大槻ケンヂと爆笑問題 80年代のロックバンドとお笑い界を語る

大槻ケンヂと爆笑問題 80年代のロックバンドとお笑い界を語る 爆笑問題の日曜サンデー

大槻ケンヂさんがTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演。爆笑問題のお二人と80年代のロックバンド界とお笑い界のハードコアな模様について話していました。

(太田光)でも、大槻さんってどんどん時代とともに印象が変わっていく人だよね。やっていくこととか、そういうのとか。でも、よくよく考えてみたら、最初からやっぱり文学的な感じなんですよね。でもなんか、最初はこう、イケイケの……

(大槻ケンヂ)あの頃はもう、あんな人テレビに出しちゃいけないっていう(笑)。

(太田光)めちゃくちゃな(笑)。

(大槻ケンヂ)もう、ひどかったですよ。ひどかった。

(江藤愛)自分で思うわけですね(笑)。

(大槻ケンヂ)パンクとかロック界ってまだ芸能界じゃなかったので。いまのロックミュージシャンとかちゃんとしているけど、もう出しちゃいけない人たちだったんですよ。それがテレビに出てくるから、もうなんか悪目立ちしてやろうと思って。

(太田光)そうそう(笑)。

(田中裕二)それこそ『イカ天』なんか生放送でやっていたから、脱いじゃった女の子もいたもんね。

(太田光)初回だもんね。

(大槻ケンヂ)第一回目ですよ!

(江藤愛)脱いじゃった?

(田中裕二)下だよ。

(江藤愛)なんで?

(田中裕二)生放送で。

(太田光)だから、「目立ちたい」っていう。

(大槻ケンヂ)もう、それがロックだったの。

(江藤愛)うわっ! すごい。どうしたらいいんだろう?

(田中裕二)だからもう、しょうがない。

(大槻ケンヂ)あれ、カメラさんがブワッて上向きに。

(田中裕二)とっさにね。でも、そんなのが第一回目の放送なの。それが大人気番組に後になるの。もちろん、そんなことはもう起きないけど。でもやっぱりね、そういうムードがあって。

(太田光)その後にたまがほら、ランニングで出ちゃってさ……

(田中裕二)それはいいだろ! 放送していいやつだよ!

(大槻・太田)(笑)

(江藤愛)へー。いろんな人が生まれたんですね。

(太田光)だから、混沌としてましたよね。お笑いもね。

(田中裕二)そう。だからお笑いもちょうど「第三世代」って当時言われていたんだけども。

ちょっと怖かった当時のお笑いの人たち

(大槻ケンヂ)僕、あの頃のお笑いの人ってちょっと怖かった。だってみんななんか、「いつでもやってやるぜ!」みたいなオーラをガンガンに出していて。

(太田光)とがってましたよね。

(田中裕二)いまって、たとえばわかりやすい例で言うと『アメトーーク!』みたいにみんなで協力しあってやっているじゃん? で、みんな基本仲いいじゃん? 一切ない。だからいまだにこいつは恵(俊彰)の悪口を毎日言ってる。

(太田光)悪口言ってる。浅草キッドともいまだに仲が悪い(笑)。

(大槻ケンヂ)(笑)

(田中裕二)浅草キッドだ、ホンジャマカだ、俺らだ、まあだいたい似たような時期に出てきて。上はウッチャンナンチャンとかはもう売れていたけども。その次ぐらいに出てきた。だからそれこそバカルディ、いまのさま~ずだって、最初はそんな仲良くなかった。

(太田光)「あいつら、なに気取りやがって!」とかな。

(大槻ケンヂ)さらに、ちょっと……たとえばロックバンドから来ても、「なんかちょっとこいつ、しゃべるな」っていうやつに対しての牽制が。「俺、別になんでもないのに。なんで俺、こんな目にあうんだ?」ってことが……

(太田・田中)(笑)

(江藤愛)怖かった?

(太田光)それは俺です(笑)。

(大槻ケンヂ)いや、太田さんは別に俺、なかったですけど。全然。某人にはね、もう……

(太田光)博士でしょう?

(大槻ケンヂ)いや、博士は俺、仲良かったから。博士はね、サブカル仲間。

(田中裕二)誰?

(大槻ケンヂ)いや、言えない、言えない。関西の番組に出た時に……呼ばれたんですけど。ちょっと僕が面白おかしくしゃべったら、CMの時になんか突然ドリフの歌を歌いだして。「ババンババンバンバン、俺の番組やで♪ ババンババンバンバン、余計なこと言うなよ♪」みたいなことをね……

(太田光)(笑)

(大槻ケンヂ)いや、本当。あと、そういう……やっぱり関西系の人が怖かった。

(太田光)関西と関東はちょっとまだ仲悪かったね。

(田中裕二)まだちょっとあったんですよね。

(太田光)要するに、吉本の東京の事務所ができる前だから。それで、関西と関東はあんまり行き来がなかったから。

(田中裕二)ライバル的な感じで。

(太田光)関西から来たらもう、こっちも身構えるし。向こうも「やってやる!」みたいな感じで。(千原)ジュニアなんか、ジャックナイフを持ってきていたからね。

(田中裕二)いや、本当じゃないのよ。嘘なのよ! そういうような雰囲気。で、その関西の進出を1人で拒んでいたのが……ピコ太郎です(笑)。

(太田光)ピコ太郎(笑)。

(大槻ケンヂ)(笑)

