町山智浩『キムズビデオ』を語る

町山智浩『キムズビデオ』を語る こねくと

町山智浩さんが2025年8月5日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『キムズビデオ』について話していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日は今週8月8日金曜日に公開されるドキュメンタリー映画で『キムズビデオ』という映画を紹介します。これは前にね、『ロボット・ドリームズ』で主人公のワンちゃんがレンタルビデオを借りているシーンがあったんですけど、あのレンタルビデオ屋さんがキムズビデオっていうビデオ屋さんなんですよ。このキムズビデオって、その『ロボット・ドリームズ』っていう映画は1980年代終わりの頃の話だったんですけど。87年にニューヨークでオープンして2000年代……2008年まで続いた実在のレンタルビデオ屋さんです。それのドキュメンタリーなんですが、どうしてこのレンタルビデオ屋が有名かというとアメリカで一番有名なレンタルビデオだったんですよ。

僕、90年代にアメリカに初めて来て。ニューヨーク州のシラキュースっていうところに2年ぐらい住んでいて。しょっちゅうニューヨークに行ってたんですけど。その時、ニューヨークに行くとなんというかサブレットって言って下宿みたいにして1週間とか2週間とか住むんですけど。その時に通っていた店がこのキムズビデオなんですよ。で、なんでそんなに世界的に有名かっていうと、世界で一番のコレクション量だったんですよ。5万5000本って言われてました。狭いお店にビデオがびっしりでしたよ。で、置いてあるのは普通のビデオじゃないんです。どういうのがあるかっていうと、ちょっと音楽をお願いします。はい。

(町山智浩)これ、1973年だからもう50年前のテレビでやってた着ぐるみコメディなんですよ。これがもう本当にくだらない着ぐるみコメディなんですけど。タコがね、なんでも「くれ、くれ」って言うだけなんですけど。なんでもほしがるんですよ。で、このビデオが僕が行った時にVHSでこのキムズビデオに置いてあったんですよ。僕、「えっ、これアメリカで発売されたの?」と思って。で、パッケージをよく見たらちゃんと英語で全部、びっしり書いてあって。「ああ、発売されたんだな」と思ったんですけど。後から調べたら、そんなものはアメリカで発売されてないんですよ。『クレクレタコラ』って。

アメリカで発売されていない『クレクレタコラ』のビデオが置いてあった

(町山智浩)で、宇川直宏君という人がいまして。ネットメディアのDOMMUNEの主催者です。宇川くん、僕は結構古い友達で。彼もアメリカに行ってたんです。彼、僕より先にアメリカに住んでいたんですよ。しばらく。で、その話をしたら「あっ、そのビデオ、もしかして俺、作った」って言ってんですよ。彼ね、まずアメリカに引っ越す時、僕が手伝ったんですけど。1万ぐらいのレーザーディスクを船便でアメリカに運んだんですよ。で、それは全部日本の怪獣とか特撮なんですよ。で、それを持っていって友達にVHSのテープを作って配っていたんですよ。タダでで。で、パッケージも自分で作って。宇川くん、デザイナーだから。それがなぜかそのキムズビデオに置いてあったんです。

そういうビデオ屋さんなんですよ、キムズビデオは。だから、あるはずのないもの、存在しないはずの映画のビデオをレンタルしていたところなんです。キムズビデオって。でももともと、実はレンタルビデオっていうのが始まった時ってそういう感じで始まってるんですよ。もともとレンタルビデオっていうのは正式に存在しないものだったんですよ。最初、80年代の初めぐらいにVHSビデオテープっていうのにその映画が入ってるやつが発売されたんですね。それは1万円を超えてたんですよ。だからなかなか買うことがみんなできなかったんですが。それを買った人たちが好きなものを買った後、たとえばその人はパン屋さんだったらパン屋の横で。その人がランドリーを経営してたらコインランドリーで何本かそのビデオを置いて、お金を300円とか400円とかもらったらそれを貸し出すっていうことをやってたんですよ。レンタルビデオ屋ってそこから始まっているんですよ。世界中、どこでも。

