町山智浩『非常戒厳前夜』を語る

町山智浩 クインシー・ジョーンズと楳図かずおを追悼する こねくと

町山智浩さんが2025年8月26日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で韓国映画『非常戒厳前夜』について話していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)はい。今日、紹介する映画はコメディじゃないです。タイトルが『非常戒厳前夜』という、漢字がずらっと並んで、全然コメディ色がないんですが。これ、来週9月6日土曜日から公開されるドキュメンタリー映画なんですけども。これ、去年の12月にね、僕が韓国に旅行に行った後すぐに韓国でクーデターがあったでしょう? ユン大統領というその時の大統領が軍隊を使って戒厳令を敷いて、民主主義を停止して議会を潰そうとしたという事件があったんですけども。それが非常戒厳なんですね。それの前夜というタイトルで、そこに至るまでの話なんですけども。ドキュメンタリーで。

これは1つの小さなネットニュースをやってる会社が大統領と激しい戦いをした記録です。で、その戦いをした当人が監督をして、その当人が主役として出ているというすごい映画なんですけど。ネットニュースの記者たちがずっと、戦っている間に撮ってたビデオをまとめて映画にしたものですね。これが『非常戒厳前夜』という映画で。これ、主役となるのは「ニュース打破」という小さなネットメディアなんですよ。

ユン・ソンニョル大統領の戒厳令布告

(町山智浩)ただ、そこに至るまでにまず、去年の12月に一体どんなことがあったのかという話をちょっとした方がいいんで簡単に話をしますと……12月3日にですね、韓国のユン・ソンニョル大統領は突然、戒厳令を布告しまして。軍隊を首都ソウルに出して、議会に突入させようとしたんですね。その時、どうしたかというと、議会側はちゃんと評決をすればこの戒厳令を無効にすることができたんですよ。だからそれをさせまいと軍隊をそこに派遣するという形になったんです。どうしてユン大統領がそんなことをしなきゃならなかったかというと、この大統領が全く支持率がなくなっちゃって。もうボロボロになっちゃいまして。支持率が17%まで落ちるんですよ。

で、しかも議会では彼の党である与党ですね。国民の力党がその前の4月の選挙で大負けしまして、野党の民主党の方が圧倒的な多数派になっちゃうんです。で、議会も全然言うことを聞いてくれないという状態になるんですね。で、そこに出てきたのがあの奥さんですよ。ユン大統領の奥さんって日本ですごい人気あったでしょう? 「奇跡の50代」と言われた人ですよ。

これ、キム・ゴンヒさん、お年の割に美しいっていうことで。「その秘密は何?」みたいな感じでそういうのに興味がある美容系のメディアではすごい人気だったんですよ。日本でも人気だったんですけど。で、この大統領夫人が統一教会から多額の賄賂を受け取っていたんですね。何百万円もするダイヤモンドとかバッグとかをね。で、それでこの間、逮捕されました。今月ですけどね。

で、統一教会自体が韓国でもしかしたら完全に潰されるかもしれないという事態になるぐらいの大事件なんですけども。そういうことがいろいろあって、まあこのユン大統領はどうしようもなくなっちゃったんですね。で、軍隊を使って動かして、完全に独裁政権を打ち立てようとしたんですね。で、それは韓国は昔、すでにやってますんで。

映画でね、『ソウルの春』っていう映画をご紹介しましたけれども。1980年代にね、チョン・ドファン大統領が軍事クーデターを起こして無理やり政権を取って大統領になって。チョン・ドファンという人は軍隊の方では下の方の格だったんですけど、全部ぶっ飛ばしていきなり大統領になっちゃったという事件がありましたんで、もう1回それをやろうみたいな感じになったんですね。ところがそれに対して「もう二度とそんなことをやらせるか」ということで野党の議員の人たちが議会に入って、軍隊と戦いながら決議を行ってこの戒厳令を無効としたんですよ。

