映画評論家 町山智浩さんがTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』で宮崎駿監督作品『風立ちぬ』を取り上げてました。
(赤江珠緒)それでは映画評論家 町山智浩さんにさっそくお話を伺いましょう。やっぱり生はいいですなー、山ちゃん。スタジオ、生出演でございます。こんにちは!
(山里亮太)こんにちは!
(町山智浩)よろしくお願いします。町山です。どうも。
(赤江)よろしくお願いします。
(山里)入ってきて早々ですね、『風立ちぬ』のパンフレットを見ながらね・・・
(町山)パンフレットを買えなかった。買い損なった(笑)。
(山里)町山さん、そういうこと、あるんですか(笑)。
(赤江)町山さん、一時帰国の時に帰ってこられて、そこでこの映画もご覧になって・・・
(町山)はいはい。このために帰って来ました。
(山里)えっ!?
(赤江)すごい行動力(笑)。
(町山)いや、僕の友達がみんな大絶賛なんですよ。見ろ!みたいなね。もう、泣いた!っていう話でね。
(赤江)本当ですか?
(町山)特にお前のようなヤツは見ろ!みたいなね。いろいろな話があって。
(赤江)町山さんね、私、見たんです。それでね、町山さん、見てね、正直、ん?っていうところが多くて。でもね、こういう巨匠の作品を分からん!っていうとバカだと思われると思って、黙っておこう・・・っていうぐらい。ちょっと正直、ん!?これ、どうとらえたらいいんだろう?みたいな感じだったんです。感想が。
(町山)そう。評判はあんまりよくないですよ。一般的には。
(山里)そうですね。僕も行っておこうかな?と思ってたんですけど、見に行った仲間内から、いや、あんまりだったから見なくてもいいんじゃない?って言われて、それで見に行ってない派なんですよ。
(町山)一般観客の評判は全然よくないんですよね。
(赤江)いや、すっごい悪いとかでもないけど、ん?みたいな。ん、ん!?っていう。
(町山)だろうなって思いましたよ。まず、クライマックスがないんですよ。はっきりした。
(赤江)そうですよね。
(町山)それで、物語の目的がわからないんですよ。主人公が何に向かっていて、何を解決しなきゃいけないのか?って、一般的な物語には必ずそれがあって、それを解決してみんな終わるわけじゃないですか。それがないから、どう見たらいいのかわからないっていう人、多い。
(赤江)クエスチョンマーク。結構ね、うかぶ感じだったんです。
(町山)そう。あとね、もうひとつはね、まあどういう話かって言いますと、これ、宮崎駿監督がですね、ずっとプラモデル雑誌に連載していたマンガの映画化なんですよ。
(山里)えっ!?あ、そうなんですか?
(町山)そうなんですよ。『モデルグラフィックス』っていうプラモデル雑誌があって、そこにずーっと昔からマンガを連載してるんですよ。で、その映画化なんですが、実際の人物についての映画化でもあるんですね。それで、堀越二郎さんっていう零式戦闘機を設計した人と、全然関係ない、名前だけ一文字だけ同じの堀辰雄さんっていう小説家がいまして、その人が自分の婚約者が結核で若くして死んだっていう実際の体験を書いた小説で『風立ちぬ』っていう小説があるんですね。それをごっちゃにしたもんなんですよ。
(赤江)そうですよね。一緒くたというかね。
(町山)一緒くたにしてて。しかも、その婚約者っていうか(話の)中では結婚してるんですけど、奥さんが死んだっていう話は全然堀越二郎さんの実話とは無関係なんですよ。勝手にこの人の奥さん死んだって話にしちゃってるんですよ。
(赤江)あ、そう・・・だからね、これ、それ知らずに見てると、堀越二郎さんの奥さんってこういう感じだったのかな?なんて・・・
(町山)そう思っちゃう人もいますよね。
(山里)じゃあオリジナルのストーリーなんですか?なにかに基づくっていうよりは・・・
(町山)実際に実在の人物だった堀越二郎さんの実話と、堀辰雄さんの実話を元にした小説をごっちゃにしたんですよ。全然関係ない2人の人物の体験を。1人の人にしちゃってるんですよ。で、これいいのかな?って思ったら、なんか遺族の人は許可だしたらしいですけど(笑)。
(赤江)へー!
