吉田豪 大道塾創設者 東孝の人間的魅力を語る

吉田豪 大道塾創設者 東孝の人間的魅力を語る たまむすび

プロインタビュアーの吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』で空手 大道塾の創設者 東孝さんについて語っていました。

(赤江珠緒)吉田豪の月イチ豪外、プロ書評家にしてプロインタビュアーの吉田豪さんです。こんにちは。

(吉田豪)どもです。

(赤江珠緒)さあ、豪さん。6月に入りましたけど、いかがでしょう?

(吉田豪)ええとですね、いま出ているSPA!でラフィンノーズというパンクバンドのインタビューをやってるんですけど。それと同じ号で芸能界のケンカ最強のイレブンを探せ!っていう、ワールドカップに便乗した、まったくサッカーに関係のない企画を。

(博多大吉)定期的にやっていますよね。芸能界最強は誰だ?みたいな。

(吉田豪)まあ、僕のそれ、ライフワークなんですけど。それを杉作J太郎先生と、誰が最強か?っていうのをね。11人選んだんですが。その中に生島ヒロシさん、入れておきました。

(赤江珠緒)ヒロシさん、やっぱり入るレベル?

(吉田豪)入りますよ!そりゃあ。『前蹴りの生島』ですから。

(赤江・大吉)(笑)

(博多大吉)イメージ、ないですけどね。前蹴りの。

(吉田豪)若い時に、だからね、元々空手をずっとやっていて、アメリカでショー・コスギとやったり、ベニー・ユキーデという伝説の格闘家がいるんですけど、それと戦う寸前まで行き・・・そしてその後もね、つい最近になっても電車でちょっとモメたりとかね。

(赤江珠緒)そうですか。でも、噂というかそういう武勇伝はちらほら、聞くは聞くんですけど。ご本人にお会いした時に、あまりにもつながらないですよね。

(吉田豪)つながらないですよね(笑)。

(博多大吉)なかなか物的証拠が出てこないので・・・

(吉田豪)(笑)。本人発言が多いですからね。

(博多大吉)そう。だから我々もどうしていいのやら?と。豪さんね、よくこのケンカ最強芸能人やってますけど、これ、結構毎年変わってるんですか?ある程度の固定メンバーいるけど、ニューフェイスも?

(吉田豪)固定メンバーいますけど。毎回聞かれると同じになりたくないんで、毎回違うことを答えるようにしてて。そうすると、だからおかしなことになっていくっていう。なるべく、変化球を入れたくなると、生島ヒロシとか入ってくるんですよ。

(赤江・大吉)(笑)

(吉田豪)『生島さん、強いに決まってるじゃないですか!』って。

(博多大吉)最新のランキングが、杉作さんとともに語っていると。

(吉田豪)そうです。前線には、相手がナメてくれそうな人を送っていこうってことで、稲川淳二さんと生島さんが。

(赤江珠緒)えっ?稲川淳二さんも入ってるんですか?

(吉田豪)稲川淳二さんも、だってね、安岡力也さんと元々子どもの頃に仲が良くて。よくケンカとかしてたぐらいの、結構腕っぷし自慢の。

(赤江珠緒)へー!

(博多大吉)たけし城ではね、あんな・・・

(吉田豪)基本、やられ役ですけど。

(博多大吉)悲惨なレポーター役をされて。

(赤江珠緒)懐かしい!

(吉田豪)悲惨だなー!って。怖いんです。ああいう人が。

(赤江珠緒)へー。そうなんですね。で、今日はなんですか?とっても武闘家の方であると。

(吉田豪)とっても武闘家(笑)。とっても武闘家ですよ。

(赤江珠緒)ごめんなさい。ちょっと私ね、まったくね、存じ上げない・・・

(吉田豪)こんなに有名なのに!っていうね。はいはい。大道塾の創設者、東孝さんね。1949年生まれで現在65才。宮城県仙台市出身。で、高校時代に柔道をやっていて、その後極真空手に入門。得意技はローキックで、ついた異名が人間機関車と。で、1981年に極真空手での禁じ手を解禁した手による顔面攻撃、投げ技ありの格闘空手大道塾を設立したというね。まあ、後の総合格闘技につながるような流れを作った人であるんですけど。それが、現在発売中のBUBKAでインタビューしてるんですけど。

(博多大吉)僕ももちろんプロレスファンなんで、大道塾っていう、この三文字熟語っていうんですか?これはまあ、目にはしますし、東孝さんも知ってましたけど。詳しくは、ちょっとヴェールに包まれてますよね?

