サンキュータツオ 珍論文『湯たんぽの形態成立と変化』を語る

サンキュータツオ珍論文『傾斜面に座るカップルの他者との距離』を語る TBSラジオ

サンキュータツオさんがTBSラジオ特番『嗚呼、素晴らしき珍論文』で厳選した珍論文を紹介。『湯たんぽの形態成立とその変化に関する考察I』の著者、伊藤紀之さんと論文について話し合っていました。

(ナレーション)サンキュータツオプレゼンツ 嗚呼、素晴らしき珍論文。珍論文ナンバー3、『湯たんぽの形態成立とその変化に関する考察I』。伊藤紀之。2007年 共立女子大学家政学部紀要第53号。『本研究に至った契機は、地方に出かけた折、時間調整のために立ち寄った古道具屋で湯たんぽに出会ったことに始まる。3個の湯たんぽであった。それぞれ個性がある。その後、各地にその地域独特の湯たんぽが存在することを知った。その中には予期しない形と、窯変した釉薬の魅力が見いだせる。ここでは室町時代から江戸、明治期までを中心に、形態成立とその変化について検討したい』。嗚呼、素晴らしき珍論文。湯たんぽの考察を続け、実に湯たんぽ論文をシリーズ5まで書き上げた共立女子大学名誉教授 伊藤紀之さんが本日最後のお客様です。

(サンキュータツオ)趣味のようなものなんですかね?先生。

(伊藤紀之)そうですね。

(サンキュータツオ)(笑)。認めちゃいましたね。

(伊藤紀之)私、あの研究領域も、なんか全て趣味のような気がしますね。

(サンキュータツオ)(笑)

(伊藤紀之)ですから、『専門はなんですか?』って言われた時に先方が期待してるのはなんだろう?っていうことで。それに近いような専門領域を言うことに。

(サンキュータツオ)なんて言ってるんですか?普段は。

(伊藤紀之)『生活デザイン研究』っていう。

(サンキュータツオ)生活デザイン研究(笑)。

(伊藤紀之)デザインはデザインなんですけどね。

(サンキュータツオ)そうですね。

湯たんぽ研究開始のきっかけ

(伊藤紀之)見たことがないようなものに出会った時に、これはなんだろう?ということで。すごくこう、かき立てられますね。同時に、資料がないってことで、さらに意欲がわくっていう。

(サンキュータツオ)(笑)。資料がないことで、意欲がわく。これはなんだろう?があって、しかも誰もやっていないことっていうことで、まあ湯たんぽにたどり着いたという。

(伊藤紀之)ああ、そういうことだと思います。

(サンキュータツオ)(笑)

(小林悠)なるほどー。

(伊藤紀之)おそらく私の論文、読む人いないと思っていたんですよ。

(サンキュータツオ)(爆笑)

(小林悠)そんなことないですよー!

(伊藤紀之)ところが、いや、タツオさんがね。『読んでくれた人、いたんだ』って。

(サンキュータツオ)いや、もうずっと追いかけてますよ。大ファンでございます。

(小林悠)(笑)。湯たんぽっていわゆるなんでしょう?アルミといいますか、丸くてこう、ねえ。形を想像しますけど。先生がまず、その古道具屋で出会った湯たんぽっていうのはどういった湯たんぽだったんでしょう?

(伊藤紀之)あれはいまから思えばね、そう珍しいものではないんですけど。ただあの、3種類あったけど、3種類とも作られた場所が違うもんですからね。1つは、島根県の益田ってところだったんですけど。

(サンキュータツオ)ああ、益田焼。

(伊藤紀之)いまはないんですけどね。ないんだけど、きわみ焼っていうのがこの地域にあったんですよ。そこで焼かれていた生活雑器の中で、これ、湯たんぽです。でもその窯場はもうないんですね。

(小林悠)焼き物なんですね。

(サンキュータツオ)陶器ということですね。

(伊藤紀之)ですね。もう1つはまあ、唐津焼だと思いますし、もう1つは萩焼です。

(サンキュータツオ)ああ、萩。

(伊藤紀之)萩の焼き物の特徴が出てるんで。

(サンキュータツオ)また、お店によってもね、湯たんぽかどうかよくわからないっていうお店もあったわけですよね。

(伊藤紀之)あります。徳島県の大谷焼っていう江戸時代からの焼き物の場所なんですけどね。そこに行った時にも、『湯たんぽを作ったことはありますか?』って言ったら、『ある』って言うんですよ。

(サンキュータツオ)ええ~っ?

