(細田日出男)なんで怖いの?(笑)。
(宇多丸)大先輩すぎてちょっと、恐縮でございます。
(細田日出男)いや、どうもありがとうございます。お呼び頂いて。
(宇多丸)いえ、とんでもないです。JB特集をやろうかなと考えた時に、いろんな人の名前を挙げさせていただいたんですけど。やっぱりもう、ブラックミュージックというか、ソウル・ミュージックというかね、この業界でもう細田さんを呼んでくれば、とにかくどっからも文句の付けようがないっていう。そんぐらいの業界のドン。
(細田日出男)なにを言ってる・・・(笑)。もう、ドンじゃないから。やめてほしいんだけど。本当に(笑)。
(宇多丸)(笑)。大先輩ということで、どういう関係か?というあたりも説明しておきたいんですが。ライター、DJ。そして、ここでございます。早稲田大学の音楽サークルGALAXYの大先輩ですね。私、宇多丸の何期ぐらい上になるんでしょうかね?10年ぐらい上になるんですかね?
(細田日出男)10年ちょっとだね。
(宇多丸)そうですかね。当然、私も大学に入った時点では卒業されて。その時点で大、大、大先輩でございましたけど。日本のブラックミュージック研究の本当に第一人者でございます。今回の特集のきっかけはですね、今月30日にJBの伝記映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』。これがまあ、公開されるということで。このタイミングでちょっとやってみようということですけども。細田さん、この映画、ご覧になりました?
『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』
(細田日出男)見ました、見ました。
(宇多丸)いかがでした?
(細田日出男)すごい面白かったですよね。なんか、映画自体は結局JBっていう天才がいて。その天才の孤独の人生みたいなところを、最終的にはボビー・バードっていう1人だけ。要は彼とつながっていた絆みたいなところに語られるような。映画としてそういう形で成立はしてるんですけど。音楽ファンとして、ジェームズ・ブラウンファンとして、たとえば彼の仕草とか発言とか発想とか。要はクリエイターとしてのいろんなパンチラインがそこら中に散りばめられていて。それはね、自分でもぜんぜん知らないことがあったし。そのいろんなことを、音楽的な発明をしてきた人っていうのはわかっていたんだけど。どのタイミングで、その発明をしたのか?で、誰を相手にして発明をしてきたのか?とか。そこらへんがすっごいよくわかって。
(宇多丸)うん、うん、うん。
(細田日出男)で、それも、主役のチャドウィック・ボーズマン。あの人がやっぱり、そっくり。
(宇多丸)半端じゃないですよね。若い時から、齢とってね、あのおばさんヘアーになってから以降も。ねえ。すごかったですよね。
(細田日出男)あの人の熱演が、そこらへんが、うん。すごい映画としてのクオリティーを高めたなっていう風に思いますね。
(宇多丸)JBのあのステージの身のこなしなんて、あれひとつ取ってみても、なかなか・・・
(細田日出男)すごいですよ。あの踊りもそっくりっていうか、パッと見、わからないじゃないですか。
(宇多丸)本当ですね。そんぐらいでしたね。
(細田日出男)だから背丈の見目形とか、そういうのも含めて、すごいキャスティングだなと思いました。
(宇多丸)あの、僕らが映像というか、生々しいものとしては見れることのできない、たとえば、あの有名なパリのライブであるとかですね。あれが、あたかも目の前でやっているように見れるだけでも、『うわー!こ、これがここにいたかったんだよ、俺はーっ!』っていう感じもありますよね。
(細田日出男)そうだね。たしかに。それはね、たしかに僕も思うな。そう。その視点だね。でもね。そういうのをやっぱり、伝えてあげたいっていう制作サイドの思い入れもあったのかな。
(宇多丸)特にね、パリのライブシーンはすっごい力、入ってたじゃないですか。
(細田日出男)すごいね、あれは(笑)。
(宇多丸)あれってあの、音源がずいぶん後になってから出て。ライブの中身は素晴らしいんだけど、ちょっと音質悪かったりなんかして。たぶんあれ、今回ので相当ミックスとかもがんばって、映画にたえるようなところまでやってって。もうそこだけでも、ライブ映画として立ち上がりたくなる感じで。