(吉田豪)そうですね。まあ、でも面白い人ですよ。結構真面目な人のイメージもあるんですけど、ぜんぜんそうでもないのがよく分かる感じで。そもそもまあね、生島さんとクラスメイトでっていう時点で、なにかを感じるわけですけど。

(博多大吉)(笑)。そうですね。

(赤江珠緒)まさに高校のクラスメイト。

(吉田豪)そうなんですよ。気仙沼高校で。同じクラスに生島さんがいて。2年、3年と一緒だったんですね。で、しかも『あずま』『いくしま』ですからね。普通に並びでっていう。

(赤江珠緒)同級生、この2人がどう思っていたのか、聞きたいですね。

(吉田豪)東孝先生の『大道無門』っていう本に生島さんがあとがき書いていたりとか。生島さんの章があったりするんですよ。それぐらいの交流がある人なんですよ。『級友生島ヒロシくんとの不思議な縁』っていう。

(赤江・大吉)へー。

生島ヒロシくんとの不思議な縁

(吉田豪)で、前に生島さんにインタビューした時に、生島さんがヤンキーとモメた時に、東さんがついて来てくれて丸く収まったみたいな話をしてたんですよ。これをちょっとね、東先生からも確認したいと思ったら、『そうそう。生島は当時から真面目だったよ』って言ってて。あれっ?っていう。生島さんが相当暴れまくっていた話しか聞いてないんですよ。

(赤江珠緒)当時から真面目?

(吉田豪)生島さんは前蹴りの生島と呼ばれ、空手をずっとやってて。すごい、1年ダブった強そうな不良がいて、それが絡んできたんですね。で、トイレで肩ぶつかった時になんか言われたんで、『偉そうにしてんじゃねーよ!来いよ!』って生島さんがケンカを売り、体育館の上の放送室に連れ込んで。みんなが『生島がケンカを売った』ってなって。もうその時点で相手は戦意を喪失していたと。みたいな話をしてるんですよ。そんな時に偶然東さんがやってきて、うまく最後はまとめてくれて、それからヒロシの天下です!って書いてたんですけど。話、違うんですよね。僕が聞いたのだと。

(赤江珠緒)あれ?違うんですか?

(吉田豪)あれっ?っていう。生島さんから『ちょっと来てくれないか?』って言われて一緒に体育館行ったら当時の番長がいて。『その時、生島のことを脅かしていたのかな?俺はそんなこと、ぜんぜん知らなかったんだけど』みたいな感じで。『あれ?生島さんが呼び出して、偶然通りかかったではないぞ、これ』っていう。

(博多大吉)供述がちょっと、食い違ってますね。

(吉田豪)違うんですよね。まあ、どっちが正解かはわかんないですけどね。

(赤江珠緒)当時から真面目って、いまが真面目みたいな発言もちょっと気になりますけど。

(吉田豪)このへんも引っかかりますよ(笑)。当時からデタラメとかならわかりますけど。で、生島さんの空手の話もデタラメなんですよ。元々別の流派をやっていたのが、極真を始めてわずか半年で、『これからアメリカ行くんで黒帯ください』ってたのんで断られた事件とか。くれるわけ、ないじゃないですか(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(博多大吉)道に反することですよね。

(吉田豪)そうそう。東さんがそれを聞いて驚いたっていうね。大山総裁に直接言ったんだっていう。

(博多大吉)えーっ?黒帯ちょうだいって?

