尾潔)今夜最初にお届けするのは僕、松尾潔のプロデュース作品からです。CHEMISTRYで『ユメノツヅキ』。

(松尾潔)お届けしたのはCHEMISTRYで『ユメノツヅキ』でした。これは2017年、昨年11月にリリースされたCHEMISTRYの再始動第1弾シングルでした。そして今日、『松尾潔のメロウな夜』の放送300回を迎えますが、その記念プログラムのゲストにお迎えしましたのがCHEMISTRYのお二人です。こんばんは。

(川畑・堂珍)こんばんは。よろしくお願いします!

(松尾潔)本当にね、よろしくお願いしますよ(笑)。

(川畑・堂珍)300回、おめでとうございます。

(松尾潔)もうね、付き合いが大方、足掛け20年ぐらいの僕らですけども、実は3人でマイクに向かうのははじめて。遅すぎだろ?っていう。まあ、長すぎた春ですよ。フフフ(笑)。

(川畑・堂珍)アハハハハハッ!

(松尾潔)意外なんだけども。忘れないうちに自己紹介をお一人ずつしていただいてよろしいでしょうか?

(堂珍嘉邦)はい。CHEMISTRYの堂珍です。よろしくお願いします。

(川畑要)はい。CHEMISTRYの川畑です。よろしくお願いします。

(松尾潔)よろしくお願いします。本当にね、この番組、リスナーはいろんな方々がいらして。基本的にはUSのR&Bが好きな人たちがいちばん多いと思うんですけど。それでも、1年間を通してみるとリクエストがいちばん多いのはやっぱりCHEMISTRYですよ。

(堂珍嘉邦)ああ、本当ですか? うれしい。ありがとうございます。

(松尾潔)で、リクエストもそうだし、メッセージっていうのもたくさんいただいておりまして。「300回記念の時にはぜひCHEMISTRYをゲストに呼んでください」みたいなものをたくさんいただいて。本当にありがたいお話だなと思うし……けど、これはやっぱりCHEMISTRYが真面目に歌というか音楽に向き合ってきたことのご褒美だよね。

(川畑要)そうですね。うれしいですね。

(松尾潔)ただ長くやってきたっていうことじゃなくて。時には音楽とかもっと言うとこのCHEMISTRYっていう2人の組み合わせというものにも問題意識を持って。いったんそこから距離を置いた時期もあるわけじゃん。2人ともね。でも、やっぱり戻ってきた。ここは……僕もその意気というかさ。それでその時に声をかけてもらうなんていうのもありがたい話で。

(川畑要)こちらこそですよ。

(松尾潔)けど、なんか僕は製作スタッフでもある……もちろんそうなんだけど。僕はファンの人たちの代表でもあるんだなって今回はすごく思っています。再始動後は。なんかその人たちの思いをすごく背中にひしひしと感じながらいま作業をやっているんで。最初の頃は……だから『PIECES OF A DREAM』とかがいちばんわかりやすい例ですけども。世の中にこの2人はこんな形でアピールできたらなっていう風に思っていたけど、いまはCHEMISTRYにみんなが求めているものとか歌っているものってなんだろう?っていうことをすごく感じるね。僕はね。2人はどうですか? いま、再始動後の心境の変化っていうのはどこがいちばん違うの?

(川畑要)でもやっぱり前よりも、ソロを経ての方がCHEMISTRYというものを客観的に見れているところはありますね。2人でやることの意味だったり。やっぱり改めて曲はバラードっていうイメージが強いと思うんですけど、意外とバラードというよりも結構リズムがあるもの、ビートがあるのが多くて。なんかこう、まあミディアムバラードみたいな。で、ちょっとエモーショナルなもの、歌の泣きが入るようなもの。そういうのがみんな好きなのかな? それが俺たち2人のイメージなのかな? とか、いろいろと考えるようになりましたね。

(松尾潔)それはあれだよね。僕もなんか「CHEMISTRYといえばハモり」みたいなことをずーっと言われてきたけど、みなさんハモりも好きだけど、ハモりって言いながらボーカルの追っかけとかもお好きだよな、とかね。

(川畑要)たしかに、そうですよね。

(松尾潔)なんか「CHEMISTRYらしさ」って言われているものって単純に理由ひとつじゃなかったりするんだなとかっていうことをよく思うんだけど。堂珍くんはどうですか? 今回。

(堂珍嘉邦)再始動ですか? そうですね。何かいろいろと思いがありすぎて、いまここで何をしゃべっていいのかっていうのが……。

(松尾潔)いや、ラジオですからしゃべってください。お願いしますよ(笑)。

(堂珍嘉邦)まあ、さっぱりなところもあるんですけど……。

(松尾潔)気持ちはよくわかるよ(笑)。

(堂珍嘉邦)そうですね。ただ、やっぱりCHEMISTRYである前に1人のボーカリストとして必要な事っていうのを視覚的にも聴覚的にも、いいボーカリストとして必要なことをまあ2001年にデビューさせて頂いて、時にはそれがフラストレーションが溜まる時もあったとは思うんですけど。自分の成長する段階で、その成長スピードっていうのはいろんなことが作用すると思うんですよね。そういう中での去年、再始動させて頂いて……っていうところで。

(松尾潔)再始動っていうのは、だから5年ぶりぐらいだったってことかな?

