博多大吉さんと長峰由紀さんが2025年4月30日放送のPodcast『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!』で大相撲についてトーク。力士たちの怪我が増えている問題について話し、アメリカのプロレス団体WWEが行っているレスラーの怪我防止策を紹介していました。
(長峰由紀)今はね、もうずっと私、本当に物心ついた時から……大鵬さんから始まってるんですけど。今、見ていて本当に胸が痛い、熱くなるのは、さっきの私が心で育てた石浦さんも怪我で引退したんですよ。もう生きるか死ぬかの怪我だったんですけど。それで今、遠藤関がね、あんな「横綱になるか?」っていうぐらいの破竹の勢いで出世していった人が足の怪我でもう今、ヨロヨロなんですよ。
(博多大吉)あら……。
(長峰由紀)それでも、それでも土俵に上がってくるんですよ。
(博多大吉)番付はもう、だいぶ下ですか?
足の怪我でヨロヨロになってしまった遠藤
(長峰由紀)まだね、八枚目とかね、七枚目とかを行ったり来たりしてるんですよ。最高位は小結なんですけれども。
(博多大吉)だってね、本当にもう最速でしょう? 永谷園のCMに出たスピードでいうと、とんでもないスピードで
(長峰由紀)それはね、たしかタイ記録だったかな? とにかくもう「あの人、天才ですよ」っていうぐらいで。
(博多大吉)僕のイメージだと若貴以来のスターが出るんじゃないかっていうね。
(長峰由紀)低迷していた大相撲、遠藤のおかげで盛り返したんですよ。それはあの人だったからなんです。だけど今は今年、35か。膝の度重なる怪我で……それでも休まず、上がってくるの。で、勝っても負けても、立ち上がれなくなっちゃったんですよ、今。一生懸命手をついて、立ち上がって。でもクールな顔して去っていくんだけど、疲労がもう顔に滲んでるんですよ。そういう姿を見ていて「どうしてこの人は上がるんだろう?」っていうのが今、私のテーマなんです。
(博多大吉)なんかもう、中島みゆきさんの歌を聞いてるような。
(長峰由紀)「どうして♪」みたいな。
(博多大吉)なんだろうな? 母性本能という言い方はあれかもしれないけど。長峰さんのあれが刺激されるんですかね、そういうところが。
(長峰由紀)どうして……でも、リングもそうじゃないですか。「あの死のリングになぜ上がる?」って思いません?
(博多大吉)いろんなことをね、プロレスに対して言う人はいますけど。一歩、間違えたら死ぬことをやってるじゃないですか。
(長峰由紀)だってみんな、怪我してるじゃないですか。
(博多大吉)もうね、僕の知り合いの方で亡くなってる方も多いし。だってさっき名前をあげた方って、まあホーガンはまだ生きてるけども。みんなね、結構早めに亡くなったりとかするんで。
(長峰由紀)それは力士も一緒でね。首なんかやったらもう、致命的なんですよ。
(博多大吉)だからたまに相撲を見ていて、とんでもない角度で土俵の下に落ちていく人、いるじゃないですか。頭からとか。あんなの、体重ある分さ、いくら鍛えてても……まあ、プロレスもそうですけど。怖いですよね。俺ね、だから土俵の周りにマットかなんかを敷くべきなんじゃないかって。
(長峰由紀)私も本当にね、下に敷けって思っていて。
(博多大吉)これはいいんですかね? ファンの方があんまり、嫌がるかなと思ったんだけど。
(長峰由紀)周りにね、たまりっていう席があるからちょっと……なんかね、私はね、これは一言、言いたいけれども。
(博多大吉)言いましょう、今日は。
命あっての相撲
(長峰由紀)「命あっての相撲だぞ」と。「命あってのプロレス、命あってのスポーツだろう」と。55cmぐらいのあの土俵の高さ……50から60の高さのあれを低くしてほしいんだけど。高さがないと、まあ見えないわけですよ。
(博多大吉)なるほど。土俵はね、ある程度の高さないと。
(長峰由紀)で、向こうが言うには「あの高さを落ちていく間に受け身ができるんだ」と。そんなことはないだろう?って。
(博多大吉)まあ、できるかもしれないけど、できない時があるでしょう?
(長峰由紀)あるでしょう? 頭から落ちてくんだよって思いますよ。
(博多大吉)それこそね、膝なんかもそれでやっちゃうわけじゃないですか。
(長峰由紀)せめて下になんか柔らかいのを敷いてよと。
(博多大吉)敷けばいいのに。あのね、たまたまですけど僕、土曜日に柳川っていうところでロケしていて。で、ここってあの雲龍型の発祥の雲龍関のふるさとなんですよ。で、雲龍記念館っていうのがあって。
(長峰由紀)そうだったんですか。あら、知らなかったわ!
(博多大吉)で、郷土力士が琴奨菊さんもそこで。で、雲龍さんのこれまでの歴史と琴奨菊さんの現役時代の展示とかがあって、それをたまたま見たんですよ。で、雲龍さんって江戸時代後期ぐらいの方なんですけど年表がちゃんと残っていて。横綱になったの、40ぐらいなんですよ。
(長峰由紀)そんなに遅くに?
(博多大吉)そう。35ぐらいで大関だったかな? で、その会館にいた人としゃべっていて。今だとありえないじゃないですか。40で横綱って。絶対、引退するぐらいの……。
(長峰由紀)40の玉鷲関っていうのがいらっしゃいますけれども。横綱ではまあまあ、いないですわ。
(博多大吉)そしたら、もう本当に理由は単純でした。その方に教えてもらったんですけど。この時代は年間に二場所しかなかったっていう。
(長峰由紀)ああ、そうか。そうだ。
(博多大吉)だから、怪我しても治せる時間もあったし。そこまで、今みたいにハードじゃなかったから力士の寿命も長かったんですって。「ああ、なるほど」って思って。