(吉田豪)普通、だから弟子が話すのもあり得ないぐらいの人に、アメリカ行くから黒帯くださいって(笑)。

(赤江珠緒)ダメ元にも程がある(笑)。

(博多大吉)よく無事で済みましたね。

(吉田豪)そういう人なんですけどね。で、生島さんは空手やっていて、東先生は柔道だったわけですが。気仙沼高校の空手部はしょっちゅうケンカとか事件を起こしては廃部になっていたらしいんですよ。

(赤江・大吉)へー。 

(吉田豪)で、当時もちょうど廃部になっていたのを、空手をやっていた先生が復活させて、同好会として活動中というね。で、そんな東先生から見たら、空手をやっているやつらは品行方正じゃないと。

(博多大吉)柔道から見たら、ちょっと悪い人が集まっていたのかな?

(吉田豪)まあ、作品でも悪役みたいになっていたのがあって。実際、そうじゃないか?みたいなイメージがすごいあって、というね。柔道部だったせいで、『なにが空手だ?そんなもん、つかんでしまえばこっちのもんだ』と思っていて。空手にはまったく興味がなかったんですよ。

(赤江珠緒)じゃあもう、ベースは最初柔道だったんですね。

(吉田豪)そうです。それが、自衛隊でいろいろ戦っていたりするうちに打撃の重要性とかに気づいていくんですけど。で、後々空手を始めてわかったのが、『空手とか打撃系の格闘技はどうしても神経がキツくなる』って言っていて。どういうことか?っていうと、『反射神経の勝負だから、相手のちょっとした動きにも反応して制空圏を作っちゃう。要は常に相手のパンチが届かない距離にいないと落ち着かない。だから自然に警戒感が強くなるし、反射神経も強くする』と。

(赤江珠緒)ああ。柔道は組まなきゃ始まらないですからね。

(吉田豪)柔道は自然と相手との距離が近くなって、常にスキンシップしているような状態と。で、東先生が極真でそこそこの選手になった頃、人から『おう、東』って後ろからポンと肩を叩かれた時にすごいビクッとしてしまって。『これは選手としてはいいかもしれないけど、後ろに誰かが来たら殴っていたら、ゴルゴ13じゃないんだから・・・』っていうことで。それで、『いろんな考えもあったけど、打撃だけよりは組み技も入れたほうが人間的にも丸くなるんじゃないか?みたいな感じで大道塾はできたわけ』って言っていて。そんな理由だったんだ!っていう(笑)。

(赤江珠緒)ああ、そういうこと。警戒感が強くなっちゃうっていうことで。

組み技も入れたほうが人間的にも丸くなるんじゃないか?

(吉田豪)そうそうそう。投げとかあった方がいいんじゃないか?っていうね。そんな東先生。変わった経歴の持ち主で。高校を卒業した後に自衛隊に入隊して、2年で満期で除隊。その後、早稲田大学に入学してるんですけど。早稲田に行った理由っていうのが、『学生運動があると思ったから』って言っていて。高校の日本史の先生が日教組で。その先生に言われたのが、『東!いまが革命の時代だ!昔は藩から革命が起きた。いまは大学で起きてるんだ!早稲田を見ろ!日大を見ろ!明治を見ろ!東大を見ろ!』って言われてその気になったんですけど、東大は無理だと。で、入れるのはなんだ?と考えたら、早稲田だと。

(博多大吉)へえ。それもすごいですけどね。

(吉田豪)すごいんですけどね。ちなみにそのころね、『藩から革命が起きた』モードになっていた時に、NHK大河の『竜馬がゆく』で北大路欣也さんが坂本龍馬をやっていて。それにも感化されたんですよ。革命だ!っていう感じで。だから東先生曰く、『いまでも北大路欣也は坂本龍馬にしか見えない。だから犬のマネとかしていると、腹が立つんだよ!』というね。

(赤江珠緒)いまやね、そうですね。

(吉田豪)どっかのCMにすごい激怒しててね。で、そんな『いまこそ倒幕の時だ!』っていうことでね。『日本を変えなきゃダメなんだ!俺は坂本龍馬になるんだ!』っていう思いから、とにかく東京に出たかったんですけど、なぜか自衛隊に入っちゃうんですよ。それで。