(太田光)ピコ太郎は、もう関西人を全否定していたの。楽屋で。

(大槻ケンヂ)でもピコ太郎、なんかうちのサポートキーボードやっている三柴理っていうのがいるんですけど。そいつの知り合いだっていうんで。

(田中裕二)彼は音楽もずっとやっているからね。

(大槻ケンヂ)だから、「ああー、ピコ太郎っていうんだ。売れてよかったねー!」ってずっと言ってるんだよ(笑)。

(田中裕二)ピコ太郎はやっともう……ちょっと極端だけどね。売れ方がね。こんなことになるとは思ってなかったけどね。

(大槻ケンヂ)ただ、バンドとしても当時はなんかあったらやってやるぞ! みたいなの、ありましたよ。

(太田光)あったよねー。

(田中裕二)でもそれこそ、もうちょっと上の代のひどかったわけでしょ?

(大槻ケンヂ)いや、上の代は本当に怖い方ばっかりで。本当に怖かったっす。

(田中裕二)本当に、下手すりゃ本当に殺し合うんじゃねえか? ぐらいのあれはあったよ。

(太田光)上の代はどのへん?

内田裕也伝説

(大槻ケンヂ)僕は内田裕也さんの『ニューイヤーロックフェスティバル』に出させていただいたんだけど。ハタチぐらいの時に。そしたら裕也さんも結構酔ってらして。山内テツさんっていう、結構外国で売れた方がいて。その方とベロベロでおしゃべりされて。「おい、テツ! 俺がお前と初めて会った時、お前がT・レックスのマーク・ボランとケンカしてたのを俺が止めた時だったよな?」って。「うわっ、すげえ!」って思っていたら、「ん? いや、あれはミック・ジャガーだったか?」って……

(田中・太田)(笑)

(大槻ケンヂ)「すげえ!」って思って。

(太田光)本当かな?(笑)。

(田中裕二)本当かな?って思うよね(笑)。

(大槻ケンヂ)僕も頭がその頃、どうかしていたんで。出ていって、もう朝ごろだったんですよ。で、みんな寝ていたからステージを降りて叩き起こしたんですよ。みんなを。起きろ!って。そしたら、安岡力也さんが結構気に入ってくださって。「お前ら、面白いじゃねえか」って。

(田中裕二)ああ、よかったです。そっちに転んでよかったね。

(大槻ケンヂ)でも、毎年出ると怖いかな?って思って……で、次の年だったかな? 力也さんが気に入ってくれて、「次は、筋肉モリモリ少女帯!」って言われたんだけど、「いや、”モリモリ”はいらないんだけどなあ……”モリモリ”は、そこは別に盛ってくれなくていいんだけど……」って(笑)。

(田中裕二)ちょっとノリが違うからね。筋肉少女帯とかはね(笑)。

(太田光)あの、文化系が入りますからね。大槻さんの場合。でも、たしかに裕也さんの伝説、誰も本当かどうかわからないから言ったもん勝ちなんだけど。やっぱりビートルズの前座でなんかやった時に、廊下でジョン・レノンとギターのネックのヘッドの部分がガチンってなって、「テメー、なにすんだ、この野郎!」ってジョン・レノンに文句言ったっていう伝説が……(笑)。

(大槻ケンヂ)かっこいい!

(田中裕二)でもそれ、本当かどうかわからないよ(笑)。

(太田光)「お前、前座だろ!」みたいな(笑)。「絶対にギターを避けなかった」っていう、そういう(笑)。ジョン・レノンにも対してもっていう。面白いよね。

(田中裕二)でも当時は本当に、それこそ『冗談画報』とか。

(大槻ケンヂ)ああ、出ました。泉麻人さんが。

(田中裕二)あの頃っていうのはちょうどバブルでもあったじゃないですか。バリバリの。最後の方だもんね。あの頃っていうのは、どうですか? すっごい派手にやっていたんですか? バンドの人たちって。

(大槻ケンヂ)全く。ド貧乏でした。というのは、バブルの恩恵をこうむっていたのは当時の女子大生とか商社マンとかでしょう? 我々はまだ全然、食うや食わずのバンドマンだったので、もう混沌としていて。なんか、そうだな。どこまで言っていいのか? みたいな話で。結構ね、アダルトビデオの業界とつながっていたりしましたね。だから、普通にツアー先に行ってエッチビデオをつけると知り合いが男優で。縛り師の役で。ふすまを開けて和服を着た縛り師が出てきたら、知り合いだったっていう(笑)。

(田中・太田)(笑)

(大槻ケンヂ)そういうこととか多かったです。とか、友達が来なくて。「あれ? あいつ、来ねえな」と思ったら、「ちょっとコンビニ強盗で捕まっていた」っていう……

(田中・太田)(爆笑)

(大槻ケンヂ)いや、本当に。

(田中裕二)ひどい!