(細田日出男)そうそう。ライブ映画としても、すごい面白い。あの映画は。もう、おすすめします。
(宇多丸)ぜひ、劇場でね、立ち上がるの、ありだと思いますよ。この映画に関しては。ということで、この映画でも描かれているところですが、まずジェームズ・ブラウン。キャリアですね。に、ついて簡単におさらいさせてください。
(細田日出男)えっと、ちょっとかいつまんでにはなっちゃうんですけども。生まれは1928年5月3日生まれ。ジョージア州のメイコンっていう・・・あの、Wikiとか見ると、オーガスタになっているんですけど、最初はメイコンで生まれていて。その後にオーガスタに移っているのが事実みたいですね。で、55年にフェイマス・フレイムズっていうグループを彼が中心になって組んで。
(宇多丸)はい。
(細田日出男)で、彼が書き下ろした『プリーズ・プリーズ・プリーズ(Please, Please, Please)』っていう。
(宇多丸)いま、流れています。
(細田日出男)デモ録音して。で、それを自分たちでレコードを作って。向こうのラジオ局に持っていって評判になって。で、キングレコードと56年に契約して。その後、シングルがですね、約120枚。そのうちですね、ブラックソウル。ビルボードのチャートでナンバーワンになった曲が17曲。ところがどっこい、ポップではですね、1曲も1位になっていない。
(宇多丸)ああー、そうですか!これはやっぱり、ここが面白い構図ですね。まさに、この映画でも出てきますけども。この『プリーズ・プリーズ・プリーズ』という曲。名曲として言われてますけども。『こんなの、歌じゃないじゃないか』って。
(細田日出男)あれ、面白いよね(笑)。
(宇多丸)面白かったですよね。『なんだ、これ?プリーズ、プリーズって言ってるだけじゃねーか!』っつって。で、それに対して、『これは、そういうんじゃないんです!』っていう。
(細田日出男)あの、だからA&Rの慧眼ぶり。すごいよね。
(宇多丸)あれ、すごいですね。あのくだり、笑っちゃいました。なんかちょっと、今日の特集にも通じていることを言い表してるなと思って。
(細田日出男)あそこの場面は必見ですね。で、補足すると、ポップチャートは俺、調べたんだけど。ええとね、『I Got You (I Feel Good)』は3位。これが最高位で。その次が、『Living in America』で4位。
(宇多丸)えっ?
(細田日出男)っていうのが一応記録で。で、一応ですね、86年にロックの殿堂入りをしています。映画でもあれですね。『ブルース・ブラザーズ』とか、『Living in America』の『ロッキー4』とかにも出演していて。で、2006年の12月25日に、直接の死因は心不全。歯医者に行った翌日に心不全で亡くなったっていう。73才ですね。だからすでに8年、9年ぐらいたっちゃったっていうことですけど。
(宇多丸)はい。という、まあ概要ですね。これがね。ジェームズ・ブラウンの歩んできた道なんですけど。今回、特集をするきっかけの部分で、それこそ『プリーズ・プリーズ・プリーズ』とか、なんて言うんですかね?日本でのジェームズ・ブラウン評価というか、ジェームズ・ブラウン像がまあ、いわゆるR&Bシンガー。その中でも特に、強烈なキャラクター。まあ、ゲロッパ!みたいな。セックスマシーンっていうね。そういうのがメインで。繰り返し言っているように、ポップミュージックに決定的にもたらした功績というか、革新性というか、みたいなところが軽視というか。わかっていないところには全く伝わってないのかもしれないなっていう。
(細田日出男)伝わってないと思うよ、俺も。
(宇多丸)伝わってないですか。そうですかね。それ、たとえばソウル・ミュージックとかブラックミュージック愛好会、あるじゃないですか。日本でも。その中でも、やっぱりジェームズ・ブラウンの評価っていうのはどんな感じだったんですか?前は。
(細田日出男)だから、やっぱりその『ファンクを作った人』みたいに言われてるんだけど。じゃあ、どの曲で生まれたの?っていうのが。
(宇多丸)ファンクというね、音楽像ですよ。これがまあ、その後の、いわゆるダンスミュージック全般でしょうね。現代的ダンスミュージック全般の原型であり・・・
(細田日出男)原型を作った人ですからね。
(宇多丸)まあ、いまだにファンクという音楽は世界中でみんなに繰り返し、やられているわけですけど。どこで生まれたかがちょっとわからない?