(赤江珠緒)1回、自衛隊に入った。

(吉田豪)そうなんですよ。要は、お金がなかったと。お金がなくて大学に入れなくて、仙台で1年浪人したんですけど、バイトやりながら柔道もやっていたから勉強どころじゃないと。これはまず状況するしかない。東京に行くには親戚もなにもないから、まずは自衛隊に入ったら東京に行けるんじゃないか?と。で、自衛隊に入ってなにをしたか?っていうと、デモ隊を鎮圧するための放水車に乗っていたんですよ。

(博多大吉)はいはいはい。

(吉田豪)あの、革命したがる人が。で、自衛隊で2つに分かれて、こっちはデモ隊。こっちは自衛隊っていう役でね。で、東先生が自衛隊側で放水車に乗っていたんですが。自分でも、『おかしいな。俺、あっちになっているはずなのに・・・』って思っていて。

(赤江珠緒)(笑)。そうですよね。

(博多大吉)あれをやるために上京してきたのに。

(吉田豪)そうです。『なぜ俺は放水してるんだろう?おかしなことになっている』って。で、除隊して早稲田に入って。やる気満々だったんですけど。東先生が早稲田に入ったのが69年で。学生運動がちょうど終わりの時期だったんですよ。革マルからなにから、全部下火になっていて。本人としては、『なんかモメごとあるんじゃねーか?』っていう期待から、わざわざ自衛隊の制服を着て学校にいってたんですよ。そしたらケンカとか売られるんじゃねーか?っていうね。楽しみにしてたら、学生運動をやっている人たちが、『東さん、すごい体してますね!』って言ってきて。『・・・話が違う』っていうね(笑)。

(赤江珠緒)あ、その格好も受け入れられた。

(吉田豪)そう。『彼らにとっては自衛隊は言ってみれば敵のはずなのに、それを革命の志士が「あんた、すごいね」って褒めるんだから。それですっかりガッカリしちゃって、しばらく落ち込んでいたのよ。俺、なんのために大学に来たんだろう?勉強しに来たわけじゃないから、どうしようかな?って。当時、まだ空手もやる気なくて』っていうね。人生の方向性を見失っていた時に・・・

(赤江珠緒)(笑)。なんのために大学に行ってたんですか(笑)。

(吉田豪)そう。革命するためだけに行ってたんですけど。

(博多大吉)活動をするために来たら、もう終わっていたと。

(吉田豪)そうそう。そんな時に、大学のキャンパスで声をかけられるんですよ。『あなた、ちょっと元気なさそうですね。なにか生きがいはあるんですか?』って言われて、『それがねーから困ってるんだ!』とか言ったら、『生きがい、ありますよ』って言われて。近くのたまり場に連れて行かれて、1週間の合宿に、そのままなったんですけど。

(赤江・大吉)うん。

(吉田豪)要は、とある宗教団体の合宿だったんですよ。

(赤江珠緒)ええーっ!?

(吉田豪)当時、大学生が結構洗脳されたことでお馴染みの。200人ぐらいで1週間合宿して、やるのは集団催眠と。1日中、歌っているか討論しているかで、とにかく眠らせないと。で、どんどん考える能力をなくしていって。参加者、一応早稲田とかに来る学生だから、みんな理屈では勝てると思っているけど、向こうは空手で言う約束組手みたいな感じで、こういう技がきたらこう返すっていうパターンが完全にできている。だからいくらこっちが言っても簡単に返されちゃって、1週間後には『私のいままでの生き方は間違っていた!』と懺悔と。

(赤江珠緒)東先生(笑)。

(吉田豪)いや、そういう風にみんななっちゃうらしいんですよ。『日本は悪いことをした。韓国は父親、日本は母親になってこれからアジアを引っ張って行かなきゃダメだ。日本も私個人の生き方も間違っていた!』ってみんな懺悔して、バスタオルがグシャグシャになるぐらい号泣しちゃうらしいんですよ。

(赤江・大吉)へー!