みんな、個人で好きなビデオを買ってそれを貸してたんです。で、ものによっては自分でそのビデオを作ったりしてたんです。テレビから録ったものを。当時は全く無法地帯だったんですよ。で、それはそれが儲かるんだってことがわかって、いろんな業者がレンタル用のビデオってものを作って、それを売ってレンタルビデオ屋っていうものをビジネスとして始めた人がいたからで。このキムズビデオも最初はクリーニング屋さんの隅っこに何本かビデオテープが置いてあっただけだったんです。で、そこから一気に世界最大の5万5000本になったっていうのは、ニューヨークのその場所はセントマークプレイスというところで。若者が集まるところだったんですね。特にニューヨーク大学の学生が……ニューヨーク大学っていうのは映画学科の名門で。スパイク・リーとかマーティン・スコセッシとか、みんなそこを出てるんですよ。

で、世界中の映画監督になりたい人が集まってくるんで、やっぱり「だったらこれを置こうよ、これを置こうよ」ってことになってくるんですよ。だからその芸術映画とか実験映画とか、本来は商業的にソフトが出てないものが置かれるようになるんです。だんだんと。だから売ってない、あるはずのないものが置いてあって。そこで僕が見つけたのは、たとえば三島由紀夫監督の『憂国』っていう映画があったんですよ。『憂国』っていう映画は1966年に三島由紀夫が自主制作した映画で。三島由紀夫が切腹をどうしてもしたかったんで、自分で切腹の予行演習をするのをフィルムに撮ったっていう映画なんですね。

で、その後、本当に切腹されたので奥さんが封印しちゃったんですよ。封印というか、そのフィルムは三島由紀夫許自身が所有してたんでそれを全部焼却しちゃったんです。だから存在しなくなったんです。ところが、そこにあったんですよ。なぜかはわからないんですよ。それで、ネガフィルム自体は1995年に発見されていて、僕が見たのは1997年なんで。でも、ネガフィルムからは当時はビデオを作れないんで。今は作れますけど。だから誰かポジに焼いた人がいたんですよ。

あと、海外の映画祭に出展してるんで、そこから流出したのかもしれないですね。今は普通に商業発売されていますけど。DVDになって。ただ、その当時は存在しないものだったんですけど、そこにあったんです。だからすごいビデオ屋さんで。だからお客さんもみんな、映画監督とかそういうプロばっかり。で、この番組で僕が紹介した『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』という映画があって。その監督のショーン・プライス・ウィリアムズにインタビューしたら「俺、キムズビデオで働いてたよ」っつってましたよ。

『ロボット・ドリームズ』の監督もたしか、ちょっと働いていたんですよ。バイトしてて。というのは、そこで働けば好きな映画でいくらでも見れるから。だから『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』みたいな……あれもね、映画が見たいからレンタルビデオ屋で働く映画オタク男の子の話で。あの子が行きたがってたのはニューヨーク大学なんですよ。全部つながってくるんですけど。でね、いろんなバンドのミュージシャンとかも働いていてね。ノイズミュージックでね、ブラック・ダイスっていうバンドがあるんですけど。彼らも働いてたりね。あとストロークスっていうパンクバンドがあるんですけど、そこのギターの人も働いていたり。パンクミュージシャンとかもいっぱい出入りしてたんですよ。どうしてかっていうと、いろんなバンドのライブビデオが置いてあったんですよ。

ライブビデオも豊富に置いてある

(町山智浩)そのライブビデオはみんなね、ジャケとかがコピーで作ってあるやつ。あってはならないものなんですよ。すごいっぱい……だから日本のパンクバンドともいっぱいありましたよ。まあ、そういうところでね。僕にとっては天国みたいなところだったんですけど。で、それに憧れた人がこのドキュメンタリーを作りました。彼は若くて、田舎の出身だったんでそのニューヨークにキムズビデオっていうすごいところがあるらしいと憧れてニューヨークに来てみたら、とっくの昔にもうなくなっていたんですよ。どうしてかっていうと、まあ著作権侵害をしているわけですよね。この店はね。で、FBIの手入れを食らいまして、逮捕者まで出て。で、やっぱり店を潰さなきゃならないということになって。