(山里)そりゃあ宮崎駿さんが言ってきたらねえ・・・
(町山)(笑)。そう、これは妄想なんですよ!
(山里)あ、宮崎監督の。
宮崎監督の妄想
(町山)宮崎監督の妄想なんです。
(赤江)妄想なんですか。
(町山)妄想なんです。宮崎さんの原作のマンガには、はっきりと『妄想』って書いてあるんです。『これは私の妄想である』ってちゃんと書かれてるんですよ。
(赤江)だからね、映画の中に割と夢が出てくる。ねえ、夢のシーン、多いですよね。
(町山)はい。これは主人公の堀越二郎さんが、なにかを見る度に自分の飛行機のいろんな設計のアイデアと結びつけて妄想するんですよ。で、次々と想像して、ハッ!と現実に戻るっていうのを繰り返すんですね。だから、これなんて言うか昔の映画でですね、『虹をつかむ男』っていうアメリカの映画がありまして、それは主人公が常に妄想してて、なにか見ると妄想してっていうのが映画の中では現実として映像化されるから、見てる方はどこまでが夢でどこまでが現実だかわからないっていう映画があるんですけど、それに近い、虹をつかむ男系の映画なんですね。
(赤江)はー!
(山里)『中学生円山』も、そんなような映画でしたね。
(町山)そうそうそう!中学生円山も、クドカン(宮藤官九郎)のやつも、主人公の中学生がすぐに、『アイツはスパイなんじゃないか?』って思うとスパイ・アクションが展開したり。『アイツはクンフーの名人じゃないか?』って思うとクンフー・アクションになったりっていう、中学生の妄想をそのまま映像のなかに入れちゃってるんですね。
(山里)それを、このアニメでやったと。
(町山)これはアニメでやってるんですよ。っていう話なんです。
(山里)わかんないですよね。いきなり。
(町山)これね、いちばんわからないのは、この主人公の堀越二郎さんが自分の考えていることを決して口に出して言わないんですよ。
(赤江)割と寡黙な方ですもんね。
主人公は考えていることを口に出さない
(町山)寡黙なんですよ。で、最近の日本の映画って特にそうですけど、主人公たちが全部自分の思っていることを言って、ディスカッションするんですよ。
(赤江)あー!
(町山)そういう映画ばっかりなんですよ。酷いことになってるんですよ。だからこの間、飛行機に乗ってこっちに来る時に、『藁の楯』っていう映画見てたんですよ。それで、松嶋菜々子さんが刑事で、連続殺人鬼の藤原竜也くんをずっと連行する話なんですけど。藤原竜也くんが、いきなりその松嶋菜々子さんをぶっ殺すんですよ。いきなり、突然。で、その時に『なんで殺したんだ!?』って言うと、『このババア、クセーんだよ!』って言うんですけど(笑)。なんて酷いことを言うんだ!って思うんですけど(笑)。そんなこと、言うか!って思うんですけど。もう、全員が全員、思っていることをブチまけあうんですよ。日本映画って最近は。
(山里)全部説明しちゃう。
(町山)全部説明するんですよ。私はこう思ってますよ!って。俺はそうは思わない!とか。それに慣れると、風立ちぬっていう映画はわからないんですよ。
(赤江)そうですよ。行間みたいなところがすっごい多いですもん。文章で言ったら。
(町山)なんにも言わないんですよ。この人。要するにこれ、戦争が起こりはじめてるっていうか、日本は戦争に向かってるんですけど、それに対して彼は武器を造るって仕事をしてるわけですね。戦闘機を造るって。で、その葛藤があるだろう?と、みんな思うんですけど、その葛藤に関して主人公はなにも言わないんですよ。
(赤江)そうだ。そう言われればそうだ。
(町山)そうなんですよ。だからやっぱりそれを言ったほうがいいんじゃないの?って。他の日本映画だったら言っちゃうんですよ。会話でね。ディスカッションしたりするんですよ。戦争と言うのは!とか。言わないんですよ。
(赤江)ああ!たしかに見事になかったですね。
(町山)ないんですよ。
(山里)俺はこんなために造ってるんじゃない!みたいなことを・・・
(町山)そうそうそう!そういうことを言うんですよ。俺は本当は空を飛ぶのが好きで!とか言ってね。でも、戦争はよくない!とかね。言わないんですよ!言うの、下品ですよ。それはやっぱり。
(赤江・山里)なるほど!