(博多大吉)こういうのが、流行っていたんですか?この当時。

(吉田豪)ありました。結構ありました。有名ですよね。あえて名前は出さないですけど。

(博多大吉)ぜんぜん知らなかった。こんなの。

(吉田豪)あったんですよ。まあ、いまでもね、ある説があるぐらいの。で、そんな中で東先生は『冗談言うな!お前らの言葉には重みがない。理屈では勝てないけど、俺はちゃんと自衛隊に入ったりいろいろやってるんだ、バカヤロー!』っていう感じで。

(赤江珠緒)あ、ここで自衛隊の経験が生きてきたわけですね。

(吉田豪)そう。免れたんですよ。

自衛隊の経験で集団催眠を回避

(博多大吉)東先生だけ、かからなかったんだ。この集団催眠に。

(吉田豪)そうですね。2人ぐらいかかんなかったらしいですよ。俺たちは違うんだ!っていう感じで。

(博多大吉)でも、恐ろしいですね。200人ぐらい入って、かからないの2人って。恐ろしい確率で。みんなかけられている。

(吉田豪)1週間寝ないと、そうなっちゃうんだなっていう。

(赤江・大吉)へー!

(吉田豪)でもそうやって洗脳を振り切ったんですけど、その時に言われたが『あなたにはサタンが憑いている。だからなにを言ってもダメだ』っていう風にね。で、振り切ったつもりでいたんですけど、『集団催眠って恐ろしいもんで、俺も半分かかっていた』と。で、その時に言われたのが、『あなたは寝る時にかならず布団が重くなるはずだ。それはサタンがあなたに乗り移る瞬間だ』って言われて、『冗談言うな!バカヤロー!』って返したんだけど、合宿を終えて自分の家で寝ていたら、本当に布団が重くなって。かかってたんですよ(笑)。

(赤江珠緒)(笑)。湿ってたんじゃないですか?あんまり使ってないから。

(吉田豪)暗示ですよね。で、重くなって夜中にウワーッ!って大声を出したら、隣の部屋の女子大生が来て、『東さん、大丈夫?』って言ってくれたから正気に返って。その女子大生に『東さん、なにか運動やったらいいんじゃないですか?』って言われて、すごいショックだったと。ずっと運動と共に生きてきた男なのにと。で、やっぱり運動しなきゃダメだと思って、極真だとつかんで投げてもいいっていうんで、極真空手に入門したと。そういう流れなんですよ。

(赤江珠緒)へー!

(吉田豪)ところが、入ったものの、まあこういうタイプなんで、『空手って本当に強いの?』とかね、『空手って強いらしいけど、柔道より強いの?俺、柔道やってんだけど』とか、平気で言ってたんですよ。相当生意気で。そん時の指導員が極真の第四回大会で優勝した三浦美幸さんっていう方で。東先生はなにも知らずに、ただ空手バカ一代を読んで入ったら、向こうから三浦先輩が冷たい顔して出てきて。『あーあ、空手家ってこういう風に印象悪いんだよな』って思ったらしいんですけど。まあ、完全に自業自得っていうか(笑)。挑発してますからね。

(博多大吉)生意気なやつがいるなと。

(吉田豪)『本当に強いの?』って言ったら、そうなりますよっていうね。その後も白帯の立場で大山泰彦さんっていう大先輩。天才と称された空手家がいるんですけど。『泰彦さん、飲みに行きましょうよ!』って軽口叩いたりとかで。いろいろ波風立てて。まあ、酒癖悪いんですよ。基本。酒の席で先輩に食ってかかったエピソードが非常に多い人で(笑)。

