町山智浩さんが2025年9月2日放送のTBSラジオ『こねくと』の中でインド映画『アハーン』について話していました。
※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。
(町山智浩)今日はですね、今週5日(金)に公開されるインド映画『アハーン』を紹介します。
(曲が流れる)
(町山智浩)この非常にほのぼのとした歌が主題歌なんですけどね。アハーンくんについて歌っているんですけど。「アハーン」っていうと、なんかね……(笑)。「なんだ、これ?」って思いますけども。『アハーン』っていうタイトルでどんな映画なんだ?って思うんですけど、これは人の名前なんですよ。アハーンくんというね、25歳の青年が主人公なんですけど。このインド映画。彼はダウン症なんですね。で、もう1人、主人公がいまして。それはおじさんなんですけど「オジー」っていうんですよ。「オジーさん」って言われていてややこしいんですが、中年のおじさんです。この人はね、ものすごい几帳面な男なんですよ。で、どのくらい几帳面か?って言うとね、ご飯を食べる時にたとえばパンに塗る四角いバターがあるじゃないですか。あの四角いバターがきっちり水平じゃないと嫌なの。水平っていうか、まっすぐじゃないと嫌なの。斜めだと嫌なの。だからいちいち、直しているの。もう『おれは直角』みたいな人なんですけど。
で、この2人の友情の話なんですよ。ああ、これ、コメディです! このね、アハーンくんは結構いい家の子なんですけれども。ムンバイに住んでるんですね。ムンバイといえばもうハイテク大都会ですけど。そこで結構高級なマンションに住んでいて、お父さんとお母さんにはかわいがられてるんですけども。お母さんがブラウニーっていうチョコレート菓子、あるじゃないですか。あれを自分で作って、近所の人たちに配達してるんですけど。その配達係をやっているのがこのアハーンくんなんですね。
で、オジーさんはですね、近くのもう超々高級な、何億円もするようなところに住んでいて。この人ね、株のトレーダーをやってるんですけど。インドは今、経済がすごいですからね。もう日本を抜きましたね。GDPでね。世界第4位の経済大国なんで、まあめちゃくちゃ金があるんですが。このオジーさんは。でももう奥さんがね、嫌になっちゃっているんですよ。だって、めちゃくちゃ細かいんだもん。だって、コショウとか塩の位置まできっちり置かないとダメな人だからウルトラ面倒くさいんですよ。もう「1人でやってくれ」っていう感じで。あとね、ホコリをチェックしたりするんですよ。
で、「ふざけんじゃねえ」って思うんですけども。そこにね、アハーンくんがお母さんが作ったチョコレートケーキを届けに来るんですよ。そうするとその奥さんは……奥さん、優しい人なんでね、「家に上がりなよ。ビリヤニ、作ったんだけど食べる?」とか言ってくれるんですよ。この奥さんね、めちゃくちゃ料理がうまいんですよ。で、ビリヤニって炊き込みご飯でね、鶏肉とかと一緒に炊いてめちゃくちゃ美味しいんですけど。で、それを食べさせようとするとまたそのオジーが「なんだ! こんなやつを家に上げるんじゃねえ!」って言うんですよ。
で、このアハーンくんがちょっとこぼしたりすると「ほら、こぼした!」っつって。で、「こんなやつを家に上げるからだ!」って言ってると奥さんが「もう、わかった。私はもうあんたとやっていけないわ」っつって家を出ちゃうんですよ。で、そこから始まるんですけど。やっぱりね、このオジーさんは奥さんの手料理が食べたいんですよ。それとね、この人ね、実はこの部屋から出れないんですよ。彼、潔癖症なんで。まあインド、世界で4番目の経済大国としてもやっぱり下に降りるとまあ、ゴミがあったりね。すごい格差社会で。裸足の人たちがね、本当に物乞いをして暮らしているようなところなんで、そこに彼は降りられないんですよ。