これ、もともとビデオ屋さんを始めたのはキムさんという韓国系の人が始めていて。彼自身がランドリーかなんか、やってたのかな? そこにビデオを置き始めたことから始まったんですよ。彼自身も映画作家だったんですよ。アマチュアの。キムさんも。だからどうしても、これだけの5万5000本ものコレクションを残したいっていうことで「誰か、保存してくれないか? 非常に貴重なものもあるぞ」ってやったら、それがなんとはるか遠く、イタリアのシチリア島の人口1万人しかいないサレーミというちっちゃな町が「引き取る」って言ったんですよ。

「町おこしをしたい」っていうことで引き取るというニュースだけが流れて。それでその後、どうなったかはわからないんですね。で、このキムズビデオに憧れた監督がね、「一体どうなったんだ?」ってことを探すというドキュメンタリーなんですよ。これ。で、どこに行ったのか?っていうことでまずキムさんに会いに韓国に行ったりね。彼、韓国に住んでたんで。あと、そのシチリアのサレーミという町にも行くんですよ。で、どこにそのキムズビデオがあるの?って探すんですけど……まあそういうね、「この映画、どこに行くの?」っていうのが全然わからなくて。行く方向がわからない。

最初は普通に、さっき言ったみたいにキムズビデオがいかにニューヨークとかアメリカのカルチャーにとって大事だったかということを前、そこで働いていた店員さんとかにインタビューしたり、映画評論家にインタビューしたりして検証していくっていう内容が前半なんですけれども。後半はキムズビデオの5万本はどこに行った?っていう探偵物みたいになっていって。これが面白いんですけど。で、その真相はあっと驚く、イタリアの国政とも絡む政治的陰謀で。背景にそういったものがあったんですね。ビデオなんですけど。

で、これね、この監督はドキュメンタリー作家ではあるんですけど、映画オタクだから。なんかいろんなことがあると「ああ、あの映画みたいだな。これ、なんかあの映画みたいだ!」とかずっと言ってるんですけど。最初、シチリアって聞いて「おお、すげえ。『ゴッドファーザー』じゃん! マフィアの本場だよね!」とかって言ってるんですけど……本当にマフィアが絡んでたんですね。

キムズビデオにシチリアのマフィアが絡む

(町山智浩)これ、ドキュメンタリーなんですよ。本当にあった話ですからね。これ、面白いですよ。どこに話が行くのか、全然わかんないんですよ。作っている方もわかってないからね。どうなっていくのか。でもこれ、映画としてちゃんと見事に収まります。素晴らしいです。

やっぱり物が大量にあるいうのは……もうテープとかDVDとか物質があることは何にも代えがたいことなんですけども。ただ、もう今はどんどんそれがなくなっていって。今、作ってるのってソニーぐらいじゃないですか。世界で。で、すべて電子的データになってしまっていて。映画本体ももうデジタルで作っているものが多いんで、物質としての映画は存在しなくなってるんですよ。今。フィルムで撮っているもの以外。電気的な信号でしかないんですよ。

で、ハードディスクとかに入ってない場合は……まあハードディスクに入っていてもそうですけども。まあ、消滅しますよ。何かがあったら。天変地異とかね、わからないんですけどね要するにもう物質としての映画は存在しないんで。だからこれはすごく、その物質としての映画っていうものを持てた時代っていうのがあって。それが1980年代から2020年ぐらいまでの非常に非常に短い、40年間だけ映画好きな人が物質としての映画を所有できた時代だったんですよ。

これはね、音楽もそうなりつつありありますね。本もそうです。本も本という物質はおそらくなくなっていきますよ。本は粘っている方ですけど……本なんて古代ギリシャからずっとあるんですよ。それが今、なくなりつつあるんです。

すごい時代ですよ。昔はそれがあったから……たとえばCDとかを出すと、人々がそれを買ったお金がちゃんとミューシャンとかに入ったけど。今はそれ、ないから。もうコンサート以外でお金を集める方法がミュージシャンもなくなっちゃってね。もう本当に大変で。もともと俺、音楽雑誌で働き始めて映画評論家になったんですけど。雑誌も音楽も映画も消えつつあるってどうしたらいいの?って思いますよ(笑)。俺の生きてるうちにその3つとも文化が滅びつつあるって、どうしようかと思いますけど。本当にね。まあ、そういう意味でいろいろバカバカしい映画なんですけど。ちょっとホロッとね、泣いちゃいましたね。

映画『キムズビデオ』予告編

アメリカ流れ者『キムズビデオ』

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