町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、ラフィンノーズや有頂天、エレファントカシマシ、ニューロティカなど1980年代に活躍した日本のパンクバンドについてトーク。その思い出や現在の活動について話していました。
(林みなほ)今日は町山さん帰国中ということでスタジオ登場です。町山さん、よろしくお願いします。
(町山智浩)よろしくお願いします。どうも、この間、日曜日は……(笑)。
(林みなほ)はい。ありがとうございます。したまちコメディ映画祭で。
(町山智浩)もう夫婦でいらっしゃって。
(山里亮太)夫婦で? でもね、町山さん、あのイベントってドレスコードあったじゃないですか。
(町山智浩)はい。パンクか70年代ディスコっていうことで。誰も守っていなかったですね。ほとんど(笑)。
(山里亮太)(笑)
(町山智浩)数人のお客さんだけで。はい(笑)。
(林みなほ)町山さんも髪の毛、立ってましたけどね。サングラスかけて。
(町山智浩)一応パンクの格好してましたけど。
(中略)
(山里亮太)映画監督とかの童貞感っていうか、恋愛に対して不向きなのって、作品に出ちゃうもんなんですか?
(町山智浩)全部出てますね。
(林みなほ)『ブルーバレンタイン』とかね。
(町山智浩)『ブルーバレンタイン』は監督と奥さんの関係をそのままやっているんで。監督がちょっと髪の毛が薄毛になって抜けてきたんで、主演のライアン・ゴズリングは毛を実際に抜いて監督に似せたりしているんですよ。それをやっても、監督が薄毛であることはみんな知らないわけだから、それをやっても意味ないのに……役に入るために毛を抜いてたりするってめちゃくちゃおかしいんですけども(笑)。
(山里亮太)監督も複雑だったでしょうね。
(町山智浩)ねえ。「俺の真似するのに、なんでこいつわざわざ毛を抜くんだよ?」っていう(笑)。ねえ。まあ、僕も最近薄くてね……
(山里亮太)ずっと気にしているっていう(笑)。
(町山智浩)だからパンクの格好をするのに髪の毛を立てようとして、デップで立てたんですけども。昔は立ったのに、やっぱり毛が弱っているんですよ。歳を取って。柔らかくなってきていて、全然髪の毛が立たないっていうね。
(林みなほ)ソフトなモヒカンでしたかね?(笑)。
(町山智浩)そうなんですよ。だから、「パンクにもなれねえのか、歳を取ると……」って思ってショックだったんですけど。ただね、まあパンク映画だったんですけど、僕、パンク雑誌にいたんですよ。30年前。1985年ぐらいから87年ぐらいにかけて。短かったんですが、『宝島』というパンクロックとカルチャーの雑誌の編集部にいまして。大学を出てすぐの頃なんですけども。実は、この間の土曜日にあるライブが新宿LOFTというところであったんですけども。
(山里亮太)新宿LOFT。またコアなところでやりましたね。
(町山智浩)はい。ちょっといま、ラフィンノーズ(LAUGHIN’ NOSE)の『GET THE GLORY』を聞いてもらえますか?