(町山)それはね・・・当時の人たちはみんな思っていても、言えなかっただろうし。
(山里)そうか。時代背景的に、そんなこと絶対言っちゃダメですもんね。
(町山)そう。そんなこと・・・だからね、これね、でも言ってるっていう。わかる人にだけ言ってるっていうか。わかってくれ!っていう映画なんですね。たとえば、ユンカースっていうドイツの航空機会社に視察に行くっていうところがあるんですね。この堀越二郎さんが。で、ユンカースっていう人が造った爆撃機を見るんですけど、それだけなんです。で、突然なんか警察みたいなのが出てきたり、軍隊みたいなのが出てきてなんか、謎の行動がその周りで行われているらしいんだけど、一体それがなにかわからないんですよ。映画見てると。
(赤江・山里)ふんふん。
(町山)で、それどういうことかっていうと、まずユンカースっていう人は戦争に反対してたんですね。ユンカースっていう博士がいて、爆撃機とかを開発した人なんですけども。爆撃機とか戦闘機を造りながらも、ナチスにすごい逆らっていて、最後はナチスによって監禁されて死んでいくんですよ。
(赤江)あ、そういう人生をたどっていく・・・
(町山)そういう人生をたどった博士。ユンカースっていう偉大な航空工学家なんですけども。その人の人生っていうのは、まさに戦争に反対しながらも、兵器を造るっていう人の代表ですよね。それを出すっていうことで、わかってくれよ!なんですよ。これは。
(山里)赤江さん、見てても、いま聞いてはじめて分かった感じ?
(赤江)そうなんですよ。なんの説明もないもん。本当に。
(山里)ユンカースさんといえば・・・みたいなのは、ないわけですね。そこまで。
(町山)ないわけです。説明はないです。
(赤江)だから当時の人は、そのユンカースさんに出会った時に、たしかにそんなに人と人が出会った時に、その人のバックボーンをどれだけ調べて出会うかっていうと、出会わないじゃないですか?そんな感じしか映画で描かれてないんです。
(町山)一瞬なんですね。そう。
(赤江)だからその時の時代の人と自分が一緒になってると思えば、町山さんがおっしゃるように、それぐらいの感覚しか出てこない。
(町山)そう。わからない。あと、途中でね、ドイツ人が出てくるんです。謎の。軽井沢に行くと・・・軽井沢に主人公が行った理由もほとんどわからないんですよ。
(赤江)そうそう、それもわからないの。
(町山)全くわからないんですが、軽井沢に行くとドイツ人がいて。で、友情ができるんですね。そこでね、いい曲がかかるんですけど。それ、ちょっと今、かけていただけますか?『ただ一度だけ』という歌がね。『ただ一度だけ』っていう主題歌なんですね。ドイツ映画の『会議は踊る』という映画の。で、それを全員でビアホールみたいなところで合唱するシーンがありますね。みんなでね。
(赤江)はいはい。
(町山)で、あのドイツ人っていうのは何か?っていうと、あ、ここんところサビなんですけど。ちょっと聞きましょう。これをね、全員で合唱するんですけども。あのドイツ人は、『ドイツは戦争に向かっている。日本は戦争に向かってるよ。我々は破滅する』って堀越二郎に言うんですよ。そうすると、堀越二郎はそれを受け入れるんですね。そうですねって言うんですね。そうじゃない!って言うべきじゃないですか。日本は絶対に勝つ!とか言うべきじゃないですか。言わないんですね。うん・・・って受け入れるんですけど、あのドイツ人は誰か?って言ったら、あれはソ連のスパイですよ!
(赤江)えっ!?そうなの?
(町山)おそらく。
(赤江)ええっ!?
(山里)見た人だよね?赤江さん。
(赤江)私、見ましたけど・・・
(町山)わからない?