(伊藤紀之)『だけど、どういう形か知りません』って言うんですよ。そのお店で。

(サンキュータツオ)はいはいはい。

(伊藤紀之)でも、工房に入れてもらったら、窯に湯たんぽがあるんですよね。『あ、湯たんぽあるじゃないですか』って言ったら、『あれ、湯たんぽですか?』って言われて(笑)。

(サンキュータツオ)(笑)

(小林悠)やっぱりプロでもわからないってことは、焼き物の湯たんぽってどういう形なんですか?

(サンキュータツオ)ちょうど、まあいま、手元に資料があるんですけど。

(伊藤紀之)いわゆる、みんながイメージのわく蛇腹の円形のって、だいたい大正時代にできたんですけど。それ以前のものはほとんどが陶磁器なんですね。

(サンキュータツオ)形で言うと、いわゆる昔の枕みたいな感じの形なんですか?

(小林悠)そうですね。筒状になっていて。で、上にこう、お湯が注げる場所なんでしょうか?徳利の口のようなところがついていて。形を見ると、たぶんプロの方でも、これ、水差しかな?と思ったり。

(サンキュータツオ)まあね。花瓶とかね。

(小林悠)そうですよね。わからないです。湯たんぽって。

(サンキュータツオ)その、室町時代に出現して、江戸末期から明治まで出てこない。で、シーボルトやモースといった海外から来た人たちの資料にも、日本の日用雑貨を記録したものにも載っていないし、日本人が書いた日本の生活の浮世絵にも・・・

(伊藤紀之)浮世絵がね、何十万点とあるからね、あるでしょうっていうことを言ってくれた浮世絵作家の方も、しばらくたってから、『ないですね』っていうことで。

(サンキュータツオ)やっぱりそうなんですね。そういう方の協力もあった。

(伊藤紀之)それから、私の浮世絵収集でもね、本当にお世話になった浮世絵協同組合の理事長。

(サンキュータツオ)先生は浮世絵協会の会長さんでもあったという。

(伊藤紀之)まあ、理事ですけど。

(小林悠)本当、幅広いですね。

(サンキュータツオ)浮世絵の収集家でもあるので。はい。まあ、室町時代に入ってきた湯たんぽっていうのは、中国経由で医療用だったけれども、まあ江戸時代、なぜかちょっとぽっかり姿を消して、まあ明治ぐらいにまたいろんな湯たんぽが出てくるっていう中で、幕末から明治初期ぐらいのものは、実は西洋経由だったんじゃないか?というのが伊藤先生の説なんですけども。

(小林悠)へー!はい。

(サンキュータツオ)だから技術があって、西洋のものを作れるという確信があったからこそ、いろんな日本中の窯で作って。鉄道網の整備によって全国的に流通したと。

(小林悠)なるほど。いま、手元に先生のコレクションの写真があるんですけども。膨大で。

(サンキュータツオ)これ、いくつぐらいあるんですか?

(伊藤紀之)たぶんね、想像では450ぐらいあると思うんですけど。

(サンキュータツオ)想像で、なんですか(笑)。厳密に数えきれないけども。

(伊藤紀之)なんか400ぐらいの時は、『ああ、400くらいになったな』って。で、その後もポツポツ集まってくると(笑)。

(サンキュータツオ)(笑)

(小林悠)これ、どこに置いてあるんですか?重いですよね。全部。

(サンキュータツオ)まあ、倉庫みたいなものですよね。これ、大学に寄贈しようっていうのは?