ラフィンノーズ『GET THE GLORY』
(山里亮太)町山さんが首をブンブン振って乗ってますけども。拳をグイグイ振りながら、町山さん。これが、もう……
(町山智浩)はい。これはラフィンノーズという日本のパンクバンドの『GET THE GLORY』という歌なんですけども。これはリーダーのCHARMYさんが僕よりひとつ上。1961年生まれなんですね。で、僕が『宝島』に入った時に彼らを『宝島』で売り出すみたいな形になりまして。で、カセットブックっていうのを出して新宿のアルタ前の広場でラフィンノーズがインディーズレコード。インディペンデントレコードをバラまいて大パニックを起こしたりとか。日本青年館ホールの最初のデビューコンサートも行きましたけど。僕は編集部としてそこにいたんですが、まあ日本のパンクロックブームが上がっていく中で彼らがリーダーだったんですが。その彼らのライブが土曜日にあったんですね。
(山里亮太)あ、この前の土曜日に。
(町山智浩)土曜日にあって。しかも、対バンみたいか形で共演したのが有頂天なんですが。有頂天の『君はGANなのだ』をお願いします。
有頂天『君はGANなのだ』
(町山智浩)はい。これは有頂天という、やはりその時に『宝島』が一緒に売り出していったグループなんですけど。まあ、テクノポップパンクみたいなものですね。これはリーダーで作詞作曲とかを担当しているのがケラさんという人なんですよ。僕と同い年なんですけども。いまはケラリーノ・サンドロヴィッチさんとして、劇作家として非常に賞をとったりして有名な人なんですけども。その時はもう髪の毛を立てて……みんな立ててました。髪の毛を(笑)。
(山里・林)(笑)
(町山智浩)で、リードボーカルをやっていました。その2つのバンド、有頂天とラフィンノーズが土曜日に新宿LOFTという、その頃のインディーズバンドのなんて言うんですかね? まあそこが中心だったんですよ。そこから出てくるみたいなところで。そこでライブをやったっていうのがもう、「ええっ!?」っていう感じですよ。「30年前かよ、いま? 1986年ですか?」っていう感じなんで。いま、これを聞いてらっしゃる方々には、50才台の方がかなりいらっしゃると思うんで。東京の人たちにとっては、「うわっ!」っていう感じだと思うんですよ。「これ、いつ?」っていう。「私たち、その頃聞いてたわよ!」みたいな。
(山里亮太)すごい熱狂的な。
(町山智浩)そうなんですよ。で、しかも僕、仕事が入っていて行けなかったんですが ……
(山里亮太)あ、土曜日のその夢の組み合わせを?
(町山智浩)土曜日、行けなかったんですよ。仕事を入れちゃっていたんですよ。で、その土曜日の昼にあったもうひとつのライブは日比谷野音出会ったんですが。エレカシの『奴隷天国』をお願いします。
エレファントカシマシ『奴隷天国』
(町山智浩)はい。エレファントカシマシの『奴隷天国』。これも1986年前後に飛び出してきたバンドなんですけども。まあ、彼らがすごかったですね。またパンクで。渋谷公会堂、「シブコー」と言われているところがありまして、そこに出ることがもうメジャーの第一歩だったんですね。まあ、日本青年館かそっちかっていう感じで。BOOWYとかもLOFTでずっとやっていて、BOOWYがそこに出た時も僕も行ったんですけど、最初のシブコー、すごかったですよ! BOOWY。
(山里亮太)(笑)
(町山智浩)で、このエレカシの最初のシブコーがまためちゃくちゃだったんですよ。
(山里亮太)めちゃくちゃ?
(町山智浩)めちゃくちゃっていうのは、まずお客さんもそんなに入っていなかったんですね。エレカシの最初のシブコーは。で、とにかく客に対して、「オメーらだよ、オメーら! なに聞いてんだよ? 乗らねえのか?」ってやるんですよ。宮本くんが。
(林みなほ)破天荒ですね。
(町山智浩)で、しかもこの曲は「奴隷だよ。オメーら、奴隷。奴隷天国だよ!」っていう歌で。「なに、お前笑ってんだよ? なに、うなずいて聞いてるんだよ? オメーのことだよ!」って客に言うんですよ。で、お客さんはみんな「ウウウーッ……」って。
(山里亮太)怯えちゃうんですね。
(町山智浩)もういきなりヤクザにガンをつけられたみたいな状態で。もうヘビに睨まれたカエルみたいでしたよ。で、さすがにもう乗れないですよ。そんな雰囲気だと。エレカシのコンサートは日比谷野音とかでやってもみんなお客さん、乗っていますよ。こうやって、「イエーイ!」って。それを客がもう、椅子の上で震えているんですよ。ガクガク。で、拍手もできないような状態。
(山里亮太)いまでもちょっと尖っているみたいな感じで言われる時、ありますけど。そんなレベルじゃなかったんだ。
(町山智浩)もうめちゃくちゃ怖かったですよ。
(山里亮太)だって、宮本さん以外、あんまりしゃべられないじゃないですか。
(町山智浩)しゃべられないですね。でも、最後すごかったですよ。ガーン!って歌って、歌ったところでマイクをバーン!って叩きつけて。「ブワーンッ!」ってノイズのままバンドがみんな去って、客は客席で凍りついたまま。
(林みなほ)震えたまま。
(町山智浩)震えたまま終わってるという(笑)。
(山里亮太)楽しめたのかな? ライブを。
(町山智浩)いや、それは最高の恐怖体験でしょう。
(山里亮太)町山さんはそこに居合わせて?
