ライムスター宇多丸さんがTBSラジオ ウィークエンド・シャッフルで、亡くなった大島渚監督について語っていました。話されていた内容はこんな感じです。
えー、あとまあ今週の事件といえば、私あんまり体調崩さないんですけど・・・崩すんですけどそんなに重い病気になったりはしないんですけど、扁桃腺炎というものに初めてですかね、やっちゃって。ツバ飲み込むのもキツイみたいなね・・・
でもそんなの、どーでもいいことじゃないですか。大島渚が死んだことに比べれば。俺がノドが痛くてツバを飲み込むのが辛い件と、大島渚が亡くなった件を比べるバカがどこにいる!
そんぐらい今、半笑いしているけど、まあ半笑いで言うしかないくらい、巨匠中の巨匠というか、これもうあちこちで言われていることでしょうけど、テレビで見る、朝まで生テレビで怒鳴っているおじさん、アレだってもちろん大島渚のさ、一種の戦略的な振る舞いというのもあるかもしんないけど、とにかくさ、映画監督として既に1960年代の時点で、もう世界的な作家なわけですよ。本当に日本を代表するっていうときに、たとえば黒澤・小津・溝口、このぐらいは出てくるかもしれないけど、それに匹敵するくらい、むしろ[攻めている]っていう意味ではもう、突出して・・・誰かも言ってたよね、大島渚っていうのはナントカでありナントカ・・・ゴダールであり、ナントカでありナントカ、それが全部一緒にあるようだ、みたいなね。とんでもない映画作家、それが大島渚ということですよ。
で、1969年生まれの私で言えば、中学2年生の時にいわゆる戦メリ、戦場のメリークリスマスがドンと来ました。仲間と連れ立って行ったんですけど、どっちかっていうとその時の視点はむしろやっぱり中坊ですからね、中2ですから、当時はやっぱYMOファンとして行きましたよね。教授(坂本龍一)が出るから行きました。教授が音楽やってるから。で、見て、ラストのタケシさんの笑顔とチャララララーンで泣いちゃったりはするんだけど、どっちかっていうと要するに反射的に泣ているっていうか、そういう感じ・・・そんなに意味が分かっているっていうんじゃなかった。よく考えたら、(当時中学生の)俺たちの話だったっていうね。あのホモソーシャルとね、ホモセクシュアリティっていう軋轢の話もあるし、プリズンの話だしね。えー、俺たちの話すぎて分からなかったっていうこともあるかもしれない。
まあでも、戦場のメリークリスマス世代なんだけど、後追いで色々観てっていうね。あの、晩年はというか、戦メリ以降は「マックス、モン・アムール」と「御法度」しか、間ちょいちょい、かなりあいてそんなのしか撮ってなくて、「御法度」以降も撮ってないという残念な話ですけど。ついつい僕なんかが夢想してしまうのは、大島渚が様々な諸相の日本語ラップシーンと出会ってたらどうなってたかな?っていうのは、私は夢想せざるを得ない。これ、どういうことかというと、たとえば大島渚の映画っていうのは要するに歌を歌ったりとかっていう場面がいっぱい出てくると。歌がその登場人物のなんて言うんですかね、イデオロギー的だったりとか、その人物の立場とかね、みたいなものを示しているというのが多くて。
それのまあ、代表的なっていうか一種集大成的なのが「日本春歌考」っていう映画がございまして。これは要するに、学生たちが受験しに東京に出てきて、そうすると引率してきた先生である伊丹十三が、事故でというか亡くなってしまうんですね。で、まあ話自体はそんな話なんですけど、そのところに様々な連中の、色んな場で色んな奴らが色んな歌を歌って、歌わされたりだとか、っていう中で色んな立場が浮かび上がってきたり、こうカオス状態になったりみたいな感じなんですけど。
こういう、「日本春歌考」的な手法をたとえばHIP HOP時代、ラップ時代、大島渚だったらどんなのをたとえば作ったかな、なんてことを思ったりしますよね。ラップこそ己の立場を主張して、それこを戦わせあう、歌合戦しあうっていう形式そのものでもあるわけだし。んー、でそのたとえば日本語ラップというものもさ、それこそイデオロギー的な立ち位置の微妙さ加減とかさ、そういうのも大島渚ならかなり意地悪に突いてくるんじゃないかなとか。あるいは、その面もそうだし、それと同時にたとえばさっき言ったホモソーシャルな空間における、そのホモセクシュアリティ的なものの抑圧され方とかさ。それなんかは正にHIP HOPシーンの抱えてきた問題で、日本のHIP HOPも無縁ではないことなわけだから、なんか大島渚的なアプローチでものすごく意地悪かつ相対化した感じで日本のHIP HOPシーンを扱ったりなんかしたら、「御法度」かつ「日本春歌考」な感じで、日本のハードコアなHIP HOP、ハードコアからポップなところでもいいですけど、なんか扱ったらどんなのが出来たんだろうな、なんてのを夢想せざるを・・・
なんなら今、新しい作家で、「いや、俺が今、大島渚死んだんだからやりますよ。」っていう人が出てきたっておかしくはない。どうでしょうね、このアイデア?ね、いまこれ聞いてね、新しい作り手の方ね、それをさらに一歩進めたような、僕がこう面白半分で言ってますけど、どうですかね?なんて、夢想しなくもない。
あと、アレですね、「日本春歌考」のちょっと思い出したのは、エヴァの前の劇場版の「気持ち悪い・・・」で終わるヤツ、ありますよね?あの、シンジくんが最後アスカの首締めて、「まごころを、君に」ですか?あの、いきなり最後に首絞めてってコレやっぱ大島渚っぽいっていうかね、「日本春歌考」っぽいっていうか、今にして思えばそうっぽい感じ、あるかもしれないですね。ま、庵野さんのことだからさ、市川崑を死体の出し方で引用しているような庵野さんのことだから、ひょっとしたらここを大島渚で行こうってことだったかもしんないなとか。知らないですけど。これも最近、ようやく「エヴァ:Q」を観た俺が連想せざるを得ないことみたいな感じでしょうかね。
<書き起こし終わり>
大島渚監督が描く日本語ラップ・HIP HOPシーン!
どんな風になるか想像もつかないですけど、たしかにすごーく気になりますw
日本春歌考 予告