(細田日出男)いや、あのね、たとえば『Out Of Sight』という曲があります。それからあと、『Papa’s Got A Brand New Bag』がありますと。
(細田日出男)で、たしかに、聞くと、どこが新しいのか?っていうのはわかるような感じはするんだけど。やっぱり録音自体が古いから、わかりにくいんですよ。きっと。僕だって、僕の齢でもわからないぐらいだから、若い人たちっていうのはそういう風に言われても、どこがどういう風に新しいのかがわからない。
(宇多丸)なんかちょっと、単に古臭い音楽に聞こえかねない。
(細田日出男)だからそれっていうのは、横軸で見ないとダメなんですよ。
(宇多丸)横軸。なるほど。そん時に何が・・・
(細田日出男)何が流行っていたか。それで比較して聞くと、『えっ、これ、ぜんぜん違うじゃん!』っていうのがたぶんね、初めてわかるんじゃないかな?と思っていて。たとえば、だからね、いいですか。これね、面白い。たとえば、64年に『Out Of Sight』っていう、彼がファンクを作ったっていう・・・要は作り方とか音の響き方、ビートの作り方とか。あらゆる点が新しかったという風に言われている曲なんですけど。この年に、他にどんな曲が1位になったかっていうと、たとえばシュープリームスの『Baby Love』。
(宇多丸)はい。
(細田日出男)たとえばあと、テンプスのモータウンでのデビュー曲。『The Way You Do The Things You Do』。
(細田日出男)それからあと、ドリフターズの『Under the boardwalk』。
(宇多丸)ふんふん。
(細田日出男)要はここらへんは、いわゆるリズム・アンド・ブルース。モータウンサウンド。その時に、そういうのを意識しながら『Out Of Sight』っていうのを聞くと、たしかに画期的。そこをやっぱりね、比較して横軸で見ないと、この人が当時、どのぐらい画期的なことをやっていたのか?がわかりにくい。
(宇多丸)具体的に言うと、どのあたりがはっきり違うあたりですかね?その他の曲と。
(細田日出男)それはね、当時、世の中に響いている曲を聞いていた人が、初めて『Out Of Sight』を聞いた時に、『うわっ、これ、すげえ!』っていうのはリアルタイムじゃないとわからないと思いますよ。
(宇多丸)そのね、本当の衝撃っていうのは。
(細田日出男)わかんない。だから、僕らだって、ニュージャックスウィングとかって衝撃的だったじゃないですか。
(宇多丸)はい。1980年代後半から、席巻しましたよ。
(細田日出男)そうそう。あれとね、感覚的にはたぶん、一緒だと思うから。本当にすごいんだよっていう感覚っていうのはやっぱりリアルタイムに聞いた人じゃないとわからないと思うの。それをね、いくら言ってもしょうがないかなと思って。
(宇多丸)たしかにね。これね、本当に僕は細田さんを尊敬して止まないのは、まずここで。僕は18才の時に出会ってからずっと細田さんは一貫して、『いまの音楽がいちばん面白いんだし、いまの音楽をいまの人は聞いて興奮すべきだ』ってずーっとおっしゃっていて。
(細田日出男)だって、恩恵じゃないですか。
(宇多丸)そうなんですよね。映画でもなんでもそうなんですけど。まさにこれこそね・・・でも、意外とベテランほどそれが言えなく、できなくなってくるっていうのがどの業界にもあってね。まあ、それはいいや。で、もうちょっとリスナーのみなさんに説明を足していくと、たとえばそれまでの音楽はメロディー。『きれいなメロディーね』とか、『いいことを歌ってるわね』みたいな。お歌のところが中心だとしたら、やっぱりJBは・・・
(細田日出男)パーカッシブですよね。
(宇多丸)ビートというか。
(細田日出男)歌がパーカッシブだし。要は、映画にも出てくるじゃないですか。『みんなドラムだよ』って(笑)。
(宇多丸)あの、サックスのね。それこそ、メイシオ・パーカーと思われるあれが文句を言って。『どうなってるんですか、これは?』って言ったら、『いや、違うよ。お前は何を演奏してるんだ?』『サックスですか?』『違う!』『ドラムですか?』『ドラムだよ!』。
(細田日出男)(笑)
(宇多丸)『お前は?』『ドラムっすか?』『ドラムだよ!』ってね。コントみたいな、あれが。
(細田日出男)だからあれはたぶんJBの頭の中には画があったんですよね。それがさっき言ったパンチライン。面白いなと思って。
(宇多丸)で、そのビート中心であり、そしてそれを反復して。とにかく繰り返し、繰り返しやる。
(細田日出男)ループする。
(宇多丸)ループをする。それによって生まれる、これも映画の中でなかなか説明しがたい概念として出てきた、グルーヴ。
(細田日出男)グルーヴ(笑)。
(宇多丸)グルーヴってこれ、どう説明しますか?細田さん。だって、グルーヴを感じたことがない人にグルーヴをどう説明するか?
