光嶋崇さんがblock.fm『INSIDE OUT』にゲスト出演。渋谷のレコードショップCISCOの先輩・後輩の間柄のDJ YANATAKEさんとCISCOや渋谷宇田川町レコード村の思い出について話していました。
(DJ YANATAKE)さっそく今日のゲストを呼び込みたいと思います。本日のゲストはデザイナーの光嶋崇さんですー!
(光嶋崇)こんばんは。光嶋でーす。
(DJ YANATAKE)僕からしたらもう本当に偉大な先輩ということで。僕はこの場にお呼びできて本当に光栄なんですけども。ありがとうございます。
(光嶋崇)いつも会っているじゃないですか(笑)。普通に会っているじゃん。
(DJ YANATAKE)いやいや、そもそもの話をしちゃうと、僕と光嶋さんは先輩・後輩の仲でして。もともと僕は90年代にレコードショップCISCOというところで働いておりました。もうとにかくCISCOで働きたくて。その時、渋谷のCISCOにはもちろんお客さんとしても行っていたんですけど、その時の憧れのカリスマ店員みたいな(笑)。
(光嶋崇)カリスマ店員だったんだ、俺(笑)。
CISCOのカリスマ店員
(DJ YANATAKE)カリスマ店員ですよ! もう渋谷のCISCOのヒップホップを作ったのは光嶋くんだと僕は思っておりますけども。そのへんの話からしつつ、今日はなんで来ていただいたのか? というと、みなさん、若い人もこの名前は知っているんじゃないかな? 『さんぴんCAMP』という、1996年7月7日にですね、日比谷野外音楽堂で。先日、般若くんもワンマンライブをやりましたけど。まだまだ日本語ラップができ始めた時だったんでね、あんな大きなところで日本語ラップのイベントが……みたいな。
(光嶋崇)そう。その『さんぴんCAMP』の監督をやらせてもらったんですよ。
(DJ YANATAKE)そうですよね。つまり、リアルタイムで見れている人はひょっとしたらいま、このラジオを聞いている人ではすごい少ないかもしれない。おそらくビデオとか、VHS、DVDとかで『さんぴんCAMP』を見た人たちがいま『INSIDE OUT』を聞いてくれている人がほとんどだと思うんですが……お前らが見た映像はこの人が撮ったんだぞ!っていうことですよね。そしてお前らの人生、狂わされたんだぞ!っていうことですよね(笑)。
(光嶋崇)ああー、そういう人もいますね(笑)。
(DJ YANATAKE)で、昨年、『さんぴんCAMP』から20周年ということで『さんぴんCAMP20』みたいなイベントもやったりしておりましたが。また今年、ちょっと『さんぴんCAMP』について、新しい動きが?
(光嶋崇)そう。『さんぴんCAMP』を見てから人生が変わったっていう人がいらっしゃるみたいで。当事者とかはそんなに……「普通のことじゃん」って思うんだけど、「はじめて動いている東京のラッパーを見た」とか。インターネットもない時代だから。
(DJ YANATAKE)そうですね。YouTubeとかもないですからね。
(光嶋崇)だから、そういう話を聞くと、「ああ、もう1回ちょっと面白いな」と思って。サンプリングが多用されたヒップホップの面白さをね、もう1回みんなで見たりするトークショーとか、当時の証言を集めて形にして。僕、もう1回ドキュメンタリーを撮ってみようと思うんですよ。
(DJ YANATAKE)おおーっ!
(光嶋崇)で、そのイベントとかをやるので。Twitterとかで声をかけていたらもう様々なヘッズたちが連絡をくれたので。
(DJ YANATAKE)人生を狂わされたやつらが(笑)。
(光嶋崇)俺も狂ったんだけど、みんな狂ったみたいだから、一緒に。
(DJ YANATAKE)そうなんですよ。一緒にね、まだまだそれを楽しんでいこうっていうことですよね。
(光嶋崇)伝説を続けたいなと思っているんで。Legend of Japanese Hip Hopの伝説をね。
(DJ YANATAKE)素晴らしい。そうなんですよ。この後、またいろいろと告知で発表していくんですけども。僕も光嶋くんのFacebookを見ていたら、「そういうのを企画したいんだよね」と。で、僕がメッセージを送らせてもらって。いま、僕もたまたまインターネットですけどもラジオとかをやっているんで。もしそういうトークショーとか決まったら、お声掛けいただければ非力ながらご協力して告知なんかできればなと思っていたんですけど。まさか本当にちゃんと決まって、ここにも来ていただけるなんて……というのが今日。
(光嶋崇)ねえ。ありがたいです。
(DJ YANATAKE)いえいえ。まず、『さんぴんCAMP』の話をいろいろとしていきたいんですけども。1曲聞いてから行こうかなと思うんですけど。光嶋くんにまず、ECDの……ECDさんはもちろんみなさんご存知だと思うんですけど。ECDさんが主催されたイベントということで。ECDの曲から行こうと思うんですけども。曲名から言ってしまうと『MASS対CORE feat. YOU THE ROCK★&TWIGY』。
(光嶋崇)名曲ですね。
(DJ YANATAKE)これはなぜ、今日ここでかけようかなと?