(堂珍嘉邦)そうですね。なんで、そういう自分の経験とか、ボーカリストとしてのCHEMISTRYに活かしたいなっていう、そういう思いが。

(松尾潔)まあ5年の冷却期間って結構なもんで。いまの音楽シーンでいうと、デビューして引退されるまでの方がそこに8、9割入っている感じもしているしね。すごいいま、シビアなことを言いますけども。

(堂珍嘉邦)だって5年たったら時代、変わりますもんね。

(松尾潔)変わるね。

(堂珍嘉邦)だからちょうどいま、僕らはCHEMISTRYを知らない世代もどんどん……やっぱり動かしている世代っていうことで言うと10代ってすごく重要なことですし。そういった人たちにもやっぱり知っていただきたいなっていうところで、まあツアーをまず最初にやりましたけども。

(松尾潔)単純に、あれじゃない? ツアーとかイベントとかでもそうだろうけど、「あっ、お母さんが好きいってずっと言ってた人たちを今日初めて見てる!」っていう子たちがたくさんいたりするわけだよね? 親子で。

(川畑要)増えましたね。

(堂珍嘉邦)だからやっぱり常に新しいことなんですよ。再始動でも。きっと。そこがすごく、どういう受け止め方をしていくのかとか、どういう反省点をしていくのかっていうところはやっぱりそれぞれになってくるんで。そういうのを屈託なく。

(松尾潔)毎日が新しい1日だということか。

(堂珍嘉邦)そうですね。だから「親が聞いててファンになりました」っていう人とかも、僕らもそうじゃないですか。親が聞いて好きで、聞くまではあったけど来るのまではしなかったと思うんですよね。そこまでの人たちがいるっていうのは、そのお母さん、お父さん方に感謝ですね(笑)。

(松尾潔)本当、そうだね。

(堂珍嘉邦)やっぱりそこまでね、親が聞いていたアーティストをさらに好きになっていま、ライブに来てくれるっていうのは時間が経ったんだなっていうね。

(松尾潔)音楽って尊いね。それを考えるとね。じゃあ、再始動後のシングル。さっきはまず『ユメノツヅキ』っていう曲を聞いていただきました。『ユメノツヅキ』っていうのは第1弾シングルて言いましたけど、『Windy』っていう曲とダブルリードで出たシングルなんですけど。その次に先月リリースされた再始動後の2枚目のシングルの表題曲を聞いていただきたいと思います。これは、どうしましょうかね。ありがちだけど、曲紹介をどっちかにしてもらおうかな? それとも2人でもいいけど。

(川畑要)いつもの形で行っていいですか?

(松尾潔)はい。お願いします。目の前で見てみたいんで(笑)。

(川畑・堂珍)アハハハハハッ!

(堂珍嘉邦)じゃあ、行きます。それでは聞いてください。CHEMISTRYで……。

(川畑要)『Heaven Only Knows』。

CHEMISTRY『Heaven Only Knows』

(松尾潔)先月リリースされたばかりのニューシングル『Heaven Only Knows』お聞きいただきました。目の前で生曲紹介を聞けてというか見れてというかね。フフフ(笑)。

(川畑要)なんか変に緊張しますね。噛みそうになりますねっていう。

(松尾潔)そこ、僕はダメ出ししないからね。ではここで、300回記念でお祭りなんでね。ちょっとここから先はCHEMISTRYを離れててもいいし、もちろんCHEMISTRYについてもいいんだけど、それぞれに「松尾潔のラジオ番組にゲストで出るっていうことで、この1曲を選んでください」ということで1曲ずつ選んでもらって。互いにいま、その曲を知らない状況なんだけど。まずは堂珍くんの曲から行きたいと思うんだけど。選んでくれた曲は?