だから彼、引きこもりになっちゃっているんですね。ところが、このえアハーンくんはすごく性格がいいんで、この奥さんとも仲良しなんで、奥さんからご飯を少しずつ分けてもらっていることをオジーさん、知るんですね。で、「こいつをなんとかましてカミさんの手料理を少しずつ横取りしてやろう」ってするんですよ。で、本当は話したくなかったのにこのアハーンくんと一緒に話したり、奥さんのところに行かせたりするようになるという話なんですけども。
この映画ね、このアハーンくんを演じている人は本当にダウン症の人なんですね。で、本当のダウン症の人が実際の映画に出て演技をしている映画っていうのは結構、世界的にはあるんですよ。ハリウッド映画でもあります。でも日本ではないね。あるのかな? だから結構ね、セリフを覚えたりするのはかなり大変みたいなんですけど感情の演技は素晴らしいです、これ。これはアブリ・ママジさんというダウン症の青年が演じていて、これで俳優デビューなんですけども。この映画ね、ただインドでこの映画を企画したんだけどやっぱりね、お金が出なかったみたいなんですよ。
これ、監督はね、ニキル・ペールワーニーという人なんですけれども。まあダウン症の人についての映画を作りたいと思ってお金を集めたんですけど、集まらなくて。やっぱり企画書を見てインドの人が……インドってものすごく映画を作ってますけど。しかも日本の普通の映画の制作費の10倍とか20倍とかかけて作ってますけど。やっぱり「これ、ダンスないよね?」って言ったと思うんですよね(笑)。「ダンス、ないじゃん」みたいなね。あと「脚本を読んだけど車、爆発しないね、これ?」とかね(笑)。
ねえ。「筋肉モリモリの男たちがバトルとかしないじゃん、これ?」みたいなね。だからお金、出なかったみたいなんですよ。だから本当に自費で作った自主制作映画ということですね。ただやっぱりね、すごく画面もきれいだし、俳優さんたちは本当にもうまい人ばっかり使ってるんで本当に立派な映画になってますけどもね。ただ6年、かかっちゃったみたいですね。作るのに。でね、これね、面白いのはこの映画は日本で配給する人もね、自主配給なんですよ。これ、配給会社を持ってないんです。
一応、この映画のために配給会社を作った形になってますけど。これ、秋元さんという人がいて、この人は出版社の人なんですよ。で、その出版社もほとんど1人でやっているんですけど。生活の医療社というね、医療……だから病気とかを抱えた人たちの生活についての本を何冊か出してるんですけど。医療そのものじゃなくてね。で、この人がたまたま飛行機に乗っていた時に飛行機の映画でこの『アハーン』を見て。で、非常に感動して泣いちゃって。で、「なんとかこれを日本で見れないのかな?」っていうことで1人で……もう配給に関しては何にも経験がないんですけど。かけずり回って。で、『キムズビデオ』の配給もたしかそんなもんなんですよ。
『キムズビデオ』の人はでも配給の経験があってやったんですけれども。その『キムズビデオ』の人に相談して。で、この『アハーン』を秋元さんがインドから日本に配給することになったんですね。だから本当に自主制作映画を自主配給するという形なんですけどもね。でもね、映画としては非常に立派な映画でした。本当によくできた映画で、めちゃくちゃおかしいし。このオジーさんも最初、「なんだ、この野郎?」って思うんですけど。だんだん、ちょっといい感じになっていくんですよ。見ていると。
このオジーさんにも問題があるんですよ。オジーさんが潔癖症であることの理由って、詳しく描かれてはないんですけどおそらくは親から差別を教えられたからです。っていうのは彼が何を怖がっているか?っていうと、それは貧しい人たちと接触することなんですよ。つまりインドは車で下に降りるとね、車道に物乞いの人が来たり、物を売りに来る人たちがいますよね。貧しい子供たちが。その子たちに触ることがもう本当に嫌なんですよ。オジーさんは。