(光嶋崇)僕自身は……僕の兄がスチャダラパーのBOSEっていうのをやっていて。
(DJ YANATAKE)そうなんですよ。スチャダラパーのBOSEさんの弟さんでいらっしゃいます。
(光嶋崇)で、周りの音楽はスチャダラパーとかTOKYO No.1 SOUL SETとかさ。そっち系みたいな感じだったんだけど。もちろんみんな知り合いだったんだけど。YOU THE ROCK★とかECDとかTWIGYとかみんな知り合いだったんだけど、この曲で僕がもうやられちゃって。「わーっ! YOU THE ROCK★、超すごい! TWIGY、かっこいいじゃん! ECD、ヤバいね!」って思えたのがこの曲でした。僕の中の転機がこの曲です。ぜひ聞いてほしい。
(DJ YANATAKE)なるほどね。まだまだ聞きたいことがあるんですけど、まずはこの曲から行きたいと思います。光嶋崇さんにセレクトしていただきました。ECD『MASS対CORE feat. YOU THE ROCK★&TWIGY』。
ECD『MASS対CORE feat. YOU THE ROCK★&TWIGY』
https://miyearnzzlabo.com/archives/31575
(DJ YANATAKE)はい。ただいま聞いていただいておりますのは『さんぴんCAMP』世代は当然全ヴァースかぶせて歌えるんじゃないでしょうか。俺も久々だったけど全部歌えた。ECD『MASS対CORE feat. YOU THE ROCK★&TWIGY』でした。
(光嶋崇)かっこいい!
(DJ YANATAKE)やっぱりいま聞いてもヤバいですね。
(光嶋崇)ねえ。20年以上前だよ。すっごいかっこいい。
(DJ YANATAKE)20年以上前の日本語ラップのクオリティー、これだったんだぜっていう感じですよね。これはやっぱりヤラれちゃいますね。だからやっぱりハードコア・ヒップホップみたいなのの面白さみたいなのにこれで気づいちゃった?
(光嶋崇)うーん。そうね。みんな、これに乗っていったよね。
(DJ YANATAKE)で、ですね、僕的には『さんぴんCAMP』の話もしたいんですが、こんな機会ないんでいろいろとお聞きしたいことが僕もいっぱいあるんですけど。みなさん、ご存知だと思うんですけど、渋谷宇田川町という場所は世界一のレコード屋街と言われたことがあります。ギネスブックにも載ったという説がありまして。すごく狭い地域に200軒ぐらい……渋谷の東急ハンズの奥ですね。そこにレコード屋さんがあったことがあるみたいで。そこの中心のレコードショップCISCOというのがありました。そこで、僕は先ほども話したんですけど、7年半働いたんですが。なんでそこで働きたいか?っていうのは、やっぱりそのお店が好きだったからなわけで。で、その好きになったお店を作られていたのは光嶋くんだったということなんですけど。
(光嶋崇)あの、僕もお客さんで行っていたんだけど。で、ヒップホップはずっと買っていたから、1000枚弱ぐらいは自分の家にレコードがあったのね。で、レコード屋さんに行くと、CISCOにはさ、100枚しかないんですよ。100枚って、ダンボール1個じゃないですか。で、「あれっ? そんな流行っていないのかな?」と思ったのが最初です。それで、その時に僕はスペースシャワーっていうテレビ局で働いていて。そのテレビ局って仕事がすごいハードだったから。ちょっと会社をもう辞めたいって。「音楽一本でやりたい」って嘘をついて。
(DJ YANATAKE)(笑)
(光嶋崇)全然嘘なんですよ。「もう音楽やりたいんですよ」っつって。で、ニューヨークにちょっとスチャダラパーとかとみんなで遊びに行って。で、ニューミュージック・セミナーを見て、「ああ、これはガッツリいける!」って思って。
(DJ YANATAKE)ヒップホップがこれから日本でも流行ると?