(伊藤紀之)まあ、私もね、資料選定委員っていうのをやってまして。外部から『寄贈したい』とかいっても、タダでもね、スペースがいるとかね、設備を作らなきゃいけないとか。あんまり快く受けられないんです。

(タツオ・小林悠)(笑)

(伊藤紀之)そういうこと、わかってますから。これは言っても無駄だというのが。

(タツオ・小林悠)(笑)

(小林悠)あ、じゃあ大学にも寄贈できず。

(伊藤紀之)まあ、ほしそうであれば、考えたかもしれないけど。

(サンキュータツオ)ほしそうではなかった(笑)。

(伊藤紀之)まあ、こういう年齢ですのでね。将来家に残しても、邪魔でしょうから。

(サンキュータツオ)(笑)

(小林悠)そんな、ご家族はなんと言ってるんですか?これだけ集められて。

(伊藤紀之)ええ。面白がってくれてます。

(サンキュータツオ)ああ、よかったですねー。なんか・・・(笑)。娘さんには『早く片付けて』って言われてるっていう風に伺ってたもので。でもその後は、理解を?

(伊藤紀之)ええ。理解、非常に。はい。

(小林悠)あ、これ、ご自身、自腹で買われたんですか?

(伊藤紀之)こんなのね、『研究するから研究資料を買ってくれ』って言っても、誰も出してくれないですよ。

(タツオ・小林悠)(爆笑)

(サンキュータツオ)普通は、古本とかそういう高いやつは、大学のお金で。研究費で。僕、古本屋でバイトしてたから、そういう先生方、いっぱいいるの知ってますけども。まあそこは伊藤先生は自腹を切って・・・

(伊藤紀之)あの、湯たんぽだけじゃなくてね、たとえばファッションプレートの研究なんかにしても・・・

(サンキュータツオ)あ、先生ファッションプレートっていうね、まあ昔の西洋の。まあ、雑誌ができる前の、ファッション誌じゃないけど、いま、こういうのがトレンドみたいなプレートをね、毎年ね、作っていたという。それを集めている。

(伊藤紀之)そういうのを集める時もね、こういうのを学校でも必要なもんじゃないか?ということで。でも、当初はね、説明するのが難しいんですよ。価値がわかんないでしょ?だから雑誌みたいなものはね、買ってくれないんですよ。『立たないとダメだ』とかね。

(サンキュータツオ)あ、そういう判断なんですね!立たないとダメ(笑)。

(伊藤紀之)『装丁されてない』とかね。

(小林悠)難しいですね。大学の決まりって。

(サンキュータツオ)そっかー。

(伊藤紀之)『それ、趣味でしょう?』って言われるような分野ばかりですのでね。公のお金はね、使いたくても使えないんです。

(サンキュータツオ)(笑)。でも、それ学問のね、まさに、まだ価値のないものに、学問的体系の中で位置づけることによって価値が出てくるというのがひとつ、学問の役割ですからね。

(伊藤紀之)集める人いないから、そんなに高くないんですよ。

(サンキュータツオ)ええーっ!?まあ、先生は本当に工業デザイナーとしてのキャリアから始まって、実際に家政学に携わり、いろんな生活デザインの研究もなさってきた中で、研究生活の最後のほぼ10年を、この湯たんぽに。

(伊藤紀之)はい。最後の10年間は大変充実した・・・(笑)。

(サンキュータツオ)(爆笑)

(小林悠)湯たんぽのおかげで。

(伊藤紀之)出会いましたんでね。たとえば『徳川美術館に家康の湯たんぽがありますよ』って紹介してくれた方がおられて。一応、そこにある収蔵品ですから、そう簡単に見せてもらえるもんじゃないんですよ。ところがね、日光の輪王寺にあるのもね、これ、『見せてください』って言っても、宝物ですからね。普通は見せてもらえないのが、たまたま仏像修復家で有名な方が家光の乾漆像を修復した方がおられて。その人に出会ったんでね。

(サンキュータツオ)へー!