(赤江)わからない。わからない。逃げてるっていうのは出てましたけど・・・
(町山)そう。逃げてるでしょ?逃げてるシーンがある。あれはゾルゲでしょう。おそらく。ソ連のスパイ。
(赤江)ああー!有名なスパイ。
(町山)有名なスパイです。
(山里)そのゾルゲっていうのが有名なスパイだっていうのはわかるけど、それ出てきてるんですか?
(町山)セリフには出てこないし、わからないですけど、たぶんゾルゲのような人物であって、そのドイツや日本の戦争を止めさせようとか思ってるドイツ人。で、その軽井沢になにかの潜入してきたであろうというところはあるんですが、なにもそれを言わないんですよ。この映画は。
(赤江)そうだ!本当にそう!
(山里)それ、知らないの難しいよね。どっかで、『あの人、ゾルゲよ!』ってシーン、ないわけでしょ?
(町山)そう。ないんですよ。そういうことをね、延々とやってるんですね。たとえば、すごく印象的な絵柄でですね、はじめて主人公が菜穂子さんに会うっていうシーンがあるんですけど。菜穂子さんっていうのは、『風立ちぬ』の主人公の名前をそのまま使ってるんですけど、丘の上に立ってパラソルを持ってですね、絵を書いてるシーンっていうのがあるんですけど、この絵っていうのは最初のモチーフになってるんですね。風立ちぬっていう原作の。これって何か?っていうと、クロード・モネの絵なんですよ。元々は。これ、見えますか?
(山里)あ、同じだね!
(赤江)そうだ、有名なパラソル婦人の。
(町山)有名な、パラソルを持った婦人なんですよね。で、こういったいろいろなイメージが中に出てきて。特にクロード・モネの絵のイメージっていうのは全体に散りばめられていて。たとえば大震災。関東大震災のシーン、すごいですけども。あれで雲がこう、ブワーッ!っと盛り上がるところも、モネのタッチで暗雲を描いてるんですね。爆炎とかを。
(赤江)はー!なるほど!
(町山)これ、すごいことをやってるんですよ。結構。
(赤江)うーわ!今日、本当に町山さんに解説していただいてよかった。いろいろ腑に落ちなかったところが、つながっていく感じですよ。
(町山)で、あそこでこう、煙がこう・・・ものすごい火災がおきて、大震災で。その煙が舞い散るところで、主人公の堀越二郎は突然妄想を始めて、飛行機が飛んでいる妄想をするんですね。爆撃の妄想みたいなのを。
(赤江)そう。ここで!?みたいな。
(町山)この人は、どんなに危険な時でも妄想を止めないんですよ。これはね、僕の友達の映画監督たちがみんな、俺だよ!って言ってるんですよ。彼らは。みんな、あれは俺だ!って言ってるんですよ。
(赤江)そう。だから震災で火の粉が飛んだりとか、布が燃えてバーッ!って舞い上がってるのを見て、飛行機を思い出してるんですね。
(山里)この状況でだったら、この飛行機がいいかな?みたいな・・・
(町山)そうそう。そういうことを常に思っていて。もう、どんなに自分が危険な状態にあっても、常に自分の妄想の中に入ってくんですよ。で、これは映画監督とかシナリオライターとかやってる人たちとか、撮影とかやってる人、アニメーターとか、みんなそういう人たちですよ。
(赤江)あっ、そうなんだ!
(町山)全てがそこに。道を歩きながらビルを見て、ビルを見上げるとその向こうから怪獣が出てくるのを想像するんですよ。彼らは。それこそ大震災であるとか、大変な事件がおこって、悲劇がおこっても、どう撮ろうか?どう、これを表現しようか?ってことばっかりを彼らは考えるんですよ。頭の中に絵コンテがバーッ!って出てくるんですよ。
(赤江)はー!そういう人種だってこと・・・
(町山)そういう人種なんですよ。で、それは非常に不謹慎な人たちですよ。はっきり言うとね。でも、そういうものなんです。ものを創る人たちっていうのは、そういうところがあるんですよ。で、この人はまさに戦争の道具である戦闘機を造るんだけども、その戦争そのものに対して責任はどうなのか?っていうことを問うてるわけですね。この作品の中で。宮崎駿さん自身がそういう人で、とにかく戦闘機とか戦車とかが大・大・大好きな人なんですよ。
(赤江)うんうん。