江口寿史と鳥嶋和彦 ちばてつやの偉大さを語る

江口寿史と鳥嶋和彦 ちばてつやの偉大さを語る TOKYO M.A.A.D SPIN

江口寿史さんと鳥嶋和彦さんが2024年4月27日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』の中で漫画家ちばてつやさんの偉大さについて話していました。

(鳥嶋和彦)それで、その話はまた後にしますけど。江口さんの漫画家になるまで……今回の展示でも僕は中学生の江口さんの落書きっていうか、絵コンテみたいなのの完成度が高いんで、びっくりしたんですけど。ああ、これですね。

(江口寿史)ああ、これ。これは小5ですね。『ウルトラQ』みたいな、怪獣の。

(鳥嶋和彦)いろんな漫画家さんがこういう話をする時に、残ってるっていうのはあんまりないんでね。

(江口寿史)そうですよね。

(鳥嶋和彦)江口さん、漫画を描き始めたのは、どういうきっかけで、どうやって続いてきたというか……。

(江口寿史)僕、漫画っていうのを知る前は、ただの落書きをもう物心ついた時からずっと書いていたんですよ。で、テレビっ子っていうか、テレビの第1世代なんで。テレビ放送が始まってすぐ、うちの父親がね、新しい物好きで、テレビを買ったんですよ。

(鳥嶋和彦)いつぐらいの時に?

(江口寿史)だから昭和34年ぐらい?

(鳥嶋和彦)早いよ!

(江口寿史)はやい。で、うちの親父はそういう人だったんですけど。

(鳥嶋和彦)近所の人が集まってくるでしょう?

(江口寿史)集まってくる。それでテレビ番組を見て、『隠密剣士』とか『忍者部隊月光』とか、大好きで。それを書いていたの。だからその時はまだ漫画って知らないで。要するにテレビ番組で『月光仮面』だの何だのを見た後、すぐに書いていて。それをやってたらそのうちに、アニメが始まったんですよ。

(鳥嶋和彦)『アトム』?

(江口寿史)『アトム』。もう『アトム』にハマっちゃって。それで『アトム』ばっかり模写するようになって。それである時、本屋に父親と行ったら『アトム』が載っている雑誌があったの。

(鳥嶋和彦)光文社の『少年』だ。

(江口寿史)割と親にねだるタイプじゃなかったんだけど。「これはどうしても買ってほしい!」っつって。で、『少年』を買って、それから漫画を知ったってことですね。

(鳥嶋和彦)『少年』は『アトム』だけじゃなくて、他の作品もあったでしょう?

関谷ひさし『ストップ!にいちゃん』が大好きに

(江口寿史)だから手塚治虫先生目当てで買ったんだけど、僕は関谷ひさしさんが大好きになって。『ストップ!にいちゃん』がすごい好きで。だからこのへんに書いてるのも、『ストップ!にいちゃん』の真似みたいな漫画も書いてました。

(鳥嶋和彦)あれですか? 『ストップ!! ひばりくん!』の「ストップ」はそこから来てる?

(江口寿史)そうです。拝借しました。

(鳥嶋和彦)割と、あれですよね。僕もうっすら見た記憶で言うと、普通の男の子の身辺雑記ですよね?

(江口寿史)そうです。ただわんぱくでどうしようもないっていうキャラなんだけど。今の時代から見ると、普通の漫画ですよね。ただ絵がね、すごく洒脱っていうか。

(鳥嶋和彦)清潔感があったよね。

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(江口寿史)そう。それでなんかペンタッチも綺麗で。で、手塚治虫さんがちょうどその頃はちょっと、スランプ気味だったんですね。