(赤江珠緒)(笑)。思ったら即行動の方なんですね。東さんね。

(吉田豪)あの、僕の好きな話が、ニューヨークに行った時の話があるんですけど。ニューヨークで東先生と2人、途中でいなくなっちゃって、みんな心配したらしいんですよ。先輩が。あいつら、どうしたんだ?って。なんかケンカでも売られて大変なことになってるんじゃないか?って思ったら、『エロビデオ屋を全部制覇しよう!』って話になって。タイムズスクエアの。そこにあるエロビデオ屋の40何本を全部見たと(笑)。それで、『こういうのは後で残らないから全部見なきゃダメだ!』っていう風に先輩が言っていたから2人でずーっと見ていたら、大騒ぎになってて。そのせいでリンチされたみたいな話なんですけど。これも自業自得なんですよ、全部(笑)。そういう話ばっかりなんですよ。

(赤江珠緒)たしかに。そりゃ怒られるわっていう。

梶原一騎・真樹日佐夫兄弟とのつながり

(吉田豪)で、梶原一騎先生とね、極真空手のつながりも深かったわけですけど。梶原先生にはあんまり好かれていなかった人なんですよね。空手バカ一代にも東先生、3コマぐらい登場しているんですけど。原作の梶原先生はどちらかと言うと派手な技を使う空手家が好きで。東先生はまあ、つぶし役みたいな扱いになっていたと。だから、あまり好意を持っていなかったと。どうしてか?っていうと極真の選手にとって大山総裁は神様みたいな存在だと。なのに、総裁の横で兄弟2人、梶原一騎先生と真樹日佐夫先生ですね。この2人がサングラスして話している。それが気分悪かった!って言っていて。『大山総裁と兄弟分なのはわかるけど、少なくとも俺たちの前では館長を立ててくれればいいじゃない』っていうね。

(博多大吉)なるほどね。

(吉田豪)気持ちはわかるんですよ。たしかにね、真樹先生、空手の審判とかをやっている時も、サングラスかけてガム噛んでるんですよ(笑)。結構あり得ない状態だったんですよ。当時って。

(赤江珠緒)このお写真もすごいですよね。白いスーツにね、パンチパーマに。そうですね。

(吉田豪)僕の大好きな尊敬している方なんですけど。まあ、そういう風にサングラスなんてあり得ない!って言っている東先生、話しているうちにおかしなことになっていくんですね。『まあ、そういうのがあの人たちのひとつのデモンストレーションなんだけど。そういう意味で俺は田舎もんだから嫌だ!』って言ってたはずなのに、『当時大山館長もそうだけど、サングラスが当たり前みたいになっていて。俺も一時、それをマネしたんだよ。そしたら田舎帰った時に、怒られた。いつからヤクザになったんだ?』っていうね。影響されてるんですよ。普通に(笑)。

(赤江・大吉)(笑)

(吉田豪)自分もやっているんですよね。そんな感じで、梶原先生とはあまり付き合いがなかったんですけど。梶原先生がテレビ出演かなんかで仙台に来た時に、弟の真樹日佐夫先生から電話がかかってきて。『東、兄貴が行くからガードしろ』と。当時、東先生極真辞めていて。元々大した付き合いもないのにガードもへったくれもねえ!って思ったんだけど、当時世話になった人にそう言ったら、そう言ったってマンガに3コマぐらい描いてもらったんだから・・・っていうことで、しょうがないからテレビ局やサイン会に弟子を連れてガードしたと。

その夜、飲みに呼ばれて一緒に行ったら梶原先生から『東、お前も俺のおかげでここまで来たな』って言われてまたカチンと来て。『ちょっと待って下さい。いろんな人が空手バカ一代に描いてもらったかもしれないけど、私は先生に3コマしか描いてもらってないんだから、先生のおかげとは思えない』と。梶原先生は『いやいや、お前、そんな興奮するなって』って言ってたんだけど、そのうち悪酔いして、タクシー乗ったら気分悪くなって。窓から外に出せばいいのに、隣の梶原先生の膝の上に出しちゃったんですね。

(博多大吉)おおー。

(吉田豪)で、さすがにマズいことしたなって反省して次の日行ったら、梶原先生が『東、昨日は酔ったな』ってそれだけっていうね。『この人、心広いんだと思って。この人、いい人だと思った』と。

(博多大吉)早い早い(笑)。

(赤江珠緒)結構エピソードが単純な感じで。シンプルですね。

(吉田豪)男らしいですよ。全てがシンプルです。こういう。

(赤江珠緒)本当ですね。スパッとされてますね。へー。で、この方、いまでもこの大道塾で?