(町山智浩)僕はいるんですけど。
(林みなほ)震えていたんですか?
(町山智浩)僕はもうめちゃくちゃ爆笑しそうになっていたんですけど。「ひでー!」っていう感じで(笑)。
(山里亮太)ごく少ない味わえる人と、あとはみんな、「なんで私たち、お金払ってライブに来て怒られてるの?」って……
(町山智浩)こんなすごいものはめったに見れないですよ!
(林みなほ)ねえ。なかなか味わえない体験ができたと。
(町山智浩)そうなんですよ。でも、その頃は本当にめちゃくちゃで。日本のパンクブームだって盛り上がっているところで、『宝島』はその専門誌っていうことで取材に行くんですけど。普通じゃないですから、ハナタラシっていうバンドはライブハウスにユンボっていう道路工事の現場で使われるショベルがついているやつ、あるじゃないですか。ブルドーザーみたいなやつ。
(山里亮太)はいはい。
(町山智浩)あれで、ライブハウスを破壊しちゃうんですよ。
(山里亮太)えっ? 破壊……どの程度の破壊ですか?
(町山智浩)もう、めちゃくちゃにぶっ壊しちゃうんですよ。
(山里亮太)えっ? どういう流れでそうなるんですか?
(町山智浩)いや、その後にイギリスから来たパンクバンドの前座に出ようとした時に時限爆弾で会場を爆破しようとしたりですね。
(山里亮太)えっ?
(町山智浩)まあ、そういう時代でしたね。
(山里亮太)どういう時代ですか!?
(町山智浩)まあライブハウスで人が刺されるっていうのはしょっちゅうでしたね。具体的な名前は出しませんが。
(山里亮太)えっ?
(町山智浩)だからいきなり、「おい、あいつ刺されたよ!」みたいな世界ですよ。
(山里亮太)「あ、そうなんだ」みたいな。それは、メンバーがですか? それともお客さん同士で?
(町山智浩)両方ありますね。
(山里亮太)ええーっ!?
(町山智浩)もうなにが起こっても不思議じゃない状態が当時あって。もうガーッと来ていたんですけど、その当時『宝島』っていう雑誌の中でパンク記事を徹底的にやっていた人はトシ田中っていう人で。脳腫瘍で亡くなっているんですけどね。その後ね。で、ミタケくんと僕と、そのへんがウロウロしていてですね。もう22ぐらいですよ。だから、めちゃくちゃ面白かったですよ。エキサイティングで。で、いちばん面白かったのは新宿アルタ前の広場でフリーライブっていうのをやったんですね。
(山里亮太)はい。
(町山智浩)そこで有頂天とか出てきて。僕は下っ端だから会場整理をやるんですけども、それを今回、復活させようとしている人たちがいるんです。ニューロティカをお願いします!
ニューロティカ『飾らないままに』
(町山智浩)はい。これはニューロティカの『飾らないままに』という歌なんですけど。ニューロティカっていうグループはパンクバンドで、ラフィンノーズよりもちょっと後に出てきたグループなんですけども。彼らは今週の日曜日の午後3時にその新宿アルタ前広場でフリーライブ。無料ライブ。全員参加できるライブをやるということなんですよ。だから、30年前に俺たちが燃えたことが、30年後のいまに復活しようとしているんで。
(山里亮太)へー! なんでまたこのタイミングで?