(鳥嶋和彦)ああ、そうなんだ。

(江口寿史)僕が初めて出会った手塚さんは『グランドール』とか書いていて。『フライング・ベン』とかね、駄作ばっかり出していた頃で。

(鳥嶋和彦)知らない。

(江口寿史)本当、本当。たぶんあの頃、先生はアニメの方にも行きだして。

(鳥嶋和彦)ああ、いわゆる書き飛ばしている頃だ。

(江口寿史)そうです、そうです。それであの人、本当は絵がすごい上手い人なんだけど、「絵は記号でいい」とか言いだした頃ですよ。

(鳥嶋和彦)いわゆる、電話であれだね。原稿を送ってるっていう逸話がある頃だね(笑)。

(江口寿史)アシスタントに全部、指示するっていうやつですよね。だから『ブラック・ジャック』がチャンピオンで始まる前までは、手塚さんってちょっと下降していたんですよ。僕の体験から言うと。それでもう、割と古典の人っていう意識があったんですよね。まだ30そこそこなんですけどね。その時は。だからその関谷さんとか若い……桑田二郎とかね。そっちの方に魅力を感じたんですよ。

(鳥嶋和彦)桑田さんも書いていた?

(江口寿史)桑田さんも書いてましたよ。

(鳥嶋和彦)『8マン』の前に?

(江口寿史)『8マン』の前にね、書いてましたよ。タイトルは忘れたけど。いろいろ書いてましたよ。

(鳥嶋和彦)ひょっとしてこれ、『鉄人』も入っていた?

(江口寿史)『鉄人』も入っていました。『鉄人』と『アトム』が載ってる雑誌なんて、すごいですよね。

(鳥嶋和彦)ありえないね。巨人・阪神みたいなもんだね。

(江口寿史)『少年』ってすごい雑誌だったんですよ。そこからはもう、漫画がばっかりですね。

(鳥嶋和彦)そこで『少年』っていう雑誌に行きついて「漫画、面白いな。いろんな作家さんがいるな」っていうので。それで江口少年はノートに書き始めてたんだ。

(江口寿史)それで、コマを割って終わって描き始めたのが、『少年』を見た後ですね。それまではコマなしでただの落書きしていたので。

(鳥嶋和彦)ああ、そうか。コマを割って、そこから漫画になったわけだ。

(江口寿史)そう。これでノートに漫画を書くようになったんですね。

(鳥嶋和彦)ちなみにちょっとひとつ、聞いていいですか? コマ割りって、結構難しいじゃないですか。新人漫画家でも、形はわかるけど。そのへんはどうやって?

(江口寿史)それはもう、真似ですね。好きな漫画の真似です。要は。

(鳥嶋和彦)その時はコマはどのへんの作家さんのを?

(江口寿史)もう関谷ひさしさん。とにかく関谷さんが好きだったんで。それでね、そのうち週刊の時代になって。ちばてつやさんをすごい好きになったんですよね。だからもういきなり、関谷ひさしからちばてつやなんですよ。

(鳥嶋和彦)ああ、なんとなくわかるな。

ちばてつや先生のコマ割りのすごさ

(江口寿史)で、ちばてつやさんって実はすごいコマ割りがうまい人なんですよ。あれを見たんで、僕はそのまんまのコマ割りで書いてたんで、それが染み付いちゃって。本当にちばさんのコマ割りがすごくよく合うんですよね(笑)。

(鳥嶋和彦)僕、江口さんの漫画が好きだったっていうのはそこに行くのかもしれないけれども。僕も漫画を読んだことがなくて。漫画を知らなくて、会社に入って。存在を知らなかったジャンプに配属されて。で、漫画が読めなくて。で、いろんな漫画を小学館とかで全部、読んだ中で一番読みやすくて面白かったのはちばさんの漫画です。

(江口寿史)そうですよね。読みやすいんですよね。

(鳥嶋和彦)それで僕も分析をして、コマ割りっていうのを覚えたんで。そうすると、江口さんは僕の先輩だね(笑)。

(江口寿史)アハハハハハハハハッ! 僕は理論的にっていうんじゃなくて、感覚的にね、たぶん受け継いだんだと思うんですけど。今だと言葉にできるけど、当時はね、できないですからね。ここでどうして同じコマが続くのか、とかね。

(鳥嶋和彦)ただ、それは前、ちばさんかどなたか、漫画家の方がおっしゃってたけど。「コマ割りを勉強する一番いい方法は模写することだ」っていう。

(江口寿史)ああ、そうでしょうね。絵もそうですよ。絵もそうだし、歌もそうじゃないですかね。

(鳥嶋和彦)じゃあちばさんの漫画を見て。関谷さんからちばさんに来て。ということはマガジンの創刊から見てるんだ?