で、その際にね、ユン大統領がいろんなでたらめなデマを飛ばして。「野党の人たちは北朝鮮のスパイだ」とかね、「4月の選挙で負けたのは選挙の投票が操作されていたんだ」って言ったりね。根拠なく。これ、明らかにトランプさんの真似なんですよ。やり口が全く同じで。トランプが2021年の1月に選挙で負けた後、それを否定して支持者たちを議会に突入させたから。それと同じようなことをやればいいということで真似をしたんですけど。

ブラジルでもボルソナーロさんが真似しましたね。だから1人が悪いことをすると、みんなが真似をするんですよ。これ、困ったもので。これ、トランプがそれを成功させちゃったから。それで再選されて議会を襲撃した人たちを恩赦にしたりしているんで。「だったら俺もいけるんじゃないか?」ってみんな思うから、真似するやつらがゾロゾロと出てくるので非常に危険なんですが。で、それがこの間のクーデター事件なんですけども。それでユン大統領は最終的には弾劾されて、大統領を辞めさせられて。それで今、クーデターをやろうとしたってことで逮捕されて、裁判にかけられる状態なんですが。それまでに何があったのか?っていうことを描くのがこの映画なんですよ。

2019年から続いていた戦い

(町山智浩)これ、実は2019年からずっと戦いが続いていてユンさんはその時はまだ、大統領じゃないんですよ。当時、彼は韓国の検事総長だったんですよ。その頃から、このニュース打破というメディアが戦っていたんですよ。これね、ニュース打破って韓国だと「タパ」っていう風に言うんですけども。この会社は面白いんですけど。ネットニュースの会社なんですけど、やっている人たちはもともと韓国の本当に一番古いテレビ局のKBSという公共放送……NHKみたいなものがありまして。そこの記者だったりとか、いわゆるオールドメディアって言われているところのベテラン記者たちなんですようん。その人たちがネットメディアをやることになったのはどうしてか?っていうと、これもまたちょっと古い話なんですけども。

パク・クネさんっていう大統領がいましたね。彼女とその次のイ・ミョンバクさんという大統領と2人でテレビ局に対してものすごい圧力をかけて。政府批判をしないように、その経営陣とかを全部、政府系の人に入れ替えちゃうってういことをやったんですよ。これ、日本でも安倍晋三総理がNHKに対してやったのと同じ手なんですが。で、ちゃんとした政府批判ができなくなったので、そこを辞めた人たちが集まって作ったのがこのニュース打破というネットメディアなんですね。

だからオールドメディアじゃないんだけど、さらになんというか古いベテランの記者魂のある人たちがやってるんですよ。テレビが自由じゃなくなっちゃったからネット逃げたんですけど。だから僕より年上なんですね。で、どういう風にこのメディアを運営しているかというと、コマーシャルとかがあるとやっぱり企業の言いなりになっちゃうから、ニュース打破は寄付だけで成り立っていて。会員がね、4万人とかいて、その人たちがお金を出してで運営するという……まあ、ちっちゃい会社ですよ。今では6万人ぐらい、支援者がいるみたいなんですけども。

で、どういうことをやっていたか?っていうと、そのユン・ソンニョルっていう人がもともと検事だったんですけど。汚職事件の時に大企業からいろいろ圧力をかけられて。そこに彼が忖度をしてちゃんと捜査をしなかったっていう証拠となる、その圧力をかけた大企業の人のインタビューテープをニュース打破が手に入れたんですよ。で、それをネットで配信したら「それは嘘である」って……ちゃんとしたテープなのにね。録音なのに。「それは作り物だ」っていう風に検察の方から圧力をかけられて。それで大変な事態になったんですが、それは普通の状態じゃなかったんです。っていうのはこのスクープがあった時、このユン・ソンニョルさんは検事総長から大統領選に立候補していたんですよ。

これ、大スクープなんですよ。でも「それは選挙妨害になる」という考え方があるんですよ。これ、日本だと決定的に絶対、しないです。日本って選挙中に候補者についての報道をしない国なので。これ、本当は別にしていいんですよ? 何もそんな決まりはないんで。それはね、2000年代に入ってからっていうか、第2次安倍政権からしなくなったんですね。圧力がかかって。高市早苗さんって人がそういった報道に関して「政府はそういった報道をしたテレビとかは電波を停波する。潰す」っていうはっきりとした言葉が出たんで、みんなビビっちゃって、やらなくなっちゃったんですよ。