(太田光)俺らはそこまでじゃなかった(笑)。

(大槻ケンヂ)でも次のライブには普通に。「いや、なんかいろいろあって大丈夫だった」って。出てきて、普通に。

(田中裕二)ああ、そう? でも芸人ももちろんいろんなやつがいて。捕まったやつもいたよ。

(太田光)いたいた。

(田中裕二)あの、新聞配達をしている時にラジカセ盗んで捕まったやつとか(笑)。

(大槻ケンヂ)(笑)

(江藤愛)なんでラジカセ?(笑)。

(田中裕二)真面目なんだかどっちなんだかっていう。新聞配達をしてるなら盗む必要ないじゃん!

(太田光)いまの時代だったら大変だろうね。きっと。Twitterとかで。炎上しちゃって大変だろうね。あの頃、「芸人だからどうせそんなもんだろう」みたいな。

(大槻ケンヂ)いや、芸人さんもバンドマンも80年代ぐらいまではみんな犯罪者の巣窟でしたよね?

(太田光)ほぼ犯罪者。

(大槻ケンヂ)ほぼ、そうでしたよ。本当に。渋谷の屋根裏ってセンター街にあったんだけど、そこの前に行くとよくわからないんだけど、ムチを持ったパンクスとネクタイをムチ代わりにしたサラリーマンがしばき合って。インディ・ジョーンズみたいに。

(田中・太田)(笑)

(大槻ケンヂ)意味がわからない。

(江藤愛)でも、それが普通にあるんですね?

(大槻ケンヂ)全然普通。

(太田光)La.mama(ラママ)っていうね、新人コント大会があるんですよ。そこでお笑いが出ているんですけど、コーラスラインっていうどうしようもない、テレビにも出られないやつらのコーナーに出てくる連中はみんなもう、どんなネタかを話すことすらできないですよ。いま。

(大槻ケンヂ)(笑)

(太田光)もう、できない。で、ジーコ内山っていうやつがいたんだけど……

(大槻ケンヂ)あっ、ジーコさん!

(太田光)あんなの、出てきた瞬間にナイフを持って客席に切りかかるんですよ。それでみんな殺されたくないから、手を挙げてネタを止めさせるっていう。もう、そんなんですよ。

(大槻ケンヂ)だからバンド界もガスバーナーを持って出てくるやつがいるんですよ(笑)。それで、ボーッ!っつって、お客は逃げるでしょ? そしたらお客さんのカバンとかを炙っちゃって。

(江藤愛)嘘!?

(太田光)ひどいよね?

(大槻ケンヂ)音楽と関係ないの。渋谷のラママもいきなり出てきて卓球台を持ってくるんですよ。それで、卓球を始めるっていうパフォーマンスなんだけど、興奮して卓球台に乗ったら卓球台だボン!って落っこちて。それで、おしまい!っていう……

(田中・太田)(笑)

(大槻ケンヂ)もう、なにもできないっていう。

(江藤愛)すごい! 自由すぎる(笑)。

(太田光)笑わせようとしてないんだよ。

(江藤愛)なんだったんですかね?

(田中裕二)いや、とにかく目立ちたい。だからそこまで来ると、芸人の方から行っても、バンドの方から行っても、同じなんだよ。結局は。ただ単に、引かそうがなにをしようが……

(太田光)もうね、へらちょんぺとかひどかったもいんな。

(田中裕二)変なことをやって人の注目を浴びたいみたいな。

(大槻ケンヂ)あと、演劇の連中とか。

(田中裕二)演劇もそうですよ。

(太田光)第三舞台あたりはやっていたな。

(田中裕二)それこそワハハ(本舗)がバーッと出てきて、その中で平成モンド兄弟っていう人たちがいても。もう、とんでもないですよ。もうひっどいことをやっていましたから。

(太田光)もう、ドン引きですよ。いまやったら。あいつらに見せたいね。あの平成モンドのネタを。

(江藤愛)見てみたいな。

(太田光)いや、きれいなネタなんですよ。スクリーンがあって、シルエットで向こうに男が2人いるんですよ。で、素っ裸なんですけど(笑)。

(田中裕二)シルエットね。

(太田光)素っ裸だけど、金玉袋のシルエットがきれいに映って。それをボクシングのサンドバッグ代わりに叩くっていう、そんなネタをやっていましたよ。

(江藤愛)シュールなネタ(笑)。面白い(笑)。

(大槻ケンヂ)バンド界も、僕の友達……大学生の友達なんだけど、ノイズバンドをやっていて。同性愛雑誌でメンバーを募集するんですよ。それで「変態求む」って書いて。それで「露出魔の変態求む」っつって。で、それがゲロ30歳って言うんですけど、それが三輪車に乗って素っ裸で出てきて、そこらへんを徘徊して終わりっていう。

(田中・太田)(笑)

(大槻ケンヂ)その横で彼はエレキをギューン!っていう……もう、そんなのばっかりですよ。

(江藤愛)すごーい!(笑)。

(田中裕二)なんだ、こりゃ(笑)。

<書き起こしおわり>

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