(町山智浩)わからない。なんでみんな急に、あの30年前の人たちが一斉にこの週に動き始めているのか、よくわからないですが。
(林みなほ)たまたま帰国中に?
(町山智浩)たまたま帰国に。
(山里亮太)町山さんは別に?
(町山智浩)いや、俺は単に横っちょにいる人ですけども。だからものすごい歳がね……「俺もハゲたな」とか思っていたのに、そんなことを言ってる場合じゃねえな!っていう。
(山里亮太)みんな同じぐらいのね、歳を重ねてきている人たちが。
(町山智浩)そう。でもこの人たち全ての中で最も出世しているのはピエール瀧です。はい(笑)。
(山里亮太)ああ、瀧さんも同年代で?
(町山智浩)瀧さんはだから有頂天っていう、さっき言ったケラさんのグループのうちの、有頂天の第二班が筋肉少女帯っていう、大槻ケンヂさんで。世代的にね。で、そのすぐ下ぐらいが瀧さんの人生っていうグループで。年代的にね。でも、瀧、いちばん。
(山里亮太)(笑)
(町山智浩)この中で最大の出世。「なぜ!?」っていう(笑)。
(山里亮太)まあ、でもその頃の町山さんは瀧さんが朝ドラに出て、あんないい役をやることなんて想像もつかなかった?
(町山智浩)想像もつかなかったですね! 瀧さん、ものすごい髪の毛立ててましたよ! 「畳(三郎)」っていう名前で。いちばん立ってたんじゃないかな? 大槻ケンヂくんもそうだったけど、瀧もすごかったですよ。髪の毛の立て方が。みんな、これですよ。
(山里亮太)みんな立てて。
(町山智浩)バンバン立ててて。このニューロティカもね、ずーっとやっているんですよ。彼らみんな、ずーっとやっています。みんな、ずーっと続けているんですよ。パンクを、ロックをみんな続けているんですよ。1回もやめないまま、続けています。で、この彼ら、ニューロティカの歌の歌詞が、またそういう歌なんですよ。「食らいついて、同じことを繰り返し、バカなやつと言われてきたぜ」っていうね。で、メイクがピエロのメイクをしているんですね。このあっちゃんっていうリードボーカルの人は。で、彼はそのことをこの中で歌っているんですね。「安っぽく見られようが、道化師でいたんだ。誰にもできないことをしてるんだ」っていう歌なんですよ。だからもうずーっとやり続けているんだっていうことを歌っているのがこの歌なんですね。
(山里亮太)これはでも、初期の頃にいまの歌って作ったんですか? それとも……
(町山智浩)これはずーっとたってから、ずーっとがんばってきてからの歌なんですよ。
(山里亮太)じゃあもう、違うんですね。メッセージの重さが。
(町山智浩)そうなんですよ。「俺はもうみんなにバカにされようが、何しようが俺はロックをやり続けてきたぜ!」っていう歌なんですね。だからもう涙なくしては聞けない歌なんですけども。俺とかサラリーマンやったり、アメリカでフラフラしている間に彼らはずーっと戦い続けていたんだというね。
(山里亮太)ああー、そうか……
(町山智浩)エレカシの最近のライブとかを見ると、みんなが楽しそうに歌ったり踊ったりしているんで、「いい時代になったな!」って思いましたよ(笑)。
(山里亮太)(笑)
(林みなほ)「時代は変わったな」と(笑)。
(町山智浩)変わったな!