だからこれも同じような形で圧力をかけられて、その検察から「名誉侵害・名誉毀損である」ということで検察が彼らを追及し始めるんですね。ニュース打破を。この辺はね、全部すごい生々しい映像が出てくるんですけど。たとえば検察にこうやって追及されていく中で、議会とかでも話題になって。このニュース打破に対して「あいつらは売国奴だ」とか。「死刑にしてもいい」っていう意見まで出て。

で、すごい圧力をかけられていって。これ、編集長がいるんですけども。この人とかの自宅に検察が家宅捜索を入れるんですよ。これ、「韓国でそういうことがあったんだ」っていう風に思うかもしれませんが、これは今、アメリカでも起こっていることです。アメリカで先週、ジョン・ボルトンさんという外交官がいて。彼、ずっとトランプ政権の閣僚だった人なんですけど。その人の家をトランプ政権のFBIが家宅捜索しました。その理由は「機密書類を自宅に持っている」という容疑だったんですよ。

で、それが出てきたかどうかはまだ、わからないんですけど。このジョン・ボルトンさんっていう人は国際安全保障の専門家で、右翼なんですけど。つまり、だから「ロシアに対して絶対に妥協をしてはいけない」っていう人だったんですよ。で、「同盟国の日本とか韓国とかNATOと仲良くしながら、中国とかロシアをと戦っていこう」っていう考えのものすごい右翼の人だったんで。トランプさんがプーチンさんとか北朝鮮とかと仲良くして、日本とか韓国とかヨーロッパとか、同盟国に対して関税をかけるっていう風に圧力をかけていることをものすごく批判したんです。ボルトンさんは。「それはおかしいだろう? 敵と仲良くして、なんで仲間に圧力をかけるんだよ?」っていう風に激しく批判していたんで、トランプはその前から「あのボルトンをなんとかやってやる」と言っていて。で、FBIを使って家宅捜索をしたんですね。

これはだから司法の武器化・私物化なんですよ。私兵化ですね。これをやられたんですよ。どうしてか?っていうとこれ、ユン・ソンニョルさんはスクープをされにもかかわらず、2022年の大統領選で勝っちゃうんですよ。で、大統領になったから。もう最強だから
「じゃあニュース打破を潰すぜ」っていうことで、検察を使ってやったんですよ。

ユン・ソンニョルが大統領に当選した理由

(町山智浩)じゃあなんで、このユンさんが大統領に当選したのか? ユン・ソンニョルさんが当選したのは反フェミニズムを打ち出したからなんです。「女性の権利があまりにも拡大されすぎている」という主張をして。「女性権利省を廃止する」っていう風に言ったんです。韓国ではフェミニズムにものすごく怒りを持っている「イデナム」という人たちがいるんですね。イデナムというのは日本だと「非モテ」ですね。「弱者男性」。

で、その人たちがこのユン・ソンニョル大統領を圧倒的に支持して、大量のYouTube動画を作ったんです。これ、ブラジルもそうでした。ブラジルもそうだし、アメリカもトランプ政権が成立したのはそういった人たちがいたからなんですよ。で、フェイクニュースが大量にばらまかれるという状況でユン・ソンニョルさんは大統領選に勝つんですね。で、大統領としての権力を使ってこのニュース打破を徹底的に攻撃していくんですよ。

で、もうこの辺がね、生々しい映像で……これ、もう何をやってもムダなんですよ。検察もその政府も全部、潰しにかかってくるから。そこでもうとうとう雨の中、記者の1人が泣き崩れて。雨の中で「もうダメなんだ!」って泣くっていうシーンがあるんですけど。「もうこれ、勝てない!」っていうね。これを撮ってる時は「たぶんこのまま、なくなるだろう」と思いながら撮っていたと思いますよ。