(堂珍嘉邦)これ、コーク・エスコヴェードの『I Wouldn’t Change A Thing』という曲です。

(松尾潔)これはね、僕らぐらいの世代からすると……もちろん僕はご存知の通りソウル好きなのでその曲としても。これはもともとジョニー・ブリストルという人のオリジナルがあってそのカバーなんだけど。このカバーの方が日本では有名で。90年代にこれ、渋谷系で席巻したんですよ、これ。

(堂珍嘉邦)あのクラブというかディスコというか、そういうところでもたくさん流れてたっぽい……。

(松尾潔)だって90年代半ばぐらいに渋谷の小箱をとかでよく流れてたけど、その時はだってまあ2人ともまだクラブ遊びをする年齢じゃないし。

(堂珍嘉邦)まだ10代……。

(川畑要)そうですね。建築現場でしたね。

(松尾潔)フフフ(笑)。

(堂珍嘉邦)建築現場と高校生。

(松尾潔)そもそもそうだよね。上京してないぐらいだもんね。これはやっぱり仕事を始めた後にミュージシャン仲間から聞いたりとか?

(堂珍嘉邦)そうですねこれは佐藤タイジさん……。

(松尾潔)俺も知ってるよ!(笑)。

(堂珍嘉邦)アハハハハハッ!

(松尾潔)タイジさんっぽいな、これ! シアターブルックでおなじみの。

(堂珍嘉邦)やっぱりでもタイジさんってソウルがないとダメなんですよ。

(松尾潔)うんうん。熱があるというかね。そうなんだよね。

(堂珍嘉邦)やっぱりロックとは言えども、やっぱりソウルがないとダメで。やっぱりプリンスとかも亡くなられた後とかに一緒にライブやらせてもらってたんですけど。一緒にカバーをさせててもらったりとか。だからそのコーク・エスコヴェードも実はこの曲しか知らないですし。

(松尾潔)まあこの1曲がずば抜けて日本では有名だからね。

(堂珍嘉邦)で、実を言うとこの曲を日本語詞に替え歌じゃないですけど、意味を拾いながら自分たちが言いたい事みたいなところをちょっと日本語化してカバーさせてもらって。ライブで。

(松尾潔)タイジさんとのユニットでこれをやったわけ? ああ、そう!

(堂珍嘉邦)その時に……。

(松尾潔)じゃあ、わかりやすく言うと歌った曲だ。

(堂珍嘉邦)そうです。なんか、すごく元気づけられるなと。

(松尾潔)ああ、歌いながら?

(堂珍嘉邦)はい。で、この曲をとあるソウルバーでかけて欲しいっていう風に言った時に「これ、オリジナルはジョニー・ブリストルだよ」ってひょこっとレコードが来て。ただ、このカバーよりちょっとスロウなんですよ。

(松尾潔)そうなんだよね。この前の年に出てるんだけど。オリジナルが75年ですぐにカバーをして。これは76年にカバーされた曲なんだけど。

(堂珍嘉邦)このコーク・エスコヴェードバージョンの方が、わかんないすけどジャケットがなんかボクシングしてる絵面で。

(松尾潔)そうそうそう。ここにあります。ボクシング。……なんかグボクシングって言った途端に急に川畑くんにガッツリ見せて(笑)。

(川畑要)いい左が入ってますね。

(堂珍嘉邦)アハハハハハッ!

(松尾潔)いいコメント入ってますね(笑)。

(川畑要)外目のフックかな?(笑)。

(堂珍嘉邦)そのせいもあるのかわからないんですけど、ちょっとロッキーに聞こえてしまう部分もあるんですよ。ジョニー・ブリストルの方が。逆にオリジナルの方を聞くと。で、やっぱり『I Wouldn’t Change A Thing』……ざっくり言うと「後悔をしない」みたいなそういう歌で。まあ松尾さんの『ユメノツヅキ』の歌詞のフレーズで「人生なんてね、簡単に手に入る夢だったら後悔なんかしないよ」っていう風な。最初の一発目のその印象的な言葉っていうのをプロデュースしていただいたりしたこともあって。

(松尾潔)ああ、そうか。この曲のメッセージと重なった?

(堂珍嘉邦)そうですね。

(松尾潔)へー! 僕はもちろん意識したわけじゃなかったけど。たしかにこれだもんね。「もういっぺん人生を選べるとしても何も変えないだろう」とか、そういう内容だもんね。

(堂珍嘉邦)なのでまあ、ねえ。そういうこともありながらも、これはすごく軽快でもあるんで。お酒を飲みながらのソウルバーでぴったりだろうと。

(松尾潔)イントロの部分のこのドラムのパターンは数知れずヒップホップにサンプリングされています。箇所箇所で聞き覚えのある、そういうところが出てくるかもしれませんけども。じゃあ、聞いてもらいましょうか。もう一度、曲紹介をしてください。

(堂珍嘉邦)はい。コーク・エスコヴェードで『I Wouldn’t Change A Thing』。

Coke Escovedo『I Wouldn’t Change A Thing』

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