(吉田豪)はい。やっています。オリンピック競技にするために動いたりとかずっとやっている人なんですけどね。ただ、本当に酒のバカ話で有名な人で。それが今回のインタビューでもすごい出て面白かったんですけど。ちょっと心配な部分があったんですよ。もうそれ、できなくなっているんじゃないか?って不安があって。実は、息子さんがいて。跡継ぎみたいな感じの人がいたんですけど。お酒のトラブルで亡くなっているんですよ。

(博多大吉)あら。

(吉田豪)みんなで海で遊んでいた時に地元のヤンキーが来て。じゃあちょっと一緒に飲もうっていう流れになった時に結構な飲み方をして。そのままそこで寝ちゃって亡くなっていて。っていうのもあるから、こういう話、できなくなっているのかな?って思っていたら、ちゃんと、酒には罪はないっていう感じでしてくれて。

(博多大吉)なかなかね、ビックハートというか。

(赤江珠緒)そうですね。

(博多大吉)僕ね、極真空手と梶原一騎先生、真樹日佐夫先生のあたり。このへん、また深く聞いてみたいですね。

(吉田豪)いくらでも話せますよ。僕の師匠ってリリー・フランキーさんと真樹日佐夫先生の2人ですから。

(赤江珠緒)そうなんですか。

(博多大吉)僕もギリッギリ1回だけお会いしたことがあるんですよ。真樹日佐夫先生。

(吉田豪)あ、そうですか。

(博多大吉)福岡の日航ホテルにいて。三沢(光晴)さんと一緒にいたんですよ。プロレスラーの。亡くなりましたけど。そん時にいらっしゃるってわかって。

(吉田豪)三沢さん、タイガーマスク時代にね、いろいろそのへんとは交流ありましたからね。

(博多大吉)だから最初見つけた時に、うわっ!って言いましたからね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(博多大吉)なんでいんだろう!?って。で、これはもう挨拶しないとしょうがないなって言いながら。行くからお前も来るか?って言われて、僕も行かせてもらいましたけど。本当、あの雑誌とかで見るカラースーツにサングラス。

(吉田豪)あり得ない、どこで売ってるのか?っていう服じゃないですか。

真樹日佐夫先生のファッションセンス

吉田豪・コンバットREC 真樹日佐夫先生を語る

(博多大吉)そうですね。

(吉田豪)僕、どこで買っているのかも聞きましたからね。基本海外で作るか、持ってくるらしいですよ。お店の人が。本当、マイケル・ジャクソンみたいな服を着てる時あります。たまに。上下金のジャージとか。

吉田豪・コンバットREC・水道橋博士 真樹日佐夫先生をラジオで語る

(赤江珠緒)上下金のジャージ!?

(吉田豪)赤のエナメルの上下とか。それ、完全に『Beat It』ですよね?っていう(笑)。

(赤江珠緒)本当本当。また、すごい方がいらっしゃいますね。今日、ご紹介していただきました大道塾の創設者、東孝先生のインタビューが掲載されているのが、現在発売中のBUBKA7月号でございます。ぜひこちらもね、手にとっていただきたいと思います。次回豪さんにご登場いただくのは7月16日の水曜日ということになります。

(吉田豪)その頃には僕がいま原稿書いているぐらいの大物がいろいろあるので。投下しますよ。

(赤江珠緒)うわー、いいですね。楽しみ。

(吉田豪)赤江さんが知っていそうな人を投下しますよ。

(赤江珠緒)(笑)。いえいえ、大丈夫です。これで骨法と大道塾は覚えました。

(吉田豪)覚えた。おおっ!骨法覚えたのはすごいですよ!

(博多大吉)いつでもね、モーニングバードで。

(赤江珠緒)どっかで使える。骨法と(笑)。はい。吉田豪の月イチ豪外、プロインタビュアーの吉田豪さん、ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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