(伊藤紀之)で、家光だから、『家光の湯たんぽ、ご存知ですか?』って聞いたら、『いや、知らないけれども、聞いてあげましょう』ってことで。で、輪王寺に直接。まあ、こういう手順で申請書を出してって。やっぱり寺社会議みたいなのがあるんですよね。

(サンキュータツオ)ああ、そうなんですか。

(伊藤紀之)それでね、そこでちゃんと朱肉の印のついたね、許可証をいただいて。それで行くんですよね。

(サンキュータツオ)だからもう、本当にひとつひとつ、地道に道を切り開いていったという。

(伊藤紀之)本当にね、それにはいろんな方のお世話になっているものですからね。本当はね、それに礼を尽くさなきゃ行けないんですけどね。

(サンキュータツオ)はー!すごいですね。その謙虚さ。

(小林悠)その念願かなった家光の湯たんぽって、どんな形のものなんですか?

(伊藤紀之)これはね、犬の形なんですね。

(小林悠)かわいいー!もう、かわいい!

(伊藤紀之)これはね、話すと長くなってしまいますが(笑)。

(サンキュータツオ)これも話すと長くなってしまいますが。

(小林悠)子犬の形じゃないですか!

(サンキュータツオ)これの、この犬型で中が空洞になってるんですけど、耳のところが栓になっていて。ここがネジになっていることに先生はちょっと目をつけたんですよ。これは西洋から来たものなんじゃないか?というところから、湯たんぽの形態の成立その2に・・・

(小林悠)大変です!湯たんぽの話、終わらないですけど。

(サンキュータツオ)(笑)。ただ、まあ本当にあの先生の歴史の知識、生活デザインの知識、また、研究生活で築き上げられた人脈。あとは本当に執念深いフィールドワーク。いろんなその、知見が全てこの研究に凝縮しているわけなんですけども。やっぱり湯たんぽはなにが魅力だったんですかね?先生の中で。

(伊藤紀之)とにかくね、非常にバリエーションに富んでいるわけですね。それで、同じ機能でありながら、これだけいろんな種類があるのは何だろう?ということでですね。

(サンキュータツオ)それはやっぱり、生活デザインの基本なわけなんですよね?

(伊藤紀之)そうですね。だからこれはね、まあ、さらに言うならば、ファッションなんですよ。つまり、着るっていうこと自体は機能的には同じようなもんだけど。その人その人のやはり価値観、個性で好まれるように。もうひとつはですね、日本の職人の職人気質っていうんですかね?隣の窯とは違うものを作ろうとか。よりいいものを作ろうとかね。あるいは短時間・・・だからね、生活用品ですから、まあ大量に作るんだけど、作りながらも工夫がされていて。結果的に、失敗作もあるだろうけど。造形的に。非常に見事なものになって。やはりね、他とは違うものを目指すっていう。そういうやはり、日本の職人のひとつの姿がね、こういうところに現れてるじゃないかと。

(小林悠)なるほど!

(サンキュータツオ)それは本当になんかこうね、先生の研究生活の全てを最後、ここに注ぎ込む価値のある研究テーマだと。

(小林悠)本当ですね。

(サンキュータツオ)あれですよ。みなさんご存知、SHIPSのロゴのデザインとかなさった先生なんだよね。

(小林悠)あの有名なSHIPSって書いてあるのは先生がデザインされたんですか?すごい!

(サンキュータツオ)本当に、先生、失礼ですけど、いまおいくつですかね?

(伊藤紀之)もうじき75です。

(サンキュータツオ)75。まあ、そうですよ。もういろんなものをご専門なんですけども。そんなすごい人が全てを費やしたのが湯たんぽ。ここにロマンがあるわけですよ。だって、まあ言ってしまえば、だからなんだ?って話ですもんね。

(伊藤紀之)そうなんです。

(サンキュータツオ)ええ。『そうなんです』って小さい声で(笑)。

(小林悠)そんなこと、言わないでください。

(ナレーション)珍論文3、『湯たんぽの形態成立とその変化に関する考察I』。共立女子大学名誉教授 伊藤紀之さんがでした。サンキュータツオプレゼンツ 嗚呼、素晴らしき珍論文。

ヘンな論文
KADOKAWA/角川学芸出版

<書き起こしおわり>

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