(山里亮太)宮本さんもそれを受け入れてるよ!っていうね。
(町山智浩)そう(笑)。昔だったらね、踊ったりしようものなら、「なにを踊ってんだ、そこ!」みたいな(笑)。
(林みなほ)踊るの、禁止なんですね(笑)。
(町山智浩)みたいな世界だったのにね。だから、水道橋博士が宮本さんに会ったら、普通に「こんにちは。よろしく」っていう挨拶だったんで、全然違う人になったみたいなことを博士が言っていて(笑)。
(山里亮太)この前だって、朝の番組の生放送に来て、本当に「曲を作る上でこういうところが大変でしたよ」とか、しっかりエピソードトークをしてくれたりとか。めっちゃ優しかったですよ。
(町山智浩)そうなんです。でも僕、その頃もインタビューをしているんですけど、すっごくやっぱりいい人なんですよ。ただ、照れ屋だから。みんなが楽しく歌ったり踊っていると……歌詞の中にも出てくるんですけども。「なにがそんなに楽しいの?」って言っちゃう人なんですよ。
(林みなほ)ツンデレなんですね。
(町山智浩)そうそうそう! そういうところがあるんで。まあ、怖いんだけども、でもみんなが楽しんでいるのに対して「ううーっ!」っていうところがあって。その微妙な感じが面白いんですね。エレカシっていうのはね。
(山里亮太)ああー、なるほど。
(町山智浩)だから『奴隷天国』なんてすごいですよ。客に向かって「お前ら、奴隷だよ!」って……(笑)。言わないだろ、それ?
(山里亮太)「奴隷って言われて喜んでるんじゃねえよ!って(笑)。
(町山智浩)そうそう。「乗ってるんじゃねえよ、お前ら!」って(笑)。「どうしたらいいの? いったい、私たちは……」っていう、そういう世界なんですが。まあ、そういう継続の力の男たちの中で、最大の継続の王というのはエンケンさんという人なんですよ。
(山里亮太)エンケンさん?
(町山智浩)遠藤賢司さんという人なんですが。この人は現在69才ですね。で、彼が明日、渋谷のクアトロでライブをやるんですね。まあ、ガンらしいんですね。遠藤賢司さん。で、ガンと闘病をしていると。69才で。まあ、かなりこれは大変なことだと思うんですけども。でもね、彼は絶対に負けないんですよ。遠藤賢司さんの歌はまず、タイトルでわかりますよ。『俺は勝つ』。
(山里亮太)負けないんですね、絶対。
(町山智浩)もう、「俺は勝つ」って言ってますからね。もう、素晴らしいんですよ。
(山里亮太)直球でいいですね!
(町山智浩)直球ですよ。もう。ストレート。で、ちょっと遠藤賢司さんの素晴らしい歌。『不滅の男』を聞いてもらえますか?
遠藤賢司『不滅の男』
(町山智浩)はい。これは遠藤賢司さんの『不滅の男』なんですけども。これ、フォークギター1本で歌っているんですよ。彼は。で、フォークなのか?っていうと、もうこれは歌い方、完全にパンクですよね。「俺は不滅の男」って、ものすごいかき鳴らしながら叫び続けるんですけども。彼は最初、フォークシンガーとして出てきたんですね。吉田拓郎とか南こうせつとかのちょっと後ぐらいに。で、ただ彼はフォークギター1本でも、どう考えてもこれはフォークとは言えない音楽だと。叫んでいるわけですよ。叩きつけているんですよ。で、その後にエレキ楽器を入れてロックになっていって、パンクとかテクノとかになっていったんですけど、どんどんその形式が変わっていくんですね。で、クラシックの要素まで入ってくるんですよ。演歌とかも。
(山里亮太)へー。
(町山智浩)で、彼はいったい何なんだ? ジャンルとしてはいったい何なんだ?っていう風に言われたんですよ。で、その後に、とうとう彼が宣言したんですけど。これはちょっとわかりにくいと思いますが……「フォロパジャクエン」というジャンルを言い始めたんですね。「フォロパジャクエン」っていうのはこれ、フォーク、ロック、パンク、ジャズ、クラシック、演歌を合体させた言葉なんですよ。
(山里亮太)ああー!
(町山智浩)全部一緒なんだと。で、あらゆる人間が平等であるように、あらゆる音楽は平等だと。
(山里亮太)へー!
(町山智浩)もう、俺はジャンルを超えているんだと。ロックだの、フォークだの、パンクだの、どうでもいいじゃねえか! 遠藤賢司なんだ!っていうことを歌った人なんですよ。
(林みなほ)へー! かっこいいなー!