(江口寿史)いや、創刊はちょっと間に合ってないと思うんですけど。小5からですね。少年マガジンは。だから『ハリスの旋風』をやってたんですよ。『ハリスの旋風』の終わりごろに国松がボクシングをやりだして。その後、『あしたのジョー』になるんですよね。

(鳥嶋和彦)去年の9月にコミティアでちばさんと対談した時にちばさんがおっしゃってたのは、それまでどうしても編集部から言われて行儀のいいキャラクターを書いていて、自分で窮屈だったと。それで思いっきり、やっちゃいけないことをやるキャラクターを書きたくなって書いて。それで反響があったのが国松だったっていう。

(江口寿史)ああ、『ハリスの旋風』ね。

(鳥嶋和彦)そうおっしゃっていたので。で、ちょうどちばさんが弾けた頃に江口さんはちばさんの漫画に出会ったんだ。

(江口寿史)そうですね。だから『紫電改のタカ』とか、ああいうのは後追いです。後から見たっていう。だから僕はもう、『ハリスの旋風』からで。

(鳥嶋和彦)『紫電改のタカ』、僕も後から見ましたけど。『ハリスの旋風』の前だ。

(江口寿史)そうです。あと『ちかいの魔球』とか。そうなんですよね。だから『あしたのジョー』になってから、高3までずっと続いていたから。本当に『あしたのジョー』とともに毎週、生きていましたね。本当に、セリフを全部、覚えていたから。毎週(笑)。

(鳥嶋和彦)そこまで……ちばてつやさんの漫画のどこが好きですか? 

(江口寿史)厳密に言うと『あしたのジョー』は梶原先生との合作で。梶原テイストもだいぶ入ってるんだけど。あれ、ちばさんじゃなかったらあそこまでヒットしてないし。逆にちばさんだけでもダメだったと思うんですよね。奇跡のコラボ、合作だと思うんですよね。それでどこが好きか?っていうと、ちばさんのその日常性。日常の細かい観察眼がすごくグッと来ていたっていうか。

(鳥嶋和彦)たとえば?

日常の細かい観察眼

(江口寿史)ご飯が美味しそうとか。「この人たち、ちゃんとご飯を食ってるんだな」っていう。それまでの漫画って、手塚治虫さんの漫画なんて飯を食ってなさそうじゃないですか。あと演技も全部、漫画的なんですよ。こうやってしゃべっていたりとか。

(鳥嶋和彦)そこにいる人物は、手塚さんの人形だもんね。

(江口寿史)ただのストーリーをわからせるための駒で。それが悪いとは言いませんけど、ちばさんの場合はしゃべるにしても、ご飯を作りながらしゃべっていたりとか。そういうところがね、なんか新しかったんじゃないですかね。

(鳥嶋和彦)日常が営まれていて、そこにカメラが入るみたいな感じだね。

(江口寿史)そうそう。それはね、あの時代にあれをやっていたのは異常ですよ。

(鳥嶋和彦)僕も「ちばさんは原稿が遅い」って聞いていたけども。あれを見ると、しょうがないよね。

(江口寿史)しょうがないですよ。それで、『あしたのジョー』の原作も最初3ヶ月ぐらい、全然梶原さんのを使わなかったらしいじゃないですか。

(鳥嶋和彦)あとから僕も聞いたけど、そうみたいだね。

(江口寿史)それはなぜか?っていうと、その原作をより豊かにするために前の振りをずっと書いていたんだよね。それで梶原さんがさすがに怒って。「なんで使わないんだ!」とか言い出したんだけど、それを説明して。後で読んでみたら「たしかにいい」ってなって。それから言わなくなったっていう。

(鳥嶋和彦)それは素直だよね。あんな怖い人……見た目、本当に怖いじゃない?(笑)。

(江口寿史)でも梶原先生は本当に、割といい人だと思いますよ。

(鳥嶋和彦)元々、新聞記者の人だから。そのへんのところはね、感性豊かだもんね。

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