高田文夫『ビートたけしのオールナイトニッポン』を最初に評価した小林信彦のすごさを語る

高田文夫 谷村新司に対抗してビートたけしのオールナイトニッポンを始めた話 ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2026年10月26日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の中で小林信彦さんを追悼。当時、『ビートたけしのオールナイトニッポン』のすごさを誰も誰も評価できなかったところで小林信彦さんがコラムで絶賛し、3ヶ月の予定だった番組が10年続くことになった件について話していました。

(高田文夫)それで小林信彦さんも93だよ。だからさ、倉本聰さんが亡くなって。92で。それで小林信彦さんも93だろ? 結局、生き残った人が勝ちなんだけどさ。結局ね、山田洋次と野末陳平なんだよ。生きてるのは。これがしぶといんだよ(笑)。山田監督なんてまだ映画を作るって言ってるんだからね。94で。ねえ。

(松本明子)そうですよね。

(高田文夫)で、陳平さんも「高田くん、そろそろどうかな? ロック座」って言ってるんだから。まだ。なんでロック座に行くんだよ? ストリップに行きたがるんだよ?(笑)。「そろそろ、いいんじゃないか、高田くん?」って(笑)。

(松本明子)「そろそろどうかな?」って(笑)。

(高田文夫)もう元気なんだよ。生きてる人は勝ちだよ。

(松本明子)本当、お元気ですよね。

(高田文夫)素晴らしい。小林信彦さんもね、いろいろ純文学も書いたし。いろんなものを書いたんだけどやっぱり僕らが刺激されたのは喜劇人の話をいっぱい……『日本の喜劇人』とか『世界の喜劇人』っていうのをもうバイブルみたいにしてみんな読んだんだけど。僕ら。だからクレイジーとかね、渥美清の話はこの人の専売特許でさ。いろいろ書いていたんだけど。

いろんなことがあって。ここの局もいい加減だからさ、ビートたけしのオールナイトニッポンをやりたいって言った時にさ、裏でさ、「高田さん。その代わりね」って。ちょっと怖がるわけよ。たけしさんのことを。危険だからね。「その代わりね、一応、春から当てはあるから。1、2、3月と3ヶ月だけ、たけしさんのオールナイトを作ってやってくんない?」って言うの。それで「ああ、いいですよ、3ヶ月」って。じゃあ、それだけ。「好きなだけことやって逃げちゃおう」なんて。それでたけしさんにも話してさ。「じゃあ高田さん、好きなことだけ言ってさ、逃げちゃえばいいな」なんて。

それで1月、2月、3月と。こっちも3月だけだと思うから。1981年。で、誰も評価できないんだよね。面白すぎて、わけわかんなくて。あんな、たけしさんみたいな人が現れるなんて、世間は予想もしてなかった。なにしろ、深夜放送に革命が起きてるわけだよ。それで俺が笑ってるしさ。ライブなんだからさ。ライブを聞かせちゃってるわけだろ。それでもう誰も評価できない時。

で、俺ももう2月も終わりだから。「ああ、これで3月で終わるんだな」と思っていたの。そしたらニッポン放送の上の方もさ、「長いこと、ありがとう。いろいろとね」なんて言っていて。反響がないんだよ、なかなか。そうしたら小林信彦さんがさ、夕刊フジに連載を持ってたんだよ。毎日毎日芸能のコラムを書いていて。そこの中でさ、「皆さん、早く聞いておかないと終わっちゃうらしい。ビートたけしというとんでもない芸人が現れてね、夜中に笑いの大革命が起きている。私も笑いを全部書いてきたけど、とんでもない笑いだ。これは文化、日本が変わる。今、聞いておかないと。今、2月終わりだけど3月いっぱいで終わっちゃいますから。早く皆さん、聞いておいてください」って書いてくれたの。

(松本明子)へー!

マスコミがはじめてビートたけしを取り上げた瞬間

(高田文夫)マスコミが初めて、ビートたけしを取り上げた瞬間なのよ。そしたら俺もさ、「おお、やっと小林さんも分かってくれたな」みたいな。俺もさ、「ああ、やっと分かってくれたか。だけど俺、もう終わるからいいよ。逃げちゃうよ」なんて言ってさ。「信彦も分かってきたな」なんて、言ってたんだよ。そうしたらもう手のひら返してニッポン放送が……ああいうやつ、上の方にいっぱいいるだろ? ダーッと来てさ、真顔でちょっと難しい顔をして。「高田さん、例のたけしさんだけど……ちょっと伸ばせるかな?」って(笑)。「ちょっと伸ばせるかな? 高田さん 大丈夫かな? たけしさんは」「えっ、なんで?」「いや、まあちょっとね、うん……」なんて。ほら、権威に弱いから。ニッポン放送は。昔から権威に弱い。ちょっと偉い人が褒めるとコロッとなびくから。そういう体質を持ってるだろう。イシダを筆頭にさ(笑)。

(松本明子)いやいやいや(笑)。

(高田文夫)それでコロッとの世論が変わったからさ。あんな偉い人が褒めたから。「3月」って言っていたのをコロッと変わって次の週。「ちょっと伸ばしてくれます?」なんて。気がついたら10年だよ。3月のはずが。

(松本明子)それぐらい影響力があったんですね。

(高田文夫)だから、俺とたけしはそれで生き延びたんだよ。だからあれであのまま書いてくれなかったら、ニッポン放送ってほら。「いい時だけのニッポン放送」って言うから。もう3月で終わってるんだよ。本当の話。そうしたら、そうやって書いたらブワーッて世の中がひっくり返って。「大変なことが起きてるらしい。木曜の深夜に」って。そしたらみんな、ブワーッて聞きだしてさ。それで10年、そのままやったのよ。だからそういう意味では恩義はね、俺は本当に感じてるのよ。そういうことがあるね。今回、亡くなってね。特にそう思う。

その人が褒めなかったらたけしさんは今日、ないし。俺も今日はないから。日本の文化って変わっていたよね。こんな風になってないよ。やっぱりそれは先見の明っていうかさ、やっぱり見巧者っていうかね。やっぱりいろんなことを知ってる人だなと思って。それで影響を与えたからね。日本の文化に。

(松本明子)そういう影響を与えたんですね。

(高田文夫)ニッポン放送、意見が180度、変わったんだから。その1行、2行で。コロッと変わっちゃった。

(松本明子)小林さんのコラムで。

(高田文夫)それで変わったんだから。で、「続けましょう」ってことになって。で、ダラダラダラダラ、10年やっちゃったよ。

(松本明子)10年。もうすごい革命が起きたという。

高田文夫 谷村新司に対抗してビートたけしのオールナイトニッポンを始めた話
高田文夫さんが2023年10月19日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演。ビートたけしさんとオールナイトニッポンを始めたきっかけを話す中で「谷村新司に負けたくなかった」と話していました。

小林信彦さんがいなかったら今のビートたけしさんも高田文夫先生もいなかったというお話、本当に素晴らしいですよね。小林信彦さんにビッグリスペクト!

高田文夫のラジオビバリー昼ズ 2026年10月26日

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