(細田日出男)あれはもう、JBが映画の中で言っている通り、感じるものだから。言葉じゃ説明できないっていうその通り。
(宇多丸)まあビートで、繰り返すことによって、そのノリというか、繰り返すことで何か高揚するような。気分が。メロディーでは絶対に生まれ得ない。
(細田日出男)生まれ得ない。そうそう。
(宇多丸)高揚が出てくる。そしてそれが、要するに、『ただの繰り返しじゃないか、ただの太鼓じゃないか、ただの叫び声じゃないか』っていうものだけが生み出す興奮っていうのが現代のダンスミュージック全般の・・・
(細田日出男)つながっている。もう全般、そうじゃないですか。ファンクもそうだし、ヒップホップもそうだし、ハウスもそうだし。
(宇多丸)ディスコもね、当然。
(細田日出男)ディスコもそうだし。
(宇多丸)なんなら、いまのロックだってダンスミュージックの影響を受けて、ファンクの影響を受けて変わってきたわけだから。もう、だからポップミュージックのほぼ、もう・・・たとえばカントリーとか以外のほとんど全部が、全てが影響を受けている。カントリーだってわかんないですけどね。というようなあたりを概要として、踏まえておいていただくと・・・ちなみに、細田さんが最初にJBを聞いたのはいつですか?
(細田日出男)僕ね、ええと・・・
(宇多丸)ちなみに細田さん、お齢を。もし、差支えなければ。
(細田日出男)61年生まれですから、54才です。
(宇多丸)はい。細田さんが最初に聞いたのは?
(細田日出男)ええと、高校2年の時だから、76年かな?に、友達に借りたジェームズ・ブラウンの『Hell』ですよ。アルバム、2枚組で。
(宇多丸)はい、はい。
(細田日出男)つまりあの、『Papa Don’t Take No Mess』とか『Funcky President』とか『My Thang』とか。あのアルバムを、出てから2年遅れで借りたんですけど。それを聞いた時に、正直、わかんなかったんですよ。
(宇多丸)ああー。
(細田日出男)ぜんぜんわかんなかった。それまでずーっとディスコとか遊んでいて。『Soul Dracula』とかで踊っていたタイプだから。
(宇多丸)はい、はい。
(細田日出男)チャラいディスコ行って踊っているわけですよ。だって、高校生ですから。で、『これを聞かなきゃダメだよ』って。その、ロックのギタリストだったんですね。友達っていうのは。その彼から借りた『Hell』っていうのを聞いて、わかんなくて。本当に。で、ただ、自分はブラックミュージックっていうのは結構わかりながらもたくさん聞いて、知っているつもりだったのに、知らなかったし、わかんないし・・・って。悔しくて、そっからJB研究が始まったんですけど。
(宇多丸)おおー!はいはい。
(細田日出男)で、ある時、コロッと変わったんですよ。それがわかんない。それはたぶん本当のグルーヴがわかった瞬間だったのかもしれないんですけど。だから、それ以来、『Papa Don’t Take No Mess』ですね。僕は。JBっていうと。そんなこと言っちゃいけないのか?
(宇多丸)いやいや、いいんですよ。ちなみに、日本での扱いっていうのはどんな感じだったんですかね?ずっと。
(細田日出男)だから、76年とか77年っていうのは正直、JBとしてはピークは過ぎていて。
(宇多丸)落ち目扱いだったんですね。
(細田日出男)そうそうそう。で、要は世の中はPファンクだったし。そういうような時代の中で、ただ僕が行っていたディスコで、たとえば六本木のレオパード・キャットっていう、サーファーディスコですよ。そこが12時を回ると、1時間か1時間半くらい、JBタイムっていうのがあるんですよ。
(宇多丸)JBタイムですか!?ブラックミュージックタイムじゃなくて、JBタイム。
(細田日出男)JBしかかかんない。
(宇多丸)なんですか、それは!?
(細田日出男)要は、踊りが上手い人がみんなそこで集まって踊ると。
(宇多丸)ああー!
(細田日出男)それがかっこよかったんですよ。
(宇多丸)へー!やっぱりこう、ダンスミュージックとしてハードコアだったんですかね?
(細田日出男)そう。だからメインの時間ではかけられないけど、そうやって深夜に本当の遊び人たちのためにJBがかけられていたっていうのはあった。
(宇多丸)おおー!こんなのは、ここで聞かないとね。証言として残っていかないことですから。非常に貴重ですよ。と言ったあたりで、CMの後、具体的にJBの代表曲を聞きながら、みなさんにグルーヴを感じ取っていただければと思います!