(町山智浩)かっこいいんですよ。
(山里亮太)いや、歌い方とかメッセージとか、はじめて聞いた人間にも伝わり方でわかりますね。
(林みなほ)魂を込めて。
(町山智浩)魂を込めているんですよ。それで、要するにギターでものすごい音を立ててね、ドラム使って……っていう、音じゃないんだよと。その音の厚さじゃない。ギター1本でも、どれだけハードロックなんだっていう。要するに、魂が歌うからっていうことを証明した人が遠藤賢司さんですね。で、いまお体がどのぐらいなのかな?っていうのは僕もわからないんですけども、この人は本当にすごいですよ。声と、ギター1本。それでもパンクができるんだと。「バンドを集めなきゃ」とか言っている場合じゃなくて、ギター1本でそのまま路上に出て歌えよ!っていうことなんですよ。
(山里亮太)はー!
(町山智浩)で、また大大大ヒットっていうのはないんですよ。遠藤賢司さんは。いま、「エンケン」っていうと遠藤憲一さんを思い出す人が多くなってしまったんですが……僕らの世代は「エンケン」っていえば遠藤賢司さんなんですね。で、もう1曲。『夢よ叫べ』という歌を聞いていただきたいんですが。
遠藤賢司『夢よ叫べ』
(町山智浩)これはその遠藤賢司さんがずっと歌い続けていることを非常に率直に歌った歌なんですよ。で、これはもう、「俺には歌いたい夢があるんだ。それで叫び続けるんだ。何度もめげたりする。何度も負けたりするけれども、歌い続けるんだ」っていう、これをかならずコンサートの最後に歌うんですよ。これはすごいですよ。
(林みなほ)すごく遠くの人まで届きそうな声ですね。
(町山智浩)そうなんですよ。すごいロックコンサートでフェスとかでも、みんながすごいメンバーを連れてきても、エンケンさんはギター1本でそこに登場して、みんなを全部打ち負かすんですよ。その力で。69才ですよ。
(山里亮太)聞く時にはもう全部、ハートを掴まれて、気持ちを全部持っていかれそうな……
(町山智浩)そうなんです。それがまた、渋谷クアトロで。
(林みなほ)ねえ。エンケンさん、生命力をすごく感じられますね。
(町山智浩)そうなんですよ。ということで、もうやっぱり俺ね、本当毛が薄くなったとか言って悩んでいる場合じゃねえや!っていうね(笑)。もうみんな、すごい。ずーっとやり続けているのに。
(山里亮太)だって町山さんも好きなことをずっとやり続けているから……
(町山智浩)まあ、そうですけどね。はい。
(山里亮太)(笑)
(町山智浩)みんなすごいな! というね。
(山里亮太)僕らとかも、それはすごい刺さる。
(町山智浩)これ、でも30年前にそのロック雑誌を作りながら、30年後にみんながやっているとは思っていなかったです。
(山里亮太)ああ、なるほど。
(町山智浩)まさかあのデーモン小暮がいまもあのメイクのままでいるとは思っていなかったです! デーモンさんと飲みながら、「それ、いつまで続けるの?」とか言っていたんですよ。僕。「それ、キツいんじゃないの?」って言ったんですよ。デーモンはその時に、「俺は絶対に続ける!」って言ったんですよ。したら、本当にやっているんですよ。なんてみんなメンタル強いんだ!って思いましたよ。
(林みなほ)(笑)
(山里亮太)メンタルじゃなくて、悪魔ですから。
(町山智浩)悪魔ですから(笑)。
(山里亮太)閣下は悪魔ですからね。
(町山智浩)はい。ということで、みんな偉い! ということで。
(山里亮太)いや、かっこいい!
(林みなほ)町山さん、今日はありがとうございました。ライブを2つ、ご紹介いただきました。
(山里亮太)ありがとうございました。
(町山智浩)どうもでした。
<書き起こしおわり>
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