(光嶋崇)というか、流行るかどうかはわからないけど、僕のスキルでいけると思ったんですよ。10倍詳しいから。
(DJ YANATAKE)レコード屋さんより。その時のCISCOよりね。
(光嶋崇)で、そのCISCOに限らずなんだけど、履歴書を持ったまま渋谷をウロウロしてたんです。どこかのレコード屋で働けると思ったから。そしたら、CISCO坂っていうあのCISCOの階段のところを知り合いが下りてきて、「なにやってんの?」っていう話になって。「履歴書を持ってレコード屋を探しているんだ」っつって。そしたら、「CISCOに知り合いがいるよ」っつって、ヤマニシくんっていうヒップホップの担当を直接紹介してもらったんですよ。友達経由で。で、ヤマニシくんはね、もう亡くなってしまったんだけど。R.I.P.ヤマニシくんっていう感じなんだけどさ。それで、面接してもらって。「俺、この10倍やれますよ」って話をして、そこでレコード屋になったんですよ。
(DJ YANATAKE)へー! じゃあまだ全然渋谷のCISCOでもヒップホップがあまり置いてなかったその時は、それは何年ぐらいの話ですか?
(光嶋崇)92年かな?
(DJ YANATAKE)92年か。でも92年ってね、結構ヒップホップ的にはリマーカブルな年と言われていて。いろんなね。なるほどね。で、僕もその頃、結構買いに行くようになって。とにかくやっぱり情報がないじゃないですか。で、すっごい覚えているのがビズ・マーキーの『Let Me Turn You On』とかが出た時に、すっごい派手派手しくPOPっていうんですけど。説明書きが「これを買わなきゃお前ら、終わってる!」ぐらいのことが書いてあって。で、なんかそれを……ビズはもちろん知っていたんですけど。とにかくビズの新譜が出たことに対してこんなに熱く謳っている店はないなと思って、それを買って帰った記憶がありますね。
(光嶋崇)随分POPは書きましたね。僕ね、自分の中でもいいキャッチコピー書けたなと思ったのが、「DJなら2枚買い」って書いたの。
(DJ YANATAKE)アハハ!(笑)。
(光嶋崇)倍、売れるのね(笑)。
「DJなら2枚買い」POP
(DJ YANATAKE)そうだ!(笑)。でもそうなんですよ。僕はそこで人生を狂わされているんですよ。僕も、その後にピート・ロック、DJプレミア時代を売るので。もうみんな黙っていても、これ「2枚買いマスト!」って貼っておくとみんな2枚買ってくれるっていう(笑)。
(光嶋崇)そうそうそう(笑)。
(DJ YANATAKE)それを作られたということですよね。
(光嶋崇)でも、めっちゃ面白いじゃん? 2枚使いって。
(DJ YANATAKE)まあまあ、そうですよね。でも、みんなが強迫観念のようにね。2枚買わなきゃいけないんだよね。
(光嶋崇)そうそうそう。
(DJ YANATAKE)1枚だけだとバカにされるんじゃないか? みたいなね(笑)。
(光嶋崇)おトイレでちょっと「1歩前に出てください」とか「ありがとうございます」みたいなの、あるじゃないですか。なんかその、先に言っちゃうんだよね。「DJだよね、みんな?」みたいなさ(笑)。
(DJ YANATAKE)まあ、そんな感じで渋谷のヒップホップシーンはレコード屋さんから始まったところもあると思いますんで。そういうのを作られた方なんですが。そこからまあ、バイヤー時代も含めてなんですけど、日本語ラップって、たとえばその当時、お店ではどうだったんですか?
(光嶋崇)ああ、ほとんど扱っていないんじゃないかな?
(DJ YANATAKE)やっぱりそういう感じだったんですか?
(光嶋崇)僕も全然、家に帰るとスチャダラパーがいるじゃないですか。
(DJ YANATAKE)ああ、そうですね(笑)。
(光嶋崇)もう満たされているんですよ(笑)。で、「無いもの、無いもの……」でやっぱりアメリカのヒップホップというか。そっちへ行っていたからさ。
(DJ YANATAKE)そうか。まだそういうあれでもなかったと。でも、そんなことを経て、『さんぴんCAMP』の監督になるっていうのはどういう経緯で?
<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/44021