で、そういう風になったっていうのはまあ、親が教えたんでしょうね。「バイキンがつくよ」って。だからそれは実は差別なんですよ。で、彼がそのアハーンくんみたいなダウン症の子をすごく怖がるっていうか、遠ざけていたのも同じことですよね。差別ってその「穢れ」の意識から出るんですよ。だから「一緒のプールに入りたくない」とかね、「一緒のコミュニティーと生活したくない」とか。「中東系の人とかと一緒に生活したくない」みたいなことで今、大問題になっているじゃないですか。それはみんな、同じですよ。
やっぱりそれは誰かが言うからですよ。言わなきゃそうならないんですよ。誰かが教えたんですよ、差別を。アハーンくんはいいところの子なんですけども。彼は貧しい人とか、そういう人たちに全く距離感がないんですよ。それはダウン症だからっていうことなんじゃないと思うんですね。それを見てオジーさんは「あれ? 俺は自分がお金持ちでエリートだと思ってたけども、俺とこのアハーンくん、どっちが人として正しいのか?」っていうことに気がついてくるんですよ。
「アハーンくんは人をなんにも差別しない」っていう話なんですよ、これ。これ、今見るべき映画だと思います。でもね、厳しいこともちょっとあって。アハーンくんは何がしたいか?っていうと、彼は社会の中で人と触れ合いながら働きたいんですよね。ところが近所にチョコレートケーキを配りに行く仕事しか親はやらせないんですよ。それはお父さんの方がちょっと差別的な人で。差別的っていうか、お父さんは結構成功したビジネスマンなんですけど、自分の子供がダウン症だと思われたくないから自分の息子を外に出したくないんですよ。
で、お父さんは彼をそういう知的障害とか障害のある人たちが働く施設に連れていくんですけども、そこはそういう人しかいないんですよ。だから彼、働くのが嫌なんじゃなくてアハーンくんは人と触れ合いたいんですよ。だからオジーさんと逆なんですよ。社会の中で生きたいんですよ。アハーンくんは人間関係の中で生きたいんですよ。だから「そういうところで働くよりは、普通に働きたいんだ!」って言うんですけど。
で、お母さんがそうさせたくないのは彼が「普通に働いて普通に恋して結婚したい」って言ってるけども、その夢っていうのが本当にかなうかどうか、わからないからです。それは傷つく可能性があるから。もし、彼の夢が打ち砕かれた時に。だからそれだったら囲い込んで、人と会わせないし、女の人を好きになったりもしないようにしたいんですね。だからそれは親心なんですけれども……この映画はそこもちょっちょっと描いていて。彼は社会に踏み出していくだろうけど、おそらく何度も挫折するでしょうね。女の人を好きになっても、相手にされなかったりね。他の人からバカにされたりするだろうと思うんですけども……おそらく、このアハーンくんはそれでも、何度もくじけても、何度も倒れながらもたぶんこの人は戦っていくだろうなと思わせるんですよ。
(『ロッキー』のテーマがBGMとしてかかる)
(町山智浩)これ、アハーンくんの部屋の壁には『ロッキー』のポスターが貼ってあるんですよ。何の説明もないんですけども、彼は『ロッキー』が大好きなんですよ。で、彼はやっぱりちょっと傷つけられて苦しい時もあって。その時、泣く時は必ず隠れて泣くんですよ。で、子供扱いされると「ふざけんな!」ってなって。しっかりとプライドがあるんですよ。その辺がすごいちゃんと描かれてるんですよね。で、僕は本当に『ロッキー』っていう映画が素晴らしいなと思うのはね、『ロッキー・ザ・ファイナル』という作品でロッキーがこう言うんですよ。「ボクシングとか俺がやっていることっていうのは戦って敵を倒すものだと思ってるだろうが、そうじゃないんだ。そんなのは全くどうでもいいことなんだ。敵を倒すということは。何度殴られても、倒れても、また立ち上がって一歩でもいいから前に進む。それが一番大事なんだ!」ってロッキーが言うんですよ。
「それが人生の本質なんだ」って。それをアハーンくんは知ってるから、どんなに頭のいい人とか金持ちよりも、それを知ってる人が一番なんですよ。ということで『アハーン』、公開ですのでぜひご覧ください。