で、そこで戦っているうちに実はそれと並行してユン・ソンニョルさんは支持率が落ちていったんで、彼は軍隊とつるんでクーデターを起こす計画をしていくんですね。というね、結構これはサスペンスがすごい映画なんですけど。この監督はキム・ヨンジンさんという人で、彼はこのニュース打破のデスク、編集長でもあるんですね。で、僕より1つ上の方なんですけども、絶対に負けないんですよ。この人が。本当に命の危険を感じた瞬間もあったと思います。特にそのクーデターが起こって軍隊が出てきた時、軍隊がそのままソウルとかを制圧した場合、彼らは非国民として拘束されたり、射殺されたりする可能性があったわけですよね。

だから命懸けでやっていくんですけど。ここですごく良かったのは今回のクーデター、民衆が兵士の前に立ち向かったのもあったんですけれども……兵隊さんたちが現場に実弾を持ってこなかったんですよ。「命令されたから大統領の軍事政権に従わなきゃいけないんだけど俺、国民を撃ちたくないからな……」っていうことで、弾を配らなかったんですね。だからやる気がなかったんですよ。

これね、この監督であり、このニュース打破の編集長のキム・ヨンジンさんがこの映画の中を言ってるんですけど。「皆さん、『ソウルの春』という映画を見てますか? あれは、負けました。でも、だから我々韓国の民衆はもっと『権力に勝つ』という経験をしていかなきゃいけないんですよ。それを重ねていかなきゃいけないんですよ」って言うんですよ。もちろん軍事政権はその後、1回倒れますけどね。「だから今回は絶対、それに負けないよ」っていうことでやるんですけども。これね、主題歌がなんあるんですよ。これ、ちょっと聞いていただきたいんですが。

これ、『美しき山河』という歌で、70年代歌謡ロックですね。これが主題歌としてこの映画に流れるんですけども。これがすごく重要な歌なんですよ。これがね、すごく重要な歌なんですよ。これは1972年に韓国ロックの父と呼ばれたシン・ジュンヒョンさんが作った歌なんですけども。これね、その当時の軍事独裁政権の独裁者だったパク・チョンヒ大統領から直々に「私をたたえる、賛美する歌を作れ」っていう命令が彼にあったんですよ。これね、すごいことだなと思うんですけどもその当時の韓国のレコードはすべて……アルバム、LPには必ず1曲、愛国歌が入ってるんですよ。

軍事政権だから、それを義務として1曲、入れなきゃいけなかったんですよ。だからどんなロックのアルバムにも入ってますよ。アイドルのにも。そういう時代だったんですよ。ところがこのシン・ジュンヒョンさんが作ったこの歌の歌詞はね、「私はこの国の山が好きだ。海が好きだ。川が好きだ。なぜならば、そこにいる人が好きだから」っていう歌詞なんですよ。これ、どこにもパク・チョンヒ大統領を称える歌詞がないんですよ。

で、パク・チョンヒ大統領は怒り狂って彼の歌を発売禁止にしました。ただ、これでこのシン・ジュンヒョンさんが言いたかったのは「愛国、国を愛することは政府を愛することではない。ましてやその権力者を愛することではなくて、その国の自然とその国の人を、その国の文化を愛すること。それが本当の愛国なんだ」っていう歌なんですよ。だからこの歌はその後、韓国の人たちがプロテストをする時に必ず歌われる歌になっていったんですよ。

で、この間、パク・クネ大統領が汚職をして退陣しましたけど。その時のデモでもこれは歌われてるんですよ。だからこの歌は愛国歌であると同時にプロテストソングなんですよ。これ、作った側としては権力者と戦う歌でもあるわけですよ。で、これが最後に流れてきた時、ちょっと僕は泣きましたけどね。

アメリカも今、こういう状態なんでね。本当にシャレにならないでね。本当に軍隊が出てますからね。トランプさんがワシントンとかロサンゼルスとかシカゴに軍隊を出すっていう。何も起こってないんですよ? そこに要するに反トランプの人たちがいるから。権力を見せつけて、押さえつけるために。こんな状態だからこの映画を見て、本当に僕はちょっと泣いたですよ。ということで『非常戒厳前夜』、9月6日土曜日から公開です。

『非常戒厳前夜』予告

アメリカ流れ者『非常戒厳前夜』

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