細野晴臣さんと星野源が2025年6月17日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で亡くなったビーチボーイズのブライアン・ウィルソンさんを追悼していました。
(星野源)細野さんにもう1曲、選曲していただいたということで。
(細野晴臣)さっきの話でブライアン・ウィルソン、82歳で亡くなってしまいました。僕は一度、シカゴにブライアン・ウィルソンさんが引っ越した時、新しい奥さんと一緒に住み始めた時、取材に行ったんですよ。
(星野源)それはブライアン・ウィルソンがシカゴに新しい奥さんと住み始めた時に。
(細野晴臣)その時、家で取材陣を迎えて1人1人、面と向かって。その時、僕はラジオをやってたんで、ラジオのジングルの声をいただいたんですね。それぐらいしか会ってないんですけど(笑)。でも、音楽は中学の頃から聞いてるんで。もう、お兄さんですね。本当に。だからその曲を紹介したいんですけど、ひょっとするとブライアン・ウィルソンって沖縄の人の生まれ変りかもしれないっていう。
(星野源)それは、どういうことですか?
(細野晴臣)沖縄音階をいっぱい使うんですよ。
(星野源)ああ、なるほど!
(細野晴臣)一番有名なのは『Help Me, Rhonda』っていう曲で。
(細野晴臣)それで今からかけるのは、あんまり知られてないんですけど。『Good To My Baby』っていう曲です。はい、どうぞ。
ブライアン・ウィルソン楽曲の沖縄音階
(星野源)お送りしたのはザ・ビーチ・ボーイズで『Good To My Baby』でした。もう、あそこのブレイクのところ、まさに沖縄音階。
(細野晴臣)ですよね。
(星野源)なんか僕、ビーチボーイズの思い出は日本でマリンスタジアムでやった時に僕、オープニングアクトだったんですよ。
(細野晴臣)知ってるよ! 見に行ったもん。
(星野源)はい、そうなんですよ。で、当時の僕のことなんてたぶん、知ってる人はあんまりいないのに、なぜか僕が抜擢されて。それでやらせてもらったんですよ。
(細野晴臣)すごいことだよ。
(星野源)「えっ、俺なの?」って。「でも、こんな機会、絶対にないからやった方がいいな」と思って。でも、出たらやっぱりもうみんな、俺に興味ないから。その当時のお客さんは。すごいなんかしらっとしてるんですけど、でも細野さんだけ真ん中で見てくれたんですよ。
(細野晴臣)そうだね(笑)。
ビーチボーイズライブのオープニングアクトを務めた星野源
(星野源)俺、それがめちゃめちゃ嬉しくて! 「この時間に細野さんが見に来てくれた!」って思って。その、細野さんをすごく支えに……。
(細野晴臣)そうだ。お父親と挨拶したよ。その時に(笑)。
(星野源)アハハハハハハハハッ! すいません、声をかけちゃって。うちの親が(笑)。
細野さんが見ていることが支えになった
(細野晴臣)その時のことを聞きたかったんだけど。ブライアン・ウィルソンと、話した?
(星野源)僕は挨拶はできてないですね。できてなくて。なぜかというと僕、それのオファーの前に別の仕事がその日、入っていて。
(細野晴臣)忙しいね。
(星野源)だからビーチボーイズのライブ時間、僕はNHKでコントを撮っていたんですよ(笑)。『LIFE!』っていうコント番組の初日の日だったんですね。収録の一番最初の日で。で、すっごい後ろ髪を引かれながら……(笑)。でも、どっちも自分にとって大事なものだったので。でも、リハーサルは全部、見れたんですよ。リハーサルのビーチボーズを見れるってなかなかたぶんないと思うので。
(細野晴臣)ないない。見たかった!
(星野源)それはもう……リハーサルから完璧っていう印象でした。「すげえ!」と思って。かっこよかったですね。それもいろんな意味でもう自分の一生の思い出……細野さんとの思い出のひとつでした。
(細野晴臣)ねえ。全部が揃っちゃったね。ブライアン・ウィルソンとね。
(星野源)そうなんです。本当に。あの時はありがとうございました。勇気づけてくれて。
(細野晴臣)いや、こちらこそ。
細野さんがおっしゃっていた「ブライアン・ウィルソンは沖縄音階を使うから沖縄人の生まれ変わりかもしれない」説、面白いですね。言われてみれば、たしかにそんな感じもしてきました。そしてQVCマリンスタジアムでのビーチボーイズライブのオープニングアクトを務めた星野さんを細野さんがしっかり見ていたというお話もとてもいい話でした!
